15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

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■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

09.入国審査

北園氏の電話から約二週間後、デミアン君がアメリカで日本査証を取得したという連絡を受けて、6月27日が彼の来日の日と決定した。6月に入ってからは、ホストファミリーの原さんと、受入に関する事前研修や打ち合わせを何回か行ない、中学校側とは学年やクラスなどの受入環境を話し合い、さらには、鹿児島県教育委員会学校教育課への挨拶も済ませ、準備は着々と進んだ。そして、このころになると、あらゆる事が好転し始め、周囲が一層協力的になって行くのを感じた。彼の受入れに関与する方々に一体感が生まれ、一つの目的に向かって、全員が好意的に接しているということが、手に取るように感じられた。後は、彼が来るのを待つだけだった。

その日の正午頃、すなわち、6月27日のお昼、誰もが首を長くして彼の到着を待っていた日であった。突然、センターの電話が鳴った。

「こちらは福岡空港入国管理事務所です。現在、デミアン・ノーバッシュ君という、15才のアメリカ人中学生が、観光査証で入国しようとしていますが、入国目的を尋ねたところ、留学と答えており、資格外活動の恐れがあるため、一時、福岡空港で身柄を拘束されております。」「入国記録書の滞在先欄に、貴センターの社名が記載されており、日本国におけるスポンサーは、貴センターであるということで、彼の入国目的について確認の電話を入れているところです。」一瞬、体がすくんだ。全身から血の気が引いた。受話器を持つ手が、冷たくなっていくのを感じた。

考えて見れば、予測の出来ることであった。法務省本庁の指示と合意はあったものの、出先機関はそのような事情を知る由もない。事前にデミアン君に、入国の際の目的は、「観光」と応えるように指示しておくべきだったのか。そのような口先をあわせるような姑息なことを、何故しなければならないのか。また、たとえそう指示したとしても、そのような姑息な方法を、彼や彼の両親が不信感を持つことなく、理解してくれただろうか。そんなことが一瞬のうちに、頭の中を駆け巡っていく。彼の年齢が15才ということもあり、このまま不審外国人として、国外退去の可能性も全くないわけではない。でも、何も非合法的なことはしていないのだから、詳細に説明することが重要と考え、ひるまず、今回の査証に関する法務省本庁との話しの経緯を説明した。そして、それらの旨を、本庁の北園氏に電話で確認して欲しいと要望し、一応は納得されて、電話は切られた。でももし、北園氏が不在だったらと、考えれば、考えるほど不安になった。そしてまた、福岡空港から鹿児島空港までの乗り継ぎ便の時間も、刻々と迫っていた。

しばらくして、福岡空港の入管から電話があり、「確認が取れましたので、デミアン・ノーバッシュ君の入国を許可します。」と言われて、電話は切れた。全身から力が抜けた。嬉しさよりも、これから先が思いやられた。


10.デミアン君の来日

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