15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

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■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

11.学校と家庭

空港から約1時間余りで、桜島中学校に到着した。車を降りて校長室に向かう。学校長の川嵜先生と担任の土岐先生、英語の木村先生にも、私たちにしたのと全く同じ日本語の挨拶をする。そこにいる誰もが緊張して、何を話していいかわからない。そんな中、彼の坊主頭に話題が集中した。そして、誰もが一同に感心する。

「日本人の心を知るために、坊主頭になったんだねぇ。」
「自分から、日本文化に必死で適応しようとしている姿勢が良いねぇ。」
「坊主頭にするのは、本人も親も抵抗があっただろうに、よく決心がついたよねぇ。」

我々の話している、取り留めのない日本語についていけない彼が、目を白黒させている。その間も、まるで出家した子供を賞賛するような口調で、彼の坊主頭に対する賛辞が続いた。そして、現実に留学生を目の前にして、今後の現実的な検討材料が、次から次へと、世間話も手伝って具体的に出てくる。「学校でのトイレは?」「制服はどうするか?」「授業中の扱いは?」「日本語の理解力はどの程度か?」「カバンや指定の靴はどうするか?」「給食でどうしても食べられない献立内容の場合はどうするか?」等など。彼を受入れるための話し合いが、延々と続いた。

長旅の疲れを気遣った校長先生が、話しを中断してくださり、ホストファミリーである原さん宅に向かう事ができた。学校から歩いてわずか5分のところである。折りしも出掛けのお父さんは、「おう、よう来た。よう来た。お前がデミアンや。オイはちょっと用があっで、出てくっどん、ユックイせぇよ。(よく来たね。君ががデミアン君か。自分は用事があるから外出するところだけど、ゆっくりしなさい。)」とだけ言うなり、そのまま外出された。彼がわかろうが、わかるまいが、お構い無しなのである。彼が居ようが、居まいが、自分の日常生活には無関係なのである。見事なほどの日本の父親だと思った。即かず、離れずのその間合いが絶妙である。短い言葉の中に、必要なことはすべて話しきっているのである。その証拠に、お父さんの話しの意味を説明されたデミアン君は、ちゃんとお父さんの気持ちと人間性を理解している。言葉以上に、人間の持つ顔の表情や、一挙手一投足は、多くのことを語っているのである。

お母さんは、「アラ、頭を丸めて来てねぇ。」と言いながら、小さい子供にでもするように、頭をなでる。中学一年生と小学五年生の男の子二人は、「ハロー」と言うなり、すぐに頭を引っ込めて、外へ出ていったまま帰ってこない。幼稚園児の三男だけが柱の後ろに隠れて、珍しいものを見るように、ずうっとデミアン君を見続けていた。

初めての外国からの客を迎えた家の中では、たまたま居合わせた家のものが、話題作りに躍起となり、二言三言の返事にさえも、皆が無理して笑おうとする。続かない言葉のキャッチボールに、挙げ句の果ては、みんな黙ってニコニコしているだけである。

道路を隔てて、錦江湾が眼下に広がる高台に、原さん宅は鎮座している。そして、その錦江湾が見渡せる一等部屋に、原さんは彼のベッドを置いてくれた。素朴なもてなしと口数の少ない歓迎は、逆に、原さん一家の心にある、暖かさを感ずるに充分のものであった。さらにそれは、彼の部屋から見える錦江湾と、夕日に映える霧島山麓の景色が示唆してくれる。荷物を部屋に運んで、その景色に見入る間もなく、階下で声が聞こえた。

「デミアンはもう来たとか。」と、旧知の親戚を迎えるような素振りで、近くに住む原さんのお母さん、すなわち、おばあちゃんが大きな声でそう言いながら、お盆にいっぱいの手作りのご馳走を持ってきて、歓迎の夜が始まった。

次の日から、早くも学校が始まった。学校が始まる前に、役場へ行き、町長や助役、教育長に挨拶を済ませ、留学にいたるまでいろいろな事務手続をしてくれた、教育委員会の中峯先生にもお礼を言った。どこへ行っても日本式の挨拶に、デミアン君は結構ついていく。お辞儀をして、日本語で簡単な自己紹介をして見せてくれる。それらも手伝って、彼は急速に地域の方々に知られていった。また、ホストファミリーの原さん宅は、自宅隣りでガソリンスタンドを経営されており、彼はその仕事を積極的によく手伝った。そうすることで、数多くの町民の方々と出会うきっかけを作る事ができたのである。そして、その環境は、彼が生きた日本語を学習するのに幸運であった。また、三人の息子さん達が空手を習っており、日本の武道を学びたいという彼の希望も、息子さん達と同じ道場に通うことによって叶えられた。一週間もすると、彼が外国人ということもあって、この町の5千人ほどの町民のほとんどが、彼の存在を知るようになっていた。

12.異文化


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