レポート更新情報
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現地活動日
 
3月27日
3月30日
4月1日
4月2日
4月3日
4月6日
昨日ほとんどの学校が終業式を迎え、さぁ、待ちに待ったホームステイが始まる!日本各地で桜の開花情報を聞くにつけ、やっと暖かい春がやってきたなと実感!そして待ちに待ったホームステイもいよいよ出発日を迎えた。各県から早朝の集合にも関わらず、元気そうな姿でまずは一安心。天気が良く、暖かい日の出発日は、先行きの不安も少しは吹っ飛ぶ気になる。鹿児島空港の空も青空で私達を出迎えてくれた。鹿児島、宮崎、沖縄の空港からは引率者がついたが、それ以外の県の子供たちは、それぞれ飛行機に乗って羽田で無事に合流できた。飛行機の中では、天気が良かったこともあり、山頂には雪が積もっている富士山を見た生徒が、一斉に騒ぎ出した!子供たちは一斉にシャッターをきっては、飛行機の翼と雪山の富士山の絶妙な写真を撮る子も!!子供たちが富士山!富士山!と騒いでいたため、そこから、思い出したように、キャビンアテンダントが、「皆様の左手に富士山が見えます!」と言っていた。羽田に到着後、ジュニア留学の男子が率先して重たいスーツケースをターンテーブルから取り出してくれて、助かった。やっぱり頼りになるのは、お兄ちゃん達だな。

羽田から貸切バスに乗ると、スカイツリーとディズニーランドに反応するのは、やはり九州の子供たち!都会に来ると大興奮で、写真撮りまくり!成田集合の子供たちと合流すると、彼らはすぐに友達になっている。子供たちの溶け込みの早さは、素晴らしい。アメリカでもそうあって欲しいと願う。やっと成田に到着したが、またまた時間のかかる搭乗手続き。航空会社のスタッフが手際よくチェックインをしてくれ、出国審査まで無事に終え、そして、沖縄から成田便でやってきたメンバーとも合流し、やっとグループ全員がそろい、まずグループ写真をとった。ここまで来るのに本当に一日がかりである。早朝の集合のため、今日はみんな早起きだったことだろう。そして、昨夜は興奮や緊張であまり眠れなかった子供たちもいたようだが、小学生はとにかく元気!彼らの笑顔と元気な声が聞けることが、引率者にとっては、何よりも安心材料である。さすがに小学生のグループは、目立つらしく、搭乗口までぞろぞろ行くと、他の外国人のお客さんや、日本人の方々からあちらこちらで声をかけられる。「どこに行くのか?どこから来たのか?何歳くらいの子供たちなのか?英語はしゃべれるのか?」などなど。ある日本人の旅行者の方からは、質問したらしっかりと受け答えするいい子供たちですねと、誉められ、なんだかうれしくなる。アメリカでもその調子で頑張ってほしい!飛行機の出発は午後6時20分だったが、空港が混んでいるとかで、実際に飛行機が出発したのは、7時前くらいで、お腹をすかせた子供たちがいっぱい。飲み物のサービスの時に、日本人のキャビンアテンダントの方が、わざと英語で声かけしてくれて、「Orange Juice, Please」という表現をきちんと教えてくださっていたのは助かった。やっと食事が出てきた時には、みんな食事にがっついていた感があったかしら?(あ、それは私?!)チキンかフィッシュで、チキンを食べていた子が多かったように思う。往路のフライトは、約8時間ほど、食事をとって、一寝入り(というほどの時間ではないが)した所で、アメリカ到着に合わせて、夜中の朝食?がでてくる。もう既にぐっすり寝ていて食べない子もいたようだが、長く感じるフライトもあっという間であった。

アメリカに到着したら、窓から見えるアメリカに興奮する子供たち!私達は最後に飛行機から降りるようにしていて、とにかく忘れ物がないように、注意を払いながら、飛行機を降りる。最後に飛行機を降りて、入国審査へ。サンフランシスコ空港に着くと、屈強な体をしたセキュリティーや、空港スタッフ、もう、体の大きさから圧倒される。そして、アメリカ到着後の最初の英語は、入国審査での英語だ。「9Days Sightseeing」をそれぞれ口ずさみながら、列に緊張の面持ちで並ぶ。入国審査官の中には、片言の日本語で「カンコー?」と聞かれて、日本語だったけど、逆に変な日本語で、わかりにくかったという子も!話しかける人もいるが、一言も話さずに、ただパスポートと子供の顔をじろりとにらんで、スタンプおす人と、様々だ。でもさすがにこんな年齢の子供の集団は彼らにとっても珍しいようで、私の番の時には、「この子たちの先生か?全部で何人?何人で引率しているのか?」と矢継ぎ早に質問してくる。「40人を2人で!」というと、「Wow!Only 2 for 40 students??」と言われた。
さぁ、いよいよ、荷物をとって出口に出てくると、TCのエレナ先生が待ってくれていた。一人ひとり、自己紹介と握手をして、アメリカ到着後のグループ写真。そしてここでも天気が良くて、外も暑い!今日はほぼ夏日で、おそらく25度くらいはあったと思う。暑くて、歩いている人たちは、ほぼ半袖である。サンフランシスコ空港からバスに乗って、いざホームステイ地であるサンタローザへ。この時間が一番子供たちにとっては眠たい時間なはずだが、バスの車窓から見えるアメリカの景色にくぎ付けになり、カメラにおさめる子供たち。あぁ、眠っている子供たちはもったいない。起こそうとしても、眠たいものは仕方がない。

