MNCCスタッフによる活動写真・動画と、引率者による文章レポートを掲載します。上記バナーをクリックしてご覧ください。

 
レポート更新情報
更新日
期 間

7月27日

7月26日(日)
7月29日
7月27日(月)〜28日(火)
7月31日
7月29日(水)〜30日(木)
8月3日
7月31日(金)
8月5日
8月3日(月)〜4日(火)
8月7日
8月5日(水)6日(木)
8月10日
8月7日(金)
8月11日 8月10日(月)
8月13日 8月11日(火)12日(水)
8月17日 8月13日(木)
8月19日 8月14日(金)
8月21日 8月17日(月)
 出発の日です。午前9時半に那覇空港に集合した子どもたちは緊張と不安、そして少しの期待が混じった表情をうかべていました。心なしか皆少し足取りが重い様子で手荷物検査を済ませ搭乗口付近で成田空港行きの飛行機を待ちます。待合所での子どもたちの様子を見ると、全体としてこれまでに顔を合わせる機会が2度はありましたが、まだまだ集団としてはぎこちなさを隠しきれませんでした。「それも3日もすれば皆打ち解けてくれるでしょう」そんな希望的観測を胸に、那覇発成田行き2158便、午前11時55分、待ちに待った24日間のホームステイが始まりました。成田空港に着いてから国際線の出発まで少し時間があったので皆で英会話の練習をして過ごしました。那覇空港での緊張もほぐれていき子どもたちの表情も変わっていきました。こういった時間もとても大切な交流の時間だなと実感しました。

ですがここでひとつトラブル。出国手続きを済ませ、人数確認のため点呼をすると、なんと1人足りない!!!さらに僕たちは手続きを済ませてしまっていたため誰も後戻り出来ない状態でした。焦りながらも空港のスタッフに事情を説明しているとその子が何食わぬ顔で出国手続きを済ませて出てきて一安心。胸をなで下ろし国際線へ。

国際線では、約9時間もの時間を飛行機の中で過ごさなくてはならないと嘆いていた子どもたちもいざ飛行機に乗るとタッチパネル式のシートTVや機内食など初めての経験だらけの国際線に興奮しっぱなし。それでも時間が経つに連れて皆眠りに落ちていきました。安心して僕も一眠り。

到着2時間前に客室乗務員に起こしてもらい子どもたちの様子を見てみるとほとんどの子はまだぐっすり眠りについていました。アメリカの大地が肉眼で見える距離になってくると周りのざわつきに皆だんだん目を覚まし始めアメリカを一目見ようと窓の外を覗き込んでいました。なかには飛行機が着陸しても爆睡、なんて子もいましたが。

緊張しながら入国手続きを済ませるとTCが暖かくお出迎え。バスに1時間程度揺られてやっとのことでポートオーチャードへ到着。ウェルカムパーティーに備えてスタディーセンターでホストファミリーを待っているとここでもうひとつトラブル。なんと財布をバスに忘れてしまった子がいました。それでもなんとかTCの方が連絡をつけてくれて財布を無事見つけることが出来ました。

財布紛失でばたばたしている間に続々とホストファミリーが登場し、子どもたちの表情から笑顔が消えていきました。笑。待ちに待ったホストファミリーとのご対面です。難なく意思疎通が出来る子、緊張しながらもなんとかコミュニケーションを取ろうとする子、全く目を合わせることすら出来ないでいる子、みんなそれぞれの反応でホストファミリーとお昼を共にし、初日を締めくくりました。明日以降が非常に楽しみな初日になりました。残り23日!楽しむぞー!

 2日目です。緊張しっぱなしの初日、ホストファミリーのみとの一夜を過ごした子どもたちの表情にはやっと日本語が通じる相手と会えたことへ対する安堵の色が伺えました。スタディーセンターでの授業がついに始まります。

まず初めにオリエンテーションをしてそれから毎日使うジャーナルの表紙づくりに取りかかりました。先生が話す英語に耳を傾けながらも今ひとつ理解しておらず、理解していないのにも関わらず笑ってごまかしそのまま時が過ぎていく。そんな一面も見られましたがやはり何事にも積極的にトライすることを頭で理解するのみに留まらず実践してほしいと思い、子どもたちにまず目を見て話を聞くこと、そして反応することを理解してもらいました。するとある生徒が先生に対して質問を投げかけることができ、大きな一歩を踏み出すと周りも呼応するように分かったときにYESと返事が出来るようになりました。

 非常に大きな進歩を遂げた午前中を終えランチタイムに。それぞれがそれぞれのランチを持ってきていましたが意外に多かったのがカップラーメン。事前にこういったこともあるよと聞かされていたもののこんなに多いとは。本人達はあまり意に介さない様子でしたがこれが毎日続くとなると話は別。しっかり意思表示出来るようにと伝えておきました。明日はいくつカップラーメンに会えるかな。

 ランチタイムに先生とお話をすると、先生も日本人の子どものためにと尽力されている様子が伺えました。話すときに目を覗き込むのは無礼に値するのかといった質問や、全体に話を聞いてもらうときには何と言ったら良いのかなどを考えて接している様子を見て感心しました。

 午後は消防署見学と町の中心部でのショッピングです。消防署ではアメリカンサイズの消防車の説明を受け、実際に車内に乗せてもらいホーンやサイレンを鳴らしたり、消火用ホースで水を撒いたり、やけにアットホームな署内を見学させてもらったりと、普段できない体験をさせてもらいました。(写真を取ろうとしている僕をめがけて放水する子がいました。見事に命中。)

 本日最後は街に出てのショッピングです。アイスクリームを食べたり、思い思いに買い物をしたりなどしてそれぞれの時間を有意義に過ごすことができていました。明日もこの勢いで満喫するぞ!!

