15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 19.血尿9月下旬の頃、突然、デミアン君からセンターに電話が来た。彼が恥ずかしそうに言うには、尿の中に血が混じるようになったというのである。心配で、病院に行きたいと言う。すぐに、翌日の午前中に、鹿児島市内の泌尿器科の病院に予約を入れた。 医者による診断の結果は、疲れと精神的ストレスということであった。原因は運動会の予行練習などで、体力的な疲労によるものだと本人は言うが、異文化での不慣れな精神的心労が大きいのだろうというのが、周囲にいるものの大方の意見であった。異国での体の変調は、精神的にかなりこたえる。気弱になるし、孤立感や疎外感を感じるものである。ましてや、交流目的で来日したにもかかわらず、すぐに無視され、クラスに仲のよい友達はいないという、不安の真っ最中における身体の不調である。それでも本人は、不安な気持ちや泣き言や弱音は一切言わない。 帰りの桜島までのフェリーの上で、遅い昼食を誘った。朝から何も食べていないし、サンドイッチとジュースの軽食程度だったら、おごってやるよと申し出たが、「いらない」と答えただけで、隣りに座って、あとは桜島の方だけをじっと見ていた。何を考えているのだろうか。ぎりぎりの崖っぷちで、異文化という巨大なお化けと孤独感に、一人耐えているようなそんな感じだ。しばらくして、たわいの無い世間話を持ち出しながら、私達に無理して笑顔で接しようとするのが、却って痛々しかった。 フェリーが埠頭に着いて、下船の途中で、町民らしき人と何か話しをしている。また、旧知の人なのだろう、乗組員の一人とも親しそうに話している。何事もないことだけれども、私の知らない日本人と、彼が話しをしているのが嬉しかった。でもそれは、ほんのひとときの安堵であった。たとえそれが病院であっても、ひとときのアバンチュールであったのだろうか。そう考えれば、益々、心が痛んだ。原さん宅まで向かう車の中は、また寡黙であった。現実の生活に帰っていく。彼と同様、そこに送り届ける者も辛かった。私には適切な助言が見つからなかった。また、無視し続ける生徒達に、話し掛ける言葉も見当たらなかった。集団無視のいじめは、相変わらず続いていた。この頃が、彼の留学の最悪の時であった。 |
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