サンフランシスコに到着後、途中でゴールデンゲートブリッジの見える、ビスタポイントという所にとまってくれる予定だったのだが、途中でトラブル発生。走っているバスの荷物のドアがあいてしまい、スーツケースが転げ落ちてしまうというハプンニングが!落ちたスーツケースは、かすり傷がほとんどで、開いてしまったり、大きく破損した子はいなかった模様。このハプニングで、残念ながら、途中でゴールデンゲートに行くことができなかったが、子供たちは、バスの車窓から、必死に写真撮影をしていた。写真は何よりも一番のお土産ですからね。途中少しだけ渋滞があったものの、一路ホストファミりーの待つサンタローザへ。さすがに、バスの中は、ほとんどの子供たちが眠りについてしまっていたが、もう起こすのもかわいそうなくらい。約2時間くらいしたら、スタディーセンターに到着。既に、ホストファミリーが子供たちの名前を書いたボードを持って、出迎えてくれる家族もいて、子供たちの緊張はピークに達してきているようだが、自分の名前を見つけると、やはり笑顔がこぼれる。家族の細やかな歓迎ぶりに、子供たちも大変喜んでいる様子。明日の予定などを話し、それぞれのホストファミリーと簡単に自己紹介をしたり、家族写真をとりながら、三々五々にやってくるホストファミリーを待ち、一旦家に連れて帰られ、6時から7時までシニアセンターでウエルカムパーティーだ。簡単なスナックや果物がふるまわれ、アメリカに着くまで、妙な時間帯の食事をしている子供たちは、さすがにお腹をすかしている模様。ウエルカムパーティーでは、それぞれが家族の名前を覚えて紹介すゲームが行われ、きちんといえる子と、まだ名前をはっきりと覚えていない子もいたようだが、楽しんでもらえてようだ。到着と同時にウエルカムパーティーが行われて、大変疲れたが、明日も学校があるために、パーティーは7時にお開きになった。今日はとにかくゆっくりと休んで、そして、明日は金曜日で学校、そして週末なので、週末も家族と過ごす唯一の週末なので、おそらくたくさんのホストファミリーがいろいろな計画をたててくれていることだろう。感謝の言葉と笑顔と、そして、なによりも子供たちの安全の確保と、健康維持を心がけ、今から始まるホームステイを一緒に楽しんでいきたいと思う。

ホストファミリーからは、子供たちが何の食べ物が好きか、週末は何をしたいか、いろいろなことを聞いてきてくれる。本当に細やかなケアをしてくれる方々で、安心して任せられる。子供たちはおそらく、ホームシックになったりもするだろうが、あっという間のアメリカ滞在を、とにかく楽しんで、たくさんのことを学ぶ姿勢だけはしっかりともってほしいと思う。26日が2日間あるという時差の不思議を体験した子供たちの、明日からのアメリカでの冒険が楽しみだ。今は無事にアメリカに到着して、ホストファミリーに無事に引き取られていったことを、まずは、安心して今晩は私達引率者も安心して眠りにつこうと思う。ただ、こうやってレポートを書いている途中にも、生徒たちから数名電話がなった。ホームシックになり、泣きながら電話が来た子、お腹が痛いと電話が来た子も、とにかく、今日一日は全員にとって一番過酷な日であることは間違いない。薬で対処できた子もいるが、薬をもってきていない子もやはり何人かいるため、もうすべてのことは、旅の疲れをとるために早寝をすること、そして、今晩のホームシックは、ふつうのことで、もしなってしまったら、「やったー!」と思うように、バスの中で伝えました。日本の家族を思う気持ち、ホームステイでは必ず通る道、今晩一日は、しっかりと寝ることで、明日は元気な姿で会えることを信じて、それぞれの子供たちを励まし、私がわかる限りの対処法などのアドバイスをして、電話をきることであった。ホームシックの子にも、「明日帰りたいか?」と聞くと、「帰りたくはない。」という。その気持ちがある以上は大丈夫だからと、心を落ち着かせることをまずは話してみた。

保護者の皆様方、どうかご安心していただき、そして明日からの報告をどうぞ楽しみにお待ちください。きっとホームシックや長旅って大変なんだということを身をもって体験し、英語がもっと話せたらもっと楽しめるのになぁ、と思うその気持ちが、今回のホームステイで一番感じてほしいことです。そして、帰国した時には、これらの困難を乗り越えて、一回りも二回りも成長して帰国する姿を楽しみにしていてください。それでは、これで第一報目のレポートを終わります。具合の悪かった子供たちも、今日はゆっくりと寝て、そして元気な姿で会えることを楽しみにしています。   

 

いつも春のこの時期は雨は降るし、肌寒さが残る日が多いのだが、今年は到着日からとにかく晴天と暖かさ(というよりも既に夏の暑さに近い?)に恵まれており、今日も朝からカリフォルニアの青い空を体中で感じることのできる日であった。学校には早朝から全員が元気な姿で集まってきた。初のアメリカでの夜はどうだったかを尋ねると、今のところ問題はなさそうで安心した。夜も眠れたし、ご飯も食べれたとのこと。具合の悪かった子も今日は元気そうで安心した。初めての学校で緊張しているかと思いきや、みんな結構リラックスしているようだった。

あらかじめエレナ先生により2,3名ずつ分けられており、それぞれのクラスに入れられていく。あるクラスには、クラスに犬とヘビがいるといわれ、そこに行きたいか行きたくないかを聞かれ、行ってみたいという2人がいれられた。担任の先生の趣味のようで、もちろんヘビは入れ物に入れられており、危険なことはないが、この犬がクラスにいたりヘビがいたりなんてことは、日本では考えられないことである。アメリカの学校はおもしろい。学年やクラス毎にその先生の色というものがあり、どのクラスもとても個性にあふれている。そ

れぞれのクラスに入ると、子供たちは一人ずつまずは自己紹介をする。小学生でもしっかりとスラスラと英語で自己紹介を言えていたので感心する。ただ日本名が、読みにくかったり発音をしにくいものもあるようで、何度も確認をされる場面もあったが、そこは事前に作っていった名前と自己紹介のネームカードがとても役にたっているようだった。先生やアメリカの子供たちがそれらを興味深くみてくれているようだ。クラスに入ったら、アメリカの子供たちが一斉に元気な声で「コニチワー」と言ってくれるクラスもあり、その歓迎ぶりは嬉しい限りである。

