15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 25.いじめの中の帰国6月下旬に来日して、既に6ヶ月が過ぎていた。12月中旬、桜島中学校の体育館で、全校生徒と全職員の方々による、デミアン君の送別会が開かれた。多くの生徒達が、デミアン君との別れに涙を流した。その涙がデミアン君との確執までも、清算してくれる。その時に、心が一つになるようなそんな気がしてくるものである。明日はもう彼はいないと思えば、それまで彼に対して許せなかったことも、許してあげる気になるし、彼に対して行ったいじめも、許して欲しいと思うものである。そんな中で、デミアン君が別れることの辛さを、ただ、淡々と話す姿だけが印象的であり、むしろ特筆できるものであった。 誰もがそうであるように、数多くの日本人は、最後の別れの時、一時的な感情と、押し寄せてくる思い出で、涙が流れ、胸が張り裂かれんほどの感激がある。その涙が、愛や憎しみを超え、喜びや悲しみを忘れさせ、すべてのものを包み込んでくれるというのが、日本人の心の有り様である。そんな空気に支配された時、月並みな日本人が、月並みに口にする、「終わり良ければすべてよし」などとは、所詮、日本文化の中だけのマスタベーションでしか有り得ない。異文化の者には、そんな言葉は、詮無いものでしかないのである。そんな涙で、すべてが糊塗されるほど、彼等の信条は、感性ではない。同席する者とそんな想いで連帯を分かち合い、共有することは、彼らには原始的に不能である。 この時も、会に臨席していたどなたかが、そんな言葉を口にされ、居合わされた方が涙を拭いながら肯かれたが、私には沈黙するしか術がなかった。その場で、それを彼らに説明できるほど、私の心もまた乾いていないし、非情にもなれなかった。また、そんなことをして、それが一体何になるのかという、無力感の方が大きかった。 お別れ会は、12月中旬頃、彼の上履きが、下駄箱から消えた事件のわだかまりの中で、行われたものだった。誰かが、下駄箱から彼の上履きを隠したらしい。全校を挙げて、彼の上履きを探したが、最後までその上履きは発見されなかった。おそらく、軽い気持ちで、いたずらで、誰かが持っていったものであろう。この頃は、集団で無視するいじめから、彼のものを隠したり、陰で、彼の悪口を言ったり、冷笑したりする方法に変化を見せていたときであった。無視するという、結果的には何もしない方法から、より積極的な攻撃方法へと変化していったのである。それは、先述したように、無視するいじめは、デミアン君には何の効果も変化も見せなかったから、それが生徒達の感情を一層むきにさせ、より攻撃性のある方向へと流れていったと推測された。 その時、デミアン君は、「みんな偽善者だ。」と言い放った。彼が1対1で友達と話をする時、友達はみないい人ばかりだという。誰も自分を嫌っていると思われる人はいないという。また、彼にしても、嫌いな友人や、敵対する友達も全然いないという。でも、自分の知らないところで、自分に対する嫌がらせをする。自分に対して、直接、主張する人、行動する人はいず、すべてが、わからないところで、陰でこっそり行なわれており、みんなの意思と意図がわからず、気持ちが悪いというのである。そして、誰一人として、自分の正義で、自主的に行動する友人がいないというのである。 「自分が間違ったことをしているのだったら、それを教えて欲しい。」「自分の気がつかないところで、誰かを傷つけたのであるならば、それを教えて欲しい。」と言っても、誰も自分には何も言わずに、お互いにひそひそ話しをする。その時、ひそひそ話しをするひとりに、自分に言ってくれと言えば、黙って口をつぐんでしまう。だから、みんなが何を考えているか、全然、理解できないという。そんな積もり積もった不快感と閉塞感から、みんな偽善者であると、感情的に、喝破した。そんな中でのお別れ会だった。 それは、日本社会にある「サイレントマジョリティ」への痛烈な批判であった。「サイレントマジョリティ」、すなわち、声無き多数派である。彼はそれを偽善者と位置づけたのである。大声を上げて、派手に反対の姿勢を取る集団が現れたとき、相対して、賛成と支援を殊更に唱和する集団は、日本ではほとんど皆無である。反対派に対して、賛成派は常に日本では「サイレント」なのである。沈黙を保つのである。反対を表明している者に対して、賛成と主張すれば、争いが起こるからである。争いを好まないから、自分の考えは封印するのである。時には、声無き賛成派が、多数派を占めると考えられるにもかかわらずなのにである。その沈黙を、彼は偽善と指摘するのだ。 例えば、米の自由化がその良い例であろう。明らかに不利益を被る農業関係者が、最大の当事者として、その反対を声高に叫ぶのは理解できる。しかし、自由化によって、最大の恩恵を受ける一般消費者は、自由化に賛成の声を突出させない。自由化によって選択肢が増えることは、消費者には間違いなく、好ましいことである。あるマスコミの調査では、過半数を占める賛成者が存在するというデータがあるにもかかわらずである。これが、日本における声無き多数派である。声高に反対と叫ぶ少数派の意見に、それが多数派であるかのごとく、錯覚が起きるのもこのためであろう。その声無き多数派を、デミアン君は、「偽善者」と切り捨てたのである。自らの中にある価値観と社会正義で、自主的に行動する人が誰もいないというのである。 自己主張を是とする文化の国の若者である。私には言葉が無かった。幾ら偽善者と言われても、そのシステムの中で和をもって尊しとなすと考える、日本人の価値感に、また共鳴を感じる自分が、確かに存在するのである。それを説明する気力もなかったし、それを理解させられる自信もなかった。ただ、私も、彼の怒りと主張に肯くしかなかった。多くの日本人同様、「それを説明するのは困難である」「あなたたちがそれを理解するのは難しい」などと、一方的に遮断して、壁を作り、通り一遍の逃げ口上で、自文化の袋小路に、自ら逃げ込む方法しか浮かばないのである。そこにおいては、私も異文化を語る資格などなかった。 こうして、最後まで、彼へのいじめは形を変えて、終わることなく続いた。それでも、鹿児島空港での最後には、センターに対して、学校に対して、ホストファミリーに対して、そして桜島町に対して、謝辞の気持ちを忘れなかった。この6ヶ月は、自分の人生の最大の思い出となるだろうと言って、感謝の気持ちをみんなに語った。そして、この留学で本当に数多くのことを体験できたと言ってくれた。それは本音であろうし、また、欧米人特有の社交辞令でもあろう。そして、私達に残されたものは、絶望的と思えるほどの異文化理解の敗北感と虚脱感であった。
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