半世紀ほど前、初めてホームステイに参加する生徒たちが、九州の各県の駅から出発する時(当時は、羽田空港まで、九州から国鉄と新幹線を利用して行っておりました)参加者と保護者が抱き合って、人目をはばかることなく、涙を流しながら別れるという光景が、各駅のどこでも見られたものでした。 しかし、昨今の出発光景で、泣き別れる生徒と保護者は、どこにもいらっしゃいません。 何故、親子が涙ながらに別れていたのが、笑顔で別れるようになったのでしょうか。 この変遷の中に、日本のホームステイの価値の変容が凝縮しているといっても過言ではありません。
半世紀前の涙は、アメリカに行く子も、送り出す親も、未知の世界に旅立つ不安と恐怖の涙だったのです。 「ホームステイ」という言葉すら市民権のない時代ですから、言葉も分からないアメリカ人家庭で、無事過ごしてこられるだろうかという恐ろしさは、想像以上のものでした。 周囲にホームステイ参加者は一人としていない、ましてや、初めて海外に行くという生徒とその保護者ばかりですから、みんな真剣に取り組んだものです。 事前の英語の学習や自文化学習でも、異文化学習でも、参加者には誠実で、真摯な国際交流に臨む姿勢と意気込みがありました。
ステイ地の市長に表敬訪問に行った際、市長の英語が、ほとんど分からないにもかかわらず、ノートを片手に、一生懸命に記録を取る中学生の姿が、その象徴的なものでした。 それが現在においては、説明する市長の英語をかたわらに、市長の椅子に座りながら、右手はピースのポーズでお互いに写真の撮り合いをする、そんな様子を時々目にするようになりました。 誰もがホームステイという言葉を使うようになり、ホームステイ参加者が周りに溢れるようになり、着実に、国際交流の輪は広がっているのかもしれません。
特に、観光旅行の一形態としてホームステイが実施されるようになって以来、学生時代に一度は、ホームステイや留学で海外に出かけるのは、珍しくもなく、むしろ当然といったような風潮も見られるようになりました。 その結果、ホームステイは本来の民間の国際交流や異文化学習の場としての位置から離れ、「学生のための海外旅行」としての要素を内包しつつ、観光旅行化してきております。 さらに、ホームステイに気軽に参加できるこの「気軽さ」が、「安易さ」に変化しつつあります。
当時、保護者は、何故、高額な参加費用を、子どもさんのためにお支払いされたのでしょうか。 それは、保護者がホームステイを「異文化学習の場」と理解されていたからにほかなりません。 21世紀に生きる子どもたちには、国際感覚と英語力が必要と痛感して、ホームステイの成果に、それらのものを期待していたわけです。 すなわち、ホームステイを教育的なものとしてとらえ、「かわいい子には旅をさせよ」という気持ちで、その参加費用を支出されていたのです。 だからこそ、出発の時に、涙を流して別れるほどの悲しさがあっても、帰ってくる時の子どもの成長を思えば、送り出すことができたわけです。 私どもは今でも、この当時の出来事の中に、このプログラムの原点を見ることができます。
「何故行くのか?」「ホームステイとは一体何なのか?」「ホストファミリーとは?」「真の相互理解とは?」などの様々な疑問を、参加する側も、ホームステイ主催者側も、もっと真剣に受け止め、考えてみる必要があるのではないでしょうか。 「行きたいから行く」「子どもが行きたいというから行かせる」という考えではなく、「生徒はどのような目的で行くのか」「保護者は、どのような目的で行かせるのか」という視点で考え、ホームステイ主催者は、「ホームステイを通して、生徒、学生に何を学ばせ、何を伝えさせるか」という具体的な視点が必要になってくると思います。
ホームステイとは、「文化的戦場」です。 異なる文化を持つものが、共同生活をすれば、そこに摩擦や不適応が発生するのは当然です。 ですから、参加者は、表面的に外から眺めるだけの観光旅行とは、根本的に異なるものであるという事を知らなければなりません。 言葉も違う、他人の家庭に入り、共に生活する事がホームステイなのであり、その方法で異文化を学習するのですから、それは不自由な生活を常態とするものであると考えなければなりません。 そして、同時に、彼らからすれば、参加者を通して、日本人を見、日本を知るという事に他なりません。 つまり、参加者がアメリカにホームステイに行くという事は、日本人や日本を見せに行くという側面をも有しているのです。
センターでは、真のホームステイとは、参加者にとって「環境に適応しなければならない不自由さ」、「言葉を自由に使えないいらだち」、「日本の家族や両親と会えない孤独感」、「他人の家庭で生活する不安」などの幾多の困難が待ちかまえており、それらの苦難をどのように乗り越えて行くかが、ホームステイの最も価値ある側面であるとの認識を持っております。 困難があるからこそ、「かわいい子には旅をさせよ」と言い続けられているのであって、観光旅行やお買い物ツアーに、保護者が金銭的負担を負ってまで、旅をさせる意味などないのではないでしょうか。
参加者には、いつも「学習する姿勢」を求めます。 それは、「机上における学習」ではありません。 「異なる文化を観察し、異なる価値観を理解し、異なる言語を使う体験学習」です。 他人の家庭で過こす事による「精神的自立」と「社会性」を養う体験学習でもあります。 これらのセンターのホームステイ理念を、充分にご理解いただき、その認識の上に立って、ご参加をご検討いただきたいと思います。