15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 24.自由とは何か突然、両親から届いた、「大至急、デミアンを米国に送り返してくれ。」という内容のFAXは、思いのほか、厳しい口調で書かれていた。「人間を動物的な扱いしかできない国で、息子を生活させることには、親としては耐え難いものがある。」というのが、FAXによる言い分の主旨であった。いかなる出来事から、このような内容のことを連絡してきたか、その時点では要を得なかった。デミアン君に今度は何事が起きたのか。いじめの問題が、このような理解の仕方になるのか。それにしては、いじめの問題が起きてから、もう既に、4ヶ月が過ぎているではないか。何をして、人間に対して動物的な扱いをしたと憤慨しているのか理解できない。 デミアン君に大至急、電話を入れた。一体何が起きたというのだ。電話で、両親の連絡してきた内容のことを話し、何か心当たりがあるかと尋ねた。そして、やっと事の顛末を知ることができた。深いため息が出た。 10月初旬の体育の授業中に、全体で整列の訓練をしたらしい。その際、列の先頭にいたデミアン君の並ぶ列の位置を修正するため、体育の先生が彼の両方の肩を両手でつかみ、2、30センチ程動かしたらしいのである。日本では珍しくも何ともない、体育の授業で、先生が生徒に対して、よくやることである。電話の中では、彼は冷静であった。でも、その時、彼がいかに動揺し、屈辱感を感じたかを淡々と話した。そして、その時の怒りと屈辱的な気持ちの中で、米国の両親に手紙を書いたことを、彼は既に後悔していた。自分は、今は日本社会にいるから、冷静になれば日本的な価値観に困惑しなくなったし、ある程度は理解できるが、あの手紙を読んだ両親が、そのことを動物的な扱いと理解したことは、彼にとっては当然の世界のことであったようだ。彼が自分から両親に電話をして、それはほとんど文化の違いによるものだと説得するから、センターの方ではこの問題には対応しなくていいという事で終わった。電話の最後に、自分がそのような手紙を書いたのがばかだったと、自分を責め続けていたのが忘れられない。 でも、「自分は、牛や馬ではないのだから、身体を強制的に押されなくても、右に行けとか、左に行けとか言われればわかる。」と言い放った、彼の言葉も私には強烈であった。他人の善意や悪意とは一切関係なく、自らの意思にかかわらず、自らの肉体を他人によって強制的に動かされて、結果として、身体を動かすことになる。これを自由の侵害と考え、敢えてそうされるのは、言葉の伝わらない動物に対してのものであると理解するアメリカ人。自由を戦いの中で勝ち取った歴史を持つ人々の、個人の自由に対する認識の深さと固執は、自由とは与えられるもの、そこにあるものという認識の中で育った国民には、はなはだ不可解である。何をそこまで固執する必要があるのかと思うことばかりである。たとえ親子といえども、嫌がる子供を強制的に、肉体的に自由を奪うことは法律に抵触し、それを理由として、子供が親を訴えて勝訴したとか、同性愛者でも結婚する自由があり、その婚姻がまた社会的にも認知されているとか、その限りない個人の自由の追求を法律によっても保障しようとするなど、日本人には、納得いかないことが多い。また、限りない自由の追求が、自己崩壊と破滅に向っての道程であるような、そんな錯覚すらも感じられるアメリカ社会を見ることもある。そして、常に「自由」を謳歌するためには、戦い続けなければならないのかと考えさせられることもある。 思えば、デミアン君の両親からの抗議のFAXは、彼の滞在中、ただ一つこの時だけだった。出発前の受入れ準備時点から帰国まで、何一つとして、苦情も申入れも注文も無かった。こちらからの連絡を、淡々と聞き入れられた方であった。思わぬ、唯一の怒りと抗議は、この「自由の侵害」であったことは、彼らの価値観を、改めて深く思い知らされた。自由と平等を徹底して、議論し、求めて止まぬ、彼らの認識の深さに脱帽した。 いずれにせよ、自由に対するアメリカの価値と理念は、アメリカの歴史の中に、今後も、継承され、徹底的に追求されていくはずだ。
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