全ての子供たちをクラスに連れていき、そのあとに、学校のオフィスでエレナ先生とメディアン先生と打ち合わせをして、その後、再度各クラスを訪れて、写真をとる。数学のクラス、クラフトのクラス、歴史のクラス、本の読み聞かせのクラス、体育でマイルランニングや運動をするクラスなど、様々である。そして、リセスタイムと言われるいわゆる休み時間やランチの時間は、日本と異なり、全員が同じではなく、子供たちの管理上の理由だろうか、時間差であるのだ。休み時間にはクラスに自由に出入りができないように、鍵がかけられたりするのが、アメリカの小学校のシステムのようだ。そして、休み時間が終わると、特に下の学年の子供たちは列を作ってクラスに入っていくのも面白い。ある意味、日本以上に厳しい感じがする。でもその中でも楽しかったのが、あるクラスで男の先生がウクレレを弾きながら、子供たちをクラスに連れていくのが見ていてとても楽しそうでいいなぁと思った。そのあとにそのクラスでは、先生が子供たちの名前をノリノリで紹介しながら歌うことをしていて、それがたまらなく、楽しそうで、こんな小学校、日本でもあったらいいなと心底感じた。毎日学校に行くことが楽しくなるように思う。先生のエンターテイナーぶりと子供たちの楽しそうな笑顔を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。休み時間にはもってきたお菓子などを食べていいので、日本からもってきたお菓子を早速アメリカの子供たちに分けてあげていた。休み時間にお菓子が食べれるなんて、子供たちにとっては、アメリカの学校はなんていいとこなんだろうと思っていることだろう。

時間差のランチタイムでは、三々五々に子供たちがカフェテリアにやってくる。初めてのランチに、それぞれがいろんな感想を持っているようで、カップヌードルをもってきている子供が2人いたので、オリエンテーションでも話したように、アメリカのカップヌードルは日本みたいにあまり美味しくはないよと言っていたことを再度伝えると、当の本人たちは意外に美味しそうに食べていたので、まぁよしとした。でも毎日カップヌードルはやはりあまりなので、今度はサンドウィッチにしてもらえば?とアドバイス。子供たちは、やはり、お菓子っぽいものが多く、日本での弁当のイメージとアメリカとのかけ離れぶりに、戸惑いを隠せない様子だったが、嫌いなものや食べられないものは、はっきりと今日の段階で伝えるべきだと、再度伝える。でないと毎日同じものがでるし、ホストファミリーは決して、子供たちが無理して食べることなどは期待はしてないから、たとえば量が足りなかったり、多かったりすることもはっきりというように伝える。実際に多くて食べきれないとか、このジュースは甘すぎて飲めないとか、いろいろなことを言ってくる。私は、アメリカかぶれしているので、みんなが食べれない、飲めないものを片っ端から処理してあげたが、これが自分が太る一番の原因だと思う。やはりきちんと子供たちが自分のもってきたものは自分たちで処理してもらわないと!(笑)今日は初日なので、どうせ子供たちが食べられないものをもってくると思って私もランチは持参していなかったが、学校のカフェテリアでおいしそうなパスタランチを売っていたので、それを4ドルで買ったが、その中に入っていた野菜は、やはり火を通していない白々とした生のブロッコリーと生の人参が入っていた!!

午後の活動に移る前に、全員を集めて、週末の過ごし方の注意事項などを話す。そして、今日の午後の活動は近くの老人ホームへの慰労訪問である。約2キロほどの道のりを歩いて行ったが、天気もよくて汗ばむほどではあったが、いい運動にもなったと思う。途中でセブンイレブンがあったり、線路があったり、アメリカらしい景色とみると、そのたびに写真をとる子供たち。日本とは異なる信号も、人が歩く時間が本当に短いのには車社会のアメリカの一端を見るようである。これだけ車が多いが、歩いている人に対しては、車もすぐに止まり、日本のようにそこのけそこのけ、車が通るぞという雰囲気は意外にもない。まず、道路を人がほとんど歩いていないので、特に私達のような小さな子供たちが歩いていると目立つために、どんな車もゆっくりと止まってくれるし、どんなにイカレタ風?の車も意外にも立ち止まって我慢強くまってくれるように感じる。それでもエレナ先生やホストファミリーや子供たちが一緒に歩いてくれて、子供たちが歩きながら落し物をするのを拾ってくれたり、子供たちが安全に歩いて目的地に行けるように、細やかにケアをしてくれる。ありがたい。

やっと老人ホームにたどり着くと、十数人の方々が椅子に座って私達がくるのを楽しみに待っていてくれたようだ。早速折り紙を取り出し、グループに分かれて、折り紙を折りだした。ご年配の方々には、折り紙のような活動は特に手先の運動にもなるし、とてもいいリハビリだと感じる。英語が結構できると感じる子をエレナ先生がそれぞれのテーブルに一人は入れるようにしてくれて、折り紙開始!小さい頃から英語教室にいっていたという子の中には、小学生とは思えないほどにスラスラと英語で表現する子もいて、感心する。英語があまりできない子でも、身ぶり手ぶりで一生懸命に取り組む姿に、みんなとても喜んでくれ、一生懸命につたない英語に、耳を傾けてくれる。中には日系人の方もいらっしゃって、日本語がしゃべれる方もいらっしゃって、日本人の子供たちがきてくれたことを大変喜んでくれた。持ってきた新聞紙でカブトを作ってあげたり、鶴、ハート、ドレス、箱、風船、猫、ウミガメなど、様々な折り紙を作ってあげて、老人ホームの方々も笑顔で楽しい時間が過ぎていく。途中で日本のお菓子などもあげてみたら?とアドバイスするが、よくよく考えると、ここは老人ホーム!健康面の問題もあるので、事前にアレルギーや食べ物に制限がないかなどを聞きながらあげるように指示を促す。そして、日本からもってきた自分の家族の写真や故郷の紹介などもしてあげると、さらに興味を持たれて、写真をみながら、子供たちに質問をしてきたりして、本当にいい時間が過ごせたと思う。特に日系人の方々は、遠い日本に思いをはせていらっしゃったりして、自分の今までの人生を語ってくださる方もいて、私達も今日はとてもいいことができたなと感じることであった。子供たちの顔にも満足した気持ちが表れているように感じて、充実した時間だった。時間はあっという間に過ぎ去り、本当にきてくれてありがとう、またぜひ来てほしいとどの方々からも声をかけられ、私も子供たちのことを大変誇りに思った。そして、また学校までの道のりを歩いて帰り、学校でホストファミリーが迎えにきてくれ、今週の活動が終わった。

