レポート更新情報
更新日
現地活動日

3月26日

3月25日(土)

3月28日

3月27日(月)

3月29日

3月28日(火)

3月30日

3月29日(水)

4月3日

3月30日(木)-31日(金)

スパナウェイ レポート 3月31日(金)

この体験入学のプログラムが始まって、初めて朝から晴れ間がのぞいた。 Spanaway グループの日本人生徒達が、学校で友達と勉強出来るのは今日が最後だ。
朝学校へ行くといつもと雰囲気が違う。先生達が、先日亡くなった先生への哀悼の意を表して、ネクタイを付けていたのだ。そしてアメリカらしいのは、Tシャツの上にネクタイを付けていたことだ。亡くなられた先生も、いつもネクタイを付けていたそうだ。
  

いつもの様に、ホームルーム時に、一日の予定を確認した。実は日本を出発する直前に、当初の予定が変更となって、今日はいつもの授業ではなく、日本人生徒達にプレゼンテーション(さよならパーティーの簡略版)をするようにと、学校側から依頼されていたのだ。こういったスケジュール変更はアメリカではよくある。加えて、プレゼンテーションの詳細が、学校側から伝えられたのも今日になってからだ。これを伝えると、あー!プレゼンは今日だった!!という生徒が何人も見られた。生徒達は昨夜、このホームステイの一大イベントであるさよならパーティーを終えたばかり。それに昨夜は、パーティーが終るとすぐにホストファミリーと帰って行く生徒がほとんどだった。おまけに後片付けをしていると、忘れ物は あるし、使った物が片付けられていないしといった、慌ただしい状況。そのため、昨日のさよならパーティーに使った道具を、今日のプレゼンテーション用に準備していない生徒もちらほらいた。

取り急ぎ、校長先生のリクエストやTCの意見を聞き、出し物を決めた。8年生、7年生、6年生それぞれの学年に向けて順に発表していく。さよならパーティーは約3時間だったが、このプレゼンでは、1学年当たりに発表できる時間は、20分ずつしかない。以前、生徒達にプレゼンテーションの案内をした時には、短い方が良いという反応であったが、今日はむしろ逆だ。さよならパーティーの演目全てを披露することは、物理的に不可能なので、与えられた時間に合わせて、ほぼ即興で演じなくてはならない状況なのだから。ひとまず演目は、楽器演奏、日本舞踊、けん玉、紙芝居、PPAP、そして歌に決めた。もし時間が余れば、アメリカ人生徒からの質問の受け答えや、生徒それぞれが準備してきた日本や自分について紹介をする予定だ。
会場へ急いで移動し、流れをもう1度確認し合った。そして、アメリカ人生徒が来ると自分達の席がなくなると言われたので、日本人生徒で固まって場所取りした。
  

いよいよお世話になったアメリカ人生徒達の前で発表する時間となった。まずは8年生に向けての発表だ。本当に即興に近かったが、Spanawayグループの生徒達は精一杯よくやってくれた!7年生、6年生それぞれに向けて発表する前に、音楽の先生も来てくれて、ありがたいことに準備できなかった曲をパソコンから流せる事になった。また、アメリカ人生徒達からは、たくさんの質問も飛び出した。生徒達は、ずっと不安や緊張の面持ちであった。これも日本人気質であろうか。準備が完璧でないと、落ち着かないというか、物事にポジティブに向き合えない。アメリカでは、即興でスピーチをしなくてはならない事など多々あるのだ。しかし、そんな不安は取り越し苦労だったのか、プレゼンは大盛況のうちに終わった。そして、プレゼン後の生徒達の表情は、自信に満ちあふれていた。無我夢中であったかもしれないが、こうした文化の違いを経験することが、成長していくための大きなステップになったことは間違いないであろう。

