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カリ レポート 4月5日(火)

夕方6時にサンタローザの大きな公園に集合。僕の予定では、みんなが集合するのを出迎えて待つ間に、最後の週末をホストファミリーとどう過ごしたかを聞く予定だったが、ほとんどできなかった。なぜかというと、そこがホストファミリーとの最後の別れの場所になるので、ホストファミリーが全員そろってお別れ・お見送りに来ていたからだ。留学生は、まだ小学生だからか、日本の家族にもうすぐ会える、という期待があるからか、意外とあっけらかんとしているように見えた。どちらかというとホストファミリーの方が別れを惜しんでいるようで、ファミリーの一人ひとりが交互に両手で握手をしたり、抱擁をしたり、予想以上の賑わいで、僕が割り込んで留学生に話しかけられるような状態ではなかった。

バスが出発して、15分くらい走り、別の公園で中学生グループと合流した。こちらの方は、特に女子が号泣して、涙、涙のお別れシーンとなっていた。やはり、急成長を見せるこの時期の発達の差か、と思っていたが、バスが出発するとすぐに切りかえてみんなハイテンションのピクニック状態になっていたのは、また新鮮な驚きだった。ずっと涙ぐみっぱなしなのは僕だけで、少し気まずい。

空港に近づくと、セキュリティーは日本よりアメリカの方が厳しいため、搭乗手続きをスムーズにできるよう、福島さんから機内に持ち込めない、生ものやハサミなど、細かな説明があった。空港で集合写真を撮り、荷物を預ける前に再び荷物の確認。「セキュリティーゲートでは靴も上着も脱がされるよ。」という話をすると。「全部脱ぐんですか?」という質問が出て、みんなで笑った。飛行機の出発が夜中の1時15分。だから搭乗手続きも夜の10時30分からと、かなり遅い時刻で、セキュリティーチェックを受ける時間には、もう眠気を催している人もいた。確かに、アメリカ側のセキュリティーチェックは、9.11以降らしいが、かなり厳しかった。上着も靴も、ベルトも財布も(財布は小銭が金属探知機に引っかかる)、僕ら大人はコンピュータ機器も。分けて入れられ、それぞれチェックを受けなければならない。自分自身も、バンザイしてレントゲンのトンネルみたいなものを抜けてチェックを受けるため、夜遅い時間にもかかわらず、混雑してずいぶん時間がかかった。小学生が2人、保安検査に引っかかり、荷物をくまなくチェックされていた。どうやら2人とも、人に配るつもりで持ってきた5円玉の筒が引っかかり、不審に思われていたらしかった。

検査場をくぐり、搭乗口近くに荷物を置いて集合場所を決めると、1時間くらい自由時間ができたので、最後のショッピングタイムにした。もう買い物は慣れたかと思っていたが、金額を言われてから財布を探したり、大量の小銭をレジ周りにまき散らして、慌ててみんなで拾ったり。日本でも、今は近所の駄菓子屋もなくなり、あまり買い物をしないせいか、ドルでの買い物以前の失敗も意外に見受けられた。飛行機に乗り込む前の段階で、熱があり、気分が悪い子が3人いた。話を聞いてみると、3人ともそれぞれ、前日にホストファミリーとサンフランシスコに行っており、そこが冷え込んで寒かったため、風邪を引いてしまったようだった。最後の週末、家族で遠出して、寒い中で遊び、今日の出発のための心労も重なり、疲れが出たのだろう。

飛行機に乗り込み、席に落ち着くと、MNCCのスタッフから用紙が配られ、文集作りのための感想を書かなければいけなかった。ところが、出発したのが夜中の1時15分。みんな当然ぐったり状態で、離陸と同時に意識も飛んで(?)眠ってしまい、書けてない子が多かった。でもそれはもう当然で、無理して起こすわけにもいかず、目が覚めるまで待つしかなかった。気づくと、中学生は、背もたれにもたれてそのまま眠るのが多かったが、小学生は、前のテーブルを出してその上に乗りかかり、うつぶせに寝ている子が多かった。気流の関係らしく、行きは9時間だったフライトが帰りは11時間。離陸後、着陸前の2回、軽食が出たが、手を付けきれなかったり、残したりする児童が多かった。疲れと夜中の長時間のフライトであることと、時差も加わり、体が不調であるのも無理はない。鼻血を心配していた子が大丈夫だったこと、発熱している子たちが重症化しないで済んだことが幸いだった。

羽田空港に着くと、そこからは長崎、鹿児島、沖縄と、それぞれ地元に向かってのフライトになるので、全体としてはここが解散の場所になった。それぞれの飛行機の出発時間や搭乗場所が異なり、時間もあまりないため、ゆっくり別れを惜しむ時間もなかった。だが、小学生はホストファミリーとの別れにも淡々としていたし、中学生は「じゃあ、ラインで連絡ね。」などと話していたので、意外とそんなものなのかもしれない。

僕は、沖縄から来ているので、沖縄組を引き連れて那覇まで帰らなければならない。国際便の到着からまだ数分というにも関わらず、すぐに次のフライト手続きをして、ターミナルバスに乗り込むハードスケジュールだった。羽田から那覇まで、さらに2時間半のフライトだ。このグループの中の3人は、そこからまた石垣空港に向けて1時間のフライトもあった。

那覇空港に着くと、飛行機からターミナルに降りたすぐ横が、石垣行きの飛行機の搭乗口になっていたため、沖縄組もそこが解散場所になった。沖縄組全員で写真を撮り、石垣島へ向かう仲間と別れ、さらに到着口へと向かう。空港ロビーにつくと、残りの留学生の家族はもうみんな来ていて、11日ぶりの再会を今か今かと待ち望んでいた。今日は疲れているので、ゆっくり休んで貰うことや、できればお家に着いたら無事帰宅の連絡をホストファミリーに入れること、TCやMNCCのスタッフも含めて、お世話になった方たちにも、機会を見つけて暑中見舞いや年賀状を出すなど交流を続けて欲しい、という話をして、最終解散を行った。

最後に個人的な意見だが、11日間の「わんぱく留学」が終わっても、その本当の価値はすぐには分からないと思う。僕自身、高校生時代にMNCCを通して1年間留学した一人だが、帰国して後から、改めて自分と自分の家族や、国や地域の文化を振り返ることができ、その後の人生観も行動も、とにかく大きく変わったと思う。保護者も、帰国してすぐに子どもたちを見て、何かが変わったと認識できるかは分からないが、どの子もこの留学期間中に、一生物の宝物を手に入れたことは間違いないと思う。その宝物を大事に磨いていけるかどうか、宝物をどう生かすかは自分自身にかかっている、ということを認識して欲しい。

現地レポートはこれで終わりになります。未来の主役である留学生、その保護者、MNCCと現場スタッフ、ホストファミリー、学校や施設などで関わってくれたみなさんに心から感謝いたします。
ありがとうございました。

