MNCCスタッフによる活動写真・動画と、引率者による文章レポートを掲載します。上記バナーをクリックしてご覧ください。

 
レポート更新情報
更新日
期 間
7月28日
7月30日
8月01日
8月04日
8月06日
8月08日
8月12日

8月14日

8月18日

8月28日

 長い長いフライトを終え、空港を出ると雨。気温も16度とかなり肌寒い。しかし生徒たちは元気な様子で白い息が出るのを楽しんでおり、一安心。迎えに来てくれたカレン先生、カトリーナ先生とバスに乗り込む。車窓から見える景色―どこまでも広がるコーン畑やレンガ造りの建物など―のひとつひとつが日本とは違う「アメリカ」のものであり、喜びと驚きの声が上がる。が、長旅の疲れもあり、ほとんどの生徒がその後は静かに寝ていた。

2時間ほどかけて、マウントバーノンのシニアセンターに到着。この施設は地域の高齢者の方々が様々な活動を行う場所なのだが、ホームステイ期間中はその一室を利用して午前中の授業を行うのである。ここで、出迎えに来てくださったホストファミリーとの初対面。気さくで明るい人ばかりで、はじめは緊張の面持ちで接していた生徒たちも楽しそうにそれぞれの家庭へと向かっていった。当初予定していたウェルカムパーティは明日へと延期し、今日はそれぞれの家庭でゆっくり疲れを癒すこととなった。明日から皆で元気に、様々な取り組みを行っていこうと思う。

 

マウントバーノン レポート 7月24日(木)

 今日から本格的な学習活動が始まる。集合時間にシニアセンターに集まってきたこともたちの表情は様々だ。3人のホストブラザー達と楽しくバスケをしたという生徒もいれば、ホストファミリーとなかなか上手に会話ができなかったという生徒もいる。しかし、いきなり異文化の環境に放り込まれたのであるから、上手にコミュニケーションがとれなくて当たり前である。朝のショートホームルームで「間違いを恐れずに、積極的にコミュニケーションをとろうとする」ことの重要性を再確認し、もしどうしても解決できない問題があるなら、私に相談するように連絡をした。

午前中はカレン先生、カトリーナ先生のレクチャーである。無論、指示もすべて英語で行われるため、生徒たちは先生方の話を聞き取るのに必死である。今日の学習内容は「ダイアリーの書き方」と「ホームステイの心構え」について。宿題も出たので、生徒たちはそれぞれの家庭で、ホストファミリーの協力を得ながら日々の課題をこなさなければならない。大変な試練だが、そのやりとりの中でコミュニケーション力を高めて行ってくれることだろう。

午後は、マウントバーノンのダウンタウンを見学した。はじめに訪れたのは、88年前に建造されたという歴史あるシアターである。ここではトーキー時代の音響装置を現在でも使用しており、特別に許可を頂いたのでピアノの得意な生徒がパイプオルガンで「ねこふんじゃった」を披露し、スタッフの喝采をあびた。その後は、チョコレート専門店やアートプロジェクトが実施されている裏通りを見学し、現地の商工会のスタッフよりマウントバーノンの歴史について説明を受けた。スカジット川という市内を流れる川を用いた林業、農業、漁業とこの町の成り立ちが深く関わっていることを知り、生徒たちは感慨深く大河の水面を見つめていた。

さらに夜には、昨日から今日に延期されていたウェルカムパーティーが実施された。料理を各家庭から持ち寄る「ポットラック」スタイルのパーティーで、それぞれの家庭の味を楽しむことができた。ホストファミリーたちは皆明るく、生徒たちとの生活を楽しんでいる様子であったが、何名かのホストペアレントから「生徒はとてもいい子なのだが、何をしたいのか、喜んでいるのかどうかが分からない」という意見を頂いた。「ツーカー」で通じる日本とは違い、ここアメリカでは意思をはっきりと伝えることが大切だということを、明日のホームルームで生徒たちと再確認したい。

 

マウントバーノン レポート 7月25日(金)

 今日は待ちに待った夏の太陽がようやく顔を出し、生徒たちの表情もいつもより明るい。今日から4名の生徒がホストファミリーとキャンプに行くということで、いつもより少ない人数でレッスンをスタートした。

午前中のレッスンは、2回目ということもありテキストのグループ学習を中心にスムーズに進んで行く。先生方の英語の指示や質問はまだまだ100%理解というわけには行かないが、皆理解しようと一生懸命がんばっている。辞書を片手に四苦八苦しながら課題にチャレンジして行くうちに、確実に単語力は伸びてきている。後は恐れずに英語を使う積極性が課題だ。間違いを恐れずに勇気を出して発言していけるよう、皆の背中を押して行きたい。

