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  オリエンテーションがついこの間のことのようだが、あっという間にアメリカへ旅立つ日がやってきた。私は、サンタマリアグループのメンバーより、一足先に羽田空港へ向かい、九州各県からの生徒たちを出迎えた。春休みや年度末のためか、空港はたくさんの人で混雑していた。そんな中、沖縄から数名、大分から数名というように、わんぱく留学・ジュニア留学の参加者たちが到着してきて、最後にサンタマリアの24名も到着した。みんな体調を崩すことなく、元気な姿で現れたので、ひとまず安心した。私を見た男子が「大佐!」と声をかけてくれた。どうやら今回の私のあだ名も「大佐」になったようだ。生徒同士は、まだお互い慣れていないので、最初少しぎこちなく、おとなしい様子だったが、成田空港へ向かうバスの中では、早くもあちこちで笑い声が聞えてきて、馴染んできたようだった。生徒たちからは、機内食はいつ出るのか、どんな食事なのか、ロサンゼルス空港までどれくらいかかるのか、スチュワーデスの方は英語を話すのか、アメリカの入国審査では英語で質問されるのか、ホストファミリーの名前の読み方、等々いろんな質問があがった。時差の関係で、アメリカに着くのは、今日の朝の10時半ころだよ、と言うと、「えー、変な感じ!」と言っていた。国際線出発を待つ間、それぞれ簡単に自己紹介をしてもらい、短い期間ではあるが、こうして縁あって出会った仲間と一緒に、それぞれが充実したプログラムを作り上げていくこと、そしてグループの仲間とこれからも長く付き合っていこうと話をした。いよいよ搭乗時刻となり、パスポートと搭乗券を見せて、飛行機に乗り込んだ。機内では、生徒たちは騒ぐこともなく、とても良い態度だった。周囲への配慮ができることは、とても大事なことである。楽しみにしていた機内食を写真に撮っている生徒もいた。2度も食事が出て、アイスクリームや飲み物が何度も出たので、食べてばっかりのような気がするね、と話していた。機内には日本人の方だけでなく、外国人の方も乗っていたので、英語での会話が耳に飛び込んできた。それだけでも、「うぁーすごい」とワクワクしているようだった。

約10時間のフライトを経て、ようやくロサンゼルス空港に到着した。入国審査で生徒たちは、何度も「サイトシーング(観光)、10デイズ」をつぶやいて、練習していた。何とか入国審査も終わり、かなりの長い列に並んでようやく税関検査を済ませ、到着ロビーへと出た。そこには、アメリカ人の2人の先生、ジーナ先生とシェリー先生が笑顔で出迎えてくれた。生徒たちは、初の英語のシャワーに戸惑いながらも会話をしていた。ロサンゼルス空港からは、バスでステイ地に向かったのだが、その途中のサンタモニカピアという場所に、お昼を食べるために立ち寄った。サンタモニカピアは、ビーチの側にある小さなお店が集まったエリアで、観光客でにぎわっていた。生徒たちは6から8人のグループで、それぞれお土産品店などを見たり、写真を撮ったりして過ごしていた。生徒たちは、アメリカ到着後初の買い物で、注文の仕方などを先生方にサポートしてもらいながら、食べ物を買ったりしていた。物を買うという行為だけでも、生徒たちにとっては、大きな挑戦であったにちがいない。これから毎日が挑戦や発見の連続だ。生徒たちには、ぜひ気付いたこと、驚いたことなどを細かく記録をして欲しいと思う。子どもたちの視点は面白い。今日も空港で、トイレの男女のマークが、日本は青と赤で色分けしているけれど、アメリカは同じ色だと言っている生徒がいた。言われてから、確かにそうだなと気付かされることも多い。また、なんでここに大砲のモニュメントが置いてあるんだろう、と言っている生徒がいたので、そのような疑問はメモを取っておいて、後からホストファミリーやアメリカ人の先生に質問するといいよ、とアドバイスした。ちょっとの工夫が学習につながる。これから期間中に、生徒たちからいろんな話が聞けるのが楽しみだ。

さて、サンタモニカを後にして、滞在地のサンタマリアまで3時間。バスの震動と疲れのため、生徒たちはウトウトしていたが、「もう到着するよ!」という先生方の言葉で、バスの中がざわめいた。バスの窓からは、スタディーセンターが見え、駐車場にはホストファミリーの車が止まっていた。バスが到着すると、ホストファミリーの方々が集まってきて、バスの窓の向こうに生徒たちの姿を探そうとしている様子も見られた。ホストファミリーの中には、生徒の名前を書いたサインボードやプレゼントを持って待っていてくださる方もいた。中には漢字で生徒の名前を書いているファミリーもいて、本当にありがたいなと思った。きっと一生懸命練習して書いてくださったにちがいない。ジーナ先生とシェリー先生が、生徒の名前をひとりひとり呼んで、ホストファミリーに紹介してくれた。生徒たちは、バスの中で復習していた挨拶の英文を使い、ホストファミリーと握手をしたり、ハグをしたりしていた。スーツケースを押しながら、ホストファミリーと帰って行く姿を見ながら、いよいよ今日からがスタートだと改めて実感した。アメリカの家族との生活の始まりである。この10日間で、家庭生活そして学校生活の中で、様々な多くの体験をする。これからの生徒たちの成長がとても楽しみだ。