1-3限目にプレゼンテーションをさせてもらい、4限目からは、バディ達のいつもの授業に再び参加した。各クラスで、生徒達は写真を撮り合ったりして、最後の時間を楽しんでいた。外で体育の授業をしているのが見えたので、ある生徒にどうしたのか尋ねてみた。すると、先生が、「もし自分を笑わせることが出来たら、外で体育をしても良いよ。」と生徒達に言ったらしい。そんな面白い提案をするのはどんな先生なのか、またどんなギャグが先生にウケたのか気になり、外に行って先生と話したところ、アメリカの学校の考え方として、勉強よりも、まず人間関係を大事にしているのだと話された(ちなみにどんなギャグだったかは聞けず仕舞いだった) 。

また、ランチタイムに生徒達の様子を伺っていると、アメリカ人生徒達から、「学期末までいるの?」、「ずっと一緒に勉強できるの?」、「残れない?」とか聞かれていた。たった一週間ではあったが、日本人とアメリカ人生徒達は、いつの間にか言葉の垣根を越えて、仲良くなっていた。登校初日のあの不安げな表情は、見る影もない。生徒達の成長ぶりと逞しさを感じた。

一方、先生達のラウンジには、メキシコ料理が並んでいた。これは、毎週金曜日の恒例となっているらしいが、先生達それぞれが作ったものを持ち寄って、自由に食べられるようにと、あの、先日亡くなられた先生が始めた事だそうだ。今日は、その先生を偲んで、特別に、いつもより凝った物を、とメキシコ料理を準備したらしい。壁には、車好きだった彼のコレクションのトラックの写真が飾ってあったり、飾り用の車の中に、皿やフォークが置いてあったりした。生前の先生の姿が偲ばれた。

そして午後の授業が終ると、一旦ホームルームの教室に戻って、荷物をまとめて、帰り支度をするよう促された。そして、急いで学校の建物の玄関前に集合するようにと言われた。これは、少しでも多くのアメリカ人生徒達と挨拶し、お別れする時間を取らせてあげたいという TCの計らいだった。だが、生徒達は、外の集合場所に行く前に、バディに手紙を渡したり、この学校とももうお別れだと泣いたりして、なかなか外に行きたがらない。見ているこちらも胸がいっぱいになった。生徒達は初めての環境に戸惑いながらも、皆、一日も休むことなく学校生活をよく頑張ったと思う。言葉にも授業にも果敢に取り組んでいった。この経験は一人ひとりにとって一生の宝物であり、励みとなる事だろう。それも、生徒達を快く迎え入れて下さった先生、バディ、そして多くのアメリカ人生徒達があってこそ。感謝は尽きない。

いよいよ月曜日の早朝の便でシアトル空港を発つため、日曜日の夕方には、ホストファミリーと別れ、ホテルで一晩を過ごすことになっている。残された時間はあとわずかしかない。短い時間ではあったが、親代わりとなって生徒を受け入れ、愛情を注いで下さったホストファミリーに、しっかりと感謝を伝えてほしいと思う。別れは切ないが、悔いのないよう最後の時を過ごしてほしいものだ。

スパナウェイ レポート 3月30日(木)

朝から天気のすっきりしない中、いつものように中学校へ向かった。学校に着くとホームルームをしている教室へ。今日は今までと同じように、決まった時間割でバディ達と一緒に授業を受ける日ではなく、カレッジ アンド キャリアデイの日だった。これは中学校に色々な職業の人が来て、その人達の話を聞く日らしい。朝のホームルームでは、今日は1限あたり50分ではなく30分の特別なスケジュールだと連絡事項が伝えられた。バディの名前が順番に呼ばれ、Spanawayグループの生徒達と一緒に1限目の教室に向かった。様子を伺っていると、各教室では今日回る教室が案内されていた。指定された教室に入ると、先生以外に見慣れない大人が立っていた。生徒達に自分の職業について色々と話をしてくれる方(スピーカー)だ。自己紹介と共にどんな仕事をしているのかなど色々と話をしてくれた。バディの学年によっては、軍で働いている人、牧師、看護師、自営業、ソフトウェアを作る人、車の整備士、警察官など、様々な職種の人達が話をしてくれた。中には、学区内の技術系の学校にも行った生徒もいたようだ。アイスクリームをトラックで販売している人もスピーカーとして来られていて、ラッキーな生徒はアイスクリームをもらっていた。体育館ではアイスチップスというお菓子を作っている社長が、会社の事やお菓子の説明などrをしていた。大学や専門学校もブースを出していたりと、日本ではなかなか見られない光景だ。このイベントは去年から始めたそうだ。中学生の頃から将来の職業について考える機会を与えてもらえるのだ。日本にはない、このような機会に巡り会えた生徒達もラッキーだ。