おそらく今日はまだ来て二日目で、旅の疲れや寝不足と時差ボケ、慣れない食生活、言葉の問題、ホームシックなど、いろいろな複雑な感情が入り乱れる中で、自分の楽しみたいけど、なんだか楽しめない、緊張感がとれない、そんなことがいろいろな体の不調を訴えるのかもしれない。初日のホームシックの子も、きっかけは家に帰ってパスポートがないということに対して、動揺したことが、ホームシックを助長させたことが判明した。どこでも私がパスポートや忘れ物のことを口をすっぱくするほど言い続けていることが、ある意味にトラウマになってしまったのかもしれない。。。。私がバスの中で全員のパスポートを集めた時、考えてみれば、みんな眠気眼の状態時に私に渡したので、渡したことすら覚えていなかったのだ。何がきっかけで、ホームシックになるかわからない。でも今日は元気にしていたので安心だ。小学生はやはり2人で滞在することの良さはあるかもしれない。いろんなことを考えさせられる一日だった。明日明後日は週末、でも来週になったらもうサヨナラパーティーのことを考えなければならない。時間が過ぎるのはあっという間だ。一日一日を楽しく、そして悔いのない過ごし方をしてほしいと心から願いたい。

 

週末が終わり、みんな元気そうに登校してきた。週末に引率者にファミリーから電話がこないことはまずない。実際に、具合の悪い子がいて、日曜の早朝に救急センターに連れて行った男子が一人。ホストファミリーの迅速な対応により、そこまでひどくはなく、自分で歩けるほど。夜中に具合が悪くなり、あまり眠れなかったらしい。少しあった微熱もファミリーが与えてくれた薬のお蔭で、下がっていた。医者に診てもらったが、大事には至っておらず、与える食事の指示などをもらい連れて帰った。その後も特に電話もなかったので、少し休んだら元気になるだろうと思っていたら、やはり、今日は元気な姿で登校してきたのでよかった。子供たちは、日中は普通にふるまってはいるが、やはり異文化での生活は知らぬうちに、様々なストレスは感じていることだろう。子供たちのちょっとしたことでホストファミリーは心配をして電話をしてくれる。実際に話をすると何も問題はないのだが、とても細やかなところまで子供たちのことを見てくれていることを感じて、心からありがたいと感じる。週末に日本食を作ってくれて、その心遣いにとても感激して、写真を送ってきてくれたファミリーがいた。早朝から2人で起きてファミリーために、ちらし寿司を作ったとのこと。サンフランシスコに連れていってもらったり、ビーチに行ったり、ゲームセンターに行ったり、キャンピングカーでキャンプに行ったり、買い物に連れていってもらったりして、みんなホストファミリーとの週末をとても楽しんでいたようだ。安全を第一に考えてもらい、そして何よりも子供たちを楽しませるために、いろいろなところに連れて行ってくれたりしている。

明後日はサヨナラパーティーなので、もうその話を始める。何をするか、順番や準備するものなどの話をして、なんだか来たばかりなのに、もうサヨナラパーティーなのか?と感じる子もいるようだ。ホームシックになっているひまはない。残された時間はあとわずかしかないから、これからは、ホストファミリーのために何をしてあげられるかという、ホームステイの原点に立ち戻り、Give&TakeのGiveの部分の話をした。子供たちも残された時間はあとわずかしかないと段々と実感し始めてきたようである。

授業が始まる時間になると、それぞれのクラスへ移動していった。クラスでは、もう慣れたもので、休み時間になると外で元気に遊ぶ子供たちの姿を見るとほっとする。ランチの時間も先週自分の好き嫌いの話をしていたので、それぞれ思う通りのランチを持参してきていたと思うが、果たして実際はどうなんだろうか?やはり日本食が恋しいと感じる子もいるようだ。

今日の午後は、サンタローザのダウンタウンへ市営バスを使い移動し、まずはモールへ行く。バスの中で、私の前に座っていた女性が、グループの子供たちが日本語を話しているから、日本人の子供たちだと思い、話しかけてきた。フィリピン出身の女性で、日本に20年住んだ後に、アメリカにやってきたとのこと。流暢な日本語を話す方で、しばしの会話を楽しんだ。降りるバス停が同じで、別れ際に、残りの時間を楽しんでね、と声かけしてくれた。ダウンタウンにつくと、街の至るところに、スヌーピーの銅像があり、しきりにシャッターを押していた。ダウンタウンといっても、小さな地域なので、こじんまりとしている。大きなモールはあるが、まずはそこで少し時間をもらい、サヨナラパーティーの打ち合わせを行い、そして残りの学校生活や家庭生活での諸注意などを行う。イースターの季節で、モールの中に、イースターバニーのぬいぐるみと写真をとるイベントがあったのだが、通常はもちろんお金を払わなくては撮らせてくれないのだが、エレナ先生が、日本からきた子供たちだということを話して、特別に一緒に写真を撮らせてもらった。ありがたい!!そのあと、ディズニーストアーに行き、家族や自分用にお土産を買う者も数名いた。その後、ハーゲンダッツのアイスクリームのお店にいったが、やはりハーゲンダッツブランドの高さは日本もアメリカも同じに感じるようで、結局自分で買って食べた子はほんの少し。中には約4ドルするものを一人1ドルずつ出して、シェアしようとする賢い子たちもいた。モールで、30分ほど解散し、その後地域のビジターセンターへ行った。そこで小物、ポストカード、タダでもらえる街のパンフレットなどをしきりに選んで、ショッピングをしばし楽しんだ。

今日も天気がよくて汗ばむ陽気だ。朝晩との温度差があるので、健康面の注意を再度促す。今日の夜は、マナとノドカのホストファミリーから食事の招待を受けていたために、夕方から彼らの家を訪問する。ホストマザーから教えてもらったレシピで、キッシュとサラダをご馳走になった。とっても美味しくてびっくり!ホストマザーは、子供たちが作ってくれたのよと大変喜んでいた。2人ともとてもよくお手伝いをしているようで、日本に帰したくないと言っていた。レシピをあげるから、日本に帰ったら必ず日本のご両親に食べさせてあげなさいと言っていたので、きっと作ってくれることでしょう。
今日まで毎日天気がいいことが本当にうれしい。いつもは、小雨まじりでまだまだ寒いの季節の変わり目とはいえ、こちらはもうほとんど夏日である。これもある意味異常気象なのかもしれないが、それでもありがたい。毎日カリフォルニアの青い空を満喫している。このままお天気が私達の味方をしてくれればいいと思う。

 