 

  アメリカ到着して初めての登校日。生徒たちは、昨日それぞれホストファミリーの家庭でどんな時間を過ごしただろうか。生徒たちは、好きな音楽の話で盛り上がったという子もいれば、ファミリーとカードゲームをした子、お土産を渡したり、日本の話をしたり、買い物に出掛けたりしたようだ。英語が分からなかったという生徒も多かったが、英語が分からないのは当たり前で、何とかコミュニケーションを取ろうと努力することが大切だという話をした。そして、プログラム期間中は、2つのことを実行して欲しいと話した。1つめは、トライすること。10日間は思った以上にあっという間に過ぎてしまう。一瞬一瞬を大事にして欲しい。例えば何か分からないことがあれば、英語でアメリカ人の先生やホストファミリーに質問してみる。間違いを恐れることはない。2つめは、観察すること。その結果発見したことや感じたことを記録して欲しいと伝えた。そうしなければ、せっかくの発見も忘れてしまう。特に明日は中学校に行くので、しっかりその目で観察をするようにと話した。そして、生徒たちに、自分が知りたいことなど、質問を用意してくるように言った。午前中はスタディーセンターでオリエンテーションをした。ジーナ先生とシェリー先生が、ホームステイをする上で大切なことについての説明をしてくださった。感謝すること、相手への配慮、トライすること、お手伝いをすすんですることなどである。また、期間中のスケジュールについての話もあった。ジーナ先生は歌が大好きなようで、もし生徒たちが日本語を話したら、ジーナ先生が作詞作曲した「Engish only」という歌を歌わなければいけないという罰がくだされるとのこと。そのため、その後私が生徒たちに日本語で連絡事項をした時、生徒たちが話さないので、「今は日本語話していいよ」と言ったら、生徒たちから笑い声が起こった。オリエンテーションの後は、明日のシニアセンター訪問のために、英語の歌を練習したり、英語の授業をしたりした。ジーナ先生もシェリー先生も、生徒の名前を発音することとそれを覚えることに苦労していた。例えば、トヨツグという名前は難しいようで、トヨタと呼んでいた。英語では、RとLの発音が違うので、エリカにErikaなのかElikaなのか確認していた。日本人にとっては、違いはないので、質問に答えるのに戸惑っていた。

そうしている内に、ランチタイムとなり、生徒たちはスタディーセンターの中や外で、自由に好きな場所で食べていた。生徒のランチを観察すると、サンドイッチが多かったが、中にはチャーハンを持ってきている生徒もいた。また、男子でベーグルを7つも持ってきた生徒がいて、食べきれずに他の生徒にもあげていた。サンドイッチ以外にフルーツやヨーグルト、スナックなどもあり、キウイを持ってきた生徒がどうやって食べようか四苦八苦していた。飲み物も、日本で見たこともないジュースもあって、外見からは一体どんな味なのかも見当がつかないものもあった。また、ランチを入れてある紙袋に、「良い1日を!」とメモが書かれてあるものもあって、素敵だなと思った。ジュースを服にこぼしてティッシュが欲しいと言っていた生徒が、そのことをシェリー先生に一生懸命伝えようとしていた。「ジュース」と言って、自分の服を指差し、「オーノー」と悲しそうな表情をして見せて、何とか伝わったようだ。このように自分で工夫して、何とかコミュニケーションをとろうとトライしている姿を見ると、とても嬉しくなる。私よりもアメリカ人の先生方に質問をしている生徒が昨日より少し増えた気がして、また嬉しくなった。この調子だ! 

ランチの後は、スタディーセンター近くの小さな博物館に見学に行った。そこは、博物館というより展示室のような場所で、この辺りの地域の動植物について説明があったり、動物の剥製が展示してあったり、鳥の鳴き声を聞くことができたり、小さいけれど興味深かった。その後、サンタマリアの警察署を訪問した。警察署では、グループを2つに分けて、署内を案内していただいた。最初は罪を犯した人の指紋と写真を取る場所に案内され、その部屋を出てすぐに牢屋があった。中には車を盗んだ罪で捕まった人が入っていて、案内してくれた警察官の方が気さくに話しかけていたのには、少し驚いた。中にいる人も冗談を言っていて、明るい雰囲気だなと思った。日本の警察署で、このような場面を見たことはないけれど、きっと日本ではあり得ないことだと思う。そして、警察官の方が事務仕事をする部屋やミーティングを行う部屋を見せてもらい、パトカーの止まっている駐車場に案内された。特に男子が興奮して、パトカーの中に入って写真を撮ったりしていた。パトカーの後部座席はシートがプラスチックのような硬い素材で、とても狭く、居心地が悪そうだった。暴れる人もいるので、壊されないように頑丈にしてあるようだ。この警察署には100人の警察官がいて、その中の6人が刑事だそうだ。また、SWATという特殊部隊もおり、特別な訓練を受けた警察官で、20名いるそうだ。SWATの車両も見せてもらった。最後に、案内してくださった警察官の方にお礼を行って、スタディーセンターへ向かった。その途中市役所の庁舎を見学して、午後の地域散策は終了した。一旦ホストファミリー宅に戻り、6時半から私たちの歓迎会であるウェルカムパーティーを開いてくださった。ホストファミリーが自己紹介とホストしている生徒の紹介をしてくださった後、ホストファミリーがそれぞれ自宅から持ち寄った料理を、みんなでおいしくいただいた。パーティーでは、それぞれ歓談したり、写真を撮ったりして過ごした。ホストファミリーの中には、ホストファミリーになるのは、今回が19回目だという方もいらっしゃった。また、空手や剣道をしている方もいた。私たちを歓迎し、受け入れてくださったホストファミリーにどのようにお返しができるか考え、それを実行していきたい。明日の朝、生徒たちにも再度そのことを伝えようと思う。

