15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 21.お金の問題日本から海外に留学に行く学生で、その費用を自分で貯蓄して行く学生はほとんどいない。ましてや、中学生の年齢で、志を抱き、そのためにバイトをしてお金を稼ぐという生徒は、まず、皆無であろう。また、社会環境や家庭環境、学校環境もそれを実現化させるには、余りにもほど遠いのが日本社会である。この日本に、中学生の定期的なアルバイトを認めてくれる親がいようか。小学生でお金を稼ぐ行為を認めてくれる社会環境があろうか。ところが、アメリカ社会の大人たちは、子供達のアルバイトは、社会生活を理解する上で、大変良いことであるという認識を持っている。ある目的のためにお金を稼ぎ、それを手にして、そして使うという一連の経済行為を通して、社会のシステムを理解させるためには、アルバイトは大変良い体験学習であるというのである。 実際、筆者は夏の暑い日に、ある町の住宅街で、自宅の庭先にテーブルを広げて、道行く人にレモネードを売っている幼児達、5、6名に出くわしたことがある。車から降りて、その子たちの中で、ひときわ小さな子供に年齢を尋ねたら、その子は三才と答えた。六才の幼児を先頭に、三才までの子供達が、マクドナルドから大きな飲物入れを借りてきて、氷と水とレモネードの原液を混ぜて、これもまたマクドナルドの紙コップ一杯、25セントで道行く人に売っているのだ。それも、一人はプラカードを持った歩く広告塔、一人はお金を受け取り、一人はお釣を渡す役と、完全な作業分担である。さらには、マクドナルドが彼らのバイトに無償で協力し、彼らが使っている容器やコップや机を提供したと聞いて、二度びっくりしたことがある。また、アメリカの事務所に一日中いると、キャンディやチョコレート売りの少年達や、クーポン券を販売したりする少女達たちが、時折、ドアをノックする。すべてがある目的のための資金活動である。企業から商品を預かり、受託販売して販売手数料を企業から受け取る。そのような活動に対して、企業も協力し、地域社会も協力し、そのシステム自体が社会の中に確立されているので、その活動そのものに不信感を感じたり、違和感を覚える人はいないのである。 だから、デミアン君だって、そのような経過をたどって日本に来ているのは、想像に難くなかったし、そう理解するのが極めて常識的なアメリカの価値観である。親が金を出すから、行ってらっしゃいという日本の家庭とは、全く、異次元のお金に関する環境なのだ。行きたかったら、自分で何とか努力しなさい。そして、その姿勢に、親は援助の是非を考えようとするだけである。だから、彼にとっての修学旅行は、その金銭的工面をどうするかという切実な現実問題だけが、当然、先に来るのである。何も驚くことはない。何も同情されることはない。当人自身の極めて個人的な問題であり、これが彼らの文化なのだ。 「参加しない」という彼の言葉は、「参加できない」という経済問題の本音だった。センター側は、彼が育った国のお金に関する価値観と文化を知っているがゆえに、そしてまた、日本での義務教育における、修学旅行の原則参加義務の拘束性を理解できるがゆえに、その対応に苦慮した。ただ単に、お金の問題ではない。文化の問題が背景にあり、その強要には文化の相違までをも理解させねばならない。でも、何故参加せねばならないのかという問題と、相手に金銭的出費を強要する問題とは、本質的に異なる。文化の相違は理解させ、納得できても、それに伴う金銭的支払いは、あくまでも個人的な現実問題でしか有り得ないのである。つまり、文化は理解した。でも、その理解した文化を実践するために、お金が要るのである。そのお金はどうすればいいのだろう。それを現実的に解決する彼等の文化、すなわち、自分でアルバイトをしてその金を稼ぐという方法論は、日本という異文化では、ほとんど非現実的なことであり、所詮無理な話しであった。
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