午後は全員で路線バスに乗り、ダウンタウンから少し離れた消防署を見学した。アメリカでは消防士と救急救命士に明確な区別が無く、全員が医療の資格を所持していなくてはならないこと、消化のために斧を使い、壁やドアを破ることがあること、はしご車が発明される前には小さいはしごを次々に窓枠に掛けながらビルを登っていったこと等の説明を生徒たちは熱心に聞いていた。

消防署からの帰り、バスの時間まで若干の余裕があったので皆で近くにあったコーヒーショップを訪れる。日本とはコインの色やサイズが全く違うため友達同士で何度も確認して、それぞれの欲しい飲み物を注文していた。

明日から初めての週末が始まる。ホストファミリーとゆっくり時間を過ごしながら、沢山のことを学んできて欲しい。

 

 「It was GOOD!!」朝、先生方に「How was your weekend?(週末はどうだった?)」と聞かれた生徒たちは、みな口を揃えてそう答えた。キャンプに行った生徒、プールに行った生徒、結婚式に出席にして琉球舞踊を披露した生徒。それぞれに充実した週末を楽しんだようだ。「先生、まだぜんぜんしゃべれないけど、ホストファザーが言っていることが最初より分かるようになってきたー!」という声も聞こえてきた。耳が英語の受け入れモードになってきているのだろう。中高生の適応能力の高さには驚かされる。

今日も先週までと同様、午前中は英会話のレッスンだ。「正しい子音の発音」という日本語を母語とする者にとっては避けては通れない問題が今日のテーマだ。というのも、我々日本人がカタカナで覚えた単語が全くネイティブには通じないのだ。たとえば同じワシントン州にある大都市Seattleを日本語風に「シアトル」と言っても、アメリカ人はそんな町がどこにあるのか? ひょっとしてネイティブインディアンの保留地か何かではないか?と首を捻るばかりなのである。sとlの子音を正しく発音し、かつtを米語風にdに近づけて発音しなければならない。(敢えてカタカナで書くと「スィアドゥ」といったところか)生徒たちは週末の疲れで落ちてくる瞼を必死に開いて、一生懸命発音を練習していた。

午後は、ピクニックだ。ランチを持って、出発! カレン先生の説明を聞きながら、マウントバーノンの目抜き通りを歩いて行く。宝石店、ブティック、ネイルサロン…。午前中の眠気がうその様に、女子の目がらんらんと輝きだす。「はぁ…。素敵…。いいなぁ…」そんなため息まじりの歓声の中で、男子たちは女性という生き物の習性を学んだのであった。

ダウンタウンとはスカジット川を挟んで反対側に位置する公園が、今日の目的地だ。木陰を選んで、腰を下ろしランチタイムがスタート。今日もそれぞれのホストファミリーのオリジナリティあふれるメニューがテーブルの上に並んだ。水面を渡る涼しい風が心地よく吹き抜け、いつもより会話も弾んだようだ。食事の後は川辺に降りて、水に触れてみる。「冷たい!」「家の近所の川と全然違う!」はるか遠くに白く輝くマウントベイカーの雪解け水がこの大地を潤しているということを、身をもって感じた午後だった。

 

マウントバーノン レポート 7月29日(火)

 今回のホームステイにおける大きな目的のひとつが「アメリカの人々に日本の文化を紹介する」ことである。そのために生徒たちは時間を掛けて折り紙を練習したり、日本の歌を覚えたりと準備をしてきた。今日はいよいよ、その発表の日である。アメリカの老人ホームを訪問し、入所者の方々に日本の歌や文化を紹介するのだが、はたして喜んで頂けるのだろうか?

午前中のレッスン、ランチの後にホストファミリーの車に分乗して到着したのは、「ライフケアセンター」という老人ホームだ。まずはスタッフの方の案内で施設内を見学する。生徒たちはカラフルな色使いの内装やアイスクリームショップがあることに驚いているようではあるが、表情は緊張で若干こわばっている。そして食堂の一角に案内され、いよいよ日本からの学生たちによるショーが始まるとアナウンスされた。会の進行は担当の生徒が英語で行う。がんばって話してはいるが、なにせ観衆はお年寄りである。「もっと大きな声で!」とカトリーナ先生のフォローが入った。プログラムのひとつ目は歌の発表である。沖縄での第2回オリエンテーションにおいて皆で決めた歌「上を向いて歩こう」を歌う。練習よりも大分大きな声で歌うことができたが、まだまだ表情が固い…。がんばれ、みんな!続けて、歌ったのは「幸せなら手をたたこう」の英語バージョンだ。あっ! お年寄りたちも歌に合わせて一緒に手をたたいてくれた!やった!