 

  午前8時にフェスラー中学校に集合。今日は午前中をフェスラー中学校で過ごすのだ。学校に着くと、校舎の前で教頭先生が出迎えてくださった。アメリカの学校の先生は、スーツなどは着ておらず、トレーナーにジーンズというようなカジュアルな格好だった。そのため、日本人生徒たちは、教頭先生だと気付いていなかった。登校してくるアメリカ人生徒が興味津々に日本人生徒たちを見て、手を振ってくれていた。サンタマリアは、ヒスパヒック系の人達が多いようで、フェスラー中学校の生徒たちもヒスパニックの子どもたちが多かった。みんなとても人懐っこくて、日本人生徒たちに「Hi!」と笑顔で声をかけてくれた。まずは、図書館に行き、教頭先生の挨拶の後、今日のスケジュールや流れを説明し、アメリカ人の生徒たちが来るのを待った。学校のアナウンスで、日本人の中高生が学校で過ごすことを全校生徒に伝えてくださり、みんなで歓迎しましょうと話してくださった。そうして、24人のアメリカ人中学生が図書館に集まってきた。日本人生徒1人に、アメリカ人生徒1人がついてくれて、その生徒と一緒に授業を受けるのだ。生徒たちはもっと緊張して、後ずさるのではないかと思ったのだが、すんなりとアメリカ人の生徒と挨拶を交わして、一緒に教室へと向かって行った。日本人生徒の中には、アメリカ人の生徒に会えたのがよほど嬉しい様子で、会う人会う人に、「Hi!」と手を振って、声をかけていた。アメリカ人生徒と話すのが待ちきれないという様子だった。生徒たちからは、「Yes」とか「OK」、「Thank you」、「Oh my gosh!」など、時々英語が出てくる ようになった。アメリカに来てまだ3日目だが、若い子どもたちは順応するのが早いなと思う。また、「日本食を日曜日に作ってもいいですか?」を英語で何と言えばいいか、「鶏肉を買いにスーパーにつれて行ってください」は英語で何て表現するのか、ファミリーが迎えに来てくれて車に乗るときは、何と言ったらいいか、などなど質問してくることが増えてきた。そのことがとても嬉しい。

さて、フェスラー中学校では、午前中は3時間目まであって、生徒たちが自分の取っている授業の教室を移動する。授業と授業の間が3分ほどしかなく、結構バタバタする。授業時間の区切りが、8時46分から10時6分までと、日本人の私から見ると収まりの悪い感じがするものだった。日本と違うところが、授業によっては、Aデイ、Bデイと分かれているものがあり、例えばAデイの2時間目は月水金に体育の授業で、Bデイの2時間目は火木に美術の授業を受けるというようなものだ。そして、月から金まで1日の時間割は変わらない。つまり、1時間目に数学をとっていれば、月から金まで1時間目は、ずっと数学の授業ということになる。日本人の生徒たちは、全員バラバラに授業を受けているので、生徒たちのいるクラスを見て回った。時々、何人かの生徒が一緒の授業を受けることもあった。体育の授業では、体力テストを行なっていて、日本人生徒は審判のようなことをしていて、テストを受けているアメリカ人生徒が、腹筋を何回できたか数えていた。体育の先生には、日本の体育教師と共通するものを感じた。声が大きくて、とてもフレンドリーで、てきぱきしていた。ムードメーカーという印象を持った。また、科学のクラスでは、砂と鉄と塩を混ぜたものを磁石をつかったり、沸騰させたりして、最後に重さを量る実験のようなことをしていた。数学は問題が英語で書かれていて、解き方も違うので、よく分からなかったと言っている生徒もいた。また、日本では見かけない授業もあって、AVIDという授業で、大学に進学したい生徒が受ける授業とのことだった。ノートのとり方を学んだり、難しい語彙を勉強したり、大学の見学に行ったりするようだった。中学生の頃から準備をすることに驚いた。休み時間には、日本の生徒たちは、アメリカ人生徒たちに囲まれて、質問をされたり、写真を一緒に撮ってと頼まれたりして、まるで芸能人のようだった。日本人生徒がそれぞれ作ってきたネームカードを見て、アメリカ人生徒が「Cool!(かっこいい!)」と言っている様子もあちこちで見られた。今日は、午前中だけの滞在だったので、私たちは、1時には学校を出ることになっていたのだが、日本の生徒たちは、もっと学校にいたそうだった。「次はいつ来るんですか?」「1日中いられないんですか?」など、生徒たちが口々に言っていた。また、生徒たちは興奮気味に、今日どんなことをしたのか、授業を受けてどうだったか、アメリカ人の友達が何人できた等、私に報告してきた。来週、学校に来るのをとても楽しみにしているようだった。

