15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 06.ホストファミリー桜島町側のデミアン君の受入れ態勢は、着々と進んでいるという感じであった。文部省からの指導に従い、桜島中学校での扱いは、通常の中学生と全く同様、学籍をとり、全校生徒数は、彼を含めてプラス1となり、これで学校側の受入れ態勢の大きな壁を、ほぼ超える事ができた。また、長期間にわたり面倒を見られるホストファミリーが、果たして、桜島町内にいらっしゃるのだろうか。これも全くの杞憂であった。実際に、ホストファミリー募集中に、知り合いの町の職員に出会うたびに、もしだれも町内でホストファミリーがいないのなら、いつでも私がなりましょうという申し出を何人からもいただいた。これには心強かった。 それまでセンターでは、四年間にわたって、桜島町青少年国際交流研修生派遣事業に携わり、50名を超える生徒や、町職員の方々のお世話をしてきていた。その方々は、「異文化理解の体験者」として、国際交流には大変積極的な姿勢を今回も示された。結果として、何名かのホストファミリー希望者が名乗りをあげられ、中峯先生から、今回のデミアン君のホストファミリー決定にあたり相談を受けた。長期間のホストを務めるための大事な資質は、自然体で臨めることと指摘した。特別なことを一切しないこと。さらに、ホストペアレンツは、おおらかで、神経質ではない方が望ましいと告げた。 最終的に、デミアン君のホストファミリーは、桜島町藤野でガソリンスタンドを経営する、原さん一家にお願いすることとなった。お父さんの正人さん、お母さん、そして、長男の桜島中学校一年生の健太君を筆頭に、男の子三人の五人家族である。社交的で面倒見の良いお母さんと、小さなことにはほとんど口出ししない、おおらかで、肝っ玉が大きいお父さんであるというのが、中峯先生や他の役場職員による原夫婦評であった。実際、お会いした際の私どもの印象も、説明を受けた以上に社交的で、多くの人達が集まる、まるで地域の集会所と思われるほどの、家庭の雰囲気であった。これ以上のホストファミリーはいないというのが、またセンター職員の一致する意見でもあった。 海外からのお客さんをホームステイという形で、自宅でもてなすことが、最近多く見られるようになった。そんな時、日本人がホストファミリーとなる場合、その留学生をお世話する期間が、とても大きな要素のひとつとなる。受入れは、短い期間なら考えらないことではなくても、長期間になるとなれば、必ずといっていいほど敬遠される。すなわち、一週間程度のものならば、何とかお世話することもできるのだろうが、一ヵ月以上、ましてや、半年、一年となるとほとんど絶望的である。そこには、日本の文化と日本人の国民性が密接に関係している。 その最大の理由は、受入れを日常生活の自然体で行なえないからである。どうしても、外者を内に入れるという考え方から脱しきれないのである。だから、依然として、外者が内にいるという考えが根底にあり、その外者とは通常の内者の生活を共有できないのである。外者には、仮面の生活しか見せられないのである。だから、逆説的に考えれば、短いからこそ、外者に対して、日本流の至れり尽くせりのもてなしができるのであり、もしその日本の流儀を押し通すのであれば、すなわち、自己犠牲の生活に基づく、外者に見せることのできる体裁を気にする生活は、短期間なら可能でも、長期間は困難としか言いようがないのである。 ホストファミリーは、外国人を家族の一員として接することが、必要であるとはよく言われている。にもかかわらず、いざ、自分がお世話するとなり、滞在期間が短かくなればなるほど、やはり要らぬお節介をするのが日本人の常なのだ。少しでも楽しんでもらおうとする、せっかくだからいろんな体験をさせてあげたいという、親心なのであろう。結果として、過剰なほどの接し方をしてしまうのである。そんなホストファミリーとしての気持ちも理解できる。けれども、自分がお世話される立場になって考えてみることも、大事なのである。過ぎた親切は、お世話されるものにとっても、負担や苦痛以外のなにものでもない。そっとして上げることが最大のもてなしであり、お世話すればするほど、そして、お世話されればされるほど、両者が精神的ストレスを感ずることになるのだ。 適切なホストファミリーになるための解決策はただ一つ、外者を内者として受入れることである。それができれば、全く苦痛は伴わない。果たして、日本人にそれが可能なのか。依然として、外人という言葉が健在する現実では、外者を内者として受入れることは、ほとんど不可能に近いことのような気がする。そのような意味では、日本における短期間の外国人のホームステイは、国際交流のひとつではあるのだろうけれども、その目的である「異文化理解」や「相互理解」には、ほど遠い、皮相的なものとしか言いようがない。国際交流という方法論が、ただ目的化したものでしかないというのが現状であろう。
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