ここからは各テーブルに別れ、折り紙タイムである。中には耳の遠い方もいたが皆がんばって声を掛け、時間が経つのも忘れて折り紙を作って見せたり、作り方を教えたりしていた。カエルやチューリップなどパッと見て分かりやすいものは、すごく気に入ってくれたようで「持ってかえってひ孫に見せたい」と言ってくださるおばあちゃんもいたのだが、兜や手裏剣などはいったい何なのかさっぱり分からないようである。生徒たちは身振り手振りも交えながら、それらがサムライやニンジャと関係があるものであると説明していた。すると…!しっかり通じ、喜んでくれているではないか!

語学の知識ももちろん大事だが、何かをしっかり伝えようとする意志の力がコミュニケーションにおいては非常に重要であるということを改めて実感した今日のアクティビティだった。この教訓を、また明日からの活動に生かしていきたい。

  

 大型ショッピングセンターの台頭で個人経営の商店街が立ち行かなくなっている話は日米のどちらでも良く聞く話だが、ここマウントバーノンは19世紀に建設された美しい町並みを生かした活気あるダウンタウンが残っている。今日の午後のアクティビティでは、この魅力ある街の中で「スカベンジャーハント(宝探しゲームのようなもの)」を行った。

ダウンタウンの一角にある広場でカレン先生からそれぞれのリーダーに1枚の紙が配られた。そこには「What store sells old fashion candy and has a sign “Cool Stuff Sold Here”? 」(“クールな商品売ってます”の看板を掲げ、昔なつかしのキャンディーを売っている店はどれだ?) というような10個の問題が書かれている。すべて商店の名前を当てる問題だ。制限時間1時間の中でどれだけ沢山の答えを見つけ出せるのか?午後1時45分、決戦の火蓋が落とされた!

問題の中には「以前パン屋だった本屋はどれだ?」というような、店主に質問しなければ答えられないものも含まれている。生徒たちは次々に商店を訪問し、質問を投げかける。しかし中々見つからないようだ。店から店に渡り歩く姿は、まるで花畑を忙しく飛びまわるミツバチのようである。がんばれ、みんな!問題は巧妙に作られており、メインストリートの端から端まで歩かなくてはすべての商店を見つけることはできない。タイムリミットが刻々と近づいている…。あっ!!走りだした!もうなりふりなど構ってはいられない。必死である。そして2時45分。試合終了のゴングが、マウントバーノンの街に鳴り響いた(気がした)。ここでカレン先生による答えあわせタイムだ。

なんと全てのグループがほとんどの答えを埋めている。みんな、とても良くがんばった。そして結果は… Aチームの勝利!!先生方からチョコレートを頂いた。それをうらやましく見つめるBCDチームのメンバーは、リベンジを心に誓ったようである。

この活動を通して、生徒たちは様々な魅力的な商店を訪れ、今までに習った英語表現を実際に使い、またアメリカの人々のフレンドリーさ、親切さを感じることができた。明日は、シアトル一日研修である。安全に気をつけながら、更に英語とこの国の文化を学んできたいと思う。

 

マウントバーノン レポート 7月31日(木)

今日は待ちに待ったシアトル一日研修の日だ。いつもより一時間早い集合だが、集まった生徒たちは皆ウキウキした顔をしている。チャーターバスに乗り込みいざ出発!

途中でアーリントンのグループとも合流し、一路シアトルへと向かう。最初の目的地はワシントン大学だ。ワシントン大学はアメリカ西海岸を代表する高等教育機関のひとつで、その敷地面積は日本の大学とは比べ物にならないほど広大である。合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンの像がそびえる広場に降り立ち、広い歩道を歩いて行くと歴史を感じさせる美しい図書館があった。中に入ってみると、まるで映画「ハリーポッター」のワンシーンにでも登場しそうな雰囲気である。数名の生徒は恐る恐る蔵書の中の一冊を手に取り、開いてみている…。無論難しい英語で書かれており内容は良く分からないようだが、世界中の知恵と英知が集まる場所であることを感じることができたようだ。現在中高生の生徒たちが自分の進路を考える上でも、とてもいい参考・刺激になるだろう。

再びバスに乗り込みシアトルの中心部へ。降り立ったのはシアトルのランドマーク、スペースニードル。ここは東京タワー、スカイツリー、通天閣のようなタワーであり、周辺は博物館やコンサートホールなどの文化施設が集中するエリアになっている。生徒たちはここでそれぞれ昼食をとることになっており、写真撮影・諸注意の連絡の後に自由行動となった。そしてこれが生徒たちにとって試練の始まりだった。

いざ食べたい店を見つけても、周囲にはいつも助けてくれるホストファミリーはいない。自分で英語を使い注文しなければならないのだ。メニューを読んでも、それが何なのかはっきりとは分からない。自分の順番がやってきた。腕にタトゥの入った無表情のお兄さんが、早口で何か聞いてくる。ええい、勘だ!「Chips and soda, please!」 おお!通じた!あれ…?これなの?想像と違うぞ…。あれ…?ストローもついてない。ストローはどこ?といった具合である。しかし、四苦八苦しながら使える英語を駆使することで無事、全員が食事をとることができた。こういう力こそがまさに「対話力」であり「コミュニケーション能力」なのだろう。みんな、がんばった!

