15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 12.異文化異文化適応は、最初の数週間が大事である。何故なら、当初の異文化生活には、誰でも必ず、興味や好奇心があるのと同様、異なることに対しての驚きと戸惑いがあるからである。その驚きと戸惑いが、心地よい刺激程度のものであれば、更なる好奇心と興味を醸成してくれるものである。しかし、それらが戦慄や恐怖、困難や苦悩を伴うものなら、その環境は苦痛である。それらの個人差は、当人の異文化に対する好奇心や興味度を核として、性格や人間性や人生観などが反映し、適応力や順応性などが直接的な要因となる。実際に異文化の中に身を置けば、自分自身でも、その環境で生活できるか否かは、それだけの時間が経てば、ある程度は予測できるものである。 デミアン君の留学生活の最初は、順風満帆、彼自身にも、原さん達を含めた周囲の方々にも、何の問題性も見られなかった。予測していた通り、両者間の対人関係は極めて良好なものであり、理想的な留学生であり、ホストファミリーと考えられた。そして、異国の地で長期間生活するにあたって、留学生に最も大事な、「異文化に臨む姿勢」や「異文化の理解の仕方」、「異文化の適応能力や順応性」なども、デミアン君のそれらは群を抜いたものであった。 日本にやってくる欧米人は、異文化に対して、明らかに両極端である。すなわち、自文化中心主義の権化のような者と、文化相対主義的な考え方を保有している者のどちらかである。自文化中心主義の代表的な典型とされる欧米人は、自分の文化を中心に考えることしか知らない者が多い。また、異文化を受入れるどころか、興味すら示さないという者も極めて多い。所詮、発展途上国の文化は、欧米文化より劣っているとしか考えない所に、その原因がある。窮屈この上ない、馴染みのない文化は受入れがたく、心地よくないから、それは劣っているという単純な論理である。そして、それにあからさまに不愉快さを示す者もいる。 これらの背景には、「文化」と「文明」を混同する非論理的な感性と、文化すらも利便性でしか捉えられない、唯物論的な固定観念が見え隠れする。すなわち、近代資本主義国家は、1700年代半ばのイギリスにおける産業革命を出発点とし、たちまちのうちにヨーロッパ全体に広がり、それによって技術革新が進み、大量生産が生まれ、人類に多大の利益と貢献をもたらしたことは言うまでもない。それは紛れもなく、欧米人によって成し遂げられた、「文明」の発展の歴史の一端である。この歴史的事実が、文明における優位性と自負を、欧米人にもたらしたのであろうが、文化における優位性までをも、誤解させかねない原因になっているように感じられる。 例えば、発展途上国のある部族が、川に杭を打ち、そこにいかにも簡易式のようなトイレを敷設し、そこで用を足すという生活には、社会資本の整備の遅れという文明の影響もあろうけれども、古来からの生活様式と独自の文化と考え方が見られる。落ちてくる汚物を、魚たちが待ち受けて、それがやがて自分たちの食料になるのだと説明されれば、見事なほどに食物連鎖の構図が見られる。きれいに掃除された、密室にある水洗便所で、用を足す生活に慣れている者にとっては、その不便さと不快からか、それらの生活はただ遅れているとしか捉えられなく、そのような生活様式を持つ文化まで、劣っていると考えてしまうのである。この場合、社会整備の遅れのために、文明が遅れているという指摘はできても、そこにある固有の文化は、現存しているのであり、優劣という一面性で表現することは、不可能なのである。しかしながら、数多くの欧米人たちは、そのような理解の仕方しかできないことを、私は経験的によく知っている。そしてまた、数多くの日本人たちも、同様の考え方しかできないことも、私はよく知っている。考えてみれば、そう遠くないこの日本でも、人糞が畑に蒔かれていたではないかと、叫びたくもなる。 東洋の神秘に興味を抱いたこの若者は、そのような意味においては、それに対峙する文化相対主義的な考えを理解していた。この文化相対主義とは、異文化を自文化と相対して、客観的に見るという考え方である。一言で言えば、異文化を絶対的に尊敬できるということである。理解という不遜なものではない。究極のところ、相手の文化に対して、疑念なく敬意を表する姿勢と言動がとれるということである。それが文化相対主義の極致の視座である。 まず、異なる文化に深い興味を示していること。それを知りたい、学びたいと考えていること。そして、自国にいるときから、日本語の学習や空手のような武道の練習だけでなく、その背景にある精神文化までに、その興味と向上心は言及していることからすれば、自国文化の価値と、異国文化の価値を相対的に、客観的に見ようとする眼は、養われていると理解できた。適応力と順応性においては、家庭生活、日常生活の小事に結果を示していた。実際、彼の滞在期間中、何人の人が彼をして、日本人以上に日本人の魂を持った若者と、私達に比喩されたであろうか。感嘆されたであろうか。最も彼の近くにいた原さんですら、私達に会うたびに、この事を常に言及されていたことからすれば、このことは、彼の日本文化に対する興味と向上心と探求心が、結実していると考えられることの一つであると思われる。だからこそ、彼が日本での生活に大きな問題を抱えるようになるとは、誰一人として、予測していなかった。そして、その通り、大事な初期の二週間も順調に流れ始め、実りある留学生活を送れるものと考え始めていた。 中学校の英語担任の木村先生から、センターへ最初の電話が来たのは、夏休みまであと10日というときであった。2年2組のクラスのみんなから、デミアン君が無視されているような状況にあるというのである。つまり、デミアン君がいじめの対象になっているとおっしゃるのである。電話の様子から、それがかなり深刻なものであるということは、窺い知れた。至急、お伺いしますということで、電話を切って、すぐに桜島中学校へ向かった。頭が錯乱した。
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