15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。

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■ はじめに 目次
01 真の国際交流?
02 デミアン来日のいきさつ
03 受入れ態勢
04 思わぬ難題
05 日本の役割
06 ホストファミリー
07 混迷する査証(ビザ)
08 大和魂を学びたい
09 入国審査
10 デミアン君の来日
11 学校と家庭
12 異文化
13 いじめ
14 生徒の反旗?
15 深まる謎
16 憂える国際化の末路
17 家庭生活
18 文化摩擦
19 血尿
20 修学旅行
21 お金の問題
22 異文化の狭間で
23 どうすべきであったのか
24 自由とは何か
25 いじめの中の帰国
26 終わりに

筆 者: 濱 田 純 逸

07.混迷する査証(ビザ)

残された最大で、根幹的な問題である、留学査証の取得は、困難を極めていた。前述したように、鹿児島市の入国管理事務所、福岡市の入国管理事務所も、外国人中学生の留学査証は無いの一点張りである。思い切って、最後の砦である法務省本庁に直接電話を入れて、この窮状を救える手だてはないものか、ここまできたら駄目を承知の気持ちで、やるだけはやってみようと、ダイヤルを回した。

いくつかの部署をたらい回しにされた後、長い間、保留電話にさせられて、約5分後に、担当者という方が応対された。そこで、デミアン君のここにいたるまでの経過と、これまでの入国管理事務所との経緯について詳細に説明し、今後の国際化の進展次第では、この様な中学生の留学が、日本でも数多く発生する可能性が高いことも訴えた。すると、こちらの話しを途中で遮りながら、「福岡の入管は、どのように応えましたか。」と聞かれたので、「留学を目的とする外国人中学生の査証はありません。」という説明しかされなかったことを告げると、「彼らはそう答えるしかないでしょうね。」「現実問題として、どのような方法で入国できるかと尋ねられても、それ以上の返答は、彼等にはできないでしょう。」と、まるで他人事のように言われるだけであった。さらに、こちらの事情と目的を詳細に説明し、「留学生10万人計画」にも触れて、文部省のこれまでの積極的な受入れ姿勢にも敷延しながら、法務省の入国査証に関する閉鎖的な考え方も対比させて、暗に縦割り行政の矛盾を指摘しながら、打開策や方法論は全くないのかも質した。すると、さらに約10分程電話を保留にされた後、担当官は、上司と相談の上、回答するということで、電話を切られた。そして、「北園」という名前を最後に告げた。

その法務省の北園氏から電話を頂いたのは、翌々日のことであった。管内の課長を始めとする上の者と、この件につき相当な議論があったのは、想像に難くなかった。デミアン君の査証の必要性が、充分に理解されたらしく、少しは審議されたのであろう。しかしながら結果は、この様な事例に対応する在留資格は、考えられないということであった。これで万事休すかと思えば、その後の行政マンが法を弄する、言葉遊びのような難しい長話は、ほとんど聞いていなかった。ここで手を引いたら、今後、十年間は同様のケースに、留学査証の発給はないと思い、適当に相手の話しに相づちを打ちながら、相手の話しを無視する形で、こちらの言い分を一方的に、支離滅裂に、時には、感情的に言うだけであった。

「日本に対するデミアン君の留学の熱意を、私たちはどう思い留まらせればよいのか。」という心情論や、「日本で勉強したいという意志のある海外の中学生に対して、日本国は、その受入れを可能にする方法論は、準備していないということですか。」という正論や、「世界の中の日本と声高に叫び、先進国を自認し、留学生10万人計画を標榜する国の姿勢ですか。」という脅しなど、手練手管の雨あられである。ほとんど、北園氏の説明は耳になかった。

突然、「それでは、サンフランシスコの日本領事館で、彼に査証の申請をさせてください。外務省経由で、最終的には私の手元に来ますので、それから具体的に検討しましょう。」と言われて、我に返った。何がなんだか分からない。該当する査証はないと言ったではないか。それから具体的に検討しましょうとは、どういうことだ。いったい、彼は何を考えているのか。彼の意図が全く見えてこない。そして、さらにその後の彼の一言は、私にとって、強烈であった。

「私も鹿児島県出身ですから、お気持ちはよく解ります。」

同郷のよしみとはよく言ったものだ。非論理的な、心情的な話しなので、訳はわからないのだけれども、知人が何らかの画策を行なってくれるのかというような思いで、理解できないにもかかわらず、少しの光を感じ始めていた。電話を切ってからも、「貴センターのことは、個人的にも存じております。時々、帰郷した際に、新聞等でもその事業内容は知っております。」と最後に話された一言に、さらに勇気づけられた。嬉しかった。まさに、地獄に仏とはこのことであろう。

08.大和魂を学びたい


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