15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 09.入国審査北園氏の電話から約二週間後、デミアン君がアメリカで日本査証を取得したという連絡を受けて、6月27日が彼の来日の日と決定した。6月に入ってからは、ホストファミリーの原さんと、受入に関する事前研修や打ち合わせを何回か行ない、中学校側とは学年やクラスなどの受入環境を話し合い、さらには、鹿児島県教育委員会学校教育課への挨拶も済ませ、準備は着々と進んだ。そして、このころになると、あらゆる事が好転し始め、周囲が一層協力的になって行くのを感じた。彼の受入れに関与する方々に一体感が生まれ、一つの目的に向かって、全員が好意的に接しているということが、手に取るように感じられた。後は、彼が来るのを待つだけだった。 その日の正午頃、すなわち、6月27日のお昼、誰もが首を長くして彼の到着を待っていた日であった。突然、センターの電話が鳴った。 「こちらは福岡空港入国管理事務所です。現在、デミアン・ノーバッシュ君という、15才のアメリカ人中学生が、観光査証で入国しようとしていますが、入国目的を尋ねたところ、留学と答えており、資格外活動の恐れがあるため、一時、福岡空港で身柄を拘束されております。」「入国記録書の滞在先欄に、貴センターの社名が記載されており、日本国におけるスポンサーは、貴センターであるということで、彼の入国目的について確認の電話を入れているところです。」一瞬、体がすくんだ。全身から血の気が引いた。受話器を持つ手が、冷たくなっていくのを感じた。 考えて見れば、予測の出来ることであった。法務省本庁の指示と合意はあったものの、出先機関はそのような事情を知る由もない。事前にデミアン君に、入国の際の目的は、「観光」と応えるように指示しておくべきだったのか。そのような口先をあわせるような姑息なことを、何故しなければならないのか。また、たとえそう指示したとしても、そのような姑息な方法を、彼や彼の両親が不信感を持つことなく、理解してくれただろうか。そんなことが一瞬のうちに、頭の中を駆け巡っていく。彼の年齢が15才ということもあり、このまま不審外国人として、国外退去の可能性も全くないわけではない。でも、何も非合法的なことはしていないのだから、詳細に説明することが重要と考え、ひるまず、今回の査証に関する法務省本庁との話しの経緯を説明した。そして、それらの旨を、本庁の北園氏に電話で確認して欲しいと要望し、一応は納得されて、電話は切られた。でももし、北園氏が不在だったらと、考えれば、考えるほど不安になった。そしてまた、福岡空港から鹿児島空港までの乗り継ぎ便の時間も、刻々と迫っていた。 しばらくして、福岡空港の入管から電話があり、「確認が取れましたので、デミアン・ノーバッシュ君の入国を許可します。」と言われて、電話は切れた。全身から力が抜けた。嬉しさよりも、これから先が思いやられた。 |
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