最後の目的地はパイクストリートマーケットだ。沖縄の「牧志公設市場」を巨大にしたようなマーケットで、様々な種類の店が所狭しと立ち並ぶ。あの世界的スターバックスの一号店もここにあるのだ。世界中からの観光客がごった返すこの場所で、生徒たちはお土産を買ったり、アイスを食べたりとそれぞれに楽しい時間を過ごしたようだ。

大都市シアトル。マウントバーノンとはまた違うアメリカの魅力を感じることが出来た一日だった。

 

 緯度が高い地域は夏と冬の日照時間の差が大きい。ここマウントバーノンもこの時期は朝は5時頃から明るくなり、夜は9時過ぎに日が沈む。アメリカの広大な大地の彼方を赤く染める朝焼け、夕焼けは非常に雄大である。我々がアメリカに到着した3日目からずっと雲ひとつ無い快晴が続いていたが、今日は若干雲がある。それが、日の出の光を反射して非常に美しい。まるで絵に描いたような大空のグラデーションある。すばらしい景色で始まったアメリカ10日目の本日。午前中はいつものようにセンターで英会話のレッスンをうける。さまざまなシチュエーションにおける会話文例をグループで練習し、皆の前で発表するのが今日の課題だ。カレン先生から「出来るだけ暗記して発表するように」との指示があり、皆繰り返し唱え頭に叩き込もうと必死である。いよいよ発表。完璧に覚えて堂々と発表する生徒、発音が非常にいい生徒には「おおー」と感嘆の声が送られた。本研修も気づけば中盤に来ている。残りの日々も、お互いに刺激しあって能力を高めて行ってほしい。

午後はバスに乗って「ガールズアンドボーイズクラブ」に移動する。ここは日本で言うところの学童保育のようなもので、地域の子供たちが集まり様々な活動を行う場所だ。到着した我々を現地の子供たちがみな興味津々といった様子で見ている。はじめはお互いに遠慮しあっている様子だったが、バスケットボール・綱引き・ビリヤードやエアホッケーなどの遊びを通して打ち解けあっていた。1時間が経過するころには日本人、アメリカ人の区別なく皆で仲良く遊んでいる。教師によるレッスンとは違い、子供同士の交流は非常にダイレクトだ。"My name is ○○. What's your name?"(私は○○です。あなたの名前は?) "How do you play this game?"(このゲームどうやって遊ぶの?) "Let's play this!"(一緒に遊ぼう!)教室にいるときより何倍もスムーズに英語が出てきている。皆でおやつを戴いたところで活動の終了時間が訪れた。皆、非常に名残惜しそうだ。短い滞在時間ではあったが、子供たちの間には全く言語の壁や異文化の壁など存在しなかった。考えてみれば、地図の上に国境を引き、お互いの価値観に固執して国際問題を引き起こしているのはいつも大人たちである。「国際交流・異文化理解」を小難しく、堅苦しく考えすぎずに、大人たちはもっと子供たちから学ぶべきではないか、と思えた本日の活動であった。

夜9時。沈み行く太陽がアメリカの大地を再び赤く染める。今日、アメリカで過ごす2週目のレッスンが終わった。慣れない環境の中で、生徒たちはよくがんばっていると思う。有意義な週末をホストファミリーと一緒に過ごし、また元気に3週目の活動をがんばって欲しい。

 

 今日からホームステイ3週目が始まる。センターにやってくる生徒たちの表情に、不安の色はもう無い。週末もそれぞれの家庭で楽しく過ごしたようだ。しかし、何事も慣れてきたころに事故や怪我がつきものである。何事も無く日本に帰れるよう、もう一度気を引き締めて、残りの日々を過ごしていきたいと思う。朝のショートホームルームでも、旅行中におけるルールの確認を再度行った。

さて、ご存知の通り我々の母国日本は世界でも稀な長い歴史を持つ国であり、俳句・能・歌舞伎・武道・和食など世界に名だたる伝統文化を持っている。ではアメリカには歴史ある伝統文化というものはあるだろうか?

