日曜日は晴れて、少し暖かかったのだが、今日からまた雨。やはり寒い。時より土砂降りになり、また雷もなっていた。今日から、再び学校が始まった。週末をどのようの過ごしたのか、ホストファミリーと交流できたのか、終日ホストファミリーと過ごすことで、何か心境の変化などがあったのかなどを生徒たちに聞きたい思いを持ちつつ、スタディーセンターに向かった。週末は何人かの生徒がホームシックになってしまったようで、引率者の家にもホストファミリーから電話がきた。電話の向こうでは、泣きながら「お母さんに会いたい・・・」という子が二人いて、ただただ泣きじゃくるだけで、私も電話なので、まず落ち着かせるために深呼吸をさせてみた。話をしていくと、耐えられないとまではいっていなくて、ただ日記を書いていたら、急に日本のことを思い出したりしたらしい。しばらく話したら、だいぶ落ち着いてきたようなので、もうあまり考えないで、早くベッドに入るように促す。中には帰りの飛行機にのるのが怖いという子まで・・・。どうもマレーシア航空機の事故がひっかかっているとのこと。帰りの飛行機の中では隣に座っていいからと、言ってなだめた。
日本との食べ物との違いに、お腹を壊す子、寒さから夜中に咳が出る子など、症状は様々である。ただ、幸いにまだ今までに誰一人として病院につれていかなくてはならないほどひどい子はいない。ちょっとした体調の不具合は、日本からもってきた薬でなんとか対応はできているようだが、全く薬をもってきていない子は、ホストファミリーが夜に薬屋いいかなくてはならないような状況にまでなって迷惑をかけて申し訳ないと思う。唯一の救いは、昨日具合が悪くてもそれが翌日まで引きずっていないことである。ホームシックで泣いていた子供も、お腹を壊した子も、咳がでていた子もみんな翌日には元気な姿で登校してくれるのが、不幸中の幸いである。この週末は最初で最後の唯一の週末であるが、子供たちにとっては私たち引率者とも会わないし、二人で滞在している子はまだましだが、一人で滞在している子は更に孤独感を感じていたかもしれない。現に、朝私とスズ先生と一緒の車でいく子は、車に乗り込むやいなや、週末は日本語が恋しかったと。日本語を一気にしゃべりはじめた。やはり、子供たちにとってはある意味週末は過酷なのかもしれない。あるホストファミリーは、「やはりこの年齢の子供は、二人で滞在するほうがいいわね」と言っていた。
週末の話題では、アイススケート、ローラースケート、ボーリングを楽しんだ生徒、科学館やスヌーピーミュジアムに行った生徒、日本料理の玉子焼きや、ラーメン、味噌汁を作った生徒(味噌汁はあまり好評ではなかったらしいが、生徒たちは久振りに日本食が食べられて嬉しかったようだ)、サンフランシスコまで観光に行った生徒など、おのおのにホストファミリーとの時間を楽しんだようだ。また、日本の家族や友達にポストカードを送った生徒もいた(ポストカードよりも、生徒のほうが早く日本に着くかもしれない)。
朝、全員が集合したところで、注意事項を話して、先週と同じように、8つのグループに分かれての授業が始まった。現地の生徒も、日本の生徒の名前を覚えてくれていて、現地の生徒との交流も楽しくできているようだ。スペイン語の授業が行われているクラスでは、生徒たちが1つのテーブルに一人ずつ付き、花紙で花を一緒に作り、時には現地の生徒に作り方を教えていた。女の子たちだけではなく、男の子たちもなかなか上手に作っていたのには驚いた。やはり、日本人は手先が器用なのだろうか・・・。あるクラスでは、先生の手伝いもしていた。授業の準備ができた生徒にシールを貼っていくという作業。日本から持参した新聞紙でかぶとを作り、現地の子供たちにプレゼントしている生徒もいて、現地の子供たちもとても喜んでいた。また、クラスの先生も、生徒が作って持ってきた名刺をとても喜んでいた。あるクラスでは、日本の様子をスライドで見せてくれたクラスもあり、その中には、5月5日の端午の節句、子供の日の話がでてきたので、私が、それは男の子の健康と成長を祝う日で、女の子も3月3日に雛祭りという行事があることを伝えると、すぐにインターネットで「Hinamatsuri」を検索していた。そうすると、いきなり出てきたのが、You Tubeのヒナマツリ?という曲が流れて、びっくり。あぁ、これでは紹介にならないと、私でまた再検索をし、やっと雛祭りを正しく説明するページにたどり着いた。このクラスでは、折り紙をさせてくれたり、日本のことをたくさん学んでくれたのでよかったと思う。