カリ レポート 4月1日(金)

今日がいよいよアメリカの学校で過ごす最後の日。5日間通った学校とも、今日でお別れかと思うと、あっという間だった様に思う。5日間といっても、午前中はグループ決めなどで遅れて入り、午後は校外へ施設見学や買い物などに出かけるため、ランチタイム前に教室を抜けることも多かったので、実際に、日本の5日間の学校に比べて参加時間もずいぶん短かったはずだ。今日は、30分ほどブックフェア(校内で行われる本の販売)に行って本を買い、残り時間はすべてさよならパーティーの会場準備と出し物の練習などに当てる予定だった。

ブックフェアは、英語の本ばかりであまり興味を示さないだろう、と思っていたが、日本でもおなじみの映画の本や、キャラクターの本、妖怪ウォッチの英語版の本など、いろいろな本があり、子どもたちも楽しそうに見ていた。レジでお金を払うときは、さすがにまだみんなぎこちなさそうだったが、英語で言われた値段を確認し、教えられた通り、札束を人前で広げない様にしながら一生懸命数える姿が印象的だった。日本と違って面白いと思ったのは、日本では買った商品をレジの人が「ありがとうございました。」と言って手渡すのが常識だが、手渡さずにレジの横に置きっぱなしで、お客さんのほうが手を伸ばして受け取ったりしていた。渡す場合も、目の前にポンッと投げて渡したりする。日本だったらクレームが来るだろうな、という渡し方だった。途中から別のクラスも入って来たこともあり、レジでお金を払うのに予想以上の時間がかかった。結局、1時間以上もの時間をブックフェアに使った。

さよならパーティーの準備と練習に少しでも時間を使いたいので、急いで会場の体育館に向かったが、そこでは体育の授業をしていて、中に入れなかった。仕方がないので、授業が終わるまで外で待機しながら、その間に飾り付け用の折り紙を折ったり、出し物の練習をしたり、ひとりずつお礼の言葉の練習をしたりして時間を過ごした。「11時になったら体育館が使える」と言われ、11時になったら「1時から使える」、1時になったら「3時からなら・・・」と、どんどん時間を引き延ばされ、結局3時過ぎになって初めて体育館が使えないことが分かり、あわててTCリサが動き回り、多目的広場のような場所を確保できた。いっそのこと、初めから体育館が使えないことがわかっていれば、この会場でゆっくり飾り付けや出し物の練習ができたのに、と悔しかった。

3時から4時の間にホストファミリーのお迎えがあり、いったんみんな家に帰ってから、夕方、ホストファミリーとパーティー会場に出直すことになっていた。仕方が無いので、残ったスタッフと数名の留学生だけで会場作りを行った。会場のテーブルを用意したり、体育館で使えるはずだったピアノが無いので、代用のキーボードをセットしたり、ぱたぱたと動いている間に校長先生が来て、僕らに何度も「連絡に行き違いがあり、体育館が使えず申し訳ない。」と謝り、会場作りにも手を貸してくれた。校長自ら謝られ、作業までしてもらってはもう怒るわけにもいかず、とにかく急いで、できるメンバーで「準備あるのみ」だった。校長を含む学校のスタッフ4、5名と、僕を含むMNCCの関係者、パーティーのために駆けつけてくれたボランティア数名、それとホストファミリーの都合で学校に残った留学生数名でどうにか会場作りが間に合い、予定の6時をちょっとまわってから、ようやくパーティーが始まった。

出番があるため留学生から先に食事をとり、参加者全員がひと通り食べ物を取り、程なくしていよいよパフォーマンスが始まった。パフォーマンス時の司会は、なるべく留学生の出番を増やそう、と数時間前に、1番英語の上手なリリさんに頼んだが、急遽決めたにもかかわらず、とても上手に司会進行をしてくれた。初めは、前座代わりに僕と誠さんで「なべなべそこぬけ」。昔の子ども遊びと称して、初めに僕ら2人が見本を見せ、その後に「実はこれ、もっと大勢でもできるんです。」と言って会場にいるホストファミリーの子どもたちを前に集め、10名くらいでひとつの円になってもう一度行った。僕と誠さんで騒いで無理やり盛り上げた感もあったが、どうにか無事終わり、次からいよいよ留学生たちの出番。

先陣を切ったのはリュウセイさんのマジック。トランプマジックで少し見えづらくはあったけど、見学者が身を乗り出して一生懸命見てくれ、終わるときは大きな拍手が起こった。次はサラさんとイロハさんの縄とび。2人でそれぞれ前とび、交互に二重とびやあやとび、それから2人でひとつの縄を使って飛ぶなど、見せ方に工夫があり、技のひとつひとつが終わるごとに拍手が起こった。ワカさん、ナツコさん、チハルさん、モトイさんはそれぞれ鍵盤ハーモニカやタンバリンを持ち「上を向いて歩こう」の合唱奏。途中から歌が入ったり、ナツコさんがキーボードと鍵盤ハーモニカを同時に引いたり、これも工夫がいっぱいあって、見ごたえ、聴きごたえがあった。タイキさんは体操で、側方倒立回転や倒立前転。ハンドスプリングが決まったときは会場から感嘆の声が上がった。次はマキさんの習字。白紙をみんなに見せ、それにサラサラと筆で文字を書いていく。「なんと書くでしょうか?」などと言っている間に紙を持ち上げ、見ると「アメリカ」と書いてあり、みんなで拍手。アカリさんはアコースティックギターの演奏。昼間の練習中、弦が切れるアクシデントがあり、練習もままならなかったが、見事に弾きこなした。

その後は、僕が一番心配だったタクミさんの空手。実は昼の練習のとき、あまり真剣でない練習態度を注意すると、泣き出して逃げてしまっていた。しばらくしてから呼び出して、「今できる1番いいものを見せなさい。」、「舞台で恥ずかしい思いをするより、今のうちにその部分をしっかり練習して、舞台で自信を持ってできるようにしなさい。」といった話をすると、ひとつずつ頷きながら聞いてくれて、その後何度も練習をし直していた。本番は、真剣なまなざしで、最後まで堂々と演技し、大きな拍手をもらった。今思い出しても涙が出る。僕にとって今日の1番のヒーローだった。少なくとも、努力による成功に自信をつけ、大きく成長したことは間違いない。