ランチタイムの後は、さよならパーティーの準備に取り掛かった。会場は、ホストファミリーと初めて会った場所である学校のランチエリアになる。アメリカ人生徒の授業の邪魔にならないように、生徒達が下校するまで、ホームルーム用の教室で、飾り用に折り紙や横断幕を作ったり、習字をしたり、出し物の準備をしたりと大忙しだ。下校時刻になり、手の空いた生徒達は会場で飾り付けを始めた。また、音楽の先生が楽器を貸してくださるとの事で、楽器を演奏する生徒達はその準備に入った。

学校ではSpanawayグループの生徒達は、皆バラバラに授業を受けている事もあり、今日まで話し合いらしい話し合いが出来ていない。日々のスケジュールも多忙で、練習時間もどれだけ取れるか分からない中、準備も思うように進められなかった。そのような状況の中でとうとう当日を迎えることになった。とにかく出来るだけの準備をし、パーティー本番ではそれをぶつけるしかない。今までは指示を受けて動けば良かったが、このパーティーだけはそうはいかない。生徒達それぞれが、責任をもって任された役割を果たさなければ、パーティーが成り立たないのだ。そのためにも周りのことを客観視し、人の話にしっかり耳を傾けること、そして自分の行動に責任を持つこと。これは、今回のホームスティの目的の一つである“自立する“という点で、大切な経験となり、成長のステップとなるであろう。一通りのリハーサルをしたが不安と緊張は高まるばかりだった。

ホストファミリーが会場に到着するまでの間に、TCが注文してくれたピザを皆で食べた。このパーティーの準備やピザを一緒に食べる事を通して、中には初めて話す生徒同士もいたようだが、それがグループの絆をさらに強くしたようだ。

その後、手の空いた生徒は、パーティーが終わったら直ぐにホストファミリーと帰れるように、全ての荷物を会場の角に移した。出し物の練習をしたり、TCにあげるプレゼントやカード(生徒達の手作り)を準備していると、ホストファミリー達やバディが続々と集まってきた。

ついにさよなれあパーティーの時間である!TCから、このSpanaway Middle Schoolの校長先生への感謝の挨拶が伝えられた後、3人の司会によりパーティーが始まった。流れはこうだ。

アメリカ人生徒を交えての楽器の演奏、そして習字のパフォーマンス、日本舞踊、茶道の披露、けん玉、紙芝居、クイズ、アルゴリズム体操、PPAP、最後に世界に一つだけの花の合唱。

それぞれの特技や披露したいことを、限られたパーティーの時間とにらめっこしながら決めたのだ。やはり日本文化の披露となると、ホストファミリーだけでなく、アメリカ人皆が興味深そうに見つめていた。出し物が終ると直ぐに、TCを通して学校からの学生証やグッズを貰った。アメリカ人生徒だけでなく、この学校でお世話になった方々への感謝の気持ちは、一生忘れることは出来ないだろう。

そして今度はホストファミリーと一緒に名前を呼ばれ、このプログラムに参加したことの修了証書を貰った。いつも元気一杯の生徒さえ、感傷的になっていた。パーティーのクライマックスであろうこの修了証書の授与は、慌ただしいスケジュールの中での学校生活の終わりと、もうすぐホストファミリーともお別れだということを生徒達に実感させたようだった。

