15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

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■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

10.デミアン君の来日

福岡からデミアン君が空路、鹿児島空港に到着したのは、6月27日の午後2時過ぎであった。「こんにちは。私は、デミアン・ノーバッシュです。」

到着して、我々が迎えのセンター職員であることがわかると、彼ははっきりとした日本語で、そうあいさつした。来日一年程前から、近くの日系人に日本語を少し習っていたというのが伺える。それでもおそらく、アメリカからの飛行機の中で、何十回、いや何百回も練習していたのであろう。そこだけは流暢な日本語である。顔の緊張の面持ちは隠しきれない。目尻があがり、頬がやや硬直している。背丈は日本人中学生とほぼ変わらないが、アメリカでも空手を練習しているというだけあって、鍛えられた、がっしりとした体つきである。15才という年齢で、これだけ環境の異なる日本へ、一人で本当によく来たものだと感心する。

至る所にマクドナルドがあり、ハンバーガーを食べて、コーラを飲んで、ポテトチップをかじりながら、ラップ音楽を聞いている日本人中学生が、アメリカへ行くのとは、全然、話しが違うのである。彼らにとって、日本は依然として「東洋の神秘の国」でしかない。忍者が隠れ、人はちょんまげを結び、ゲイシャが傅いている国なのである。静かにお辞儀をし、礼儀正しく、人は常に手を合わせ、目を閉じている。そんなイメージしか持ち合わせていない、まさしく、遠い極東の地にある不思議な国なのである。天と地の違いほどの環境を乗り越えて、一人来て、そして、その国で「大和魂と武道を学びたい」というのだから、恐れ入る。

驚いたことに、頭髪は五分刈りである。それを尋ねれば、アメリカを出発する前に、彼の父が刈り上げてくれたという。襟足が見事なほどに、きれいに刈られている。どんな思いで、父は彼の髪を刈ったのであろうか。その光景を、見ていないのにもかかわらず、何故か私には鮮明に見えてくるのだ。それは、先の大戦末期の日本軍特攻隊として、死を覚悟した若者達が、出撃前日の夜、身を清め、身辺を整理したという話と見事に呼応し、不思議なことに、そのイメージと、父親が彼の頭を刈り上げる、私の中の想像は、全く同じ物でしかなかった。かって訪れた、知覧にある資料館に残された、その若者達の鉢巻きをした顔と、彼の緊張した面持ちと、何がいったい異なるというのか。彼の決意と彼を送り出した両親の想いが、その五分刈りの襟足に見え隠れするのだ。そして、彼のその五分刈りの襟足は、私にトラウマのような責苦ともつかない重々しさを、彼の滞在中、抱かせ続けた。留学期間中の彼に対する保証人としての責任よりも、物言わぬ、きれいに切り揃えられた、5分刈りの襟足が突きつける、凛とした刃物の切先のような凄みが、私を悩ませた。それは自信のない者の慄きのようなものであった。

初めての自己紹介は、あらかじめ日本に来る前にそらんじた、空虚な響きを持ったものであったにせよ、この五分刈りの若者に、「この国で大和魂を学びたい」と、その来日目的を、日本語で面と向かって、凛として語られれば、日本人として慄然とするのである。まさしく、喉元に切先をつきつけられたような、不安と動揺を感じられずにはいられなかった。自分自身が、日本人自身が、日本国全体が、彼によって試されているような、そんな思いが頭の中を過ぎった。果たして彼の目的は、この日本国で達せられるのか。これまでに全く体験したこともないような、笑顔の中に、不思議な恐怖と動揺が混在する思いであった。

過去30年近く、数多くの日本人留学生を海外に送り出してきた。事前の説明や研修会などで、交流のために海外に行くことは、「文化的戦場に臨むことである。」と何回も話してきた。国際交流が、単に目的国の訪問という方法論で安易に計画されることに、大きな抵抗を感じていた。国際交流が、異文化理解や相互理解と直結し、同居しているかのごとき、安易な発想に辟易していた。安易な国際交流は、観光旅行でしかなく、それは相手国の冒涜であり、侮辱であると考えてきた。そんな中で出会った、わずか15歳の、五分刈りの若者の「この国で大和魂を学びたい」という発言は、戦場に赴く戦士としての自覚と覚悟を、周囲の者に充分に理解させるものであった。彼の異国に臨む姿勢には、日本人が思い描く「国際交流」などという甘美なものの付け入る隙間は、寸分もない。切るか、切られるかの真剣勝負である。戦士として一人異国に乗り込んで異文化と戦う、その姿勢は真摯である。だからこそ、彼と出会った多くの人たちが、彼のこの姿勢に多くの感銘と共感を覚えたに違いないのである。

11.学校と家庭


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