ルナさんはそろばんを披露した。僕が3桁までの数字を7、8個言って、計算機を持ったお客さんと競争してもらったが、計算機があまりにも遅くて比較にならないほどだった。ハルセさん、トモテルさんは「ラジオ体操」。少し自信が無い部分があったので、誠さんが横に立ち、他の留学生全員が後ろに並び、僕がキーボードで伴奏して全員で行った。途中途中の失敗や不揃いがいい感じで笑いを誘い、意外な盛り上がりを見せた。カリンさんはめずらしい「りんごの皮むき」のパフォーマンス。みんなの前でりんごのウサギと皮をむいてチェック模様を作ると、これも予想以上に受けていた。コウキさんは空手の披露2人目。大きな声を出して技を決めると会場の子どもたちが目を光らせて見ていた。次は、ヨウコさんのバレエ。足を180度開脚したり、Y字バランスやブリッジ回転など、バレエのターンを決めたときは、目の前にいた女性が「ワーオ!」と声を上げた。ハルキさん、ハヤトさん、ケイシロウさん、リリさんはまとめてみんなで昔遊びの紹介。いろんな遊びを同時に行うため、竹とんぼが変なところへ飛んだり、風船を膨らませて「プーアー」って変な音を出したり、お手玉、けん玉がぶつかったり、爆笑だった。その後、みんなで紙ふうせんで遊んで名誉挽回(?)。おもしろかった。コウタさんは空手第3弾。空手着を着て登場すると、僕の近くにいた子どもが「ブラックベルト(黒帯)」とつぶやき、それだけで羨望の的だった。演技はもちろん◎。貫禄のある演技だった。締めはサツキさんの沖縄のエイサー。地域のグループで日常から活動しているだけあって、素人離れの素晴らしい演技。沖縄出身の僕は血が騒いで、思わず指笛と掛け声で、横から応援の合いの手を入れた。

もともとはプログラム10個くらいを予定していたが、ご覧の通りの長丁場。全員舞台に登場させたかったのと、一人ひとりの一番いいところを見せるために、自分たちで考えさせたりしたため、プログラムがいっぱいになってしまった。それでも、内容的に充実していたことで、全然見飽きないし、事前の確認がうまくいって進行がとてもスムーズだったので、時間的には予想の半分くらいで終わった。みんなのいい所を披露できて、会場も大いに盛り上がり、時間も短い、いいこと尽くしの素晴らしいパフォーマンスだった。

パーティーのメインプログラムが済むと、次は子どもたち一人ひとりからお礼の言葉。これも、代表ではなく一人ひとりの感謝をしっかり伝えてもらうために決めた内容だった。なるべく英語で発表するように、事前に指導してはいたが、やはり心配だった。でも、誠さんの事前指導の素晴らしさもあり、自分の名前とホストファミリー全員の名前と、感想・感謝の言葉をしっかり言えた。僕と誠さんも、同様のスピーチをして、TCリサから全員にディプロマ(修了証書)の授与。一人ひとり名前を読み上げ、抱擁し、涙と笑いと感動の授与だった。最後にTCナザニエルとリサと、地域奏責任者のスズから最高のお褒めの言葉を頂き、「大成功」でパーティーは無事終了。みんなを集めて、土日はホストファミリーと楽しく過ごし、感謝をしっかり伝えること、健康・安全に細心の注意を払うことなどを確認して、8時半には解散できた。

明後日の日曜日の夕方、集合して帰路に着くが、週末はそれぞれホストファミリーと過ごすので、アメリカでの現地活動はこれで終わりになる。振り返ると本当にあっという間だった。子どもたちは、明らかに成長した。初めのうちは、相手の気持ちを考えずに悪口や不平・不満ばかり口にする子もいた。ホームシックでスタッフを悩ませた子もいた。ホストファミリーの急な都合でホスト変更になり、動揺した子もいた。仲間作りがうまくできない子、説明を聞けずに何度も質問に来る子、いろんなアクシデントもあったが、そのどれもが大きく改善し、誰一人事件・事故にあわずに、ここまで来ることができた。とてもありがたいことだ。3日(日)の夕方、集合して空港へ向かい、東京、そしてそれぞれの地域へと帰っていく。学校では「遠足はお家に帰るまでが遠足です。」が常套句だ。わんぱく留学も、無事に家族と再会し、なつかしの(?)我が家へ帰るまで、健康と安全に細心の注意で終わりたい。

カリ レポート 3月31日(木)

早いもので、今日でもう6日目。月から水曜日までの経験で、もう学校に入るのは子どもたちの中にだいぶ抵抗も無くなっているので、今日は特に午前中は落ち着いて過ごせるのでは、と期待している。学校へ向かう車の中で、TCリサはずっと「さよならパーティー」の話をしていた。会場の手配、料理の手配、参加者の数の確認や出し物用にみんなが頼んだ道具や楽器の手配など、頭の中がさよならパーティーでいっぱいなのがよく分かった。話を聞いているうちに、僕らの準備・練習が間に合い、本番が成功するのかどんどん心配になってきた。

学校に着くのがいつもより遅くなったので、僕が着いたときはもう7、8名くらいの児童が集っていた。一通り出席を確認したら、みんなの集まりを待つ合間に、気になっているパーティーの出し物の確認を進めた。昨日と演目を変更したり、合体したり、昨日とはまた結構変わった内容になっていた。それでもやはり、子どもたちがしっかり考えた上でのことなので、できるだけ尊重できるようにしながら、プログラムをまとめていった。タクミさんとリュウセイさんは、ホストマザーが高校の先生で、そこを見学に行くから、と昨日は学校をお休みしたので、2名のクラス配置を決めたら、あとはみんな昨日とほぼ同じ教室に入り、授業を受けた。

僕らが最初に訪問したのは、昨日からリサと誠さんがイチオシしている唯一2階にある教室だ。他の教室は日本の小学校同様に、学級担任の先生がほぼ全教科を教えるが、この教室は先生が固定しているが、毎時間異なる児童が来て授業を受けている。教科はリサやナザニエルに聞いてもはっきりしないが、どうやら日本で言う「生活科や総合的な学習」の専科の教室、と考えたら一番近そうだった。僕らが中へ入ると、5、6人のグループに分かれて留学生が、5年生クラスに日本の文化を教える、という授業を始めていた。まず折り紙でいくつかの作品を作り、それをグループのみんなに教える。タクミさんがとても器用にすばやく作品を作るので、横にいる男子が「Cool!!(かっこいい)」を連発していた。ケイシロウさんが、黄色い折り紙でカブトとバナナを作って男の子にあげたら、とても気に入ってカブトをかぶってバナナを刀代わりにしてずっと見えない敵と戦っていたので、誠さんと僕は一緒に大爆笑だった。程なくして今度は先生が、全員に紙を配るから、グループみんなそれぞれの名前を留学生に日本語で書いてもらう、ということになった。そこで、サツキさんが筆ペンを用意していて、筆ペンで文字を書いてあげる、というのがうれしくて、グループのみんなが盛り上がっていた。漢字でも書いてあげようとしたが、ガブリエルとかエリザベスとか、スペイン系の聞いたこともない様な名前が出てきたりで、とても苦労していた。