 朝9時にスタディーセンターへ。今日からクラスをYvonne先生とAnna先生の2つの少人数クラスに分けて行いました。日本で美しいものを紹介しアメリカに来て美しく思ったものを発表し合いましたが、最初から物怖じせずに手を上げて発言できる子もいる一方で日本の子はほとんどがシャイでなかなか自ら手を上げて発表することができずにいました。先生も子どもたちが黙っているので理解しているのかいないのか分からずに困ってしまいました。そこで、先生も君たちの反応がないと困ってしまうんだよと説明すると少しずつ、思い出したように反応が出てきてクラスも活気を取り戻すことができました。その勢いでビンゴゲームです。すごく盛り上がることが出来ました。

3日目にして1つちょっとした問題が発生しました。昨日、子どもたちがホストファミリーに準備してもらったランチを、量が多い、若しくは嫌いな物があるために食べきれずにいました。そしてそれをそのまま持って帰るのがホストファミリーに気の毒なのでスタディーセンターで捨てていってしまっていたのです。そのことを知った先生方が「ランチを残すことは何でもないんだよ。」「家に帰ったときに、多くて食べられなかった、若しくは嫌いな物がある、と伝えればいいのよ。」と教えてくれました。もし自分でそれが伝えられなかったらこの先ずっと同じことの繰り返しになってしまいます。それを理解した子どもたちは無理して完食することもなくランチを捨てていくことも無くなりました。お家に帰ったらしっかり言えるかな。

 ランチを済ませたら午後は地元の高校の見学です。歩いて5分もないところに地元の高校があり、皆で見学にいきました。見学に行った高校は生徒数が約三千人、キャリアの専門コースが90もあるなどと非常に大規模な高校でした。夏休み中なのでサマースクールに来ている生徒以外はほとんどいませんでしたが、いくつかのコースの生徒がいてどんなことを勉強しているのか熱心に尋ねている子もいました。見学中の子どもたちはとにかくあらゆるものに衝撃を受けていました。700人収容可能な劇場、2つある体育館、カフェ、学校内の銀行、いたるところに描かれている卒業生の壁画、テレビスタジオなどなど。日本の高校では想像もできないような学校の様子に驚きを隠せずにいました。本当に貴重な一日なりました。途中、体調が悪くなってしまった子もいましたが少し休んだ後は皆と合流し最後まで見学をすることができました。 あしたはフェリーに乗って博物館です。楽しみ♪

 4日目。夏なのに寒い朝。沖縄の冬並みの寒さ(朝は14℃でした。)のポートオーチャードの4日目を迎えました。面白いことにスタディーセンターに来るのは4回目であるのにも関わらず子どもたちは以前からここに通い詰めているかの様子でやってきます。人間の順応能力はすごいものがあるなあと舌を巻いてしまいました。この日の午前中の授業では英語の音に慣れるための勉強をしました。母音の音の違いに始まって日本人にはとても難しいLとRの発音、そして英語での早口言葉まで。それぞれに苦戦しながらも一生懸命に、そして楽しそうに挑戦している子どもたちを眺めていると幸せな気分になります。アメリカの州についても学び、50ある州を地図と略称だけを見て自ら書き込んでいくという何とも難しい課題にチャレンジ。さすがに満点は出ませんでしたが中には20個もの州を書き込むことができる子もいました。

ランチタイムです。前日、前々日と2日続けてカップラーメンの子がおり3日続いたらホストファミリーに「ランチを変えて下さい。」と言おうねと約束して迎えた3日目。この日はカップラーメンではありませんでした。ほっと胸をなで下ろすことができました。それから、昨日量が多ければ少なくしてほしい旨を伝えてごらんとアドバイスしましたが、この日は多くの子が昨日しっかり伝えられたと聞いて嬉しくなりました。その証拠に彼等のランチの量は彼等が望んだ通りしっかり減らされていました。しっかりと自己主張をして相手に気持ちを伝えることの大切さを理解することができました。

午後はフェリーに乗り海軍博物館に行く予定でしたがここで1つトラブル。ホストファミリーの車に乗り合わせて港まで行く予定でしたが、約束の時間になっても現れないホストファミリーがおり、いくつかフェリーを見送らなくてはならない羽目に合いました。これも文化の違いか、否、自己管理の問題か。お陰で博物館での時間が大幅に短縮されてしまいちょっぴりかわいそうなことをしてしまいましたが、その代わりに子どもたちがものすごく機敏に行動することができ、これからの団体行動を考える上では良い機会になったと思います。博物館の近くのコールドストーンとスターバックスにも寄りましたがやはりアメリカンサイズ。まずでかい。そしてアメリカンテイスト。すごく甘い。そして、そしてアメリカンクオリティー。店員がものすごく適当。子どもたちは日本のちょうどいい大きさ、味のバランス、おもてなしの質の高さを身にしみて感じていました。

明日は第1回目の終日研修で、ハリケーンリッジに行きます。日々の疲れを残さず明日も楽しむぞー。

 5日目。今日は待ちに待った第1回目の終日研修!ハリケーンリッジへ向けて出発です。この日はたくさんのホストファミリーも終日研修に参加し、9時にスタディーセンターから出発のはずでした。ほぼ時間通りに出発と思いきや車を30メートルほど走らせたところ、集合場所の駐車場敷地内にあるコーヒースタンドでコーヒーブレイク。セブンイレブンに行って飲物を買ってもいいということで全員降車。ずっこけそうになりながらも私自身コーヒーを買いました。結局全員が戻ってくるまでにかなりの時間が経過し、出発したのは9時半前。子どもたちは戸惑いながらもこれがアメリカか?と感覚の違いに驚いていました。