今日も快晴!朝はいつものように寒いが、昼間は夏日。今日もみんな元気に登校してきた。今日は車酔いをした子が一人いたが、クラスに入る前に、新鮮な空気をしばらく吸わせて、落ち着いてきてからクラスに行かせた。今日は、LibraryDayといって、図書館で本を借りる日のようだが、子供たちは図書館から好きな本を選んでいいが、もちろん持ち帰るのではなく、授業中に少し読んで返すように促す。あるクラスでは、入っていくとタブレットで英語を入れて日本語翻訳ソフトで質問をすることをやっていた。そのついでというわけではないが、この流れで日本の紹介を書いた用紙を渡して、日本の紹介までできた。アートのクラスでは、陶器を作るものもあったが、焼きあがるまで時間がかかり、子供たちは日本に持って帰れないので、だだ粘土で好きなものを作っていいというクラスも。算数の授業では、計算問題は簡単にスラスラと解いているのだが、文章問題となると、やはり難しく、辞書を使いながら、問題を解いていく姿が多くみられた。日本語に訳してわかると、実際は単純で簡単な問題なのだが、小学生にとっては、そのあたりは、まだまだ言葉の壁にぶちあたってしまう。授業は、私たちのために、折り紙のクラスを設けてくれたりもするが、普通の授業がただ淡々と進められている時でも、もちろん子供たちは言葉はわからないが、それでも机上にノート、辞書、筆箱を出して、ホワイトボードに書かれた言葉を写したりして、わからない単語を書いたりということを積極的にするように話をしていく。何も出さずに、ただぼぉーっと座っているのでは、受け入れてくれているクラスの子供たちや先生に対しても大変失礼なことですからね。それでもパソコンで算数なんだけど、ゲームっぽいものがあったり、日本の勉強とすると楽しそうである。

今日、日記をチェックすると、それぞれの思い出がたくさんつまっていた。たくさんの英語を学んでいる子、ホストファミリーに感謝の言葉を連ね、自分ももっと英語を頑張りたいという子、ホームシックになった子、アメリカのたくさんの発見や日本との違いなど、読みながら、思わず笑みがこぼれるものばかり。みんないろいろな経験をしているのだなということが、日記からも垣間見れる。

今日のランチは、現地の受入機関からピザのご馳走ということで、ほとんどの子供たちはランチを持参していない。午後の活動が消防署ということもあり、約30分消防署まで歩いていくのだが、その途中の公園でピザを食べた。ソーセージ、チーズ、ペパロニの3種類のピザを全員2枚、多い子は3枚、4枚を平らげていた。それから公園の前の通りの信号を渡った所が、サンタローザ消防署である。屈強な体をしたアメリカのファイヤーファイターがたくさんで、出迎えてくれた。まずは中の施設の案内からしてくれた。原則48時間の勤務体制のため、朝食、昼食、夕食など、寝食を共にするので、みんな家族生活のようであるとのこと。リビングルームには大きな冷蔵庫にテーブルやリビングルームなどがおいてあり、(体が大きいからか、ここにある家具などの一つ一つ全てが大きい!)壁にはここの消防士が描いた絵が描かれてあり、子供たちはしきりにシャッターを押していた。
その反対側にも額に入った写真が一枚。これは、911のテロがあった時に犠牲になった消防士が、数百名いてその人たちのためにたくさんの絵を書いてそれで得た収益金を犠牲者の消防士に送ったという話に、子供たちもしんみりと聞いてくれた。でも考えるとこの子たちのほとんどは、911テロの後に生まれた子達ばかりだ。それでもテロのことは聞いたことはあるようで、深くうなずいていた。コンピュータールームに入り、そこでの説明は、自分がここに来たときは、パソコンもなく当時はタイプライターだったが、今はこうやってコンピューターで、勉強をしたり、事件や事故のレポートを書いたりする仕事部屋を見せてもらった。エレナ先生がこの子たちは、タイプライターを知らない世代だからね、とつぶやいていたのが、笑えた。確かにタイプライターってなに?って顔をしていたかな。。部屋の片隅にあった大きな箱に興味を示した男子が、「これはなに?」という質問に、簡易食で山火事や大きな事故などですぐに戻れなかったり、処理が長引いたりするときなど、非常食として持っていくらしい。「パッケージには、美味しい常備食と書いてあるが、実はこれが全くまずいんだよ。」というと、子供たちは笑っていた。

その後、シャッターが壊れているために、いまは開かないという大きな消防車の車庫に案内され、そこでは消防士の服装がかかったところを見せてもらった。今勤務にでている人がいて、二人分の消防士の服装がなかった。これ、洗えるのですか?ときくと、普通の洗濯機ではなく、この消防士用の服装専用の洗濯機なるものがあるらしい。その後、外にでて、消防車を見せてもらい、消防車についている様々な設備の説明を受ける。300メートルあるホースや、一分間に数百ガロン(ガロンは、あの大きな牛乳が1ガロンだよ、と説明してくれた)の水が放出されるとのこと。重たそうなチェンソーや酸素ボンベ、「心音をはかる機械などを見せてもらい、その性能の良さの話にまで及んで、とても丁寧に説明してくれた。日本にもいまは学校などありとあらゆるところに、AEDがあると説明をすると、それはいいと言っていました。また、火災報知器の話までしてくれ、アメリカでは、火災報知器の電池は毎年かえなくてはならなく、それが法で定められているとのこと。エレナ先生が誕生日と決めておくのがいいわね、というとその通りとおっしゃっていた。消防士が火事で向かう時には、特別な服装を着ますが、この暑い最中、一人の若い消防士がそれを着るデモストレーションをしてくださり、なんかあの暑さの中気の毒だと感じたが、彼らはもっと熱い中で仕事をしているんだなということを思うと気の毒な気持ちにすらなる。酸素ボンベまで入れると60キロ以上はあるらしい。最後に記念撮影をして終わる。

消防署のステッカーをもらい、また約30分歩いて、学校まで帰る。いい運動だと思うが、今日の歩きはかなり疲れた。炎天下ということもあるが、アメリカは人が通る方の信号が短いため、横断歩道ひとつわたるのにもひと苦労だ。とにかく子供たちを走らせる。歩道がないところもあったりしたので、エレナ先生などがとても注意してくれたので、なんとか無事に学校までたどりつくことができた。今日も無事におわり、ほっと一安心!
明日はいよいよサヨナラパーティーだ。準備をしっかりと忘れずに準備してくることを約束させて、学校をあとにした。明日は、長い一日になりそうだ。