コウキさん、リリさんの参加しているクラスでは、世界地図を使ってアメリカと日本の場所の説明をしていた。リリさんが中心になって英語で説明していたが、北海道、九州、四国などを上手に紹介できていたのでおもしろかった。「趣味は何ですか」と聞かれてコウキさんが「空手です」と言ったら「ワーッ!」と歓声が上がったので、急遽、空手の型をひとつ披露することになった。一礼してから「ピョンヤン(平安)2段!」と大声で言ったかと思うと、黙々と、拳や蹴りを繰り出した。終わった後は大喝采で、教室の空気の大きな変化がおもしろかった。

マキさん、ヨウコさん、カリンさんは幼稚園のクラスに入っていたが、「今日でもう授業は終わりです。」と先生が告げると、ちびっ子たちは涙目になり、前に出てきて、みんなでハグをしだした。留学生がいかにみんなに親しまれていたかがよくわかり、また別れを惜しむ子どもたちがかわいくもあり、見ていて微笑ましかった。

リセス(休憩時間)には、外でコウキさんがバスケットグループに加わり、ヒーローになっていた。運動ができる人は、ただ走っているだけでもかっこいいと思うが、バスケは特に、ドリブルやシュートのポーズがかっこいい。ひとつのゴール前で二つのチームに分かれてフリースロー大会みたいになっていたが、コウキさんがシュートを決めるたびに大きな歓声が上がった。

午前中の授業が終わると、ランチを食べて、フードバンクに向かった。昨日、一昨日と違って場所が遠いので、今日は車で移動。ホストファミリーのお父さんたちが手分けして配送役をかってくれ、安心してみんなで移動ができた。現地に着くと、まず係の人がみんなを集めて、仕事内容や、作業の様子を話してくれた。フードバンクとは、地域のスーパーや食品店が、売れ残った食べ物や賞味期限は切れているが、まだ食べられる食料を持ち寄って、それを貧しい人や、食料を手に入れることのできない人たちに配る、という作業をしているところだった。小さな建物を想像していたら、とても大きなビルで、コンテナがいくつも並んで搬入・搬出ができる用になっていたので、びっくりだった。作業員は、多くが地域からのボランティアなのだそうだ。施設の中を簡単に見学してから、食料の袋詰めを手伝う作業体験に行った。

僕は個人的にアフリカのスラム地区で、ネグレクト(育児放棄)されたり、エイズなどで親を失った子どもたちの学校で1ヶ月間ボランティアをしたことがあり、飢餓に苦しむ人を見てきた経験があるので、学校では食育にとても力を入れている。説明してくれた係の人が別の担当者を呼びにいっている間に、みんなを集めて5分くらい話をした。食料は、人々に決して平等に配分されていないこと、アメリカでは平等に分配できるように協力・努力している人がたくさんいること等を話した。また、フランスでは、数ヶ月前に、食料品を扱うお店は食料を捨ててはいけない法律ができた。「日本では?」と聞くと、みんなの答えは「NO」。WHO(世界食料機構)が飢餓に苦しむ人に年間約1000万トンの食料を供給している。それに対して日本では、コンビニやデパートでは、おにぎりや弁当だけで年間1300万トンを捨てている。今日の活動の中から、何かを学び、持ち帰って欲しい、という話をした。いつもは僕が話していても聞いているのか聞いていないのかよく分からない男子までもがシーンとして、しっかり話を聞いてくれた。
 
係の人が来ると、いよいよ食料品の袋詰め作業を体験した。二手に分かれての作業だが、僕は食料ネットに野菜を入れる側の担当グループについた。レタス、ジャガイモ、オレンジを順にネットに入れていき、最後にネットの口を縛って大きな箱に入れる。やってみると、入れる物の順序と置かれている物の順番が合わないことや、レタスが傷つきやすいことや、ひとりで全部の工程をやると作業が遅いことなどがわかってきた。そこで作戦タイム。置かれている物の順序を並べ替えたり、オレンジ係や袋結び係など、自分たちで作業を分担しだした。ここではリリさんとナツコさんがすばらしいリーダーシップを見せた。力のある男子の位置、結ばれているネットの結びをほどく人、最後に縛る人など、上手に担当を決めた。働きながら「こんな人のためになることを仕事にできたらいいね」「今日はいっぱい働いたから、きっと夕食がおいしいね」など、素敵なつぶやきがたくさん聞こえてきた。ずっと早回しで全体が動いているので「少し休憩しよう。」と何度も呼びかけたが、なかなかみんな応じようとしなかった。途中で見に来た係の人がテキパキと動く子どもたちを、目を見張るようにして驚いて見ているのが面白く、また嬉しかった。

作業が終わると、リサと係の人から最大のお褒めの言葉を頂いた。こんなに一生懸命働く子どもは見たことがない、ということだった。ここでまた僕が前に立つのは少ししつこいが、「みんなの働きが、人の命を救ったり、喜びを与えたりするんだよ。」「働く喜びの声がたくさん聞こえたことが嬉しい。」「この喜びを、自慢するのではなくて、同じ喜びを味わえる人が増えるような活動を今後考えて欲しい。」といった旨のことを話した。今日は子どもたちにとって英語や異文化交流以外のなにかを学ぶいい機会になってくれたらいいと思う。すがすがしい顔でみんなの作業が終わり、今日の日程は終了。帰りもまた、ホストの協力を得て学校に帰り、明日はいよいよお別れパーティーなので、準備をしっかりしてくるよう伝え、解散した。

明日は授業もほとんど受けず、学校であるブックフェア(本の販売)を見た後はさよならパーティーの準備でほぼ1日を使う予定だ。夜の本番に向けて、うまく休養をとりながら飾り付けや練習を行い、パーティーを成功させたい。

カリ レポート 3月30日(水)

昨日も寒かったが、今日はさらに寒さが増した気がする。朝、家を出るとすごい霧で、見通しが悪かった。フリーウェイで車の中から見る外の景色は、霧の中のブドウ畑だった。ここがワインの名産地なのは、日較差が大きくて気候が安定しているからなのだそうだ。後で聞いた話では、山から湿った空気が下りてきて、実際の気温は昨日の方が高いが、霧が出るほどの湿度のために肌がぬれて体感温度が下がるのだそうだ。

7時30分に学校に着くと、今日はもう5~6人の児童が登校していた。「Good morning」と英語で呼びかけると「Good morning」と英語で返ってきた。少し後で気づいたが、意外ともう英語を理解していて、こちらが英語で呼びかけると英語で帰ってくるようだ。ただ本人たちも無自覚なので、僕らがそばにいるときに誰かが話しかけてくると、僕らの方を向いて通訳を求める。気づかないフリをしていると結構自分たちでどうにか話していたりするようだ。見守りはするが干渉はしない、適度な距離感のようなものがあることを発見した。

