15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

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■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

25.いじめの中の帰国

6月下旬に来日して、既に6ヶ月が過ぎていた。12月中旬、桜島中学校の体育館で、全校生徒と全職員の方々による、デミアン君の送別会が開かれた。多くの生徒達が、デミアン君との別れに涙を流した。その涙がデミアン君との確執までも、清算してくれる。その時に、心が一つになるようなそんな気がしてくるものである。明日はもう彼はいないと思えば、それまで彼に対して許せなかったことも、許してあげる気になるし、彼に対して行ったいじめも、許して欲しいと思うものである。そんな中で、デミアン君が別れることの辛さを、ただ、淡々と話す姿だけが印象的であり、むしろ特筆できるものであった。

誰もがそうであるように、数多くの日本人は、最後の別れの時、一時的な感情と、押し寄せてくる思い出で、涙が流れ、胸が張り裂かれんほどの感激がある。その涙が、愛や憎しみを超え、喜びや悲しみを忘れさせ、すべてのものを包み込んでくれるというのが、日本人の心の有り様である。そんな空気に支配された時、月並みな日本人が、月並みに口にする、「終わり良ければすべてよし」などとは、所詮、日本文化の中だけのマスタベーションでしか有り得ない。異文化の者には、そんな言葉は、詮無いものでしかないのである。そんな涙で、すべてが糊塗されるほど、彼等の信条は、感性ではない。同席する者とそんな想いで連帯を分かち合い、共有することは、彼らには原始的に不能である。

この時も、会に臨席していたどなたかが、そんな言葉を口にされ、居合わされた方が涙を拭いながら肯かれたが、私には沈黙するしか術がなかった。その場で、それを彼らに説明できるほど、私の心もまた乾いていないし、非情にもなれなかった。また、そんなことをして、それが一体何になるのかという、無力感の方が大きかった。

お別れ会は、12月中旬頃、彼の上履きが、下駄箱から消えた事件のわだかまりの中で、行われたものだった。誰かが、下駄箱から彼の上履きを隠したらしい。全校を挙げて、彼の上履きを探したが、最後までその上履きは発見されなかった。おそらく、軽い気持ちで、いたずらで、誰かが持っていったものであろう。この頃は、集団で無視するいじめから、彼のものを隠したり、陰で、彼の悪口を言ったり、冷笑したりする方法に変化を見せていたときであった。無視するという、結果的には何もしない方法から、より積極的な攻撃方法へと変化していったのである。それは、先述したように、無視するいじめは、デミアン君には何の効果も変化も見せなかったから、それが生徒達の感情を一層むきにさせ、より攻撃性のある方向へと流れていったと推測された。

その時、デミアン君は、「みんな偽善者だ。」と言い放った。彼が1対1で友達と話をする時、友達はみないい人ばかりだという。誰も自分を嫌っていると思われる人はいないという。また、彼にしても、嫌いな友人や、敵対する友達も全然いないという。でも、自分の知らないところで、自分に対する嫌がらせをする。自分に対して、直接、主張する人、行動する人はいず、すべてが、わからないところで、陰でこっそり行なわれており、みんなの意思と意図がわからず、気持ちが悪いというのである。そして、誰一人として、自分の正義で、自主的に行動する友人がいないというのである。

「自分が間違ったことをしているのだったら、それを教えて欲しい。」「自分の気がつかないところで、誰かを傷つけたのであるならば、それを教えて欲しい。」と言っても、誰も自分には何も言わずに、お互いにひそひそ話しをする。その時、ひそひそ話しをするひとりに、自分に言ってくれと言えば、黙って口をつぐんでしまう。だから、みんなが何を考えているか、全然、理解できないという。そんな積もり積もった不快感と閉塞感から、みんな偽善者であると、感情的に、喝破した。そんな中でのお別れ会だった。

それは、日本社会にある「サイレントマジョリティ」への痛烈な批判であった。「サイレントマジョリティ」、すなわち、声無き多数派である。彼はそれを偽善者と位置づけたのである。大声を上げて、派手に反対の姿勢を取る集団が現れたとき、相対して、賛成と支援を殊更に唱和する集団は、日本ではほとんど皆無である。反対派に対して、賛成派は常に日本では「サイレント」なのである。沈黙を保つのである。反対を表明している者に対して、賛成と主張すれば、争いが起こるからである。争いを好まないから、自分の考えは封印するのである。時には、声無き賛成派が、多数派を占めると考えられるにもかかわらずなのにである。その沈黙を、彼は偽善と指摘するのだ。

例えば、米の自由化がその良い例であろう。明らかに不利益を被る農業関係者が、最大の当事者として、その反対を声高に叫ぶのは理解できる。しかし、自由化によって、最大の恩恵を受ける一般消費者は、自由化に賛成の声を突出させない。自由化によって選択肢が増えることは、消費者には間違いなく、好ましいことである。あるマスコミの調査では、過半数を占める賛成者が存在するというデータがあるにもかかわらずである。これが、日本における声無き多数派である。声高に反対と叫ぶ少数派の意見に、それが多数派であるかのごとく、錯覚が起きるのもこのためであろう。その声無き多数派を、デミアン君は、「偽善者」と切り捨てたのである。自らの中にある価値観と社会正義で、自主的に行動する人が誰もいないというのである。

自己主張を是とする文化の国の若者である。私には言葉が無かった。幾ら偽善者と言われても、そのシステムの中で和をもって尊しとなすと考える、日本人の価値感に、また共鳴を感じる自分が、確かに存在するのである。それを説明する気力もなかったし、それを理解させられる自信もなかった。ただ、私も、彼の怒りと主張に肯くしかなかった。多くの日本人同様、「それを説明するのは困難である」「あなたたちがそれを理解するのは難しい」などと、一方的に遮断して、壁を作り、通り一遍の逃げ口上で、自文化の袋小路に、自ら逃げ込む方法しか浮かばないのである。そこにおいては、私も異文化を語る資格などなかった。

こうして、最後まで、彼へのいじめは形を変えて、終わることなく続いた。それでも、鹿児島空港での最後には、センターに対して、学校に対して、ホストファミリーに対して、そして桜島町に対して、謝辞の気持ちを忘れなかった。この6ヶ月は、自分の人生の最大の思い出となるだろうと言って、感謝の気持ちをみんなに語った。そして、この留学で本当に数多くのことを体験できたと言ってくれた。それは本音であろうし、また、欧米人特有の社交辞令でもあろう。そして、私達に残されたものは、絶望的と思えるほどの異文化理解の敗北感と虚脱感であった。

26終わりに

 

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