 

朝一番に学校にきて子供たちを待つ。朝はひんやりとしているが、空気も澄んでいて、子供たちが来る前のしばしのリラクゼーション。一番最初に、マサヒとホストファーザーがやってきた。今日はエイプリルフールだということで、日本にもって帰るお土産は、アメリカの子犬だよと言ったり、今日はこの車を運転するかい?などと言ったらしいが、当の本人はわかっていたのか、いなかったのか。。。にやりと笑いはしたが。エイプリルフールを利用して、ホストファミリーに何かいってみたら?と子供たちにもアドバイス!どんなエイプリルフールを言うのか、明日の報告が楽しみだ。昨年のエイプリルフールでは、子供たちに、私はホストファミリーの車のフロントガラスを割ってしまったから、日本に帰されるのよ、と言うとみんな騙されて、深刻な顔をしていたのを思い出す。でもそのあとにすぐ、また子供たちから、騙された。いつも明るい子がホームシックになったと、急に泣き出して、話をしようとしたところに、「エイプリルフール!」と言われた。

明日が最後の学校だが、AグループはBグループより1日早くサヨナラパーティーが行われた。今日は学校もランチ前に終わるスケジュールのようで、私たちは、学校のカフェテリアでサヨナラパーティーの準備と練習を行った。サヨナラパーティーの日は、the most busiest day(もっとも忙しい日)で、とにかくみんなの協力と迅速な行動が必要だ。最初に今日のパーティーをする重要性を子供たちに話し、みんな真剣に聞いてくれ、そして実践してくれたと思う。まずは、TCの先生たちへ渡すギフトを集め、サインをして、英語が得意な子が何人いるので、英語でのメッセージや読み方などを彼らにも分かる範囲内で協力してもらい、今日は子供たちにも本当に助けられた一日だった。まずは、ホストファミリーに渡すギフト作りで、木のBoxにペイントを施し、写真を貼るというもの。それぞれが感謝の気持ちを書いたり、自分の好きな色をぬり、とても素敵なギフトボックスができたと思う。その後は、それぞれお世話になった担任の先生宛てにThank you Cardを渡すための名前のサイン、そして会場の飾りつけのための折り紙などを折ったり、個人練習などをやったが、時間が足らずに、あっという間にホストファミリーが迎えに来る時間になってしまった。パーティーは、6時からだが、何人かのホストファミリーは迎えに来られないために、学校にそのまま残り、しばらくは遊んでいたようだ。

もちろんスタッフはそこに残っていたので、私も一旦家に戻り、準備をして会場へ。最初に食事を準備して、プログラムが始まった。司会は、ワカバ。プログラムは次の通りである。ドレミの歌と幸せなら手をたたこうを英語と日本語で全員で歌う。キーボード伴奏は、アスミ。ミミとノドカによるリコーダー演奏。セイナによる新聞で作った鉄砲音を鳴らすというマジック、シホとユリ姉妹によるディズニーの歌を英語で歌いダンスをするというミュージカル風仕立てのダンス、ワカバとワカナによるバルーンアート、ヨシヒコ、カホ、コウヤ、ツグホ、ユキノ、ケント、カズネによる伝言ゲームには、ホストファミリーにも加わってもらい、スモウとスシをジェスチャーで伝えていくというもの。ホストファミリーには、なかなか受けていたと思う。袋の中に手を入れて触って何が入っているかあてるというゲームには、小さな子供たちがやりたがっているので、できるだけ小さな子供にあてさせるようにすると、ホストブラザーやシスター達は、ギフトがもらえるので、喜んでトライする。いや、アメリカの子供たちは本当によく積極的に手をあげる。日本の子供たちは、恥ずかしがりやが多くて、人前で何かを見せるということを異常に気にするが、これは日米の大きな違いではないだろうか?このゲームをやったのは、リョウマ、アイリ、ヨシヒロ、シュン、マサヒであった。中身は、リンゴ、子供たちがいつも胸につけてるバッジ、グミキャンディ、鶴の折り紙、オレンジだった。バッジをネズミ取りと言われた時には会場は大爆笑。。。。!おそらくクリップの部分がそう思われたのかな?でもほとんどがあてられ、小さな子供たちはギフトがもらえて大喜びであった。そして、最後には子供全員にあらかじめ、ホストファミリーと過ごした中で、何が一番楽しかったか、ホストファミリーとの思い出をあらかじめ聞いておき、それを事前に英語に訳し、それを一人ひとり英語で発表してもらった。ホストファミリーもとても喜んでくれていたようだ。一人ひとりの子供たちの才能の素晴らしさに驚きを隠せない。それを恥ずかしがったり、上手なのに、積極的に披露しなかったり、うまくないからというのは、本当にもったいない気がする。一回だけの通しのリハーサルしかできなかったが、みんなとても素晴らしかった。

最後に私のサンキュースピーチをして私達の全てのプログラムが終わった。その後TCのエレナ先生から子供たち一人ひとりに修了証書が渡され、パーティーは無事におわった。トイレに行く暇もないくらいの本当に忙しい日だったが、帰りにホストファミリーが、素晴らしいプログラムだった、こんな素晴らしい子供たちとの出会いの機会を与えてくれてありがとう!と口々に言ってくれたことが本当にうれしい。あるファミリーが、昨年も日本の子供をホストして、今年の9月に日本の宮崎に会いにいくんだと言っていたのでびっくりだ。去年一緒に行った子のファミリーだったので、きっと楽しみにしていることだろう。
サヨナラパーティーは、成功裏におわり、今は、ただただほっとしている。明日は学校最後の日だ。最後の思い出作りをしっかりとしてほしい。今日は、本当にみんなよく助け合ってくれた。自分から積極的に動いてくれる子もたくさんいて、私からも子供たちに心から感謝したい。そして、なによりも全員が頑張って初めてのことにトライしてくれたことが嬉しい。小学生でも大人な子はいっぱいいます!Good Job!! 