 バスの中では皆終始おしゃべりを夢中にしていましたがハリケーンリッジが近づくに連れて外の景色の壮大さに目が釘付けになっていきました。沖縄では決して見ることのできない景色が360度見渡す限りに広がっており興奮気味の子どもたちでした。交通渋滞に巻き込まれたため現地に着いたのは結局12時半。さすがに3時間もバスに乗っていると疲れも見えましたが、着いてすぐのお昼に子どもたちも元気を取り戻した様子でした。彼等は標高1500メートルの空気を味わいながらのお昼ごはんを十分に満喫している様子でした。お昼を済ませ、ハイキングに向かおうとしたそのとき、一匹のシカが私たちの前に現れました。野生のシカを見た子どもたちの心が踊りだしているのが手に取るように分かりました。興奮気味の皆を連れて40分程のハイキングコースへ。足取り軽やかに山道を進んでいき、あっという間に頂上へ。頂上で記念撮影をした後はお土産屋さんでの買い物です。国立公園と言うだけあってしっかりとした商品が並べられていました。

ハリケーンリッジを後に向かった先はFort Wardenという100年以上も前に建てられた砦にいきました。建物内は暗くて誇りっぽく、じめじめしていましたが砦の屋上にでると海が一望できる素晴らしい眺めが待っていました。子どもたちはそこでしばらく潮風を浴びながらリラックスしたり、砦のなかを走り回ったりして過ごしていました。

 第1回目の終日研修は迷子がでたりけが人が出たりせず、無事ポートオーチャードまで帰ってくることができ、子どもたちにとってもとても良い経験になったことと思います。明日は皆でボーリングです。

 6日目。アメリカに来て初めての週末を目前にした金曜日です。あっという間にスタディーセンターでの一週目が終わろうとしています。今日も午前中はいつもの2つのグループに分かれて勉強です。授業の初日からやっている単語帳(毎日10個の新しい単語を記入していく)も今日で50個になりました。それぞれが新しく見つけた単語を発表していきそれを先生が説明し皆でシェアしていくのが毎日のルーティンです。単語カードを渡され、その単語を使って独自の文を作ることにもチャレンジしていましたがこちらは少しハードルが高く、子どもたちも苦戦していました。

 子どもたちが勉強に励んでいる傍ら、彼等の書いている日記に目を通すと「授業で自ら手を挙げて発表することができて良かった。」「ご飯の量を減らすようにホストファミリーに自ら伝えることができた。」「次はもっと積極的に話しかけたい。」などのようなポジティブな書き込みが多くとても嬉しくなりました。

 お昼前にゲームを1つしました。2グループからそれぞれ1人が出て先生から伝えられた単語をホワイトボードに絵に描き、他の皆が何か推測するゲームでした。急ぎすぎて絵が粗くなったり、全く伝わらなかったり、ものすごく絵心のある絵を描いたりして相手のチームに負けないようにハラハラドキドキしながら楽しんでいました。

 今日のお昼はスタディーセンターの向かいにあるゴッドファーザーズピザでいただきました。アメリカでの勘定も少しは慣れた様子でみな美味しくピザを頬張っていましたが、やはりここでもゴツゴツしたパインがピザに乗っていたり、見た目は普通なのにものすごく辛かったりと驚きがありました。

 午後は皆でボーリングです。靴のサイズ表記の違いや、ボーリング場のシステムの違いに少々戸惑っていましたし、離島出身者の中にはボーリング自体が初体験という子もおりましたが皆でボーリングを楽しむことが出来ました。

 今日を締めくくるのは100円ショップらならぬ Dollar shopです。日本の百円ショップと大差はないものの、ある子がトイレに行きたいと店員に告げると鍵を渡されたのにはかなり驚いていましたね。

 明日、明後日は初の週末です。それぞれに有意義に過ごしてもらうよう意思表示の大切さを確認してさよならをしました。どんな顔で帰ってくるか、月曜日が楽しみです。

 8日目。アメリカに来て初めての週末を過ごしました。子どもたちは共に1週間を過ごし、ずいぶん打ち解けた様相を見せていました。私がスタディーセンターに着くと子どもたちはそれぞれに週末の話題でかなり盛り上がっている様子で、那覇空港を飛び立ったときの単なる「集合」は少しずつ良い「集団」になりつつあるなと感じました。湖に行った子、シアトルまでサッカーを観戦に行った子、ホストファミリーの知り合いの家にパーティーに行った子、買い物に連れて行ってもらった子等、みんなそれぞれに楽しい週末を過ごした様子でした。

 今日はアメリカの子どもたちのデイケアセンターを訪問しました。Carousel Cornerというところでスタディーセンターからは車で5分程のところにありました。その施設は日本で言うところの学童のようなところで、両親が仕事で忙しかったりする家庭が子どもたちを預けているところだそうです。だいたいが3才〜8才の子どもたちで日本の子たちは漢字で自分の名前を書いて見せてあげたり、折り紙を折って遊んだりして過ごしました。ホストファミリーの中には小さな子が居ない家庭も多く、みな楽しく遊んでいる様子でした。

 午後はスタディーセンターに戻りランチをとってから授業です。ランチの時間もやはり先週の月曜日とは様変わりした様子ですこし騒がしいくらいおしゃべりをするようになっていました。子どもたちはTCの先生方ともずいぶん打ち解けた様子で週末のことを楽しそうに話していました。授業ではいつもの様に10個の新しい単語を皆で確認しあった後に様々なカードゲームやボードゲーム、日本のフルーツバスケットにあたるゲームなどをやり、充実した時間を過ごすことができました。

