15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 04.思わぬ難題デミアン君の留学に関する、桜島中学校での受入れの可能性を、事前に、打診していた分だけ、話しはスムーズに進んだ。桜島町教育委員会として、前向きに受入れに対処していきたいという姿勢が至る所に感じられ、受入れに際して、突発的に発生しやすい問題や、予測しうる文化的摩擦、注意すべき国民性の違いなどを、しばらく説明した後、快く引き受けていただくこととなった。さすがに、町独自で、住民を対象とした海外派遣事業をいち早く手がけ、米国カリフォルニア州リポン市と友好都市盟約を結んでおり、国際交流について町自体が積極的で、前向きに活動しているだけのことはある。課長、教育長も大賛成で、町をあげて取り組んでいこうということであった。 桜島町社会教育課内で、このデミアン君のお世話を主にやっていただく担当の先生は、中峯先生ということになり、その後、中峯先生には、町内でのホストファミリー募集や、中学校校長と受入れのための折衝、また、鹿児島県教育委員会学校教育課などの行政側とのスムーズな受入れ態勢作りの窓口となっていただいた。そして、センターでは、入国準備の書類的な手続を開始することとなった。 就学査証取得に関する事務手続きの詳細を尋ねるため、鹿児島入国管理事務所に電話を入れた。そして、最初の大きな難題が早くも突きつけられた。担当官が様々な手続文書を調べても、「外国の中学生がひとりで来日して、日本の中学校に通学する」という目的に該当する入国査証は、見当たらないというのである。外国人高校生の交流就学査証はあっても、中学生単独での留学は、認められていないということであった。一瞬、全身から血が引くような気持ちであった。端的に述べるなら、高校生以上の留学は可能でも、中学生以下の留学は、基本的に予定されていないのである。信じられない話しであった。すなわち、デミアン君が日本の中学校で勉強するための、入国目的に該当する査証は、日本には無いのであった。 これだけ、日本から多くの学生が、海外に、留学やホームステイや交流プログラムで、出かけている時代である。また、近年では、海外の様々な国々から、日本への相互交流を目的とする来日者が増加している。さらに、旧中曽根政権の時代には、「留学生10万人計画」の政策が打ち出されるなど、国際交流については、行政指導も積極的で、大いに、その活動には支援が得られているものとばかり、一方的に理解していたのであった。 念のために、福岡市にある入国管理事務所にも電話を入れた。何らかの便法があればということで尋ねてみたが、全く該当する在留資格は見当たらないということであった。万事休す。その思い以外の何物でもなかった。あの「留学生10万人計画」とは、何だったのかと恨めしくもなった。思えば、これまでセンターで取扱った外国人中学生の留学は、3ヵ月以下の短期間であったし、もしくは、保護者も来日して、同居する上での中学校就学であったから、保護者の渡航目的の同伴者査証でよかったのだ。明らかに勘違いしていたと自覚したものの、この時点では、まだそれほどの悲壮感はなかった。 |
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