 

今日は学校に通う最後の日。期間中全く雨が降らなかったことが本当に幸いであった。今までこんなに素晴らしい天気であったことはなかったので、今年の子供たちはとてもラッキーだったと思う。今日は子供たちと過ごす最後の日になるからと、シュウとコウヤは、ホストファミリーとビーチに行ったため、学校には来ていない。今日がアメリカの子供たちと過ごすのが最後の日なので、お世話になった担任の先生や、クラスの子供たちと写真をとったり、名刺や残ったプレゼントや折り紙などを渡したり、お互いメールや住所交換をする場面が見られた。時間が過ぎるのが本当に早く感じた。今日の子供たちの様子を見ると、ちょうど慣れた頃に帰ってしまうのだなと思う。各クラスで写真を撮れたクラスでは、その後アメリカの子供たちがもってきている携帯電話で写真の写し合いが始まったりするところもあった。今日は、たくさんのアメリカの子供たちが、「今日が最後なの?」と聞いていた。アメリカの子供たちもとても寂しいようである。

最後のクラスは、算数の計算をしたり、コンピューターで算数ゲーム、英単語を学ぶソフトなど、私達の時代には考えられない、ゲーム感覚で学ぶツールがいっぱいだ。言葉が英語でも今の子供たちは、コンピューターの前に座ると、スラスラ使っているのを見るとすごいなと思う。クラスの最後にお世話になったクラスの先生にあらかじめ書いていたサンキューカードを渡してもらった。どの先生たちも来てくれて楽しかった。ありがとうと言ってくれて、子供たちも嬉しそうにしていた。最初は緊張一色だったが、今日が一番リラックスしていたのかもしれない。9日間という期間は、慣れた頃に帰ってしまう微妙な長さかもしれない。

最後の活動は、学校から比較的近い所にあるスニーピーショップにいって、最後のショッピングをする。お父さんやお母さん、兄弟姉妹、友達などにそれぞれ選んでいたが、ワカバは、ホストシスターのために、プレゼントをあげたいと選んでいた。きっとホストファミリーは、最後の晩にこのようなサライズプレゼントをもらったことをとても喜んでもらったのではないだろうか。お金の使い方も段々慣れてきたようにも思うが、やはりセントの使い方がいまいちわからず、財布の中には、小銭がいっぱい!!時には、お店の人がセントの種類を教えてくれながら話をしている。やはり、事前に学んで準備していくことの大切さをこういう所で感じて欲しい。日本では当たり前のようにお土産やなどでは、小分け袋はただでもらえるが、アメリカでは、こういうお土産やでも原則袋代をとられる。お金がかかるよと伝えると、「No Thank you」という子も。パーティーなどでは、結構紙皿、フォーク、ナイフ、スプーンなどをものすごい量で使っては捨て、とやっているのを見ると、まぁ、どこの社会にも矛盾した側面も持つものだなと感じた。

今日もお昼は真夏の暑さ。途中にセブンイレブンのコンビニでアイススムージーを買って食べながら学校に帰ろうということになりお店へ。そうすると、アメリカのコンビニでは、集団が一気に入ってくることは好まれないらしい。なぜかというと、よくテレビなどでも見るが、集団で入ってくると、泥棒をされると思われるという社会観があるとのこと。こんな小さな子供たちでも厳しく制限され、5人ずつ入るようにエレナ先生から指示を受ける。一人がでたら、また一人はいるというようにである。こういう所では、日本は本当に平和なんだなと感じる。中にはセブンイレブンがアメリかにあるんだーと驚く子供も!セブンイレブンは、メイドインアメリカです!!(笑)日本と違って、まずは自分で好きなフレイバーとカップの大きさを選んで中に入れてからレジにもっていくというシステムになっている。日本は、コーヒーなどもまず支払が先なのに、泥棒のことを心配するアメリカのこのシステムもなかなか理解しがたいものがある。こうして無事に最後の日が終わった。明日は早朝6時30分集合。最後の注意をして、子供たちと別れる。明日は病気の子供もなく、忘れ物もなく無事に子供たちを連れて帰らねばならない。今日はホストファミリーとの最後の夜であるが、明日早朝出発のため、今夜は早く寝るように再度促す。

今晩は、SantaRosaBグループのサヨナラパーティーだったので、私も手伝いに行ったが、全員素晴らしいパフォーマンスで、ファミリーも大変喜んでおられたようだ。そろばんに切り絵、ダンスにキーボード、空手に伝言ゲーム、そして最後に一人ずつ英語でホストファミリーとの思い出を英語で答えられて立派だった。最後の日、私も片づけを終えて家に帰ったのは遅く、それからレポートなどの仕事とパッキングを終えると、もう夜中2時を過ぎていた。明日は帰国日。子供たちを日本に無事に連れて帰るための最後の大切な日である。再度気を引き締めて目覚ましを確認しベッドに入る。寝坊して、最後に大失態をおかしませんように!!(笑)

 

帰国日の集合時間は6時30分。到着日にホストファミリーと出会ったフィンリーパークへ、みんな遅れることなくやってきてくれた。辺りはまだ真っ暗で、月もでていて、きれいな満月であった。早朝にも関わらず、たくさんのホストファミリーがきてくれ、ファミリーとの写真をとってバスに乗る。小学生は、別れにあまり涙を流す子供はいない。アメリカを離れる寂しさというよりも、もうすぐ日本の家族に会えるという期待感が大きいのかもしれない。中高生の別れのシーンは、泣きながら抱き合い、ずっとファミリーから離れないという場面が多いのだが。。。。子供たちも最後のファミリーからお土産を持たされたりして、カバンはパンパン状態の子も。私にまで何人からのファミリーからお土産をいただき、恐縮する限りである。カズネとホストマザーからは、昨夜一緒に作った手作りチョコレートをもらった。最後の別れをして、バスは一路サンフランシスコへ。途中Bグループの数人の子は、サンフランシスコ寄りの地域だったため、途中でピックアップする。全員が揃い、一番心配したのだが、具合の悪い子がいなかったのが幸いである。思えば、来るときは具合の悪くなる子が多かったが、異文化の中へ今から行くんだという緊張感と、もう日本に帰るんだという安堵感は、体調にもこんなにも違いが表れるものなのだなと感じる。