 明日はスポーツデーです。子どもたちはずーっと身体を動かしていなかったらしく相当楽しみにしてスタディーセンターを後にしました。

 9日目。昨日の宿題で、ホストペアレンツの出身を聞いてくることになっていました。その情報を元に今日はポスターづくりをしました。用紙の上半分にホストペアレンツの出身国の旗を描き、下半分にアメリカに来てからこれまでにホストファミリーと過ごした中で一番思い出に残っていることを絵に描きました。そのポスターはホストファミリーにプレゼントし、子どもたちが去った後に彼等のことを思い出すためにとても大事になるので子どもたちもそのことを理解しとても丁寧に作っていました。子どもたちは予想していたよりも多くのホストペアレンツがアメリカの出身ではないことに驚いていた様子でした。

 午後はスポーツデイです。車で20分程のところにある日本で言う運動公園のようなところに行きました。子どもたちのほとんどが日本では運動部に属しており、アメリカに来てからろくに身体を動かすことができていなかったため目の前に広がるバスケットコート、サッカー場等に興奮していまいした。そのため着いてからすぐに凄まじい勢いで昼食を済ませ体を動かしに行く子もいました。

 みなでバスケットボールやサッカーを楽しみ、ホストファミリーとの交流がますます深まる一日になりました。

 明日は待ちに待ったシアトルへの終日研修です。安全に気をつけて行って参ります。

 10日目。アメリカに来て10日目です。今日は第2回目の終日研修で、ついにシアトルに行きます。子どもたちも心待ちにしていたシアトル研修ですが、天気は曇り、気温は約14℃。夏でもこんなに寒くなるなんて。ああ、沖縄のあの湿度と灼熱地獄が恋しい。

 シアトルまでは大型バスで向かいます。前回のハリケーンリッジの研修の時と同様、今回も希望するホストファミリーは同行します。9時にスタディーセンターで待ち合わせ、いざ出発です。まず始めにワシントン大学にて記念撮影をするためバスを停めました。大学構内はものすごく広く、建物も大きく、派手な噴水や野生の鳥(かなり大きい)などの日本の大学ではなかなかお目にかかることのできない景観を見ることができました。

 そこから10分程バスを走らせてスペースニードルのあるSeattle Centerでランチを取りました。その道中なんと、ホストファミリーの1人がアナと雪の女王の歌を日本語で歌ってくれるなんてサプライズもありました。子どもたちは皆大笑いで聞いていましたが、よく考えてみると勉強したこともない外国語で、しかもその言語の母語話者を前に歌を歌うなんてなかなかできることじゃないなと舌を巻く思いでした。Seattle Centerではランチの後に1時間程の自由時間を過ごしました。子どもたちはフードコートで自由に昼食をとり、ポテトが多すぎるだの、コーヒーが甘すぎるだのぶつぶつこぼしながら昼食をとっていました。

 Seattle Centerを後にし、向かった先はPike Place Marketです。そこで約2時間の自由時間を過ごします。観光地として有名なのでPike Place Marketはいろんなところから来たたくさんの観光客でごった返していました。こんなところで2時間も自由時間だなんて子どもたちは大丈夫だろうかと心配する僕を横目に彼等は興奮状態でスターバックス1号店の長い、長い行列に並んでいきました。中にはホストファミリーからお花を買ってくるようにお願いされて自由時間中ずっと花束を持って買い物をするなんて子もいました。

 集合時間には無事皆揃って集合写真を撮ることができ、ほっと一安心。終日研修も残すはオリンピアのみ。残された時間を有意義に過ごせるように一生懸命サポートしていきたいです。明日は警察署と市役所に行きます。明日も楽しみです。

 11日目。子どもたちは昨日の疲れがまだ取れない様子でスタディーセンターへやってきました。それでも授業が始まるまでは昨日の話で盛り上がっていました。やはり1番話題に上ったのはスターバックスの1号店の長蛇の列のことで、大都会が与えたインパクトは大きかったようです。

 今日の授業は「将来の自分」がテーマです。いつものように10個の単語が終わった後、子どもたちはペアになりとても大きな紙を渡され、その上に寝転がり自分のシルエットをペアに描いてもらいました。自分のシルエットが完成したら将来の自分を描いていきます。警察官、看護師、ホテルスタッフ、医者、教師など様々な職業を描いていましたが、子どもたちの創造力には驚かされました。彼等の描く絵は独創的で誰にもまねできないものばかりでした。

 午前中の授業では他にもアメリカと日本の習慣の違いを話し合いました。アメリカでは家でお手伝いをすることが習慣となっているため、先生が「ステイ先のお家で家族のお手伝いをしていますか?」と子どもたちに尋ねると、何人かは自信を持って「Yes!」と答え、具体的に答えてくれていました。子どもの躾に関する捉え方の違いや、家の中で犬を飼うことなど他にも様々な違いを見つけて話に花を咲かせていました。やはり犬が家の中にいるのはほとんどの子どもたちが耐えられない様子で、ある子はホストシスターと部屋をシェアしているためホストシスターがドアを開けっ放しにしている間に犬に侵入され下着を破られてしまったようです。

 話が盛り上がりすぎたのでお昼の時間が30分しかとれませんでした。素早く昼食を済ませて午後は市役所と警察署の見学です。警察署と言っても小さな規模なので独立した建物がある訳ではなく市役所と併設型で少しこぢんまりとした印象でした。まずは市役所から見学です。所内のツアーガイドを務めてくれたのはなんと市長のTim Matthesさんでした。彼は非常に気さくな方で市長室の中や議会の中を案内してくれ、記念撮影も快く受け入れてもらえました。市長室はとても狭く25人のグループをいくつかに分けて見学しなければならない程でした。

 警察署は市役所の建物の1階にあり、こちらは警察官のDeckさんが案内してくれました。取調室が英語では「インタビュールーム」と言うことに子どもたちはビックリしていました。優しい印象を与えますがインタビュールームは取調室です。それから彼女は警察の携行品を1つ1つ説明してくれてその中にはスタンガンや唐辛子スプレーなど普段全く見ることのできないものを間近で見せてもらいました。パトカーの見学では実際に車の中に入れてもらい警察気分を味わうことができました。子どもたちはパトカーのところでこの日1番の盛り上がりを見せていました。興奮しっぱなしで写真を撮り続けていました。