生徒の日記のチェックを行う。あまり普段は楽しさなどを表情に出さない生徒も、日記には、ホストファミリーとの時間や、アメリカの映画などを楽しんだことなどが書いてあった。また、毎日何かしらホストファミリーのお手伝いをしている生徒、また、新しい単語を2つ以上見つけて、使っている生徒、日本のたこあげ、お茶の入れ方を教えたりしている生徒。また、アメリカ人は食事ではよくフォークを使う、小さな子供もおしゃれの子が多いなどの、日記からも生徒たちがこのホームステイで様々なことを体験し、発見していることが分かる。授業の後は、ランチ。先週は、なかなか自分たちが食べたいものをホストファミリーに言えずに、食べられないものが入っている生徒もいたが、今日はホストファミリーに好き嫌いや、食べたいものをきちんと伝えて、念願の?!ハムサンドイッチを持ってきていた生徒もいた。
午後の活動は、ホームレスや恵まれない人のために食べ物を袋に詰めるボランティアを行った。まず、女性スタッフが館内を案内してくださり、その後でボランティア作業を行った。今日はセバストポール在住の日本人のメグさんがきてくださり、お手伝いをしてくださった。メグさんは東京ご出身でこちらでNPO法人を立ち上げていらっしゃって、佐賀県の武雄市とセバストポールが姉妹都市ということもあり、お互いの街の交流の手助けをしていらっしゃる方です。ちょうど佐賀県からかえって来られたばかりだそう。日本のPM2.5のことをとても心配していらっしゃいました。
フードバンクでのボランティア活動の内容としては、りんご、にんじん、オレンジなどを小分けの袋に入れるという作業。生徒たちはまず手を洗い、ゴム手袋をつけてから作業開始。カレンはゴムに対してアレルギーがあるとのの申し出があったので、この作業はしていません。はじめは戸惑いながらも、生徒たちは、ふざけることもなく真剣に、また必死に袋に入れる作業を行っていた。途中、袋詰め担当、袋詰めされた袋の口を結ぶ生徒と役割分担を決め、効率よくスピーディー作業をしていた。自分のパートの分が終わったらすぐに終わっていないところに手伝いに行くなどして、積極的に活動に取り掛かっていた。すばらしいボランティア精神だなと生徒たちにつくづく感心しながら、引率者も作業を行った。今日は約30分間40人が行った作業で、900袋分の食べ物の袋詰めが完成させることができて、フードバンクの方からあなた方が900家庭分の助けになったことを伝えられると、子供たちも満足した表情を浮かべていたようだ。
アメリカではボランティア活動が盛んである。日曜日は、サンタローザの隣町にあるセバストポールという所にある園満寺というお寺で昨年のフィリピンで起こった台風の大災害のためのボランティア活動が行われており、私もスズ先生と一緒に行った。そこにはお腹が痛い生徒もいたが、ホストファミリーと一緒に作ったクッキーを食べたらよくなったと。そのことをホストマザーに伝えると、とても喜んでいた。ホストマザーは日本に帰る前にまた一緒に作って、それを日本に持って帰ってもらおうと思っていると。ホストファミリーと素敵な時間を過ごしている生徒も多く、嬉しく思う。今日は土砂降りで移動することすら大変だったが、午後の活動が終わって帰路に着くときに晴れ間が・・・。明日も雨でさらに寒くなるようなので、子供たちには着るものの注意と手洗いうがいの慣行を促した。今日は天気は雨だったが、誰かのために、いいことをしたという達成感で、心の中は晴れ晴れとした気分だったに違いない。このような活動が積極的に行われているのは、私たち日本人にも見習うべきところだろう。帰りにホストファミリーの仕事の関係でカープールで、シュンヤとミツキを一緒に連れて帰ったのだが、ホストファミリーを待っている間、シュンヤが「先生たち40人の世話をするのは大変だよねー。」と言ってくれたのが、まさか小学生からこんな気遣いの言葉をかけられるとは思わなかったので、嬉しい気持ちになった。確かに大変だけど、私たち引率者二人ともみんなとの時間を楽しんでいますよ。お気遣いありがとうね。
残りここでの生活も3日です。ホームシックになんかなってる暇はありませんよぉ!! 悔いのないように過ごしましょう!! ホームシックも、体調崩した子も大事には至っていませんので、どうぞ保護者の皆様、ご安心ください。彼らはそれ以上に元気でいつも笑顔でいてくれます。一つ一つ困難を乗り越えていっていますから、きっと日本に帰る頃は、たくましくなっているはずです! どうぞ安心して帰国をお待ちください。 |