アメリカ合衆国がイギリスから独立したのは1776年であり、まだ建国からわずか240年の若い国だ。では、伝統的な文化が無いのかといえば、そうではない。人種のサラダボールという異名が物語るとおり、アメリカは移民の国である。ネイティブアメリカンを除く全てのアメリカ人が他の国にルーツを持っており、それぞれの国から持ち込んだ伝統文化が今もアメリカには息づいているのだ。ここアメリカ北西部は東欧・北欧にルーツを持つ人々が多い地域であり、フォークダンスやケルト民族由来の音楽が今も大切に継承されている。今日は講師を招き、それらの文化について学んだ。

 午前の学習とランチを終えたところに、講師の先生が大きな音響装置を抱えて颯爽と登場した。白髪をタイトに決めダンディーな口ひげをたくわえた、いかにもダンスが上手そうな紳士である。手馴れた様子で装置をセッティングしている。さあ今から伝統音楽をバックにがんばって踊るぞ!そう一同が意気込んだところで講師の先生が一言。

「すまない。ケーブルを忘れてきた。」

というわけで、急遽講師の先生のアカペラ歌唱に合わせて踊ることになった。こういうめげないメンタルの強さがアメリカ人のすごいところだ。ぜひ見習いたい。

 生徒たちは英語によるステップの説明に四苦八苦しながらも、先生の美声に合わせて一生懸命踊っている。しかしここで思春期のメンバーに衝撃が走った。「ではここでターンだ。男子諸君、女子の腰に手を回して優しくターンをリードしてくれ。」手をつなぐ事にも、顔を真っ赤にして照れているメンバーにはハードルの高い注文である。「がんばれ男子諸君。君たち日本人は世界で最も勇敢な民族だろ?」講師の先生のこの言葉に奮起した男子生徒は精一杯の勇気を振り絞り、パートナーの腰へと手をまわすが残り15センチのところで止まってしまう。ここに世界一勇敢な民族にも越えられない壁があるようだ。「OK、分かった。じゃあ、手と手をとってクルクルと回ってくれ。」割と融通が利いた。生徒たちは皆、照れながらも楽しく、伝統の踊りを体験ことが出来た。

 続いて場所をすぐ近くの「ケルト文化教会」へ移動し、ケルト文化についての講習を受ける。講師の自己紹介に続いて登場したのは、スコットランドの伝統楽器「バグパイプ」だ。生徒たちは始めて生で聞くその音の迫力に驚いたようである。独特の音階や通奏低音を特徴とするバグパイプと通称フィドルと呼ばれるバイオリンの織り成すハーモニーは、遠くスコットランドの文化がここアメリカの地にも脈々と受け継がれていることを体感させてくれた。アメリカという国の成り立ちを、肌で感じることが出来た一日だった。

 

 今日の午後のアクティビティは、日本文化を紹介する「文化交流会」だ。先週の老人ホーム訪問では、大変喜んで頂けた日本文化の紹介だが果たして今日はどうなるだろうか。

 本日の会場は、小ぶりながらも機能的で美しいマウントバーノン図書館である。この図書館では以前よりあちこちに「Japanese Cultural Exchange」のポスターを掲示して下さっており、それを見て集まってきてくれる人が本日の観客になる。児童書コーナーの一角にステージとなるスペースを確保し、テーブルの上に習字セットと折り紙セットを並べる。さあ、後はお客さんが来てくれるのを待つばかりなのだが…。皆の脳裏に最悪のシナリオがよぎる。もし一人も来てくれなかったらどうしよう…。

 しかし開演時間が近づくと、子供たちが一人、また一人と集まってきた。年齢は2歳くらいから高校生までと幅広い。日本のアニメ・マンガの人気によって日本の文化を「クール」と捉えてくれている子が多いようだ。司会の生徒による挨拶で、いよいよショーがスタートだ。上手い。堂々と大きな声で発表出来ている。英語の知識や発音の良さよりも、最も大切である「発信力」をしっかりつけて来てくれているのを実感した。

 続いて、歌の披露だ。「上を向いて歩こう」、「チューリップ」、「If you’re happy and you know it clap your hands(幸せなら手をたたこう)」。ここでもまた皆、笑顔で堂々と歌うことが出来た。歌声の伸びも声量も前回とは比べ物にならない程、良くなっている。すごいぜ!みんな!!