最後にTCと引率の私からホストファミリーへ感謝を述べ、パーティー終了となった。平日の木曜日ということで長居することなく、生徒達はそれぞれのホストファミリーと共に帰っていった。

いよいよ、明日は学校生活の最終日だ。午前中は6、7、8年生のそれぞれ3回に分けて、さよならパーティーでの出し物などを発表する事になっている。そして、午後の授業を終えるとお別れだ。バタバタと過ごしてきだが、Spanawayグループの生徒達には悔いの残らないようにこの体験入学を修了してほしい。

スパナウェイ レポート 3月29日(水)

月曜日からこの3日間、小雨と曇りの繰り返しだ。10℃と少し肌寒いが、室内に入ってしまえば20℃前後に暖房が入っているので寒さは感じられない。3日目ともなると、生徒達も慣れた様子で集合場所に集まってくる。Spanawayグループの日本人生徒全員が集まるまで、女子生徒達はアメリカ人生徒達と輪になり、昨日今日とゲームをしているようだ。コーラスクラブの練習が近くの大学で行われているが、そのクラブに入っているバディと行動を共にしている生徒1人を除き、全員揃うとホームルームをするクラスへ移動だ。

いつもの様に連絡事項が始まった。学校の計らいで、アメリカ人生徒が持つ学生証を作ってくれる事になった。そのため唯一時間が取れる4限目のランチ時間に写真を撮ってもらうようにとのことだった。また、購買部/ギフトショップで学校のグッズを買うことも出来ると再度説明があった。Pledge of Allegianceが終わると直ぐに生徒達の名前が呼ばれ、授業のあるクラスに移動する。今日は2人のアメリカ人生徒が休みのため、アメリカ人生徒1人に日本人生徒2人が組み合わされた。これに該当した生徒にとっては、新しい授業を受けたり、他のバディと一緒の生徒達と過ごせるということだ。仕方ない事ではあるが、生徒の受け取り方次第では、体験入学できる教科の数が増えるとも言える。

生徒達に授業の話を聞いたり日記を読んだりすると、バディの英語が少しわかるようになったと言う生徒が何人もいるようだ。また、数学の問題をスラスラ解いてクラスの皆に驚かれた生徒もいた。日本の数学のカリキュラムの速さを物語っている。ランチ時間では、バディ以外のアメリカ人生徒達と話をしたりと、上手くコミュニケーションも取れてきているようだ。

昨日と同様に4限目が終わると直ぐに、2つのグループに分かれてバンでラメイ-アメリカズカーミュージアムに移動した。2012年に開設されたこのミュージアムは、元々ミリタリーの学校だったそうだ。中1〜高3までの男子生徒が通い、シスター達で運営されていたそうだ。現在は、520台の車が展示されているとガイドの方から説明があった。まず広い建物の中を案内された。そこは元々体育館で、体育館の中にシャワー室も付いていたそうだ。これも日本人の感覚からは想像し難いかもしれない。アメリカでは大抵、中学校以上の学校では体育の授業のあとシャワーを浴びられるように、シャワー室が併設されているのだ。中を覗いてみると、クラシックカーが至る所で見られた。流石カーミュージアムだけある。他にもエルビスらしきマネキンや車以外のコレクションもあった。取集したレメイ氏は相当なコレクターだったようだ。

今度は、別の建物を案内してくれるとのこと。昨日の高校のツアーのように2グループに分かれた。1つのグループには英語が得意な生徒にガイドのサポートをお願いした。この建物の中のコレクションは年代順に並べられており、世界に数台しかない車など興味深い車が沢山保管されていた。特に生徒にとって分かりやすく興味を引くような、消防車や目立つ飾りのある車などの説明をしてくださった。ミュージアムの広い建物に戻り、生徒達はここでお土産を買ったりしながら、自分の帰りのバンの順番を待った。