全員そろうのを待つ間に、数名ずつ呼び出して金曜日のさよならパーティーの内容の打ち合わせを行った。数名、自分たちで内容を決め、すでに決定している人もいた。

全員がそろうと、早速教室へ向かう。基本は昨日と同じ教室に行くが、数名、クラスの都合で入れなくなったところや、仲良しの日本人を意図して離したいなど、運営上の理由で少し組み換えなどを行った。教室に入れるためにみんなを引き連れて歩いていると、体育で外に出ているクラスの子どもたちが僕らを見つけて大声で手を振って合図をしてくれたり、教室に入った途端、児童が留学生の名前を呼んで、今日も来てくれたと喜んでいる姿が見られたり、しっかり仲間づくりが進んできている事が伺えた。サツキさん、ナツコさん、サラさん、ケイシロウさんの入ったクラスでは、ちょうど文化交流の授業を行っていて、留学生が席に座るときには、みんなが自分のそばに座ってもらおうと「こっちに来て」コールで大騒ぎ。留学生人気が高いことに照れ笑いだった。コウタさん、タイキさん、ハヤトさんの入ったクラスを覗いたときは、文化交流をする準備中だったが、「みんなに折り紙をプレゼントして、折り方講習会を開きたい。」と3人が一生懸命カブトややっこだこなどを作っているところだった。アメリカの教室にはとても珍しく、この教室には30人もいるので作るのが大変そうで、それでもいい作品を作ろうとあせりながらも丁寧にやる姿が頼もしかった。

今日はピザの振舞いがあるからと、弁当を持たずに登校しているので、お昼をそこで食べられるようにと、11時半には学校を出発し、午後に警察署などの見学に向かった。初めに着いたのは「ビジターセンター」。現地の観光案内所のようなところで、たくさんの観光案内のパンフレットが置いてあった。パンフレットを見て「もうここに行ったよ。」「ここ知ってる。」などの声が聞こえた。ここウィンザーの町はスヌーピーでおなじみのチャールズ・シュルツ生誕の地、ということで記念館があり、そのパンフレットがかわいいと1番人気だった。

グリーンセントラル公園に着くと、芝生の上で休憩。TCリサの話から、ピザ屋さんに行くものだと思っていたが、そこにもう一人のTCラザニエルが、でっかいピザを8箱も持って現れ、みんなで盛り上がった。ピザを配るとき、リサが一人ひとり「May I have pizza?」と言うこと、渡されたら受け取るときには「Thank you」を言うことをしっかり確認していた。思ったよりピザが大きく、少し辛くもあったので、リサは「こんなに買っちゃって、失敗した。」と言って苦笑いしていたが、うれしいことに全部しっかり無くなった。
 
ピザの次は警察署とウィンザー庭園の見学の予定だったが、時間が無くてあせっていると、ウィンザー庭園の前まで来たときに、ちょうど警察官が通りかかり、その警察官と記念撮影を行い、庭園のフェンス越しにリサが、ここの花や野菜の種類、市民がみんなで協力して管理していること、などを伝え、後は日程時間調整のために内容を少し(かなり?)割愛することにした。後で聞いたら写真を撮った警察官は、何とウィンザー警察署の所長さんで、時間が無いとリサが電話で相談したら、わざわざ出向いてきてくれたということだった。すぐ近くに、チャールズ・シュルツに由来してスヌーピーのカラフルな像が建っているので、そこでみんなで撮影会をした。

最後はキャンディーショップでお買い物。みんなで買い物ができるのはここだけなので、買えるだけのお土産を買ってもいいということにして、たっぷり買い物の時間にした。キャンディー、おかしだらけの結構広いお店なので、みんなめずらしがって買い物を忘れて写真ばっかり撮るので、思い切って買い物をやめ、写真撮影の時間を先にしてからお買い物、ということにした。その後はもうお迎えの時間で、すぐそばの公園で遊びながら、お迎えが来るのを待ち、解散とした。

みんなが遊んでいるのを見ながら、リサに「今日のレポートに書くトピックになるようなエピソードがなかったか?」と聞くと、「みんなが健康・安全にここまでちゃんと来れたことが1番のニュースだよ。」と言ったので、さすが、いつもたくさんの子どもたちの世話をしているリサの人柄が分かる言葉だと感心した。そして「子どもたちは確実に仲間を増やして来ていること」「集団行動がずいぶんスムーズになってきていること」「May I ~が使えるようになり、マナーもよくなってきたこと」など、言葉遣いや態度に見える変化をたくさん褒めてくれた。当たり前に見えて気づきにくいことや、何気ないしぐさの変化など、しっかり観察して変化や成長を見守るリサの言葉のひとつひとつに重みがあり、感動した。

学校生活は、木曜日、金曜日と、後2日あるが、金曜日はさよならパーティーの準備などでほぼ1日使うので、学校生活は明日でほぼ終えることになる。残りの1日1日を大切に過ごしながら、一生の宝物になるであろうこの留学期間を満喫したい。

カリ レポート 3月29日(火)

今朝は昨日より寒かった。僕がステイしているお家から、TCのリサのお家まで歩いたが、途中ほとんどの家の屋根が凍って白くなっている。道に駐車されている車も、よく見るとボンネットや屋根などが凍ってうっすら氷が張っていた。正確な気温はわからないが、雪は振らないところを見ると気温は5度前後か。あるいはもっと寒いけど、快晴なので雪が降らないのかもしれない。

学校は、始まって2日目だが、昨日は1日だけ「ローズランド小学校」で過ごし、今日から「カリカルメックランゲージアカデミー」と、学校が変わるので、やはり緊張する。カリカルメックはウィンザーという町にあり、ホストファミリーの多くが住む地域なので、ほとんどの子どもにとって、ここは昨日より通いやすいはずだ。 リサの車に乗って、7時半ごろ学校に着いたが、早くももうコウタさんとハヤトさんの2人が来ていて、僕らを待っていた。話を聞くと、コウタさんはホストブラザーも一緒に車に乗って来たが、彼の学校が早いので、その都合で6時には学校に来て車の中でしばらく待っていたのだそうだ。 程なくして、昨日はホストファミリーと過ごし、学校をお休みした人たちも登校してきた。このメンバーにとっては今日がアメリカ初の学校日になる。まずは週末から月曜日にかけて、何をしていたか聞いてみる。アカリさんとルナさんは大きな公園に行って遊んだそうだ。ルナさんとヨウコさんはエッグハンティングをしたり海に行ったり、ショッピングにも行ったそうだ。トモテルさん、ナツコさんはサンフランシスコに行ってゴールデンゲートブリッジを見たとの事。みんなそれぞれ充実している様子が伺えた。