 その後は各テーブルに分かれ、折り紙と習字のレクチャーを行ったのだが…。これが大盛況であった。比較的小さい子は、折り紙に夢中だ。動物を作ったり、サムライやニンジャの道具(今回は「兜」や「手裏剣」は、すんなりと理解してもらえた)を作って目を丸くして喜んでいる。また比較的大きい子や保護者の方は習字に興味津々である。ひらがな・カタカナ・漢字の三種類の文字を使いこなしている姿は非常にアメイジングらしい。生徒たちは集まったアメリカの子供の名前を日本語で書いてあげたり、書き方を教えたりしている。しかも、その日本語への変換の仕方が「Trey→トレイ→トレイン→電車」というように、かなり大胆だ!芸術が爆発している!

 あっという間に時間が過ぎ、終了の時刻となった。アメリカの子供たちは満足そうに、笑顔で、一枚の紙から折りだされた鶴や自分の名前が漢字で「電車」と大きく書かれた紙を抱え帰って行った。

 奇しくも今日は8月5日。日本時間では8月6日である。69年前に広島へと原爆が投下されたこの日に、アメリカで日本文化を紹介するイベントを大盛況の内に終わらせることができたことに運命的なものを感じずにはいられない。当時の日米では、お互いの国民に対する差別感情と偏見に基いて憎悪の念を煮えたぎらせていたと聞く。もしもあの時、両国が相互の文化や価値観に対して正しい理解をしようとしていれば、歴史は違っていたのかもしれない。
今なお世界では憎しみの連鎖による悲しい争いが続いている。今日のような交流がさらに広がり、世界に平和が訪れてくれることを願ってやまない。

  

マウントバーノン レポート 8月6日(水)

 ワシントン州の地図を広げてみると、細長い入り江が太平洋から深く内陸まで食い込んでいることが分かる。この入り江は、氷河期に北米大陸を覆った氷河により大地が削られ、そこに海水が流入することによって形成された「フィヨルド」であり、現在では「ピュージェット湾」と呼ばれている。このピュージェット湾の沿岸に我々が活動を行っているマウントバーノン、州最大の都市シアトル、そして州都オリンピアが位置しているのだ。

 今日は週一回行われる一日研修。ピージェット湾とアメリカの自然・歴史について学ぶ小旅行に出かけた。朝8時半、生徒たちがセンターに集まってくる。昨日のミーティングで連絡があった通り、皆懐中電灯を持参してきており、すっかり気分は探検家である。さあ、どんなアドベンチャーが今日は待っているのだろうか?すぐにアーリントングループが乗ったバスがセンターに到着し、颯爽と乗り込む。今日も2グループによる合同学習だ。これで顔を合わせるのも三度目であり、徐々に仲も良くなってきている。

 最初に向かったのはホイッドビー島にある「Fort Casey(ケイシー要塞)」と「Admiralty Head Lighthouse(アドミラルティヘッド灯台)」だ。この場所は太平洋から船で進入してきた時、湾の入り口となる場所だ。湾の奥深くに大都市や重要な軍事工場を持つアメリカにとってここは交通の要所であると同時に、国防上でも重要な場所であった。そこでここには航海の安全を守る灯台とともに、沢山の大砲を構えた巨大な要塞が建設されたのだ。しかしその後航空機による戦力が主体となったため、その意味を失い今では公園として開放されている。生徒たちはその巨大さ物々しさに驚き、また海側からは要塞が見えないようにカモフラージュされているという話を聞いて2度驚いていた。そのすぐ近くにあるアドミラルティヘッド灯台は、ケイシー要塞の雰囲気とはうってかわって非常にこじんまりとした、レンガ造りのかわいい灯台だ。今は別の場所に新しい灯台が建設されたため使用されておらず、内部は博物館とギフトショップになっている。灯台内部へと入り、かつてライトが設置されていた場所から海を臨む。沢山のタンカー、フェリーが行き来しているのを見て、大自然が広がるこの場所が大都市シアトルの物流の玄関になっていると感じることが出来る。しかし、階段が急で降りるのが怖い!

 続いて向かったのは「Deception Pass(期待はずれの通り道)」と呼ばれる海峡だ。ホイッドビー島と隣のフィダルゴ島の間は非常に狭い海峡になっており、潮の満ち引きによって生み出される流れが非常に速くまるで川のようになっている。ヨーロッパ人の探検家がここを通過するときにきっとどこか未知の場所に通じているに違いないと思ったが、特にどこにも通じておらず期待はずれだったという逸話が由来らしい。海辺に降り、海峡とそこに掛かる橋を下から望む。確かにどこか違う世界に連れて行ってくれそうな、神秘性を感じさせる海峡である。生徒たちはこの景色の中で思い思いに楽しんでいる。水に足をつけてみたり、波に削られた丸い石を並べてみたり、巨大な流木に腰掛けておしゃべりしてみたり…