名残惜しそうな生徒たちと学校の隣の公園でランチを食べ、シニアセンターを訪問した。ホテルのような綺麗な施設で、その施設のロビーでシニアの方々と時間を過ごした。まずは、グループの自己紹介をジーナ先生がしてくださり、その後、昨日練習した「You are my sunshine」「It's a small world.」を、ジーナ先生のギターに合わせて全員合唱した。それに続いて、女子生徒のピアノ演奏を披露した。アメリカに来て、久しぶりに美しい音楽に触れた気がして、感動した。シニアの方々からも大きな拍手をいただいた。最後は、折り紙を折ってプレゼントしたり、折り方を教えてあげたりした。なかなか英語が伝わらない場面もあったようだが、生徒たちは、本当に熱心に交流をしていた。やはり何かに一生懸命夢中で取り組むことは素晴らしいと思う。施設の方には、とても喜んでいただいたが、私たちの方こそ、貴重な時間を過ごさせていただいた。シニアの皆さんや施設のスタッフの方に全員で「サンキュー」とお礼を言って、お別れした。ホストファミリーが迎えに来る前に、生徒たちに、まず施設での歌や演奏、折り紙や交流など、一生懸命にチャレンジした姿が素晴らしかったことを伝えた。そして、月曜日に持ってくるものの確認と体調管理の話などをした。また、最初で最後のホストファミリーとの週末だが、ホストファミリーに何をしてもらえるか期待するのではなく、自分自身がどうやってお返しができるのか考えて、それを実行して欲しいと伝えた。私たちがアメリカでこのような体験ができるのもホストファミリーが家庭に受け入れてくださって初めて実現することであり、また直接的にではなくても、施設の方もそうであるし、学校の職員の方、私たちが気付かないところで、様々な方々の支えを受けている。感謝の気持ちを忘れずに、残りの時間を精一杯充実させていきたい。

 

  週末明けの登校日。アメリカに来て6日目だが、日本を出発したことがずい分前のことのような気がするのは私だけだろうか。ホストファミリーの車で生徒たちが次々とフェスラー中学校に到着してきた。生徒たちは、週末は、ホストファミリーにビーチに連れて行ってもらったり、近隣の町に出掛けたり、ホストシスターの誕生日パーティーに出席したり、ホストブラザーのサッカーの試合に行ったりして、それぞれ過ごしたようだった。中には癌撲滅運動のイベントに参加したという生徒もいた。前回のように、図書館でアメリカ人のパートナーが来るのを待ち、各クラスへと向かった。午前中は、緊急避難訓練の時間があった。アナウンスがあったら、生徒たちは机の下にもぐり、先生の指示があってから、校庭に移動するという訓練だった。つい先日、ロサンゼルスで地震があったばかりなので、タイムリーな訓練だ。ロサンゼルスでの地震は、サンタマリアでは全く影響はなく、地震があったことも全く分からないほどだった。ニュースの報道もほとんどなく、どちらかというと、ワシントン州北部で起こった地滑りのニュースと行方不明のマレーシア航空のニュースでもちきりだ。避難訓練では、校庭に集まった生徒たちが待つ間、生徒たちと一緒にいる担当、救急班の担当、各教室を確認する担当などに分かれていた。各教室を確認する先生は、中に誰も残っていないか確認して、誰もいないことが確認されるとブルーのテープをドアにはっていた。テープの役割は、確認済みを知らせることと、チェック後に誰かドアを開けたら分かるようにするためのようだ。

訓練終了後は、もとのクラスに戻り、授業を続けた。今日も先週金曜日の時間割と全く同じもので、生徒たちは、顔見知りも少しできて、今日はさらに顔つきがリラックスしているようだった。女子生徒が私の顔を見るなり、「最高です!」と言ってきた。最高なのは、もちろん私の顔ではなく、学校のことである(念のため)。そう言う生徒たちの顔はとてもキラキラして、楽しそうだったので、私まで嬉しくなった。1時間目と2時間目の間に、15分ほどの休憩時間があるのだが、その時も日本人生徒たちは、たくさんのアメリカ人生徒たちに囲まれて、写真を一緒に撮ってと頼まれたり、日本語で名前を書いてと言われたりしていた。そして、周りにいるアメリカ人生徒たちが、「彼女たち、とってもかわいいね」と、日本人生徒たちのことを話しているのが聞こえた。日本人の生徒たちが、アメリカ人をかわいいとか、かっこいいとかよく言うのを聞くが、アメリカ人にとって同じように日本人が魅力的に見えるんだなと思った。日本人生徒たちは、日本から持ってきたお菓子をあげたりして、言葉はなかなかうまく話せなくても、なんとか交流しようとしていた。そのため、アメリカ人の友達がたくさんできたようだった。