昨日より少し早めに中学校に戻り、さよならパーティーの話し合いをした。成田空港の待ち時間でも話し合いの時間を取ったが、アメリカにも着いていない状態ではさすがに生徒達も実感が湧かなかったようだし、入国後時間をみつけて出し物を決めていこうと考えていた。しかし、spanaway に着いてからもこのように慌ただしい毎日なので、少しでも決めようと時間を取った。だがすぐにホストファミリーの迎えやバスの時間がきてしまった。どうやら明日の準備時間を使って最終的に決めるしかないようだ。明日は午前中だけ授業なので、午後からの時間を準備に当て、明日の夜本番を迎えることになる。生徒達には、今度はホストとしてHFやTCへの精一杯の感謝を込めて、パーティーを開催してほしい。

スパナウェイ レポート 3月28日(火)

昨晩からずっと雨が続いていた。昨日と同じように、学校の事務所の前の広場に集まり、全員が揃ったところでホームルームをした教室に向かった。教室に入るやいなや、連絡事項を伝えた。実は、長年この学校でサイエンスを教えていた先生が昨日の朝亡くなったそうだ。その先生は生徒達にも信頼がありとても好かれていたそうだ。その先生が昨日の朝急死されたとの事で、先生方や生徒達はとてもショックを受けていた。生徒の中には休む生徒もいるかもしれないので、その事を分かってあげて欲しいとの事だ。有難い事にバディになっている生徒達は1人を除き休む事なく出席してくれていた。直ぐに放送で、 忠誠の誓い(Pledge of allegiance、胸に手を当てて忠誠を誓うこと)が始まった。昨日はSpanawayグループの日本人生徒の何人か戸惑いながらしていたが、すぐにこれを受け入れられたようでぎこちなさも見られなかった。終わると直ぐ様バディ達の名前が呼ばれ、日本人生徒達も一緒に1限目のクラスへ向かっていった。今日のスケジュールは、午後からSpanaway Lake High Schoolへ学校ツアーに行く予定になっている。4限目の授業とランチが済むと直ぐに学校ツアーと、まさしく弾丸ツアー!


 ランチの様子を伺うと、アメリカ人生徒のスマートフォンを使って、自分の住んでいる町の場所を地図で教えていたりする姿が見られた。また日本から持ってきたお菓子を一緒に食べたりアメリカ人生徒と話をしたり、日本人生徒同士で食べながら話をしたりと、このスケジュールにも慣れた様子の生徒達さえ見られた。
午後からは2グループに分けて、バンに乗って高校まで向かった。全員が高校に着くと、セキュリティガードが出迎えてくれた。日本では考えられない光景だ。キャリアセンターというオフィスに一旦集まり、ツアーの説明があった。どうやら、中学校と同様に日本人1人の生徒につき、アメリカ人1人の生徒をつけてくれるようだ。しかもアメリカ人生徒は日本語クラスを取っていると言う。それに先生は日本人だった。後から話を伺うと北海道から来られたらしく、こちらにきて間もないと仰っていたが、徐々に生活にも慣れてきたところらしい。


 校内を2グループに分かれてツアーが始まった。ランチの時間と重なったため、廊下にもアメリカ人高校生が沢山いた。最初はペアで2列に並んで始まったツアーが、沢山のアメリカ人高校生の中を通るので、アメリカ人高校生同士が声を掛け合ったり、日本人同士で話したりと列が列になっていない。限られた時間でツアーが進められる中、グループ1はギフトショップに行けたが、グループ2は行けなかったりと、まさにアメリカらしい。ここを見たい!などと自己主張できないと、周りに流されてしまうのだ。ツアーの途中、心理学やアメリカの歴史のクラスに案内された。先生によってクラスの進め方はそれぞれなので、私達日本人には馴染みもない内容で、さっぱり理解出来なかった。
ある日本人生徒が「体育館の前を通ったがよく見られませんでした。」と主張してくれたので、TCの図らいで見られなかった生徒だけ集まり体育館の中に案内された。生徒達も自己主張の大切さを感じたことだろう。