 親切にも警察署ではDeckさんからキーホルダーとセブンイレブンで使える飲物のクーポン券をもらいました。近くのセブンイレブンで一休みです。沖縄にはセブンイレブンはないため子どもたちにとってはこちらも初体験。ですが、日本のそれとは大きくかけ離れており、1つ1つが大きい。大きすぎる。そして甘すぎる。1日の締めくくりには相応しい甘さだったのではないでしょうか。

 明日は資金造成ボランティアデイです。洗車とBake Sale(お菓子を作って売る)で資金を造成し、アメリカの生徒が日本にホームステイをする資金の足しにします。熱中症には気をつけて楽しみます。

 12日目。今日はCar Wash(洗車)とBake Sale(お菓子を作って売る)です。Car WashやBake Saleで資金を造成しアメリカの生徒が日本へホームステイする際の費用の足しにします。今日のスケジュールには「9時から4時—Car Wash and Bake Sale」と書かれていたため子どもたちは午前中に授業があるとは思っておらず、先生に「Class time!!」と言われて「えっ?」と驚いていました。勉強道具を持ってきていなかった子もいましたが今日は前回の課題の続きとCar Washのための看板づくりだったので教科書は使わずに済みました。

 今日は久々に1つトラブルがありました。授業の合間の休憩時間になんと建物の上水に不備があることが発覚し、トイレが使用不可になってしまいました。スタディーセンターのテナントの入っている建物全体でトイレが使用不可になってしまったので向かいのセブンイレブンにみんなでトイレツアーに行かざるを得なくなりました。しかも建物の関係者の話によると上水道の故障はいつ修繕されるか全く見当がつかないとのこと。これから残りの1週間トイレに行くためにセブンイレブンまで行かないといけないのかとショックを受けているとイヴォーン先生がやってきて言いました。「直ったよ」と。あまりにもあっさりしていたため子どもたちは唖然としていました。まあとにかくトイレは正常に機能し、皆一安心です。

 一件落着し、子どもたちはCar Washのための看板作りに取りかかりました。大きな紙に「Car Wash」と書き、創造力に満ちた車の絵などを描いていました。準備ができたところでランチを食べ、いざCar Washへ!

 洗車をする場所はスタディーセンターのある建物がある敷地内の駐車場の端っこです。そこでBake Sale用のお菓子をテーブルに広げ、日本から持ってきた品々と共に並べ、準備万端。客寄せ班、販売班、洗車班に別れそれぞれに精を出します。客寄せ班は道路脇で先ほど作成したポスターを掲げ大声で「Car wash!!」と叫んでいますが、悲しいことになかなか車は入ってくれない。洗車班と販売班は時間を持て余しています。初めのうちはこのようになかなかうまくいきませんでしたがとうとう1台目がやってきて、その後は尻上がりに車が増えていき、多いときは1度に4台もの車を洗わなくてはならずてんやわんやで大忙しになってしまいました。それでも子どもたちは時間が経つに連れてどんどん効率よく仕事をこなしていたので来て頂いた方が不満に思う様なことはありませんでした。よくがんばった。

 たくさん働いたのでお腹がすいていたのでしょう。Car Washが終わると子どもたちは売れ残ったお菓子を凄い勢いで食べ始めました。中でも1番人気はアナ先生の作ったブラウニーでした。すぐに売り切れてしまいました。

 みなで協力し、恊働の精神を養うことができた素晴らしい1日になりました。アメリカでの2度目の週末をどのように過ごすのか、月曜日に皆と会うのが楽しみです。

 16日目。朝5時。雨が降っている音に目を覚まし、がっくりしてしまいました。今日はスタディーセンターにはいきません。アナ先生のお家でBBQです。アナ先生のお家は森の中にありバスケットボールコート、プール、トランポリン、バレーボールコートなどがあり子どもたちの中ではある程度の人気を誇っていました。去った金曜日には皆「アナ先生のお家に行ける!!」と、とても楽しみにしていたのに蓋を開けてみると雨。家の中で25人、10時から16時まで何をして過ごせば良いんだ?なんでこんな日に限って雨なんだ!!と残念な気持ちと怒りが混ざった感情を消化できないままで朝ご飯を済ませ、もう1度空を見上げるとなんと、晴れているではありませんか!それも、さっきまでの雨が嘘だったかの様な晴天です。これで子どもたちの日頃のがんばりも報われます。子どもたちよ、たくさん楽しめ!

 10時前になり子どもたちはアナ先生のお家に集まり始めました。(僕のステイ先はアナ先生の家の隣)来るや否や子どもたちはトランポリンをしたりバスケットをしたりととても楽しそうに過ごしていました。が、しかし、しばらくするとあることに気がつきました。遅れる連絡のあった子以外の2人が全く姿を現しません。気になってホストファミリーに電話をかけてみてもなかなか繋がらない。まさかと思い、スタディーセンターに隣接しているGodfather's Pizzaに電話をかけてみるとやはり、日本人の生徒が2人スタディーセンターの前で待っているとの返事が帰ってきました。毎週金曜日にはホストファミリー宛に翌週のスケジュールを掲載した通信を配っていたのですが、それを確認していなかったのが原因で、いつも通り子どもをスタディーセンターに下ろしてそのまま帰ってしまっていたのです。急いで2人を迎えにいき、お昼前にはなんとか全員集合することができました。

