15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

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■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

17.家庭生活

いじめの真っ最中にあるデミアン君にとって、その年の夏休みが、特別なものであったのかどうかわからない。もちろん、日本で迎える初めての夏休みであることを考えれば、それだけでも充分に特別な夏休みであったといえる。原さん一家には、彼のために特別なもてなしとか、特別なことはしないようにと、彼が来る前に話していたので、彼が来たために、特別に一家の行事を変えるようなことは一切なされなかった。この事において、原さん一家は、まれに見るほどの理想的なホストファミリーであった。

センターを通して、来日される外国人をお世話された日本人家庭は、数限りなくある。受け入れの前に、必ず日本のホストファミリーに、決して特別な扱いをされないようにとお願いする。でも、これが守られた試しはない。心優しい日本人のこと、日本的な内と外という概念で、外から来るものはすべてお客様なのだ。いくらお客様ではないと説明しても、外側から内側に入ってくる者なのであって、内者とは違う外者なのである。外者に心を移し、いったん内に入れる時は、精一杯の心遣いをしてみせるのが、日本人の伝統的なもてなし方なのだ。食べるものが無ければ、自分達は食べなくとも客に対してもてなすのが、外者をいたわる日本人の心根なのだ。そして、外者の滞在期間が短ければ短いほど、その間に自分達ができる精一杯のことをやろうとがんばるのだ。それが、時には強引すぎることでも、お客様の気持ちは無視してまでも、自分達の感情を押し通そうとする。お世話しているのだから、こちらの気の済むまで面倒見させてくれ、自分達に恥をかかさないでくれとでも言うような心境だ。過ぎた接遇は、それを受けるものには苦痛以外の何物でもない。お世話になっているから、何も言えずになされるままになっているのであり、もう良いからほっといてくれとも言いたくなる。短い期間だからこそ、外者もその厚遇に耐えられるのだ。

でも、原さん一家は違った。徹底して、いつもの、普段着の原家であり続けた。その意味において、デミアン君には心落ち着く家庭であったことも間違いない。その証拠に、彼にとってのお父さんは、他の三人の息子と変わらないお父さんであったし、お母さんもまた同じであった。また、一番下の弟は彼と一緒に風呂に入った。米国文化を考えれば、一緒に風呂に入ることなど考えられない。いくら日本文化とはいえ、15歳という多感な年齢の米国人中学生が、日本人の弟と一緒に風呂に入ることは、想像し難い。このこと一つだけでも、デミアン君の異文化に適応しようとする積極的な姿勢を見る事ができる。さらに、原家の家族の一員として、手伝いをし、弟の面倒を見、家業のガソリンスタンドも、夏休み中よく手伝った。家にいる時が最も楽しく、心が落ち着き、スタンドにやってくる人達と話をすることが一番楽しく、日本語の勉強にもなると彼は、後日、語った。

2学期が始まった。果たせるかな、彼に対するいじめは、相変わらずであった。二週間経っても、彼を無視し続けるクラスの級友達の態度は変わらなかった。長い夏休みの中で、生徒達の気持ちは、少しは変わるであろうと、楽観的に、そう期待していた私達の思いは、見事に否定された。むしろ、彼と話しをするなという、集団無視の姿勢は強くなっていった。学校では無視されて、友人が少なく、話し相手がいないという孤独感は、大変だろうとセンターでは考えていたが、本人はその孤独感を、家庭生活で充分に補っていると言うのだ。

「家に帰れば、お父さんの友達がたくさん来るから楽しい。だから、あまり心配しないでくれ。自分は楽しくやっていると米国には連絡してくれ。」という彼の言葉が、大人びて、いじらしく感じられた。

お父さんが、「デミアン、みょうなとがへのよなこちょ言うのなら、やっちけれ。ケガどんさせんごすればよかたっが(デミアン、変な奴が、変な事をおまえに言うのなら、やっつけてしまえ。けがをさせない程度にすればいい。)」と言って、けしかけても、彼は、「自分は空手を習っているし、腕力でも彼らに負けるとは思わないので、そうすればできるけど、そのことで問題が起こり、センターや学校の方々に迷惑をかけたくない。」と、冷静に答えるのである。

お父さんもセンターの担当者も、彼のこの姿勢には、脱帽し、いじめる者も、いじめられている者も、本当に同じ中学生かと信じ難かった。その時、お父さんが、「M田さん、あんわろは、ゆうこっも、すっこっも、おせやっど。(M田さん、彼は言うことも、することも、大人だよ)」と、しみじみと私に語られた言葉が忘れられない。

このように、同級生の集団無視によるいじめが、クラス内で徹底されていくのにつれて、デミアン君の話し相手は、学校の先生方や、近所の人や、原さんの家に訪ねてくる大人達が主になっていった。そして、それに呼応するように、「クラスの友人は、余りにも子供っぽい。」とか、「同級生は幼稚だ。」とか、「まるで、小学生の会話内容だ。」などと、周囲の大人達に級友の愚痴をこぼすことが多くなっていった。そのように、クラスの友人に否定的な言動をとっていると、益々、友人ができないとたしなめたりもしたが、この姿勢と、愚痴は、最後まで続くことになった。そして、この彼の考え方や態度が、クラスの級友達の集団無視に拍車をかける一因になったのかもしれない。

18.文化摩擦

 

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