15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 14.生徒の反旗?デミアン君の来日前の準備段階では、桜島町の役場の方々や、社会教育課や学校や地域の方々が、国際交流の受入れを快諾され、積極的に、前向きに、デミアン君の受入れに対処されたことは、歴然としていた。また、カリフォルニア州のリポン市と友好都市であり、そこへ毎夏10名もの中高生を派遣して既に4年、その時点で50名を超える国際交流体験者をもつ、交流事業の先進地であり、交流の趣旨や目的についても、理解の深いところであることは間違いない。町民の人口約5千人、約1%の50人の中高生は、アメリカで交流体験を持ち、その保護者や家族を含めれば、1家庭に四名として、約200名、すなわち4%の方々は、直接的に交流体験を持っているはずである。さらには、第一回目の派遣事業への中高生の応募者は、15名枠に対して約70名、それ以降の応募者を数えても、かなり多くの中高生が、国際交流に興味と理解を持つ町の中学校で発生した「いじめ」なのである。 異文化に接する際に、起きるであろうその国での文化摩擦、いわゆるカルチャーショックは、受入れる側にも、訪れる側にも、必ず、発生するものである。けれども、事前の学習や指導によって、これらを最小限に抑えることが可能であり、それらは異文化理解を深めるために、不可欠な要素でもある。その学習や指導のために、センターのような組織は存在していると言っても過言ではない。ましてや、センターにとっては、永年の国際交流プログラムの実施団体として、あり余る程の経験も、実績も、自負もある。それが見事に空振りである。まさかクラスの同級生が、彼に対してそのような態度に出るとは、予期していなかった。不意をつかれた感じであった。相手が中学生ともなると、これだけ大人にとっては予測しがたいものか。デミアン君を取り巻く周囲の環境は、ホストファミリーを始め、全く問題はないと考えていただけに、それは完全な盲点であった。我々の完全なる敗北という感じであった。生徒達によって大きなテーマを突きつけられたという思いであった。すべてのことを、大人達が中心になり、子供達のために良かれとして行なったことに、その子供達から大きなしっぺ返しを食らったという思いであった。大人の完全なる独善と都合を思った。そして、これは子供達の大人主導のあり方への、ささやかなる反旗なのかと考えたりもした。もし、学校での受入れが決定した後、途中から生徒会や受入クラスの生徒達に関与させ、事前に学習会を開催し、国際交流の目的や趣旨の意見交換を行ない、独自にデミアン君の受入れやそのあり方などを議論させる方法で、これらのことが進んでいたらなどと、考えれば考えるほど、そこまでにいたる経緯を後悔することが多かった。そのための学習教材も、資料も、指導経験も、センターに実際準備されていることを考えれば、そうしなかったことが残念でならなかった。 考えてみれば、大人と子供の関係は、いつもそうではなかったか。大人の独善と都合の前に、いつも振り回されているのは、子供達である。大人にも大人の論理はある。判断力のままならない子供達に、周囲の大人の指導は、絶対的に必要である。けれども、それを独善と都合と言われれば、それは指摘の通りなのだ。だからこそ、大人と子供の間にあるこの問題は、永遠に解決を見ることはない。相手の立場になるという、ただそれだけの視点があれば、すべては解決できる理屈だけれど、人間という、この不安定で、不確かな生き物は、ふと気がついたときには、いつもこちらの方からしか見ていないのである。そして、悲しいことにこの場合、それを発信するのはいつも子供の方なのだ。そんなことは、よく理解しているにもかかわらず、今度もまた不覚であった。
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