数学の授業では、先生が、アメリカ人生徒たちから日本人生徒へ質問をする時間を設けてくださった。アメリカ人生徒たちからは、日本の学校では1日何教科を勉強するのか、学校は何時から何時までか、宿題にはどれくらい時間がかかるか、日本の生徒たちはスポーツをするのか、好きな教科は何か、嫌いな教科は何かなどなど、質問が続いた。嫌いな教科は、日本語だと日本人生徒が答えると、教室からは笑いが起こった。また、アメリカの学校と日本の学校の大きな違いについて聞かれ、日本の学校の校舎は2階建てや、学校によっては3階建て、4階建てなどがある、日本には制服がある、給食がある、掃除は日本の生徒たちが行なうなど説明した。ちょうどその時、校長先生が見学にいらっしゃっていて、「生徒が掃除をするのは、いいシステムですね。メモを取っておこう。この学校にも取り入れようかな」とアメリカ人生徒たちにウィンクしながら、冗談を言っていた。その後に、日本の学校にはプールがあると言ったら、今度は、アメリカ人生徒たちが校長先生に「今のをメモして、参考にしたらどうですか?」と冗談を言っていた。アメリカの中学校にはプールはないらしい。数学の教科では、公式などを教えて覚えさせるより、生徒たちに図形や基本的なルールなどを教えて、自分で問題を解く方法を見つけさせるような教え方を取り入れようとしているらしい。公式を教えた方が早いのだが、自分の頭で考えさせることはとても大事なことだと先生がおっしゃっていた。5つの大事な考え方として、1.様々な角度から物事を考え、フィードバックしながら問題を解決する、2.論理的に自分自身の考えを証明する、3.知識を使い、新しい方法を編み出したり、問題解決を図る、4.自身の考えを他の考えや過去やこれから学習することに結びつける、5.今後起こりうることを予測する 数学とは、数字や計算の学問というより、考え方や問題解決の学習なのだと改めて思った。美術のクラスでは、先生が教壇でスプレーを使って絵を描いてみせて、生徒たちはそれぞれ鉛筆でデッサンし、色鉛筆で色を塗っていた。ある男子生徒が授業で必要な何かを忘れて、それがないからうまく描けないというようなことを先生に言い訳していたが、先生は「今日必要なことはあらかじめ分かっていたことで、それならどうやって問題を解決するのか?」と聞いていた。別の生徒が「必要なものは授業に持ってくること」と答えて、忘れ物をした生徒はそれ以上何も言えない様子だった。このことからも、自立心、結果責任、自力本願などのアメリカ人らしい考え方が見えた気がした。

今日は1日フェスラー中学校で過ごしたので、日本人生徒たちは、さらに友達も増え、自然にアメリカ人生徒たちと馴染んできたようだ。ランチタイムも、カフェテリアや外のテーブルで、日本人生徒で固まることなく、アメリカ人生徒たちと一緒に食べていた。授業が全て終了した後は、図書館に集合して、明日のサヨナラパーティーの話と、明日持ってくるものの連絡事項などをした。生徒たちには、私たちのためにいろんなことをしてくださったホストファミリーに感謝の気持ちを込めて行なうパーティーなので、全員が何らかの形で関わり、パーティーをぜひ成功させようと話をした。4時にホストファミリーが迎えに来てくださり、それぞれ帰って行った。1日1日があっという間に過ぎていく。アメリカでの日々も残りあとわずかとなってきた。一瞬一瞬を大切に使って欲しい。

 

  今日は1日スタディーセンターで今晩のサヨナラパーティーの準備を行なった。朝9時に生徒たちが全員集合し、今日のスケジュールについて話をした。今日はエイプリルフールだったので、生徒たちに「明後日、日本に帰る予定が明日に変更になりました」と伝えると、あちこちから、「えー!!!」「帰りたくない!」「何でですかー?」と口々に不満の声があがった。今日はエイプリルフールだよと言うと、一瞬きょとんとしてから、「なんだー、よかったー」「もぅー!!!」など、大騒ぎだった。ひとしきり笑った後、生徒たちに、「今、『しまった、これをしておけばよかった!』と思ったことがあるでしょ? それを残された時間の中で実行してください」と話した。生徒たちと話をしている中で、日本に帰りたくない、まだここにいたいという声が聞えてくる。きっと出発前はとても長く感じられた10日間が、今では瞬きする間に過ぎていくように感じていることだろう。パーティーの準備の前に、このプログラムについてのアンケートを書いた。このホームステイ期間で楽しかったことは何ですか?という質問に対して、生徒たちから一つしかチェックしてはいけないんですか?という質問があがった。それを聞いて、それぞれ楽しい時間を過ごしているのだと改めて安心した。アンケートの後は、出し物をどうするか話し合いの時間をもった。昨日、生徒それぞれから出し物について紙を提出してもらっていたので、それを私の方でまとめてきた。時間的な問題もあるので、それらをうまく収めるため、生徒たちと話をして、出し物を決めていった。出し物担当以外に、司会を2人、生徒代表でスピーチをする代表者も決めた。そして、ホストファミリーへのプレゼントのデコレーションをして、プログラムパンフレットの表紙の絵を仕上げたところで、ランチタイム。いつものように、ホストファミリーの家から持ってきたお弁当をみんなで食べた。やはり男子は体を動かしたいようで、スタディーセンターの敷地でボール遊びをしたりしていた。