途中ゴールデンゲートブリッジを通り、その後海側を通ってくれたため、太平洋の海を横に見ながら、最後のアメリカの景色を一生懸命シャッターにおさめていた。途中特段渋滞もなく、スムーズにサンフランシスコ空港に到着する。空港到着後は、搭乗手続きもスムーズにいき、セキュリティーも子供たちの団体だったので、今回は大人である私達も簡単に通り抜けることができてよかった。みんなの迅速な行動がなければ、空港での買い物が実現できないと話をしていたせいか、ここまでスムーズにいった。いつもはほとんど買い物する時間がない中、今回は1時間弱時間がとれたため、全員がスムーズに買い物をすることができた。でも事前に空港は高いから、できるだけサンタローザで買い物はしておくように伝えていたが、子供たちはまだたくさんお小遣いが残っている子もいて、必死に使い切って(?)いたようだ。もうここまでいくと、特別に私の助けを必要となく、自分たちでお金を出すことができているようだった。こういう所にも小さな子供たちの成長を垣間見ることができる。

無事に飛行機に乗り込み、 機内放送によると飛行時間は11時間30分だということ。長いなぁと感じたかもしれないが、食事も2回とおやつのサンドウィッチバーガーがでたが、ケントがガラスの容器に入ったアイスクリームパフェみたいなものを一人だけ食べていたので、「それどうしたの?」と聞くと「なんかわかんないけど、偉そうな人がもってきてくれた。」とのこと。おそらく搭乗した後に、あるアメリカ人ファミリーが席が離れてしまっていたので、彼に席を替わって欲しいと言われ、替わってあげたので、そのことで、お礼としてCAの人がもってきたのだろうと想像した。約11時間のフライトはやはり長かったのか、何度もあと何時間?と聞いてくる子供たちも。機内では文集のための感想文を書かせたり、早朝集合のため、ぐっすり眠りこむ子、友達とおしゃべりに興じたり、映画を見たりとそれぞれの過ごし方をしていたようだ。Bグループの美鈴先生が言っていたが、機内で犬を見つけたとのこと。エコノミークラスに、盲導犬とかでもなく、普通のペット風の子犬が二匹テーブルに乗せていたお客さんがいたとのこと。なぜそんなことができたのかわからないが、すごくびっくりした。私的には、子供たちがシートベルトにしばられている以上は、とりあえずは大人しくしているので、この時間は自分なりのちょっとしたリラックスできる時間であった。成田に無事に着陸した時には、ほっと安心。アメリカに到着した時のように、特に具合の悪くなる者もおらず、機内に忘れ物がないように再度促し、飛行機をあとにする。ここで東京のマナ、沖縄のマサヒ、カズネ、ワカナと福岡ヨシヒコとお別れである。沖縄と福岡は直接成田から出発する飛行機に乗り換えをする。

ここでジュニアのレイシーグループもほぼ同時間帯にシアトルから到着したので、九州に帰る組と一台の貸切バスにのって、羽田へ。途中ちょっと渋滞があったものの、時間には間に合うように羽田に到着。ここで、リョウマともお別れである。そこで搭乗手続きをすると、なんと鹿児島だけが、条件付きの飛行だということで、鹿児島空港での視界が悪ければ、羽田に引き返すということである。会社と連絡をとり、保護者に連絡をとってもらうように伝える。でも条件付きであっても、本当にそうなる確率はほとんどないらしいので、もちろん、保護者には一旦空港には来てもらわねばならないが、一応現状だけは伝えておく必要がある。ここで、美鈴先生は、航空管制での仕事も経験があるので、すぐに携帯で雲の動きなどをチェックしたりして、彼女からは「おそらくほぼ大丈夫だと思います。特に最終便なので、念のために、このような対処をするのだと思います。」とのこと。それを聞いて安心した。明後日から学校が始まる子供たちもいるので、なんとしても今晩着いてもらわないと困るなぁと思っていた。羽田でそれぞれ荷物を預け、あとはまた各県ごとに搭乗口へ。ゆっくりと別れができる間もなく、別れてしまったので、中にはきちんと別れができずに悲しんでいる子もいたようである。夕食の空弁を買わせて、各県の飛行機に搭乗する。ただ、機内に乗ったらすぐに寝込んでしまったようで、ほとんどの子供たちがテーブルに突っ伏して熟睡状態。無理もない。この時間はいつもほぼ全員が熟睡。最後のフライトでもあり、子供たちも一番緊張のほぐれる時間帯だったはず。途中でパイロットが、皆既月食である旨を教えてくれて、窓の外にくっきりときれいな月が見えた時にそれを見た人は、おそらく私だけだったと思う。全員寝ていたので、もう起こすことすらかわいそうなほど熟睡していた。

そして、無事に鹿児島に到着した時は、本当にほっとした。もし到着できずにまた羽田に戻ったらホテルの手配や移動など一仕事が待っているからだ。もちろん本社とも次のステップとしてホテルの準備も頭に入れていておいてもらったが、それをする必要がなくて本当によかった。そして、解散式を終え、無事に保護者に子供たちを渡した瞬間、私達の仕事が終わった。最終的に子供たちを無事に連れて帰ること。これを最終目標にしていたので、それをやり遂げられたことて満足感いっぱいで、疲れもなんのその。私も帰国後2日間は、夜中に目が覚めたり、早く眠くなったりとしたが、いまやっと疲れがとれてきたような気がする。

今日の朝、夢を見た。とてもおもしろい夢だった。なぜか、九州自動車道を私達の乗ったバスが走っており、そのバスに乗り切れなかった(?)という数名が、高速道路をゴーカートで走っているという滑稽な夢であった。私の頭は相当疲れていたのかな?起きて大笑いしたが、そんな行程ありえないでしょう?!でもバスの中から心配そうに見ていた私もそこにいたのですよ。夢の中のゴーカートの子供たちも無事についていたことを願いますが、途中で目が覚めてしまったのでわからない。(笑)
新学期が始まり、忙しさに追われて、お世話になったホストファミリーや先生たちにお礼の手紙やメールを送ることを決して忘れないで欲しい。無事に日本に着いたこと、そしてお世話になった感謝のお便りを必ず忘れずに送るようにして欲しい。そして、新しい学年でも英語がんばって、そして、アメリカで学んだことを新しい学年で活かしていって欲しい。また時間があったら、みんなともまた会ってゆっくりと話をしたい。保護者の皆様もたくさんのサポート、本当にありがとうございました。今後も今回出会ったチームサンタローザの子供たちの成長を見守り続けていきたいと思います。

 

 

 

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