15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 01.真の国際交流?1995年のクリスマスイブの日に、6カ月間の鹿児島県桜島中学校での留学を終えて、デミアン・ノーバッシュ君(15才)は、アメリカ、カリフォルニア州に帰国した。帰国前、中学校で開かれたお別れパーティーでは、「別れることのつらさを、生まれて初めて体験した」と語ってくれた。そして、「必ずまた、ここに帰ってくる」と言い残して、彼は帰っていった。 そして、年が明けて、1月12日付け、南日本新聞の朝刊、ニュースあとさきのコーナーに、「けんかした、議論した、理解した」という見出しで、次のような記事が掲載された。 「鹿児島郡桜島町の桜島中学校(川嵜学校長、156人)に留学していた、米国人少年デミアン・ノーバッシュ君(15)が、昨年12月末帰国した。日本ではあまり例のない中学留学。わずか半年間の滞在だったが、議論し、取っ組み合い、理解し合った子供たちのふれあいは、真の国際交流の在り方だったのではなかろうか。」(以下略) 果たして、新聞で指摘されたように、彼の留学は、真の国際交流のあり方を示していたのだろうか。彼を裏方としてお世話したものとしては、また、国際交流や異文化理解と、一年365日、向き合って、その有るべき姿を模索している者としては、最近の日本の巷で、とみに目にするこの国際交流という言葉には、内心、穏やかではない。彼の体験を通して、今、流行の国際交流という言葉にある、「真実と虚像」を抉り出してみたいと思うようになった。 益々、軽薄化していく国際交流という美名の中で、実施されるホームステイを中心とする実質的な海外旅行や安易な国際交流事業と、二つの異文化が出会う真の摩擦現場は、雲泥の差である。本物の戦場とテレビゲームの戦場と、同等同質の差であろう。現場で血を流し、苦悩する満身創痍の精神状態は、リセットすれば、思い出だけというバーチャルな体験とは、根本的に異質のものである。そんな真実を誰もが知らず、理解せず、それを娯楽的に考えていれば腹立たしいし、教育的に考えていれば滑稽である。また、国際交流に参加すれば、いろんなことを学べるだろうと、誰しもが、その教育性を安易に誤解していることに閉口する。さらには、国際交流でありながら、交流と言うには程遠い、時には、交流とは無縁の一方通行による、国際交流なるものの実態を目の当たりにすれば、心の底からの慟哭がある。 彼が体験した真実と異文化摩擦を再考し、検証すれば、我が国の、これから先の国際交流と異文化理解の参考程度にはなるだろう。そんなことを思いながら、この顛末記をしたためてみた。 |
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