ホームステイとは何なのか。ホームステイでは何が得られるのか。40年以上にわたって、国際交流教育事業に関わってきた南日本カルチャーセンターによるホームステイの現状と提言です。

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■ 1 変わりゆくホームステイ
■ 2 変化の背景
■ 3 ホームステイプログラムと
    ホームステイツアー
■ 4 ホストファミリーへの影響
■ 5 一般的な参加者の現状
■ 6 参加者と主催者に求められるもの
■ 7 異文化では、始めにトラブルありき
■ 8 最後に

執筆者: 南日本カルチャーセンター 代表取締役社長  濱 田 純 逸

■ 2 変化の背景

 それでは、40年前の黎明期の時代に、保護者は何故高額な参加費用を、子どものために工面されたのでしょうか。保護者は何故子どもがホームステイに参加することを許可されたのでしょうか。今とは異なり、情報も極めて少なかった時代です。ホームステイの持つ教育的な成果などというものも、主催者側ですら掌握できていなかった時代の話です。さらに、出発の日は、両者が涙を流すほどの覚悟をして別れなければならない悲壮感漂うプログラムに、大金を支払う価値をどう考えられたのでしょうか。それは間違いなく、保護者がホームステイを異文化学習と国際理解の学習の場と、理解していたからにほかなりません。来たるべき21世紀に生きる自分の子ども達には、国際感覚と英語力が必要であると痛感していただけに、ホームステイの成果にそれらのものを期待していたわけです。すなわち、ホームステイを教育的なものとしてとらえ、「かわいい子には旅をさせよ」というような気持ちで、その参加費用を支出されていたのです。そして、子ども達も保護者のその認識を理解し、異文化理解の学習の場としてホームステイに参加していました。このことは、先述した市長室での姿が如実に物語っています。ところが、その保護者の理解の仕方も、価値の多様化とともに、変化、分化してきているのです。

「小学生の時はニュージーランドでホームステイしたので、今度はアメリカに行って、高校生になったらイギリスね。」という親子の会話も、今では身近に聞かれる現実の話です。「本場のディズニーランドに行けるのなら、ロスでホームステイしたい。」とか、「アメリカよりカナダの方に行ってみたい。だって、自然がきれいそうだから。」などの子ども側からの希望もあれば、「オーストラリアもニュージーランドも行ったので、今度はアフリカでホームステイできたら、あなたの好きな動物たちもたくさん見られるからいいんじゃない。」という母親の話も、娘にとっては魅力的なものです。初めてのホームステイをどこの国で体験するかは、極めて重要な問題であるにもかかわらず、行き先選択の視点は観光なのです。多くの様々な国へ行かせたいという親の意見と、いろんなところに行ってみたいという観光目線の娘の意見は、すぐに合意を見ます。「何不自由なく、自宅で生活する息子に、他人の家で不自由な生活を体験させたい。」という精神的な鍛練や自立を目的とする父親の考えも、ホームステイ参加の理由の一つです。「日常的に英語を使える環境をホームステイで適えてあげたい。」という英語の学習なども、参加者がホームステイに求めるものです。世は様々、中には「男なら、太平洋を一人で渡って帰ってくるだけでも価値がある。」という考えを持つ父親が、息子さんを参加させられたこともあります。このような多様化する保護者の価値観も、参加者のホームステイに対する参加意識に、微妙に影響を与えています。

当初は「異文化学習」という言葉に代表されるように、ホームステイへの参加は、純粋に「異文化学習の場」であるという自覚が、明確に参加者と保護者に存在していました。その純粋な「異文化学習の場」であるという意識が、次に、「体験学習」という意識に変化していきました。すなわち、異文化で様々な体験をすること、そのこと自体に大きな意義があるとして、プログラムの目的が少し拡大解釈される形になっていきました。そして次には、体験学習そのものに意義があるという考えが、ホームステイに参加すること自体に意義があるという変化を見せ始めました。そして、異文化学習の方法論としてのホームステイであったものが、ホームステイそのものに価値があるかのごとく、方法論が目的化していき、ホームステイに「参加する」ことで、まるで、異文化理解や相互理解の学習目的が達成できるという誤解にまで、今や発展しています。ですから、色々な国に行かせるだけで、ホームステイするだけで、国際的感覚や視野が身につくというような誤解が生まれ、参加者や保護者、さらには、プログラム主催者の少しずつの微妙な意識の変化が、時間の経過と共に、大きな認識の相違と誤解に発展していった現状を、私は複雑な思いで受け止めております。

