日本とアメリカの文化や習慣や教育、社会生活や考え方など、様々な違いを比較対照しながら、相対的に説明したものであり、MNCC職員によって執筆されたものです。

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■ 学習の前に
■ 目 次
■ 家庭生活編
■ しつけと教育編
■ 市民生活編
■ 慣習編
■ 世間と風俗編
■ 公共道徳とマナー編
■ 行動様式編
■ 形而上的価値編

●物が壊れたとき
日 本
アメリカ
物が壊れた時は、専門の業者に依頼して、修理しようとする。修理費が高額になる時は、壊れたものは捨てて、新しいものを買うことも多く見られる。また、少し壊れて修理が可能な場合や、使用に全く差し支えない場合でも、古いという理由だけで捨てて、新しいものに買い替えようとすることも見られる。 物が壊れた時は、できるだけ自分で修理しようとする。特別な知識が必要とされるものでない限り、専門の業者に修理を依頼するということはない。そのため、自分で修理することを前提にした、あらゆる部品やパーツを販売している店が多い。また、少し壊れたにもかかわらず、見た目や体裁が悪いとか、型が古いということだけで捨てたり、買い替えたりするということはまずない。使えるものは最後の最後まで、どうにかして利用しようとする人が圧倒的に多い。

 

●旅先の過し方
日 本
アメリカ
旅先が国内であれ、海外であれ、限られた旅行期間中に、数多くの訪問地を訪れたいという願望が強く、スケジュールは多忙で、細かく決められている。訪問地は、名所旧跡などのいわゆる観光地であることが多く、そこで何かをするということは少なく、「行ったことがある」「見たことがある」「食べたことがある」という単純な体験さえ得られれば、それで満足しがちである。また、何かをするという場合、それは買い物や食事であることが多い。旅先でただひたすらのんびりしたり、リラックスしたりする過し方は、極めて少ない。そのため、クルージングなどの旅行は企画も少なく、人気がない。 旅先が国内であれ、海外であれ、スケジュールはゆったりしており、細かく決められていないことが多い。訪問地は、名所旧跡に限らず、勝手気ままに場当たり的に決めることも多い。また、旅先で何かに取り組むという、主体的な行為をする過ごし方が多く見られる。また、反対に、それはただ単に、旅行期間中ひたすらリラックスして、のんびりとするだけという何もしないという意図的な時間の過ごし方であることも多い。客船などによるクルージングなどの人気が高いのもこのためであると考えられる。

 

●贈り物とお土産
日 本
アメリカ
贈り物やお土産を渡す機会が大変多く見られる。基本的には、久しぶりに親戚や友人、知人の家を訪問する際には、手土産と称して品物を持参する場合が多い。儀礼的、慣習的な贈り物やお土産の場合、普通、贈られた方はその場で包みを開けるのは失礼であると考えている。特別な意味のある贈り物は、その場で開けることが多い。その場で開ける際は、包装用紙をきれいに開ける。また、その中身は購入した新しいものが圧倒的に多い。1年に二回、夏の7月頃に「お中元」、12月の冬に「お歳暮」と称して、お世話になった人に、贈り物を渡す極めて儀礼的色彩の強い慣習がある。 誕生日とか、結婚記念日とか、クリスマスなどの特別な日以外には、贈り物やお土産を贈ったり、受け取ったりする習慣はほとんど見られない。贈られた方はその場で包みを無雑作に破いて開けて、お礼を言う。その場で開けないということは絶対にない。また、その中身は購入した新しいものとは限らず、使い古しのものであったり、贈り主が自分で作ったものであったりすることもよくある。お中元、お歳暮の習慣はない。

 

●贈り物の意味
日 本
アメリカ
贈り主が受け取り主に「お世話になった」「お世話になっている」「これからお世話になる」という感情を抱いた場合、いずれの場合においても、お礼の言葉だけでは不十分と考え、品物まで添えるケースが圧倒的に多い。言葉だけでは不十分と考えているのは贈り主だけではなく、受け取る側も品物を期待している場合が見られる。「お世話になった」という意識で贈り物を渡す際は、贈り物に感謝の意味が込められている。「お世話になっている」という現在も続いている状態の時は、これまでの感謝と同時に、将来もこれまで同様のお世話をお願いしたいという意味が贈り物にある。「これからお世話になる」という時の贈り物には、お世話して欲しいという依頼やお願い、または買収の意図すら込められている。また、両者間にある「お世話」についての相互認識は、特定の行為に対する共通認識がある場合もあるが、漠然とした認識であることも数多くあり、贈り物自体、不明瞭な意味あいを持つ場合も見られる。 品物を贈ったり、受け取ったりするのは、誕生日とか、結婚記念日とか、クリスマスなどの特別な日であり、贈り物にはすべて特定の意味が、両者間にあると言っても過言ではない。そのため、贈られた品物をめぐり、贈り主と受け取り主の間で、その品物に関する会話がしばらく続くことが多い。贈り主と受け取り主の間に、何のための贈り物なのかという共通する認識のない贈り物は、ほとんどない。また、ただ単に「お世話になった」「お世話になっている」「これからお世話になる」という一つのことに特定されない、漠然とした一般的な「お世話になる」という意識は、存在しない。その意識がない以上、それらの意識に基づく贈り物というのも存在しない。