 「先生!写真撮って!」そう言われて振り向くと、何人かの生徒が手と手を合わせてハートマークを作り、ニコニコと流木に座っている。「みんなもおいでよ!」一人がそう声を掛けるとあっという間に全員が集まった。ほんの少し前まで互いに知らないもの同士だったのに、今は強い絆で結ばれていることが分かる。残り2週間でまたバラバラになってしまうが、この絆はきっと一生の宝物になるだろう。

 センターへの帰り道。アイスクリームショップに寄って、皆でアイスクリームを買う。とても甘くて、とてもカラフルなアイスは「僕たちアメリカーン!」と自己主張しているようだ。アイスを食べながら、ここでふと気づいた。

「あれ? 懐中電灯、使わなかったじゃん…」

 

 ここまで体調不良の生徒が殆どいなかった健康優良児軍団のマウントバーノングループだが、今日1名の病院受診者が出てしまった。いつもは明るい笑顔のIさんが、朝一番で非常に困った顔で相談に来た。「先生、薬を塗っても全然かゆみがおさまりません」一昨日から足に虫刺されらしき赤い発疹が出来ており、昨日一緒にスーパーでかゆみ止めを購入したのだ。しかしそれを塗っても、かゆみはおさまらないらしい。シニアセンターに在駐している保健師の方に診てもらったところ、虫刺されでなく、もしかしたらChicken pox(水ぼうそう)ではないかということなので、急遽病院を受診した。

Iさん、ホストマザー、ティーチャーコーディネーター、私の四人で病院を訪れ診察を受ける。担当医師の判断は「現状で断定は出来ないがChicken pox(水ぼうそう)ではなく、Hives(じんましん・皮疹)の可能性が高い」とのことであった。水ぼうそうであれば全身に広がるのが普通だが、Iさんの発疹は両足にとどまっており何らかの物質によってアレルギー反応が起きている可能性が高いという説明を受け、念のため今週の学習活動は欠席し、家で療養するように指示をされた。今日の午後の活動であるボーリング、明日予定されているボーイズアンドガールズクラブ訪問を非常に楽しみにしていたIさんはとても残念そうな様子だったが、体調の回復が第一である。ホストマザーと一緒に家へと帰っていった。

センターに戻ると皆は雑誌を切り抜き、コラージュを作成している。ファッションをテーマにそれぞれのグループで作品を作り、そのコンセプトを英語で発表するというのが課題だ。Iさんが早退したことを告げると、皆もとても残念そうであった。

午後はRiverside Bowlingというボーリング場に移動し、ボーリング大会を行った。日本と同様受付でシューズを借りるのだが、ここアメリカは世界でも珍しい「ヤード・ポンド法」を採用している国で、靴のサイズの単位は「インチ」である。慣れない単位に悪戦苦闘しながら何とか靴を借りると、今度はデーターの入力装置が全て英語だ。ここでの活動のひとつひとつが文化や英語の学習につながっており、生徒たちも恐れずに自分から積極的に取り組もうとする姿勢が身についてきている。非常にすばらしいことだと思う。

そしてボーリングも、非常に盛り上がった。スコアや上手さよりも、みんなで楽しんでいい思い出を作ろうとしているのが良く分かる。上手い子が投げ方を教えたり、ストライクを取ったらみんなで喜びあったり…。素敵なひとときを過ごすことが出来た。

終了時間になり、ホストファミリーが迎えにやってきた。今日は皆ここからそれぞれの家庭へと帰っていくのだ。帰り際にIさんと一緒の家庭にステイしているAさんがこう言った。「この週末、Iちゃんが治ってたら一緒にまたボーリングに連れてきてくれるようにホストファミリーにお願いしてみる!」
24人の生徒たち。互いのことを思いやる絆の強さを感じることが出来た一日だった。

  

マウントバーノン レポート 8月08日(金)

 昨日、発疹で早退したIさんが元気に帰ってきた! 一日薬を塗って休養したら、痒みも赤みもきれいに消えたとのこと。まずは一安心である。

さて本日8月8日は、R君の誕生日だ。シニアセンターの調理スタッフの好意で、ケーキの代わりにヨーグルトを用意してもらい皆で祝う。おめでとうR君! おいしくヨーグルトを頂いて、今日の学習がスタートだ。午前中のレッスンでは再びスキットを行った。それぞれが与えられたシチュエーションに応じて英語で台本を作成し、皆の前で寸劇を発表するのだ。二回目とあって、前回よりも堂々と発表できている。すばらしい!