それでは、「異文化学習や国際理解」であったホームステイが、「子ども達のための海外旅行」へと変化している原因は、どこにあるのでしょうか。その原因には、先述した「保護者の価値の多様化」、「参加者の認識の微妙な変化」以外にも、複数の間接的、直接的要因が考えられます。

まず、間接的遠因としてあげられるのが、日本における海外旅行人口の飛躍的な増加です。1974年の年間日本人海外出国者数が、約250万人に過ぎなかったものが、今では約1900万人に増加しております。このデータに呼応するように、センターが初めてホームステイを実施した、1974年の参加者157名の中で、パスポートを所持していた者はゼロであったものが、1980年は1.3%、1990年は12%、2000年は27%、2010年は28%と、パスポート所持率は上昇しています。すなわち、40年前は、参加者全員が初めての海外渡航がホームステイという状況であったものが、今では、4人に1人の参加者達は、ホームステイに申込む前に、海外渡航歴があったということです。さらに渡航状況を調査すると、家族旅行として短期間ではありますが、アジアを中心に、ヨーロッパ、北米、オセアニアと広範囲に亘っており、その内容と数字から、今や生徒が海外に出かけることは、極めて一般的になりつつあるという印象を抱きます。前回は家族で海外旅行へ行ったので、今回は一人でホームステイに参加するという、ホームステイに申し込む時点では、いわば海外旅行の延長でしかない参加者側の意識を想像するに難くありません。ですから、多くの参加者が、ホームステイは長期間の家庭滞在を楽しみながら、様々な観光地に行くことができ、買物や食べ物でも幅広く楽しめると考えるのも不思議なことではありません。

次に、直接的要因として考えられるのが、ホームステイの実施が、様々な団体よって行われるようになったということです。実施する主催者は、当初、主に国際交流事業団体等が中心であったものが、大学、短大、高校等の学校法人や語学学校や塾、さらには任意団体から観光旅行会社と枚挙にいとまがありません。さらには、修学旅行ですら渡航先は海外で、驚くべきことに、10日間程度の全行程の中にも、数日間のホームステイ体験が組み込まれているのも珍しいことではありません。「家族の一員として生活する」というホームステイの理念的一面性において、数日間の滞在というものは、実質的にはもうホームステイの態すらなしえていないのです。こうなると、国際理解教育事業を標榜するセンターとしては、絶望的な思いにもなります。寿司職人が回転寿司の注文を受けたような、ラーメン専門店でカップヌードルを求められたような、そんな違和感を抱きながら、これまで、そんな修学旅行の学校からの見積もり依頼を、何度、丁重にお断りしたことでしょうか。少なくとも、私どもはホームステイを方法論として、参加者たちの意識をどのように啓蒙させ、どのようにプログラムの成果を画策していくかについて、研究しながら、また、研鑽を積みながら、今でもそのあり方を模索し続けているわけであって、国際理解教育事業に参画しているという誇りは、依然として持ち続けております。そして、娯楽性と歓楽性に満たされた海外旅行の商品開発に見られる、「売れる商品」だったら、「何でも作って販売する」という意思は、持ち合わせていないということです。それが「旅行」ではなく、「教育」としてホームステイを位置づけている私どもの矜持なのです。

それでも、ホームステイの、その底辺の広がりという意味において、プログラムの実施団体が拡大していくことは、好ましいことなのかもしれません。でも、その底辺の広がりが、右を向いても、左を向いても、「ホームステイ、ホームステイ」という、余りにも皮相的な環境を作り、皮肉にも先述したような、ホームステイの観光旅行化を促進しているという現実に直面すれば、それを否定して、正しくあるべき方向に軌道を修正したくなるだけの話です。問題は、それらのプログラムを実施する団体が、そのホームステイの理念や目的や趣旨を、どれだけ正確に消費者に説明し、それに反映した形で指導や実践をされているかということだろうかと思われます。でも現実は、先述しましたように、ホームステイ参加者のホームステイに対する認識の微妙な変化と同様、プログラム主催者や実施団体のホームステイに対する認識も、刻々と消費者ベースに呼応して変化し、消費者のニーズに迎合し、消費者の需要を満たすことに専心する商業至上主義的視点が、この異文化学習の方法論としてのホームステイにも、大きな影響を与えているのが現状です。例えば、雨後の竹の子のように、これらのホームステイ実施団体は生まれては消え、消えては、また名を変えて、生まれている現状を眼にするだけで、その商業主義は眼を覆いたくなるような気持ちにもなります。この40年間にどれだけの団体がホームステイを実施し、また、止めていったか、不幸にも、その事実が全てを物語っているように思われます。結局、売れるから実施し、売れないから止めるというのは、教育ではなく、ビジネスであるということの証ではないでしょうか。

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