基本的に、親の家庭教育はあっても、しつけは存在しないといえる。家庭教育とは、親の希望を子供に投影させた教育である。教育に熱心な親が多く、特に母親にその傾向が見られ、また、都市部に行けば行くほどその傾向が強くなる。大学入試の偏差値が高ければ高いほど、その大学は良い大学と無条件に考えられ、より偏差値の高い大学に入学することが出世と比例すると一般的に考えられている。そのため、子供の個性や能力や希望を無視して、一方的に偏差値の高い高校、大学に入学させるための勉強や習い事を、子供に無理強いする親が多く見られる。また、いい教育を子供に受けさせてやることが、親の義務であると考えられている。そのためには親が犠牲になることも、しばしば見られることである。家庭で過ごす時、子供が遊んでいるのを見て叱る親はいても、勉強しているのを見て叱る親はいない。すなわち、子供の生活に勉強至上主義的な価値観を持つ親が多い。そのような教育や習い事中心の家庭生活で、しつけは軽視されているのが実状である。 |
基本的に、親の子供に対するしつけは存在しても、親の希望を子供に投影させた教育はないと言える。すなわち、親の価値観で教育を子供に受けさせるのが教育ではなく、子供の自由な個性や能力や才能を尊重し、それが何であるかを自由な生活環境の中から見つけだし、それを最も伸ばすことのできる環境を作り出して上げることが、親の子供に対する教育であるという理念が一般的である。そのため、子供の個性を無視して、親の価値観で子供に特定の教育や習い事を強要する親はほとんどいない。そして、子供への教育のために親が子供の犠牲になるということもない。むしろ、家庭生活では他人に迷惑をかけることのないように、しつけの徹底が優先されており、子供は勉強をすることだけを期待されているのではなく、子供も家庭を構成する一員として、あらゆる作業や家事(
chores )を分担することが当然として考えられている。さらに、家庭には勉強机もないところも多く、勉強をするところは学校であり、家庭は勉強するところではないという考えを反映している。
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