 ツアーが一通り終わると、最初に集まったキャリアセンターに戻った。今度は日本語クラスを取っているアメリカ人高校生の話を聞いた。アメリカ人高校生1人と日本人生徒3人で1組となり、高校生活やSpanawayの町について日本語でスピーチをしたようだ。高校生が用意していた名刺を渡していたので、すかさず日本人生徒に、名刺を渡すチャンスだよと促した。それぞれが名刺を使って会話をし合う、まさに普段の授業にはないやりとりが見られた。


 最後に皆で集合写真を撮った後、中学校に戻った。ホストシスターやバディと帰り一緒のバスに乗らないといけない生徒もいたので急ぎ足だった。中学校でも写真を撮り、ホームルームの教室に荷物を取りに行って解散という慌ただしい1日だった。


 明日はレメイカーミュージアムに行く予定だ。慌ただしい毎日を過ごしているSpanawayグループの生徒達だが、体調を崩すこともなく、元気に過ごしている。メガネをなくした、と訴えてきた生徒もいたが、ホストファミリー達の連携で直ぐに見つかった。ホストファミリー達には感謝感謝の毎日だ。この体験入学はもちろん、ホストファミリー無しにはあり得ない事ばかりだとつくづく感じさせられた1日だった。生徒達には、日本の保護者にはもちろんの事、ホストファミリーの愛情もしっかり感じてほしいものだ。                                                                                       

スパナウェイ レポート 3月27日(月)

  日曜日の天気は優れなかったが、今日も朝から雨が降っていた。Spanaway Middle Schoolに着くと雨も止み晴れるかと思いきや、一日中曇りと雨の繰り返しだった。                                               

学校に着くと、10名位の生徒達がすでに学校に来ていた。生徒達に週末何をしたか聞いてみると、ホストファミリーとスーパーに行ったり、一緒に夕食を作ったり、日本について紹介したり、映画を見たりしたと話してくれた。また、シアトルに連れて行ってもらったり、Spanaway周辺の観光をした生徒達もいたようだ。もう1人のTCジェシカと合流し、校長先生と話をしながら、アメリカの生徒の邪魔にならない場所で他の生徒の到着を待った。ここは、2階建ての、12-14歳の生徒達が通う学校だ。この学校では、生徒の家庭状況によって朝食をとれるようになっているようだった。授業の1コマは50だが、休み時間はそれぞれ3分しかないそうだ。                                                                                   

全員が到着すると、早速2階に行き、教室に入って簡単なオリエンテーションが始まった。マッチングと言って、チームspanawayの生徒1人に対してアメリカ人の生徒(バディ)が1人ずつ紹介された。そのアメリカ人の生徒の取っている授業を一緒に受けることができる。つまり生徒達は、日本人同士で話したり助けを求め合うことさえできないということだ。いつもはクラスにいない日本人生徒がいる事以外は、普段通り授業が進んでいる。生徒達の授業の様子を確認するにも、授業の邪魔にならないようにドアの窓からクラスを覗き込み、ドアを開けてもらわなければ、どのような授業なのかさえわからない。こちらが助け舟を出したくても出せない状況だった。生徒1人1人のコミュニケーション力を信じるしかない。教室に入れたクラスでは、生徒の横でバディが丁寧に説明をしてくれていたり、生徒自身が辞書を使って自力で渡されたプリントの内容を理解しようとしていたり、様々だった。ここは日本人生徒を初めて受け入れてくれた学校のためか、他のクラスではカメラを手に持っている日本人(私のことです)がいるとざわつき始めたり、写りたいとアピールをするアメリカ人の生徒も多く見受けられた。また日本と異なり、生徒が受けるクラスの先生の教室に移動するシステムになっている。なので授業と授業の間の休み時間は、次のクラスのための準備というよりは、移動時間と言った方がいいだろう。しかも3分しかないのだ。2階から1階に移動する生徒達や、その逆もあるので生徒達は早歩きで移動していた。日本人生徒は状況が分からないまま、アメリカ人生徒の後ろをついて行くのが精一杯だ。学校の職員によると、この学校では各生徒にipadを一年間貸出しているそうだ。その中に教科書や学校のルール事が取り込まれているそうだ。日本の学校とは違い購買部らしき部屋には学校のトレーナーなどのグッズが売っていた。                                                                                                             

