15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

HOME > デミアン君の日本留学顛末記 > 26終わりに
 
■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

26終わりに

これがデミアン君の日本での中学校留学の全貌である。果たして、彼と彼らのこの体験は、真の国際交流のあり方だったのであろうか。

異文化理解や相互理解、国際交流の必要性が叫ばれている。誰もが、海外に行き、留学し、ホームステイし、異国に行けば、国際交流という方法論で、異文化理解が深まると理解している。否、誤解している。冗談ではない。そんなに異文化理解は、簡単なものではない。海外に行くだけでそれができると盲信しているのであれば、デミアン君の体験はどう説明できるのだろう。彼が異文化体験を通して知り得たものは、心の傷と常に一緒に存在している。彼にとっての国際交流は、精神的苦痛とストレスによる、心身ともに満身創痍の、苦悩と動揺の連続である。決して、日本の友達と笑顔で肩を抱き合って、したり顔でピースのサインを送っている、どこかの安っぽい留学雑誌に見られる写真ではない。おそらく、クラスの級友達とて、虫の好かない異分子と同居する時間と空間は、ストレスの多いものであっただろう。表面的には現れてこなかったけれども、デミアン君の中にある異文化に傷つき、苦しみ、打ちのめされたことも、級友達には数知れずあっただろう。想像に難くない。異言語という大きな障害の前には、誤解と理解は、紙一重であるからだ。これからの国際交流プログラムに、当事者として参加する方々に、果たして、デミアン君のように、クラスの級友達のように、満身創痍の覚悟はありますかと問うてみたい。そして、そのガラスのような繊細な心の中に、数多くの傷を負って、自分で癒す自信はありますかと問うてみたい。

真の異文化体験とは、問題提起が必ず生まれる。それは動揺であり、矛盾であり、覚醒であり、苦痛であり、苦悩である。それらを時には理解し、時には尊敬し、時には克服し、時には議論し、乗り越えたところに、相対的、複眼的な視野を持つ価値観が存在する。でも乗り越えることは、容易ではない。数週間の交流で、外国人と肩を組み、表面的なピースのサインの笑顔だけでは、異文化理解にはほど遠い。それは双方の犠牲と忍耐の上に成り立つ、うわべだけの、虚構の交流なのかもしれない。異文化理解は困難であるからこそ、その方法論である国際交流が、安易に目的化しやすい遠因があるのである。彼の留学を通して、その思いを強くした。

思えば、当初は一年間の予定の留学であった。それが、いつのまにか、クリスマスまでには帰国するという希望を、彼が口にするようになった。来日して半年が流れて、クリスマスの時期が来て、望郷の想いが強くなったこととは、理解できた。でも、本当にそれだけの理由だったのだろうか。そして、大和魂を学びたいという彼は、果たして、日本でそれを学んだのだろうか。学ぶことができたのだろうか。そのことを最後まで尋ねる勇気が、とても私にはなかった。また、たとえ尋ねたとしても、彼の真実を知ることができるとも思わなかった。それ以来、そもそも、かってはこの国にあったのであろう、大和魂なるものは、我々の魂の中に継承されているのだろうかと、いつも考えるようになってしまった。

ホーム 会社案内 お問い合わせ サイトマップ 
MNCC 南日本カルチャーセンター 
Copyright © 2007 MinamiNihon Culture Center. All Rights Reserved. http://www.mncc.jp