およそ半分の児童が登校した頃、目の前にスクールバスが止まり、バラバラと子どもたちが降りてきた。黄色の大きなバスで、行き先表示のところには大きな文字で、その名も「SCHOOL BUS」。僕にすればそのままなんだが、留学生からはワーッという声が上がった。そのいかにもスクールバスというところが面白いらしい。そこで運転手さんにお願いして少し長く停車してもらい、バスの前で集合写真を取った。バスだけでも大騒ぎなのに、少しすると今度はちょうどバスの後ろ奥から(位置的にそう見えた)静かに熱気球が飛んできた。さすがにこれには僕もリサも驚いた。子どもたちは必死になって写真を撮っている。すぐ近くを本物の熱気球が飛ぶなんて、僕らでもなかなか見ない光景だ。「気球登校の人がいるのかな。」そんな呟きがあちこちで起こる。上空を通過して、数ブロック先に着陸するようだった。

全員がそろった所で校内に移動し、リサが事務手続きに行っている間に、丁度いい隙間時間ができたので、さよならパーティーの話をした。僕が心配なのはみんなの出し物の内容決めだ。昨日も少し投げかけておいたので、子どもたちの方が自分の参加イメージみたいなものを持っているらしく、意外にもいろいろな演目が上がってきた。今日から具体的にできる内容を出して、演目が偏らないように割り振りしていくことになっている。空手ができるのが3人。リコーダーや鍵盤ハーモニカを用意してきている子も数人。ハンドスプリングを見せたい子。りんごを剥くのが得意だから、みんなの前でりんごのウサギを作りたい、という面白い案も出た。楽しみがなくなるので全部はここで書かないが、子どもたちなりにいろいろ相談して名案・珍案をいろいろ出しあい、考えてくれている事がうれしかった。企画者としては不安も大きいが、どうやらみんなが自分のこととして考えてくれていることに助けられそうだ。

いいタイミングでリサが校長先生を連れてきたので、みんなで校長先生に挨拶をしてから、昨日の要領でグループを分け、いくつかのクラスに振り分けていった。今日は僕ら引率者も、昨日の経験などから判断できるし、子どもたちも入り方の予測ができるので、移動やクラスに入るのも手際がよかった。昨日お休みした人はリーダーと一緒に組んだり、英語の苦手な人は得意な人と組んだり、という配慮も昨日よりうまくできた。学校は、昨日までイースターブレイクでしばらく休みが続いていたらしく、教室では先生方がアメリカの子どもたちを集中させるのに必死になっている感じだった。それでも日本の子どもたちは、主に低学年のアメリカ人児童たちに混じって一生懸命参加していた。

教室に入るのが少し遅かったので、みんなが教室に入って間もなく、リセスと呼ばれる午前中の休憩時間になった。日本の感覚で言うと、2時間目終了後の少し長い休み時間のようなもので、子どもたちは気分転換に教室を出て外を走り回る。まだ教室に入ったばかりで友だちなんてできないだろうと思ったら、昨日でもう要領を得たのか、オニごっこをしたり、長縄を回してみんなに飛び方を教えていたり、意外なほど馴染んで遊んでいた。 

リセス終了のベルがなると教室に戻り、子どもたちは再び授業に参加。スペイン語の単語学習と、その挿し絵の塗り絵をしているクラスが多かった。この学校はスペイン人とアメリカ人がほぼ半々で、授業はスペイン語が中心になるらしい。個人的には英語もネイティブのものより、英語を母語としない人との方がお互いしゃべれないことを理解しあって話すので、分かりやすいと思う。カリンさん、マキさん、アカリさんの入ったクラスでは、日本語に聞こえるスペイン語を見つけて楽しみながら学習したようで、ランチタイムになってもずっと「牛はバカ、家はスシ」などと言って盛り上がっていた。

午前中の後半とランチタイムに、僕は日記のチェックを行った。昨日は忘れた人が多くて3人しか出さなかったので、帰り際に声賭けをしたら今日は10人が出してくれた。以下は日記からの抜粋。

ナツコさん(月)
「サンフランシスコでゴールデンゲートブリッジやミュージアム、アザラシも見た。すごくくねくねしている坂道を車で通った。すごく疲れたけど楽しい1日だった。」

アカリさん(月)
「公園に行ってオニごっこをした。アヒルにパンをあげていたら子どものアヒルがきて、かわいかった。」

トモテルさん(月)
「家族みんなが優しくしてくれて、身振り・手振りでやさしく話してくれ、楽しかった。ランチやゲームセンターで初めてお金を使った。なれればかんたんだった。」

マキさん(日)
「車に乗ったとき、ブジエがニコッとしてくれて、うれしかった。1日目は家族とのかかわりもあまりはずまなかったが、英語への第1歩を踏み出せた。」
マキさん(月)
「世界地図、アメリカ地図を見た。日本を中心に見た地図とぜんぜん違っていた。アメリカの子どもたちと一緒に遊べてよかった。2年生としたサッカーも、1年生としたオニごっこも楽しかった。」

チハルさん(月)
「(学校で)ビックリしたことは、部屋です。日本のと比べてとてもハデでした。カベは黄色だったり、赤だったり。頭がこんがらがりそうでした。」

今日は午後の消防署見学への時間の都合で、午前の授業が終わり次第、急いで集って昼食を食べて、身支度をしてすぐに出発をした。徒歩で約30分かけての移動。ここは朝晩の気温差が大きいため、お昼には20度を越える暑さになり、歩き出すとすぐに汗ばんだが、見慣れない町並みを見ながら歩くのはとても新鮮だった。通り沿いの家の花壇にある色とりどりの花や、黄色い横断歩道や、十字路を斜めに横切る線路などを見ながらみんな楽しそうに歩いていた。

消防署に着くと、リサが消防士と打ち合わせをしている合間に、正面で記念撮影。中に入ると、屈強でかっこいい「GIジョー」のような(子どもは誰も分からなかった)3名の消防士が迎えてくれ、仕事の様子を説明したあと、子どもたちの質問タイム。「1番怖かった経験は?」「もし今、火事の知らせが入ったらどうしますか?」など、真剣ながらも子どもらしい質問をたくさんだし、消防士さんはひとつひとつ丁寧に答えてくれた。建物の中の案内では、消防車の置いてあるガレージの見学がいちばん盛り上がった。消防車の前で記念写真、横で記念写真。子どもたちが興味を持ち、盛り上がる様子を見て、当初の予定よりたくさん時間をとり、消防車の中まで見せてくれたり、大きなサイレンを鳴らしてくれたりで、楽しみながら見学できた。

お迎えの時間が近いので、消防署前で明日の連絡を済ませ、学校に着いたらすぐに解散できるようにした。帰り道はさすがに疲れも見えたが、それでもみんなおしゃべりをしながら移動時間も楽しんでいるようだった。学校に着くとそのまま駐車場でお迎えを待ち、ホストの迎えの確認ができ次第下校。リサとイザベルが名簿を持ち、みんなが安全・確実に帰れるように確認してくれている。明日の午前中は今日と同じように授業を受け、午後は歩いてウィンザーの街探検。ショッピングもするのでお土産を買うなど「市場調査・経済活動」も行える。たくさん歩くので水を多めに持ってくることや、しっかり休んでおくことを確認して、解散した。