 お昼はBBQと言っていましたがハンバーグパーティーに変更になりました。それぞれハンバーグを頬張り幸せなひと時を過ごします。この時だけは皆静か。お昼を済ませるとやはりデザートです。ホストファミリーも数家族参加していたためデザートを持ち寄ってくれていました。慣れというものは恐ろしいもので子どもたちは奇妙な色(ショッキングピンクやエメラルドブルー)をしたクリームの乗ったカップケーキを食べ、クッキーにホイップクリームをたっぷり乗せて食べ、十分に僕を驚かせてくれました。

 時間が経つに連れてパーティーは熱を増していき、プログラムはスイカ早食い競争に移ります。テーブルに置いたスイカを手を使わずに食べる。なんとも馬鹿げていますが子どもたちはとても頑張っていました。そしてなんと僕もやる羽目に。そしてその熱を保ったままほぼ全ての子どもたちは服を来たままプールに飛び込んでいきました。めでたし、めでたし。おしまい。と言いたいところですが、もう少し詳しく。スイカ競争が終わり子どもたちはもう1度バスケットコートへ移動しました。するとアナ先生の長男マックス15才がプールにダイブ。プールに飛び込もうかどうかものすごく迷っていた子が水を浴びる形になり第1号がプールに入る踏ん切りをつけます。そのあとは強力な伝染病の如く飛び込みたい気持ちが飛び火し上記のような結果になってしまいました。服を乾かすための火をおこしてもらい傾きかけた真夏の太陽を背に暖をとりながらお迎えを待つ。奇妙な締めくくりの1日でした。1週間後には帰国です。明日も素晴らしい1日になりますように。

 17日目。昨日の疲れが残っておりなかなかベッドから出ることができませんでしたが、スタディーセンターで子どもたちと会うと元気をもらうことができました。彼等は底抜けの体力があるかのようにケロッとしていました。若さは財産ですね。

 今日は午前中の授業でホストファミリーへ贈り物を作りました。これまでの感謝を込めてセラミックタイルの焼き物をプレゼントします。今日は特別に講師を招いてレッスンをして頂きました。講師と言ってもある子のホストマザーであり、堅苦しくなることなく皆楽しんで焼き物を作っていました。まずは細かな説明をうけますが、少しの専門的な知識とはっきりとした手順が必要とされるため僕を介してミスが出ないように慎重に取り組みました。子どもたちは焼く行程以外のデザイン、下書き、色塗りをまかされ感謝の気持ちを込めながらそれぞれに独創的な作品を作り上げていました。木曜日に完成品が彼等の元に届けられ、ホストファミリーにプレゼントします。

 午後はStafford Suiteという老人ホームに向かいます。老人ホームと言っても日本のそれが持つイメージとは違い、僕たちの訪問した老人ホームは高級なホテルを連想させる雰囲気を醸し出す施設でした。施設に入り、ホールで私たちを出迎えてくれたおじいちゃん、おばあちゃんを前に子どもたちはぴくりとも動かずただたちすくんでいました。緊張している子どもたちをまったくお構いなしの様子でマイクを向け自己紹介をさせる施設の職員に圧倒されながら最初のプログラム、合唱へ移ります。この時に歌った3曲はお昼時間の10分程度の練習のみのぶっつけ本番でしたし、子どもたちも緊張している。こんな状態で大丈夫だろうかと心配していましたが、歌いだすと案外上手にいけるものでなんとか日本の歌を紹介することができました。それからピアノを弾いてあげたり、折り紙を折ってあげたり、おじいちゃん、おばあちゃんの名前を書道家になったつもりで書いてあげたり、アイスクリームを一緒に食べたり(子どもたちは今日1番の興奮をここでみせてくれました。)、充実した時間を過ごすことができました。

 明日は最後の終日研修。ワシントン州の州都、オリンピアへ向かいます。もう終日研修も明日で最後です。お昼の合間にサヨナラパーティーの内容確認等を子どもたちとしていると、「やっと慣れてきたと思ったらもうサヨナラか。」と寂しい気持ちになってしまいます。子どもたち自身も「最近楽しくなってきた。」「日本に帰った夢を見て、起きたらまだアメリカだったから安心した。」など、ポジティブな発言や雰囲気がやっと出てきたところなのですが時間は戻ってきませんね。帰ってきたときに「ホームステイに行って良かった。」と胸を張って言えるように明日からも1秒1秒を味わいながら前を向いて過ごしていきます。

 18日目。今日は3回目の終日研修でオリンピアへ向かい、ワシントン州議会の見学をします。いつもより30分早く8時30分にスタディーセンターに集合し出発しました。オリンピアへ向かうバスの運転手さんは前回のシアトル研修、前々回のハリケーンリッジ研修と同じお馴染みのデビーさん。彼女はとってもおしゃべり好きで、賑やかな雰囲気の中バスは出発しました。

 ワシントン州の政治の中心オリンピアに着いたのは午前10時前。25人の子どもたちを迎えたのは壮大な古代ギリシャ風の建物。中に足を踏み入れるとアラスカの大理石を用いたフロア、支柱、内壁、40メートル程の高さの天井、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの銅像など、多少仰々しい内装に圧倒されてしまいました。エントランスホールで職員のミシェルさんに議会の概要を説明してもらい、レセプションルームへ移動しました。レセプションルームはこれまた荘厳な造りで1928年の竣工当時から家具1つ変わらない状態が保たれており非常に趣がありました。正直、子どもたちはそこまで興味がない様子でしたが内装の凄さには驚いていました。それから上院と下院それぞれの議会を見学し州知事室も少しだけ見学させて頂きました。

