15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 23.どうすべきであったのかいずれにしても、デミアン君の修学旅行の費用は、日本文化の方法論で解決されたのである。でも、最初からこの問題が、周囲の善意やカンパを募って、安易にデミアン君を連れて行こうという形にならなかったことは、大変良かったと思っている。彼は参加するのを金銭的理由で、一度は断念したのである。でも、学校行事の一つとして、行かなければならない現実と、お金がないから行けないという、もう一つの現実の中でどうすることもできなかった。遠い祖国から離れて、わずか15歳の米国人中学生が、お金の問題で苦慮しているという現実で、周囲のおせっかいな日本人が、お金を恵んでやるかの如き解決策は、今の日本人ではそれほど考えられないことではないだろう。結局、同じような結論にはなったとしても、安易にすぐにそうならず、いろいろ本人も考え、周囲の人達も考えた挙げ句の結果であるところが、彼により多くのことを考えさせることになり、また、周囲の者がより多くの文化的相違を考えさせられたことだけは間違いない。往々にして、異文化は自文化を、白昼の人込みに、引きずり出してくれるものである。すなわち、異なる価値は、硬直化した固定観念に、鋭い楔を打ち込んでくれる。有り得ないという仮定を、現実化させる。 私自身、「何故、行かなければならないのか。」とデミアン君に聞かれたとき、彼に説明する言葉には、全く説得力がなかった。行かなければならない理由を、説明できないのである。聞かれて初めて、「行かなければならない。」というのは、自分自身の思い込みと気がついた。そしていつしか、「行かなければならない。」は、「行くべきだ。」という語感に変化して行き、さらに「行った方がいい。」とそのトーンは急降下して行き、挙げ句の果ては、「行ったら、いい想い出ができるよ。」と論調まで変わってしまうのである。お金が要らないのなら、行きもできよう。お金がないのに、行かれないではないかと、自分自身への疑問である。そして、この矛盾を肯定してしまうのである。もし、お金を工面する善意と協力がなかったら、おそらく彼は行かなかったであろう。結局、彼は行ったのだけれども、どう対応すればよかったのか、今でも私には解らない。 でも、ここにおいて、私が最も感服させられたことは、ホストファミリーである原さんが、その費用を出そうとされなかったことである。デミアン君と最も仲がよかった原さんのこと、そのような気持ちが全くなかったはずがないのである。既に情が通じ、4ヵ月も同居して、我が子と変わらない感情を持っていたお父さんとお母さんが、そんなことを考えなかったはずがない。日本に入国する査証を発給申請する際に、彼の日本での身元保証人となった私でさえ、同じ感情があったからこそ、原さんご夫婦の気持ちが痛く察せられた。私の場合は、両方の文化を少なくとも原さん夫婦以上には熟知しているから、身勝手で、一方的で、お節介なその方法論を封ずることはできたが、原さん夫婦の場合は、純粋な日本人である。安易に自分達がそのお金を出せばいいというものではないと、必死に感情を抑えなければならなかったであろう、ご夫婦の問題認識の深さが理解され、心を深く動かされた。 そうして、修学旅行は終わり、校長先生の朝礼でのデミアン君に対するいじめ問題の話が功を奏して、自立したデミアン君の一人での日本留学が、ほんの一部の生徒間で、共鳴されるようになりつつあった11月の中旬頃であった。朝、出社すると、机の上に米国からのFAXが置かれていた。「大至急、デミアンを米国に送り返してくれ」という、立腹したデミアン君の両親からのものであった。 デミアン君の日本での悲惨ないじめの状況を、知った両親がここに来て、極めて感情的になっているのか。血尿まで出しながら、苦悩する、孤立無援の息子の生活を、これ以上看過する事ができないのか。考えてみれば、もし、これが日本の中学生の留学で、同様の事態が起きたなら、日本の保護者はどう反応するか。その生徒はどう対応するだろうか。そんなことを考えると、デミアン君の両親の気持ちは痛いほどわかるのだ。
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