カリ レポート 3月28日(月)

3月28日(月)の朝を迎えた。いよいよ今日は現地での学校生活が始まる日だ。
朝7時半、正確ではないが、大雑把に言うと気温が12度、湿度50%、微風。空は快晴で雲ひとつ無い。まさに「カリフォルニア晴れ」の素晴らしい天気だ。空が蒼い。肌寒いが、身がピリッと引き締まって、気持ちがいい。僕の登校は、近所に住むTCのリサの家までホストファザーと歩いて行き、そこからリサに車で送ってもらいながら、一緒に学校へ向かうことになっている。ホストファミリーとリサの家に行くと、いつもハイテンションでファンキーなリサが大声で挨拶してくる。

7時半に学校に着いた。早速、みんなに週末のインタビューをしてみた。「どこか知らないけど、大きなお店でショッピングをした後、サッカーをした。」その後、続々と家族と登校してくるみんなに週末のインタビュー。モトイさんとタイキさんはテーマパークのような大きな遊園地で1日中遊んだ。コウタさんとハルキさんは海に行った。寒かったけど、アメリカ西海岸の海は、サーファーが喜ぶ波が高くて映画のような美しいビーチだ。マキさんは手作りの紙ふうせんで家族と遊んだ後、公園に行って走り回って遊んだらしい。
イースターには、イースターラビットが庭に隠した色付きのタマゴを、子どもたちみんなで探す、という「エッグハンティング」と呼ばれる家族のイベントがある。ちょうど昨日がその日なのでイロハさん、チハルさん、サツキさんは家でそのエッグハンティングをしたそうだ。その後は、ほぼ同時にワーッとやってきたので聞けなかったが、その後の話から、エッグハンティングをした子は結構いたらしい。
サツキさんと挨拶をした後、ホストファザーがニコニコしながら僕の所に来て「夕べは彼女が夕食を作ってくれたんだ。」と話してくれた。「何を作ったの?」「ニンジンシリシリー。(沖縄の人ならここ笑うところ)」ホストステューデントの鑑だ。

ローズランド小学校の朝は朝礼で始まる。全校児童が集って朝礼をするのだが、その場で校長先生がわんぱく留学生を前に並ばせて「日本からお客さんが来てくれています。」とみんなに紹介してくれた。ドキドキしながら前に並んだ割には、内心あっけない紹介だと感じたが、その後各教室に入るとき、どのクラスの先生も児童も大歓迎してくれたのは、校長先生の理解・運営とTCの事前の手配が行き届いているからだと感じた。

午前中は、幼稚園か1・2年生の教室に、ひとクラスに2人か3人ずつ入って授業を受けることになった。なるべく日本の6年生が2年生クラスに、5年生が1年生クラスに、というふうに年令に合わせてクラスを配置した。授業が始まると、低学年であり、お客さんがいて、児童たちもメキシコ系の子が多く、英語がまだうまくないこともあり、絵と文字を合わせてぬり絵をしたり、音楽や体育をしたり、コンピュータ、タブレットを使って算数をしたりという「お楽しみ授業」が多かった。
授業中、TCリサと誠さん、TCナザニエルと僕のふた手に分かれて教室を廻り、日本人への質問タイムを設けてもらった。そこで感心したのは、留学生の英語力の高さだった。リリの英語が堪能なのは知っていたが、意外なほどみんな上手に受け答えをしていた。
「好きなスポーツは?」「サッカー。」ではなくて、「私の好きなスポーツはサッカーです。」などと、上手に返すので、英語を学ぶ低学年児童のお手本として、先生が上手に引き出していた。カリンさんが「ピアノがすきでOver the rainbowが弾けます。」と言ったときは羨望のため息が出ていた。タクミさんは「犬が好き」、リリさんは「アメリカで面白いのは信号機のランプが縦に並んでいる」ハルセさんは「ミニオンズが好き」、マキさんは「焼きそば」ハヤトさんは「おもちゃは持ってないけど、つり道具は持っている」など、どのクラスも聞いているみんなが興味を持って次々に質問をして、盛り上がっていた。

午前中の休み時間。子どもたちは外へ出ておのおの好きな遊びを楽しんでいる。教室のすぐ前にバスケットコートやサッカー、ドッヂボールコート、遊具などがたくさんあって、みんな走っているが、留学生は固まって棒立ちになりがちだった。遊具の広場で集っていた女子軍団に「一緒に鬼ごっこにでも誘ったら。」と促してみた。「誘い方が分からない。」と言うので、「ポンって触って、ワーって逃げたら、追いかけてくるんじゃない?」って、アドバイス。先陣を切って挑戦したのがワカさん。1年生くらいの子をポンって触ってワーって逃げて、振り返ったらキョトンとしている。これを見てみんな爆笑。何回か挑戦したけどうまくいかず、ついに数名の女子で「オニ役」「逃げ役」を作り、デモンストレーション。「ファースト、じゃんけん、タッチ、ラン」みたいなことを身振り・手振りで伝え、一生懸命だった。少しその場を離れて、次に戻ってきたときはみんなでギャーギャー言いながら、ちゃんとオニごっこになっていた。あなどれない「子どもの力」。

お昼はクラスの終了時間があまりにもバラバラで、弁当を持って移動が追いつかなくて、日本人グループで集って食べることになった。僕にすればサンドイッチやスナックなど、物足りないメニューが多かったが、子どもたちは意外に平然と食べていた気がした。せっかく集ったので、午後の日程、リサからの連絡事項やさよならパーティーについての説明などをして、MNCCが準備してきた学校への寄せ書きも書くことができた。

午後の授業は、いくつかペアの入れ替えなどをして、今度は高学年のクラスに編入。低学年と違い、高学年は「今日本は何時なの。」とか「日本で知られているメキシコ料理は?」「ホームワークの量は?」など、高度な質問も出て、面白かった。先生方も普段から高学年を指導しているからか、異文化への興味・関心を持っている先生が多くて、児童そっちのけで質問してきたりして、クラスの個性が面白かった。子どもたちも午前に一度経験しているので、クラスの雰囲気や流れを読んで比較的落ち着いた返答ができた。あるクラスでは、先生が黒板に自己紹介で自分の名前を書いたので、次に僕がその下に「松川博之」と漢字で書いた。さらに、「先生の名前も日本語で書きましょうか?」と言うと、とても喜んでくれたので、リリさんが前に出てカタカナで書き、その後は「他にも書いて欲しい人」と言うと一斉にバッと手が挙がった。それからは「僕も」「わたしも」で大盛り上がり。