ランチの後は、引き続きサヨナラパーティーの準備を進めた。午後からは、出し物の練習、出し物をしない生徒は、飾り付け用の折り紙を折ったり、フェスラー中学校へ渡す色紙にメッセージを書いたり、先生たちへ渡すメッセージを書いたりした。また司会者と進行についての打ち合わせをしたり、生徒代表でスピーチをする生徒の原稿作りの手伝いをしたりした。あちこちから、一気に「先生〜」「先生〜」と声がかかり、こんなに体が2、3個あればいいのに、と思ったことはなかった。本当に短時間での話し合いや準備だったので、かなりバタバタだったが、何とかおさまった(と思う)。最後は、リハーサルをして今日の活動を終了した。サヨナラパーティーの前に、私の方はすでにヘトヘトになっていたが、今夜のパーティーは絶対成功させるとみんなで話をして、家路についた。

6時からパーティーだったが、さすがアメリカ人、まだ半分くらいしか集まっていなかった。生徒たちが、それぞれホストファミリーと集まってきたが、浴衣やハッピを身に付けた生徒たちで、場が華やいだ。まずは、ホストファミリーの方々が持ち寄った食事を全員でいただいた。パスタやラザニア、サラダ、卵、フライドチキン、タコサラダなどなど、ご馳走がテーブルに並んだ。しばらく、ホストファミリーと食事をしながら歓談した後、いよいよ私たちの出番だ。まずは、シニアセンターでも披露した、「You are my sunshine」「It's a small world」「君が代」を、ジーナ先生のギターに合わせて歌った。そして、生徒2人の司会で、出し物スタート。14の出し物があったが、音楽あり、ダンスあり、スポーツあり、マジックあり、生徒たちは本当に頑張った。生徒たちが披露する度にホストファミリーの皆さんが盛り上げてくださった。特に声が大きくなるのは、披露している生徒のホストファミリーだった。やはり自分の"子ども"が出るのは嬉しいものだ。生徒たちは、人前での発表に、かなり緊張していたはずだ。大人の私でも心臓がドキドキするのだから、子どもたちはなおさらだ。ちょっと失敗したりした生徒もいて、悔しそうな表情を浮かべたが、間違えることは、大したことではない。チャレンジしたことが素晴らしい。今夜は、生徒たちから力と勇気をもらった。出し物をしなかった生徒たちも会場設営や飾り付け、習字など、別の部分で、精一杯取り組んだ。パーティーでの態度も立派だった。全員素晴らしかった。このことを明日の朝、生徒たちに話をしようと思う。出し物の最後に、生徒代表のスピーチがあり、私たちのパフォーマンスを締めくくった。

その後は、ジーナ先生とシェリー先生にバトンタッチ。生徒たち一人一人が呼ばれ、修了証書を受け取った。そして、その場で生徒たちからホストファミリーへのプレゼントが渡され、記念写真を撮ったりした。地域責任者のドロシーさんも会場に来られ、スピーチをしてくださったのだが、その中でパーティーがとても素晴らしかったと褒めてくださった。みんなで協力し、一人一人が自身の最善を尽くして取り組み、プロジェクトを成功させるということは、とても楽しいし、達成感がある。生徒たちも同じように感じてくれていると嬉しい。パーティーの後、ホストファミリーの方に話しかけられた。子どもたちに日本に帰って欲しくない、もっとここにいて欲しい、明後日帰ってしまうなんて寂しい、などおっしゃってくださった。それを聞いて、生徒たちは、ホストファミリーにお返しが出来たなと思った。

 