 お土産屋さんに寄り、南日本カルチャーセンターの方と広場落ち合い、全体での記念撮影を済ました。さあ、州議会を後にTacoma Mallへショッピングへレッツゴー!と思いきやバスが出発した途端にすぐに止まる羽目に。なぜなら、同行していたホストファミリーの1人が携帯電話を無くしたというのです。アナ先生とそのホストマザーとで携帯を探しに州議会へ戻っている間、子どもたちは15分程バスの中で待ちぼうけ。「暑い」だの「まだですか?」だの多少の不満をこぼしてはいましたがしかたありません。2人は戻ってきましたが結局携帯は見つからず、あきらめてTacoma Mallへ行くことに。Tacoma Mallではこれまでで最長の4時間の自由時間が与えられ、子どもたちはバスが到着するや否や目を輝かせてショッピングモールに散らばっていきました。

 ショッピングモールは日本のそれとそんなに大差はありませんが、買い物をする際には自分で1
歩踏み出して英語を使わなければなりません。何人かの子が買い物をするところを目撃しました。時に慌てて、時に困惑しながらも、友達やホストファミリーなどと協力してどうにか乗り切っていました。そういったチャレンジしていく姿勢が今後の人生の宝になるのだろうなと子どもたちを見て誇らしく思うと同時に自分はどうだろうと自身を省みる機会にもなりました。

 4時間の自由時間のショッピングを済ませ、バスに戻ってきた子どもたちはさすがに疲れを隠しきれずに帰りのバスの中では多くの子がスヤスヤ寝息を立てていました。
 
※ショッピングモールではセキュリティー上写真撮影が禁止されていたため写真を撮ることができませんでした。

 19日目。スタディーセンターでの授業も今日が最後のようなもの。いつも通り10の単語を確認します。それからミュージックチェアー(日本の椅子取りゲーム)をしました。音楽に合わせて歩き、それが止まると椅子を取り合う、はずなのですがいざゲームが始まると多くの子が椅子を譲り合っていました。TCのアナ先生とイヴォーン先生は「アメリカ人だったら絶対にこんなことは無い。喧嘩になるぐらい取り合うのにね。」と笑っていました。この辺の違いも国民性なのかなと少し関心し、勝負事なら何でも本気で!と思っていた私としては少しがっかりもしました。それから2つ目のゲームに移ります。「旅行に行くならゲーム」です。全員で大きな円を作って座り、初めの人が旅行に行くならこれを持っていく!と言い、時計回りに進んでいきます。次の人は自分より前の人が言ったアイテムも覚えておいて言わなくてはなりません。雪だるま式に単語が増えていき、ゲームが進むに連れてだんだん難しくなっていきます。唯一の救いはA→B→C‥というように単語をアルファベット順に言っていかなくてはならないのでどんなに単語が増えても前の人達が言った単語の頭文字は容易にわかることができることです。ゲームが始まって最初のうちは簡単だったのですが終わりに近づくに連れて皆てこずっていましたがなんとか全員で1周することができました。

 お昼を済ませた後は明日のさよならパーティーの買い出しのためPoulsboにあるセントラルマーケットに行きました。まずそこではミドルフィールドファームの前社長のラリー中田さんからお話を伺いました。彼は移民の3世で現在は社長を退き、パートタイムで顧問として働いているということでした。ラリーさんのおじいさんが山口から海を渡ったことから日露戦争の徴兵、ラリーさんのお父さんの第2次世界大戦での経験、いかにして食料雑貨販売業に従事するに至ったかまでさまざまなお話を伺いました。真珠湾の話にさしかかると私たちの祖先とラリーさんやホストファミリーを含めたアメリカ人の祖先がかつて敵国同士として戦ったことを強く意識させられ、今ある関係をありがたく思うことができました。1流のビジネスマンから直接お話を聞かせてもらうことは非常に貴重な経験になりました。 1つ印象的だったのは社名のミドルフィールドが日本語の中田を訳したものだったということで、それが分かったときは皆「あ〜〜!!」と喜んでいました。

 中田さんのお話の最後に、彼の畑で取れた驚く程おいしい有機トマトを頂きいざ買い物へ。明日のさよならパーティーではカレーを主食に数品作ります。男組で食材を調達へ。セントラルマーケットの中にはアジアコーナーがあり、そこにはお米や海苔等日本の食材がたくさん売られていました。そこで食材を物色しているとなんと日本人の店員さんに遭遇しました。彼女はとても親切で牛肉の塊を目の前で切ってもらうようにお願いしてくれたり、量り売り野菜のグラムとオンスの換算を助けてくれたりしていただきました。子どもたちは日本人の親切心に改めて感謝していました。

 明日はいよいよさよならパーティーです。これまでお世話になったホストファミリーに感謝の気持ちを込めておいしい料理を作りたいです。ものすごく寂しいですが涙は月曜までとっておきます。

 20日目。朝5時過ぎ、雷の音に目を覚ましました。とうとう最後の金曜日、さよならパーティーの日です。初めてポートオーチャードに来た日以来久々の本降りの雨です。まるで空も私たちのさよならパーティーを悲しんでいるようでした。まだまだ来たばかりなのに残された時間の短さに直面しています。

 午前中の授業はジャーナルのやり残しを片付けることと火曜日に作ったセラミックタイルの贈り物の包装、メッセージカードの作成。それからの時間はお昼時間までさよならパーティーの準備にあてました。オリエンテーションの時(7月11日)には台風の影響もあって全員が集まることができなかったため出し物のダンスの全体練習は今日が初めてでしたが、さすがに3週間弱過ごしただけあって練習時にはなかなかの盛り上がりを見せてくれました。同じ時間を仲間として共有することの素晴らしさを子どもたちは示してくれました。

 子どもたちは「別れ」を意識し始めたらしく、お昼時間にはお互いに写真を撮り、メッセージを交換し合ったりしていました。お昼を済ませたらC班を除く4班はそれぞれさよならパーティーの料理の準備のため13時にはスタディーセンターを出発する予定でしたし、その前に皆でアイスクリームを食べにいく予定でしたが、彼等の絆は強くなっており、なかなかメッセージ交換を終えてくれない。25人を引率する立場でありながらまた1つ子どもたちに学ばされることになりました。すでに子どもたちは単なる「集合」ではなく立派な「集団」になっていたのです。

