15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 10.デミアン君の来日福岡からデミアン君が空路、鹿児島空港に到着したのは、6月27日の午後2時過ぎであった。「こんにちは。私は、デミアン・ノーバッシュです。」 到着して、我々が迎えのセンター職員であることがわかると、彼ははっきりとした日本語で、そうあいさつした。来日一年程前から、近くの日系人に日本語を少し習っていたというのが伺える。それでもおそらく、アメリカからの飛行機の中で、何十回、いや何百回も練習していたのであろう。そこだけは流暢な日本語である。顔の緊張の面持ちは隠しきれない。目尻があがり、頬がやや硬直している。背丈は日本人中学生とほぼ変わらないが、アメリカでも空手を練習しているというだけあって、鍛えられた、がっしりとした体つきである。15才という年齢で、これだけ環境の異なる日本へ、一人で本当によく来たものだと感心する。 至る所にマクドナルドがあり、ハンバーガーを食べて、コーラを飲んで、ポテトチップをかじりながら、ラップ音楽を聞いている日本人中学生が、アメリカへ行くのとは、全然、話しが違うのである。彼らにとって、日本は依然として「東洋の神秘の国」でしかない。忍者が隠れ、人はちょんまげを結び、ゲイシャが傅いている国なのである。静かにお辞儀をし、礼儀正しく、人は常に手を合わせ、目を閉じている。そんなイメージしか持ち合わせていない、まさしく、遠い極東の地にある不思議な国なのである。天と地の違いほどの環境を乗り越えて、一人来て、そして、その国で「大和魂と武道を学びたい」というのだから、恐れ入る。 驚いたことに、頭髪は五分刈りである。それを尋ねれば、アメリカを出発する前に、彼の父が刈り上げてくれたという。襟足が見事なほどに、きれいに刈られている。どんな思いで、父は彼の髪を刈ったのであろうか。その光景を、見ていないのにもかかわらず、何故か私には鮮明に見えてくるのだ。それは、先の大戦末期の日本軍特攻隊として、死を覚悟した若者達が、出撃前日の夜、身を清め、身辺を整理したという話と見事に呼応し、不思議なことに、そのイメージと、父親が彼の頭を刈り上げる、私の中の想像は、全く同じ物でしかなかった。かって訪れた、知覧にある資料館に残された、その若者達の鉢巻きをした顔と、彼の緊張した面持ちと、何がいったい異なるというのか。彼の決意と彼を送り出した両親の想いが、その五分刈りの襟足に見え隠れするのだ。そして、彼のその五分刈りの襟足は、私にトラウマのような責苦ともつかない重々しさを、彼の滞在中、抱かせ続けた。留学期間中の彼に対する保証人としての責任よりも、物言わぬ、きれいに切り揃えられた、5分刈りの襟足が突きつける、凛とした刃物の切先のような凄みが、私を悩ませた。それは自信のない者の慄きのようなものであった。 初めての自己紹介は、あらかじめ日本に来る前にそらんじた、空虚な響きを持ったものであったにせよ、この五分刈りの若者に、「この国で大和魂を学びたい」と、その来日目的を、日本語で面と向かって、凛として語られれば、日本人として慄然とするのである。まさしく、喉元に切先をつきつけられたような、不安と動揺を感じられずにはいられなかった。自分自身が、日本人自身が、日本国全体が、彼によって試されているような、そんな思いが頭の中を過ぎった。果たして彼の目的は、この日本国で達せられるのか。これまでに全く体験したこともないような、笑顔の中に、不思議な恐怖と動揺が混在する思いであった。 過去30年近く、数多くの日本人留学生を海外に送り出してきた。事前の説明や研修会などで、交流のために海外に行くことは、「文化的戦場に臨むことである。」と何回も話してきた。国際交流が、単に目的国の訪問という方法論で安易に計画されることに、大きな抵抗を感じていた。国際交流が、異文化理解や相互理解と直結し、同居しているかのごとき、安易な発想に辟易していた。安易な国際交流は、観光旅行でしかなく、それは相手国の冒涜であり、侮辱であると考えてきた。そんな中で出会った、わずか15歳の、五分刈りの若者の「この国で大和魂を学びたい」という発言は、戦場に赴く戦士としての自覚と覚悟を、周囲の者に充分に理解させるものであった。彼の異国に臨む姿勢には、日本人が思い描く「国際交流」などという甘美なものの付け入る隙間は、寸分もない。切るか、切られるかの真剣勝負である。戦士として一人異国に乗り込んで異文化と戦う、その姿勢は真摯である。だからこそ、彼と出会った多くの人たちが、彼のこの姿勢に多くの感銘と共感を覚えたに違いないのである。
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