4限目はランチを含む()になっていた。一度に全員がランチを取ると混雑するので、それを防ぐために、3つの時間に分けているそうだ。生徒達は4限目のバディのランチタイムになると、朝ホームルームで使った部屋にホストファミリーの家から持ってきたランチを取って、バタバタとバディと一緒にスクールカフェテリアへ向かった。バディとその友達とランチを食べていていたが、日本人生徒の周りには他の日本人生徒は見当たらない。それぞれのランチタイムはたった30分しかないからだ。少しでもバディから離れると迷子になってしまうのだ…。アメリカ人の生徒達が何を話しているのか一生懸命理解しようとしている様子がほとんどだ。また、急いでランチを食べて外でバスケットボールをするアメリカ人生徒達も見られた。それぞれのランチ時間が終わると直ぐ教室に行かないといけないので、ランチが入っていた鞄を置きに朝ホームルームをした教室に入ったが、すぐさま次の教室へ向かっていた。その後は5、6限目が、待っている。おそらくこの3日間で1番疲れたことだろう。                                    

全ての授業が終わると朝の教室に集まった。明日はSpanaway High Schoolに訪問があると確認し、連絡事項を手短に伝えると、急いで帰る支度をするように伝えられ、慌しく教室を出た。この教室では次のクラスで使うようだった。このように生徒達は慌ただしい一日を過ごした。                             

学校の外で、ホストファミリーの迎えを待つ生徒や、ホストシスターとバスで帰る生徒が帰ったのを見届けた。その後他の生徒達は2人のTCの車に乗り込み、ホストファミリーの家まで送ってもらっていた。                                                                                                                       
 

初めてのアメリカで、このように慌しく体験入学初日は行われたが、生徒達はホストファミリーに今日一日をどのように伝えるのだろうか。もしかしたらまだ3日しか経っていないが、ホストファリーとの時間がとても心地良いものと感じられる夜になるかもしれない。明日、生徒達の感想を詳しく聞いてみたいと思う。                                                                                                                

スパナウェイ レポート 3月25日(土)

天候は雨で気温も低い中、朝早く6時半宮崎空港に、3グループ集まった。spanawayを含めPort OrchardとOregonの児童や生徒達だ。週末という事もあり空港は混んでいた。チェックインをする時間が予定以上にかかってしまい、空港では自由時間が取れなかった。なんとかチェックインを済ませて荷物を預けると、バタバタした中、保護者への挨拶をしてセキュリティゲートを抜けた。その後、搭乗口へ向かい何とか飛行機に乗れた。


羽田空港に着くと、鹿児島から出発した生徒と合流し、初めての顔合わせとなる生徒同士が大半であったが、他のグループの生徒達の到着を待つ間、自己紹介をしたり、トイレに行ったり、お弁当を買ったりと、しばらく時間を過ごした。