 セントラルマーケットで購入した食材を携えて4つの班が出発しました。彼等はキッチンを提供してくれるホストファミリーの家にそれぞれ向かいます。私は残ったC班と一緒にスタディーセンターをさよならパーティー用に飾り付けです。椅子やテーブルのセッティングに以外と時間を割いてしまいましたがどうにかセッティングも完了し調理班もちらほら帰ってきました。

 子どもたちはそれぞれの学校の征服に着替え、料理も準備し、歌もダンスも練習済みです。さあ準備は整った。ホストファミリーも集まり始め賑やかになってきました。そんな雰囲気の中17時56分に事件は起こりました。停電です。「うそっ!?」と私。「You gotta be kidding me!!」とアナ先生。でも大丈夫。停電ならさっきも会場をセッティングしている時に起こったし数十秒で回復したし、大丈夫、大丈夫。と思っていましたが30分経っても全く回復する気配がありません。それどころか停電はかなり広範囲に及ぶらしくおそらく回復しないだろうとの情報も入ってきました。無情の雨と雷。

 延期にも中止にもする訳にはいかないさよならパーティー。暗闇の中、開演です。電気が使えないため音楽をつかう出し物は全て中止し、練習の努力は残念ながら水泡に帰すことに。それでも子どもたちは書道、折り紙、フルート、空手、三線などを暗闇の中一生懸命披露してくれました。三線ではアンコールでカチャーシーを踊り会場が一体となることができました。最後の出し物の合唱ではアカペラでスピッツの「チェリー」を歌いました。歌っていると子どもたちの目から自然と涙がこぼれてきました。私も歌い終わった時には涙を堪えられませんでした。「停電で良かった。」と思っていたその時電気が回復しました。事実は小説より奇なりとはよく言ったものでさよならパーティーの2時間すっぽり停電するなんて信じられませんでした。

 明るくなったら皆の表情がよく見え、彼等は泣いているもののとてもいい顔をしているのがはっきり見て取れました。さよならパーティーの日にこれだけ泣かれたら出発の月曜はどうなることやら。最後の週末を皆それぞれに楽しめますように。

 最終日(23日目、24日目)。初めは長く感じられた24日間もあっという間に過ぎ去りとうとうお別れの日です。朝7時にスタディーセンターへ集合。バスが出発する8時までの1時間は本当に辛かったです。原則としてホストファミリーは空港への見送りが許されていないため24日間お世話になったホストファミリーとはここでお別れです。皆別れを惜しみ写真を撮り合ったり、涙ながらに抱き合ったりしていました。時間とは非情なもので出発の時は確実にやってきました。バスに乗った僕たちを見上げ涙ながらに手を振るホストファミリー、そんな彼等に「必ずまた帰ってくる!」との決意を込めて手を振り返す子どもたち。来たときとは全く違った感情を胸にお別れです。

 バスは約1時間かけてシアトル・タコマ国際空港へ到着しました。道中ラジオからステイ中によく皆で聞いた曲が流れた時は何とも言いがたい感情が湧き起こってきました。別れを惜しむ感情が子どもたちの表情から手に取るように感じられました。空港に着き、出発した日以来会っていなかったアーリントンのグループと合流しました。彼等は受諾荷物の順番待ちをしている間に他のグループの子たちに目を輝かせて自分たちのステイ先での出来事を話していました。3週間の時間を共有した集団の絆の強さをお互いのグループから見て取ることができました。来たときとは子どもたちの様子が全く違う。果たして私はあの時と同じ子たちを連れて帰っているのだろうか。

 荷物を預け、全体での集合写真を済ませ、搭乗口へ向かいます。手荷物検査の列に並ぶととうとうTCのアナ先生、イヴォーン先生ともお別れです。引率者として写真を撮る仕事がありますが、それどころではありませんでした。涙を禁じ得ず、別れが本当に辛かった。子どもたちも一緒です。子どもたちは手荷物検査場を間に挟んで遠くなった先生方を探しながら必死に手を振っていました。

 国際線の搭乗口に着いたのは出発の約1時間前。約10時間かけて日本に帰ります。ここまでほとんどトラブル無しに進んできましたが、日本についてからトラブル3連発でした。まず、ロングフライトでしたが何事も無く成田に着きました。しかし、入国審査時になんと1人の子がパスポートが無いことに気付きます。飛行機に置き忘れていたのですが、全日空係員の奮闘の末、時間はかかりましたが問題解決。結果的に乗り継ぎにも影響無し。続いて成田発沖縄行き搭乗口にて別の子がチケットが無いことに気付く。これもまた全日空スタッフの善意で解決。そして沖縄に着き、荷物待ちをしている間に「直人さん!眼鏡を飛行機に忘れた!!」と1人の女の子。ここまで来たら私も「待ってました!」言わんばかりの対応ができ、またまだ全日空スタッフのお陰でどうにか問題解決。

 監督不行き届きを痛感させられながら迎えた解散式ではありましたが我がグループから生徒代表あいさつを出し、見事なあいさつで24日間を締めくくっていただきました。ポートオーチャードでバスに乗ってから21時間34分かけて那覇空港に到着し、全てが終わったかと思っているともう1つの別れが皆を待っていました。24日間を共に過ごした仲間とのお別れです。最後のミーティングの際、子どもたちの表情を見ると立派な集団になったなと感心させられました。そんな彼等との別れが惜しい。出会わないことで別れを避けることはできるが出会って別れを惜しんだ方がいい。この別れが彼等の人生で1つの出発になることを確信し解散!!!
また報告会で会いましょう。

 

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