15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 26終わりにこれがデミアン君の日本での中学校留学の全貌である。果たして、彼と彼らのこの体験は、真の国際交流のあり方だったのであろうか。 異文化理解や相互理解、国際交流の必要性が叫ばれている。誰もが、海外に行き、留学し、ホームステイし、異国に行けば、国際交流という方法論で、異文化理解が深まると理解している。否、誤解している。冗談ではない。そんなに異文化理解は、簡単なものではない。海外に行くだけでそれができると盲信しているのであれば、デミアン君の体験はどう説明できるのだろう。彼が異文化体験を通して知り得たものは、心の傷と常に一緒に存在している。彼にとっての国際交流は、精神的苦痛とストレスによる、心身ともに満身創痍の、苦悩と動揺の連続である。決して、日本の友達と笑顔で肩を抱き合って、したり顔でピースのサインを送っている、どこかの安っぽい留学雑誌に見られる写真ではない。おそらく、クラスの級友達とて、虫の好かない異分子と同居する時間と空間は、ストレスの多いものであっただろう。表面的には現れてこなかったけれども、デミアン君の中にある異文化に傷つき、苦しみ、打ちのめされたことも、級友達には数知れずあっただろう。想像に難くない。異言語という大きな障害の前には、誤解と理解は、紙一重であるからだ。これからの国際交流プログラムに、当事者として参加する方々に、果たして、デミアン君のように、クラスの級友達のように、満身創痍の覚悟はありますかと問うてみたい。そして、そのガラスのような繊細な心の中に、数多くの傷を負って、自分で癒す自信はありますかと問うてみたい。 真の異文化体験とは、問題提起が必ず生まれる。それは動揺であり、矛盾であり、覚醒であり、苦痛であり、苦悩である。それらを時には理解し、時には尊敬し、時には克服し、時には議論し、乗り越えたところに、相対的、複眼的な視野を持つ価値観が存在する。でも乗り越えることは、容易ではない。数週間の交流で、外国人と肩を組み、表面的なピースのサインの笑顔だけでは、異文化理解にはほど遠い。それは双方の犠牲と忍耐の上に成り立つ、うわべだけの、虚構の交流なのかもしれない。異文化理解は困難であるからこそ、その方法論である国際交流が、安易に目的化しやすい遠因があるのである。彼の留学を通して、その思いを強くした。 思えば、当初は一年間の予定の留学であった。それが、いつのまにか、クリスマスまでには帰国するという希望を、彼が口にするようになった。来日して半年が流れて、クリスマスの時期が来て、望郷の想いが強くなったこととは、理解できた。でも、本当にそれだけの理由だったのだろうか。そして、大和魂を学びたいという彼は、果たして、日本でそれを学んだのだろうか。学ぶことができたのだろうか。そのことを最後まで尋ねる勇気が、とても私にはなかった。また、たとえ尋ねたとしても、彼の真実を知ることができるとも思わなかった。それ以来、そもそも、かってはこの国にあったのであろう、大和魂なるものは、我々の魂の中に継承されているのだろうかと、いつも考えるようになってしまった。 |
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