 

●自己紹介の方法
日 本
アメリカ
自己紹介の際は、学生であれば学校名と名前、社会人であれば会社名と名前というように、必ず自分が所属している組織名や団体名、さらには趣味や特技などの個人の嗜好などにもふれながら紹介する場合が圧倒的に多い。所属している組織や団体がない場合は、住んでいる集落名や町名、都市名などを使ったりする場合もある。 自己紹介の際は、自分の名前だけを言って終わるのが一般的である。その後、趣味や興味の対象、嗜好や夢などの個人的な内容にふれることも時々見られる。自分を取り巻く組織名、所属する団体名、出身地、出身校、住んでいる都市名などの内容に、自ら進んでふれることはほとんどない。

 

●別れぎわの挨拶
日 本
アメリカ
「さようなら」「またね」「じゃあね」などのあいさつのほかに、「がんばれよ」と相手を叱た激励したり、まじめな取り組みを勇気づけようとするものがある。 「Bye」「See you again」などのあいさつのほかに、「Take it easy(気楽にやれよ)」とか「Have a nice day(楽しい日を過ごしてね)」「Don't study too hard(あまり勉強し過ぎるなよ)」などのように、あくせくせずに、のんびりと相手をねぎらう意味あいのものもみられる。

 

●うそとうそつき
日 本
アメリカ
信じられない話を聞かされている時、話のあいづち程度に「うそーっ」とか「うそでしょう」と言うことが多いが、決して、うそと決めつけているわけでなく、「信じられない」とか「ほんとに?」いう程度の意味合いのものである。また、「うそつき」と相手に面と向って言うことも多く見られるが、文字どおりに相手を非難するものではなく、軽い意味合いで使うことが多い。そのため、言う方も言われる方も聞き流す程度のことであることが多く、特別な侮辱や侮蔑の意味を持つ言葉としてはとらえていない。 話のあいづちとして「うそーっ」 「うそでしょう」などと、面と向って相手に言うことは絶対にない。信じられない話には、「信じられない(Unbelievable / Incredible)」とか「冗談でしょう(No kidding)」と応えるのが一般的である。「うそ」とか「うそつき」という言葉を使う場合、言う方も言われる方も悪意のある大変侮辱的な言葉としてとらえており、口論や喧嘩の状況を思い起こさせる。これらの言葉は通常の生活の中で、ひんぱんに耳にしたり、使われたりするものではない。

 

●ガンの告知
日 本
アメリカ
がんの告知は、がん患者本人にはしない方がよいとする考え方が強い。医者も積極的に本人に知らせることはせず、まず家族の者に知らせることが圧倒的に多い。もし知らせれば、本人に、より大きなダメージを与えてしまうという、医者を含めた知らせる側の一方的な配慮と、思いやりと、思い込みがその理由である。また、もしがんになったら、知らせて欲しくないという考えを持つ人が少なからずいることが、それに拍車をかけている。そのため、医者から知らされた周囲の者は、本人に安心させる目的で、がんであることを知らせず、うその病名を告げることが多い。ただし、近年、がん治療の進歩から、がんの告知はなされるべきだという意見も多くなりつつあり、告知を希望する人も増えている。しかし、告知を希望する人でさえも、肉親のがんは告知したくないという人が依然として多い。 がんの告知は必ず本人になされ、議論の余地すらない。医者が本人に、がんであることを告知しないということもありえない。もしなされなかったら、大問題である。本人より周囲が先に知ったとしても、必ず本人に告げられることになる。本人のことは、その内容がどのようなものであっても、当然知るべきであるという考えが支配的であり、ここでも徹底した個人主義が見られる。つまり、根本的に自分の人生は自分のものであり、自分の知らない所で自分の人生が他人に関与され、判断され、左右されることそのものが、決して許されることではないということである。それは承服しがたい概念であり、がんの告知が本人になされないということは、信じがたい価値観でもある。自分の人生は自分だけのものであり、他人が関与できない絶対的な自由を、自分の人生は保持しているという考えがそこにある。だから、がん患者本人は自分のがんを知ることになるし、誰であろうともそれを伝えることに疑問と抵抗を持たない。
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