15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

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■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

20.修学旅行

デミアン君が来日して三ヵ月も過ぎ、季節は秋の修学旅行の頃であった。いじめ問題の善後策で、校長室を訪れたとき、修学旅行にデミアン君はどうするのかという話しになった。その頃の彼の状況は、学校で無視され続けているいじめのストレスを、相変わらず、原さんご夫婦の経営するガソリンスタンドで発散していた。また、学校での会話も、生徒より、先生や校長先生方とのものが多かった。人望あるご主人の経営するスタンドには、多くの人々が集まり、そこに来られる町民や集落の方々との会話で、学校生活のストレスを紛らわせる事ができたのである。そういう意味では、彼は日本人の生徒と比べて、精神的に大人であった。日本の生徒に見られる、学生であるという甘えと社会性の欠落は全くなく、大人同士の会話に大人としての視点で参加し、客観性を持った会話ができるのである。

そんな中で、修学旅行期間中、クラスの仲間と行動を共にして、さらに険悪な状況になるのではないか、また、その間に生徒同士と、更なるもめごとでも起きるのではないかという危惧もあった。同時に、学校とは違う環境の中で生活することによって、両者に新たな視点が生まれ、クラスの友達やデミアン君も、異なる側面をお互いに見つけあい、再認識できる場になるのではないかという期待もあった。様々に異なる場所で、同じ時間と空間を共有しあうということは、言うまでもなく、友情を育んだり、深めたりすることに効果的である。だから、当然、後者の考えで、失敗を恐れず、前向きに修学旅行に対処することになった。そして、同時に、出発までにクラスのリーダー格の生徒に、デミアン君との交流をもっと積極的にさせて、他の生徒を引っ張っていくように、担任である土岐先生にも指導してもらおうということになった。さらには、校長先生が朝礼で生徒全員に、デミアン君の立場と状況を、もっと客観的に考えてみるように指導してみるとおっしゃってくださった。

デミアン君に修学旅行の話しをすると、彼はしばらく考えた後、「参加しない」と言った。日本的修学旅行はアメリカにはない。だから、彼は、日本の修学旅行を、日本人同様には理解できない。学校行事の一つであるから、基本的には参加しなければならないものであることを簡単に説明すると、彼は申し訳なさそうに、費用のことについて話し始めた。すなわち、親にその費用を出してくれとは言えないというのである。それじゃなくても、日本に来る費用を、様々なバイトでためてきたけれど、そのいくらかは、親から援助してもらった経緯もあり、さらにそれ以上言い出しきれないというのである。修学旅行の費用は4万円弱であった。ここでもまた、文化の違いを感じることになった。

21.お金の問題

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