  フェスラー中学校で過ごす最後の日。サンタマリアは朝から雨が降っていた。登校してきた生徒たちは私に会うなり、「先生、今日は1日中学校で過ごすんですか?」と聞いてきた。その通りだと答えると、「やったー!」とガッツポーズ。生徒たちは、中学校に来るのがとても楽しみのようで、どれだけ友達が出来たか、連絡先をもらったとか、写真を一緒に撮ったとか、興奮して話しかけてくる。喜びが自分の中に収まりきらず、溢れてくるのがよく分かる。それはアメリカ人生徒も同じのようで、日本人生徒たちと話がしたくて、いつも生徒たちの周りはアメリカ人の生徒たちの人だかりができている。あちらこちらに、生徒たちの固まりが見られる。アメリカ人生徒との交流には、日本での事前のオリエンテーションで説明した、首から提げるネームプレートがとても役に立っている。そのネームプレートは、生徒たちそれぞれが絵を描いたり、シールを貼ったりして、デザインした自己紹介の内容が入っているが、アメリカ人生徒たちがそれを眺めている光景をよく目にする。今朝、そのネームプレートを忘れた生徒が2名ほどいたが、自分で工夫して折り紙に自己紹介を書いて、胸につけていた。文化の違う環境では、日本での生活のようにスムーズにいかないことも、計画外のことも起こる。その時に、どうやって工夫して乗り越えるかが大切になってくる。それが問題解決能力であり、それができる人とできない人の差は大きい。ネームプレートのことは小さなことかもしれないが、一事が万事。大人だろうが子どもだろうが、同じことだ。生徒から学ばされることは多い。

いくつかの授業では、近々行なわれるテストの練習をしていた。というのは、新しい教育システムになり、今度からパソコンでテストを行なうことになったそうだ。そのため、どのように問題を開いて、解答するか、終わったらどうするか、などを学んでいた。また、数学のクラスでは、2問の問題が与えられ、それを5人ほどのグループで10分以内に解答するということをしていた。問題の内容は、「50以上100以下の数字で、7で割ったら4余り、10で割ったら8余る数字を答えなさい。」「ジェイソンは4足の靴と4枚のズボンを240ドルで買いました。1足の靴の値段は、ズボン1枚の4倍の値段です。靴とズボンの差額はいくらでしょうか。」というようなものだった。生徒たちは、協力しながら答えを考えていた。時間がきたら、グループごとに答えを言い、なぜそうなったのかを説明していた。授業の様子を見ていて、生徒たちが話す機会が多いように思った。日本人の私の目から見ると、アメリカ人の先生はあまり厳しくないように見えたが、ただ、言葉遣いには厳しく注意をしていた。各教室は、それぞれの先生が掲示物などを張ってあり、クラスルールやそれを守らなかったときの罰について、授業に必要なもの、成績の目安などが張ってあった。アメリカの学校では、Responsible(責任)やRespect(尊重というより他者への配慮という意味合いだと思われる)という言葉があちこちで見られた。体育の授業では、男子3名が参加していたのだが、腕立て伏せを何回できるかテストをしていた。日本人男子生徒一人がかなりの回数をこなしていて、周りにアメリカ人生徒たちが集まってきた。終わった後は先生も含めてみんなから拍手が起こり、「Good job!(よくやったね!)」と声をかけられ、先生とハイタッチしていた。男子生徒は嬉しそうだった。

生徒たちの日記を読んでいると、いろんな発見をしているのが分かった。ある生徒は、アメリカではいろいろな建物で国旗を掲げているところが多いので、どれだけ多いのか建物の写真を撮ることにした、と書いている生徒がいた。面白い試みだと思った。また、学校のチャイムが、ブザーのような音だと書いている生徒もいた。その他、制服がない、休み時間が短い、学級クラスがない、一つ一つの授業時間が長い、などそれぞれ気付いたことを記入していた。それを、確かにそうだなと思いながら読んでいた。アメリカの学校には、日本のような職員室がなく、先生方がランチを食べたり、コピーをしたり、授業の準備をしたりする部屋があるだけだった。先生方もとても親切で、フェスラー中学校に来てくれてありがとうとおっしゃってくださった。また、サンタマリアにはメキシコからの移民の方々も多く、保護者の方は英語がうまく理解できない方もいらっしゃったり、育った背景や文化が違うことで、コミュニケーションが難しいと感じると話してくれた先生もいた。さて、今日はフェスラー中学校にお世話になる最後の日ということで、生徒たちには、一緒に授業などを受けたパートナーに、折り紙などに日本語で名前を書いてあげて、プレゼントしたらどうかと、朝の会で話をしていたので、日本のお菓子と一緒にあげていたようだ。中には、逆にアメリカ人パートナーからプレゼントをもらっている生徒もいた。大きな画用紙に、何人かがメッセージを書いてくれていたり、あまり目にすることのない2ドル紙幣をもらったという生徒もいた。お菓子の入ったバスケットをもらっている生徒もいた。生徒たちが成長して、再会できると本当にいいなと思う。授業が全て終了し、生徒たちは図書館に戻ってきたのだが、名残惜しい様子で、話をしたり、写真を撮ったり、ハグしたりで、なかなか帰らない。ようやく全員が図書館の中に入り、明日のスケジュールと、帰国の荷物についての注意事項をした。そして、今日がホストファミリーと過ごす最後の日なので、サンキューカードを渡したり、お手伝いをしたり、話をしたり、一緒に過ごすように話をした。自分がファミリーのためにできることをするように伝えた。また、グループの友達とも連絡先を交換したりして、これからも友達付き合いを続けていくことを勧めた。そんな話をしながらも、明日この地を離れるという実感はわかない。何度も書くが、10日間はあっという間だった。そのことを、文字で書く以上に実感している。