午後の授業の途中でお迎えのため、児童は途中で抜け出す予定だったが、思いのほか盛り上がったので、終業まで参加してしまい、急いで集合。アメリカの映画のように終業のベルがなるとかばんを持って全校児童がワーッて一斉に教室から飛び出してくるのがかっこよかった。補習、居残り、生徒指導で放課後も児童の相手をしている日本の教師からみれば、とても羨ましい光景だ。
放課後のお迎えは、ホストが来次第の三々五々。ただ、行方不明者が出ないように、ナザニエルが名簿を持ってしっかり引き取りの確認をしてくれた。これで今日の活動プログラムはおしまい。

今日は家族でイースターを祝いたい、と、アカリさん、トモテルさん、ナツコさん、ヨウコさん、ルナさん、サラさん、6名も会えない子がいたが、明日は元気に全員集合の予定。週末から続けてどんな活動を行っていたのか、聞くのが楽しみだ。みんなも明日また別の学校に行くので、今日同様に、子どもたちには忙しい一日になるだろう。でも、今日で多くの子は学校の雰囲気は分かっているので、6名を加えて、より多くの笑顔で望めることを期待したい。

いよいよわんぱく留学の出発日。僕は那覇からの出発なので、那覇空港で集合する小学生6名、中学生7名をまとめて引率しなければいけない。みんな時間までに集まってくれるだろうか。
夕方4時に集合なので、僕は少し早め、3時半に空港に着いた。まだ誰も来ていない。誰も来ていないことに安心はしたが、引率が初めての僕は正直自分が集合場所を間違えたりしていないか、不安でもあった。みんなに配る名札や搭乗手続きを確認していると、3時40分ごろ、1番乗りのイロハさんがやって来た。その瞬間から僕にとってのわんぱく留学(引率)の始まり。一人来たと思ったら、次々とみんなが集まり、4時5分前にはほぼ全員そろった。
一人だけ、少し遅れて4時20分くらいに着いたが、きちんと「遅れました、すいません。」と謝ってくれた。もうそれ以上は怒る気もあせる気も無くなった。お母さんや交通渋滞のせいにしないだけまだ許しやすい。

搭乗手続きには、預ける荷物がアメリカまで直行ということや、VISAを持ってないとか何とかで予想以上に時間がかかり、全員の搭乗手続きに40分くらいかかり、後ろで見守る家族が不安がっているのもよく分かり、内心あせったがどうにか終了でき、一安心。集合時間に余裕があって正解。保安検査場に行ったが、入るのにまだ時間があったので、沖縄組参加者で記念写真を撮った。見送りの家族の人たちもおのおのカメラや携帯電話で写真を撮ったので、アイドルユニットの撮影会のようなにぎやかさだった。

搭乗口前でいったん集まり、荷物を置いたらターミナル散歩の時間を1時間くらい取れた。ばらばらにみんな散歩を始めたが、程なく仲良し同士しができ、会話が生まれたようで、戻ってくる時は団体さんになっているのが面白かった。
 「親睦会をしようぜ。」投げかけたのはレオさん。周りの男子をみんな集めて、自己紹介を始めた。名前+αで、「俺はバスケが好き」「おれはくつを集めている」など、みんなで楽しそうに話していた。女の子の方に目を向けると、高校生のモモカさんをリーダーに恋バナに盛り上がっていた。さすが女子。
飛行機出発が30分遅れたおかげで、乗り込む頃にはみんなずいぶん会話ができるようになっていた。さすが子どもたち。仲間作りが早い。

飛行機の中では出発前にコウキさんが隣のリュウセイさんにハイチューを分けている。「飛行機が離陸する瞬間に噛むんだよ。」・・・どうやら耳が痛くなるのを防止する方法を伝授しているらしい。飛行機は少し揺れたが、気分を悪くする人も無く羽田に着いた。

羽田に着くと、MNCCの福島さんが乗客出口で迎えてくれ、各県からのメンバーが合流。集ったメンバーの印象は「とにかく元気」だということ。初対面の相手が多いはずなのに、とにかくよくしゃべる。そして動く。元気がよすぎて、ややもすると国際線ターミナルへの移動やパスポート準備の指示などが通らなくなりがち。これでは何より大切なみんなの健康・安全を守れないと思い、僕の判断で一時全員をきちんと座らせ「指示や説明を聞くときはケジメをつけて、みんなの気持ちをそろえること」を確認した。これは僕の中では(だれにとってもだけど)とても大切なこと。

すばらしいのは、まずA〜Dグループのリーダー(カリン、リリ、コウキ、タイキ)の態度だった。ターミナルをバスで移動するときや税関を通過するときの移動など、要所要所で集合したり、整列したりしたが、リーダーがきちんとみんなを並ばせて人員確認・報告をおこなってくれ、とても助けられた。

羽田のターミナルにいる間に、イロハさんが鼻血を出してしまった。旅の緊張や疲れからのようだが、なかなか血が止まらず、本人もびっくりしてなみだ目に。一時みんなの動きを中断しなければいけないほどだったが、そのときもリーダーさんが落ち着いてほかのメンバーの面倒を見たり、サツキさんやリリさんが進んで彼女をトイレに連れて行って血のついた手」を洗ってくれたりと、心遣いが見えるのがすばらしかった。一時はとても心配したが、小一時間ほどで鼻血も止まり、しばらくすると顔色もよくなり、飛行機では機内食のサンドイッチも完食できていたので一安心した。

夜中のフライトでは、初めのうちは各席についているモニターで映画を見たりゲームをしたりで興奮し、浮き足立っていたが程なくして電気も消えて周りが静かになると、緊張が解けたのか、ぐっすり眠る人が多かった。

飛行機を降りると、いよいよそこはアメリカ!カリフォルニア!荷物をとってターミナルロビーで、現地のスタッフと合流。現地スタッフはみんなびっくりするほどファンキーですごかった。子どもたちは疲れているのに、記念写真を撮るためにかなり無理してTCの「フーフー!(超高い裏声)」の掛け声に盛りあげられた。

バスでサンタローザに着いたら、いよいよホストファミリーとのご対面。なかなかファミリーが見つからなかったり、ファミリーの到着が遅れてなかなか会えない人もいたが、ほとんどの人はハッピーにご対面。それぞれ家族と自己紹介をして写真を撮り、軽くピザを食べたら解散だった。

誰かに、時差は18時間と言ってしまったが、16時間に訂正。マイナス16なので、日本より遅れている。那覇を7時に出発した僕らは、出発の2時間前にアメリカに着いたことになる。

1日目はずっと移動で、ずいぶん疲れた様子のみんな。でも、それを乗り越え明日からの楽しいアメリカでの留学が始まる。明日は日曜日なので、僕らとは会えず、報告もできないが、各家族で一日を過ごす。たまたまイースター(復活祭)の日なので、パーティーやエッグハンティングをしたり、ショッピングにいる家族もいるだろう。月曜日にみんなの週末報告を聞くのが楽しみだ。
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