成田空港まではバスで他のグループと混合で向かった。道は混んでいなかったので、余裕をもって到着。成田からは加治木高校とPort Orchardのグループと同行した。チェックインを済ませ、セキュリティゲート、出国手続きとスムーズに進んだ。搭乗口まで着くと一時間程自由時間を設けた。生徒達の様子を伺ってみると、時計を買わないといけなかったので買いましたという生徒がいたり、飲み物やお菓子を買って春休みの宿題をもくもくとやっている生徒がいたり、既に友達になって話に花を咲かせたりと様々だった。Spanawayのグループは鹿児島と宮崎の混合グループのため、改めてみんなで自己紹介をし、さよならパーティーのだしものについて話し合いをした。Spanawayでのスケジュールを話しながら、さよならパーティーの話をしたが、まだアメリカに到着していないのにと、さすがに実感がわかなかったようだ。機内での注意事項を説明したあと、生徒達はそれぞれに搭乗口付近で過ごしていた。半分以上の生徒達が宿題をひろげて黙々としていたが、長時間の移動や準備で前日はあまり寝れなかったようで、後半はほとんどの生徒がぐったりしていたり、寝たりして待ち時間を過ごしていた。国際線の飛行機の中では皆、注意事項を破ることなく、飛行機の中で大半を寝てすごしていたようだ。


サンフランシスコ空港に着くと、ほぼ全員が心配していた入国審査が待っていた。3人の生徒が何人で来たのかという質問に対して、戸惑っていたようだが、他の生徒達は滞在期間や旅行の目的を聞かれたくらいでスムーズに通過できたようだった。団体行動のため、どうしても集合に時間がかかったり、待ち時間がながくなってしまうので、移動が止まる度に生徒達はぐったりした顔になっていた。シアトル空港までは、Port Orchardとの2グループ行動と人数が少なくなったためか、集団行動に慣れたためか、生徒達の行動はきびきびしていた。話もしっかりきいてくれて、積極的に質問してくる生徒もいた。アメリカでの様子が楽しみである。


最後の飛行機だと生徒たちは喜んでいたが、それもつかの間だった。飛行機のカーゴピットのゴムのバンパーが壊れていたと機内に放送が入った。10分程で離陸できるとの案内があったのはよかったが、一向に出発する気配はなく、こちらは冷や冷やしたが、アメリカ人達はいつものことといった感じで動じている様子もなかった。ようやく出発かと思いながら放送を聞いていると、書類の作成待ちだったり、他の飛行機が出発準備にはいっているためもう少し待たないといけないという内容だったりと何度も放送があった。結果45分送れて出発することになった。なかなか出発しないし、日本時間はすでに夜中ということもあり、ほとんどの生徒が眠っていた。


シアトル空港では、荷物の受け取りに行く途中でTCのジェニファーが迎えにきてくれた。一時間近く遅れてしまったので、自己紹介も簡単に済ませ、荷物を受け取り生徒達皆バスに乗り込んだ。月曜日の朝一から中学校で授業に参加できるようにと、TCのはからいでバスの中での簡単なオリエンテーションがはじまった。ホストファミリーと接する際に気をつけることや、学校でのルールについて話していると、あっという間に受け入れ先の中学校につき、そこにホストファミリーは待ってくれていた。
飛行機の遅延のため急ぎなさいと言われ、生徒達はさぞかし十分な緊張を感じられなかったことだろう。バスケットボールのコートとカフェテリアを兼ね備えた場所でウェルカムパーティーは行われた。生徒達は空港で見かけるアメリカ人を見つめる様子と比較にならないまなざしでホストファミリー達を見つめていた。自分のホストファミリーは誰だろう、上手くコミュニケーション取れるかな、といった様々な思いでいたことだろう。生徒の名前とホストファミリーの名前を読み上げ初対面し、笑顔のホストファミリーに対して、笑顔で答える生徒が大半の中、顔が強張っている生徒も数名。それぞれの家族ごとで座って話をしたりクッキーを食べたりと時間を過ごして帰宅していった。アメリカに来て早々ホストファミリーだけとの時間を過ごす事になるが、月曜日は元気な顔で会える事を願っている。

Copyright © 2016 MinamiNihon Culture Center. All Rights Reserved. / ホーム 会社案内 お問い合わせ / MNCC 南日本カルチャーセンター Flash templated by Flash Okanasen