 

 午前中はスタディーセンターでの活動が予定されていた。まず、このプログラムについてアンケートを書くことから今日の活動がスタート。もちろん英語で質問が書かれているが、辞書を引きながらそれぞれ回答し、時々私もサポートした。最初の頃は特に、「先生、これはどういう意味ですか?」「訳してください。」など、自分で考える前に私に聞きにきていたが、その度に、「まずは自分で考えてみて、それから質問してごらん。」とか、「ジーナ先生やシェリー先生に英語で質問をトライしてごらん。」というように促していた。少しずつ生徒たちも自分たちでできるようになったように思える。自分でやってみる楽しさを感じてくれたら嬉しい。その後、期間中に訪問したり、お世話になったりした施設へ、感謝の寄せ書きを書いた。スタディーセンターとして使わせていただいた教会の施設、シニアセンター、自然史博物館、警察署などである。また午前中の時間に、ジーナ先生とシェリー先生へ質問をしたり、逆に生徒たちへ先生方から質問があったり、ジーナ先生が自作の曲を歌ってくださったり、先生たちとのコミュニケーションの時間を持つことができた。その中で私も少し時間をもらい、生徒たちとこの10日間を振り返ってみた。アメリカに来る前と比べて自分自身が変わったと思うところはあるか、期間中に日米との比較でどのようなことを発見したか、期間中を通してどのようなことを学んだか、などを生徒たちに考えてもらい、発表してもらった。もちろん、まだアメリカにいる私たちは、自分自身の変化などまだ分からないとは思うが、現時点で思うことを発表してもらった。生徒たちからは、日米の違いについて、駐車場が斜めに止めるようになっている、先生が授業中食べ物を食べていた、夕方の5時になっても時間を知らせる地域のチャイムが鳴らない、トイレットペーパーホルダーに蓋がついていない、高速道路が無料である、アメリカのレシートは長い、教室にかばんを置く棚がない、授業中先生は黒板をほとんど使わない、など興味深い意見がたくさんでた。また、期間中学習したこととして、笑顔が大切だということ、感謝すること、トライすること、自己主張ができるようになった等が挙がった。生徒たちには、日本に帰国してから再度今日話し合ったことについて考え、自分の考えたことをまとめることを勧めた。そして、今後も今回の体験を振り返り、考え続けることの大切さを伝えた。そのことが、10日間という短い期間ではあるが、その体験を活かしていくことにつながる。

 あっという間に午前中の時間が過ぎてしまい、一旦ホストファミリー宅に戻って、スーツケースをまとめたり、ホストファミリーとの最後の時間をそれぞれ過ごした。ここにきても、まだ今日帰国するという実感が持てなかった。再集合の時間は445分であった。スタディーセンターに到着すると、すでにバスが来ていた。日本からやってきた時もこのバスでサンタマリアまで来たんだよなぁと一人感慨にふけっていた。そのうち、ホストファミリーと一緒にスーツケースをころがしながら、生徒たちが集まってきた。バスには誰も乗り込まず、最後の最後までホストファミリーの側にいたい様子だった。出発の時間がだんだん迫ってくるにつれ、涙を流す生徒やホストファミリーの姿が見られ、お互い抱き合ったり、握手をしたり、「また戻っておいで。」と声をかけてくれているファミリー、悲しいお別れのシーンがあちこちで見られた。ホストファミリーの方で、「こんなに別れが辛くて耐えられないので、もうホストするのは無理だ。」とおっしゃっているファミリーもいらっしゃった。ジーナ先生とシェリー先生に促され、重い足をひきずりながら、生徒たちは一人また一人とバスに乗り込んだ。バスの中でも、ホストファミリーが見える窓側に生徒たちは席を陣取り、窓ガラスにくっついて手を振っていた。この10日間、長いような短いような日々であったが、生徒たち一人一人の中に、たくさんの思い出とともに、新しい世界に触れて得られた刺激や考え方、そして生まれた自信、友情、感謝の気持ち、新しい目標などがつまっていることだろう。期間中は、けじめをつけること、自分自身をコントロールすることを中心に指導してきた。また、トライすること、観察することを生徒たちに繰り返し伝えてきた。逆に生徒たちから教えられたり、助けられることも多かった。第一には、生徒全員が怪我もなく、無事日本に帰国したことが何より嬉しい。そして、今回のプログラムを通して、各自が楽しかった体験だけでなく、失敗したことや困った体験などからも多くのことを学びとることができたのであれば、さらに嬉しく思う。私は生徒たちに本当に恵まれたと心からそう思っている。最後に羽田空港で男子生徒の掛け声で、全員が「ありがとうございました!」と言ってくれた時には、涙をこらえることができなかった。鬼の目にも涙で、子どもたちに一人一人声をかけながら、飛行機の中へ見送った後も、誰もいなくなった搭乗口で、飛行機の飛び立った空をしばらく眺めていた。

 

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