午後はアメリカ版学童「Boys & Girls Club」の再訪だ。先週の訪問で顔見知りになっている子どもたちなので到着するやいなやすぐに打ち解け、遊び始めた。バスケットボール、ビリヤード、フースボール、アクセサリー作り…。生徒たちは先週よりもさらに積極的にコミュニケーションを取ろうとしている。すばらしい!しかし…子どもの英語というのは非常に難しい。大人とは違い、手加減なしでどんどん言葉を投げかけてくる。言い回しも独特で、日本の英語の授業で習っているような表現ではない。それでも笑顔は世界共通だ。お互いに楽しんでいることは分かる。先週も書いたが、大人よりも子どもの方が異文化コミュニケーションが得意だ。まるでずっと前から友達だったかのように楽しむ子どもたち。いやはや恐れ入りました!

あっという間に時間が経過し、3時のおやつの時間だ(アメリカでも3時がおやつの時間であった!)。今日のおやつは、ディズニーランドや映画館でおなじみの揚げ菓子「チュロス」である。皆で並んで順番を待っていると、いきなり全く分からない言語がスタッフから発せられ、生徒達は目が点になった。スタッフがちゃんと並ばずにふざけている5,6歳くらいの子に「ちゃんと並びなさい!」とスペイン語で注意をしたようだ。アメリカでは今隣国メキシコから大量に移民を受け入れており、ここマウントバーノンでも農場等における労働力として多くのヒスパニック系の住人がいる。スーパーの商品や町で見かけるポスターなども、英語とスペイン語のバイリンガルで書かれているものが非常に多い。アメリカ社会の現状を実感した出来事であった。

そして3時半。いよいよ、サヨナラの時間である。2週間に渡る交流でとても打ち溶け合っている子どもたちは皆名残惜しそうだ。でも、出会いもあれば別れもあるさ…。グッバイ、サヨナラ、アディオス・アミーゴス!

今日で3週目の活動も終了し、実質的な滞在時間は残すところ10日となった。週末はそれぞれの家庭でいろいろな場所へと出かけるようである。限られた時間で多くのことを吸収し、日本に帰りたいと思う。

 

 雲ひとつ無い青空とぎらつく太陽。こちらに来て以来ずっと涼しい日が続いていたが、今日は久しぶりに「夏!」という感じである。テレビやラジオでは、今日の気温が「93度」だと盛んに報じていた。先週のボーリング体験のレポートにも書いたが、日本とは異なり、ここアメリカでは世界基準である「メートル法」が日常では殆ど用いられていない。長さの単位はメートルではなくマイル・ヤード・フィート・インチを、そして温度の単位は摂氏ではなく華氏を用いている。華氏93度は摂氏に直すと約34度である。沖縄本島中南部の本日の最高気温が31度であることからも、非常に暑い一日であったことが分かる(この地域の最高気温記録が華氏95度−摂氏35度であるから、それに迫る勢いの記録的な猛暑日であった)。そのうだるような暑さの中、今日生徒たちが向かったのはSkagit Valley College(スカジットバレーカレッジ)。マウントバーノンにある中規模の短期大学だ。ローカルバスで到着した我々は2グループに分かれ、見学ツアーを行った。ガイドをしてくださったのは大学スタッフと日本人留学生のボランティアの方々である。

英語による説明を受けながら校内を見て回る。2年生の短期大学ではあるが、この地域を代表する歴史ある高等教育機関であり、施設は非常に充実している。学費も他の4年制大学に比べて安いので2年次までをここで過ごした後、他の大学の三年次に編入する学生も非常に多いそうである。また、外国人留学生を積極的に受け入れており、そのサポートも手厚い。英語非ネイティブの留学生が無料で学習のサポート受けられる部屋等も用意されており、さらにはビザの関係で学外で仕事が出来ない留学生には、学内でアルバイトを斡旋し生活費等を捻出出来るようにしてくれているらしい。

校舎の外でもツアーは続く。調理専攻の学生が用いる菜園、IT環境が充実した図書館、就職希望者のための職業訓練の施設、トレーニング室を備えた体育館、消防士を目指す学生のための消火訓練施設、テニスコートに学生寮。どれも素晴らしい施設だ。しかし…暑い。汗が額ににじむ。しかし生徒たちは全く弱音など吐かない。輝く瞳でガイドの説明を聞いている。

ツアーの後はカフェテリアの隣にある会議室で、日本人留学生への質問タイムとなった。今日の午前中のレッスンで、それぞれ質問を英語で考えてきている。しかし相手は日本人だ。日本人相手に英語で質問することに抵抗があるようである。「先生、日本語でもいい?」もちろん答えはNoである。外国語を習得するためには、時として不自然なこともしなければならないのだ。質問は学生生活のことが主である。(中には「Do you have a girl friend?」という思春期の生徒らしいものもあったが)生徒たちのたどたどしい質問にも、英語と日本語を交えて分かりやすく答えてくれた日本人留学生の皆さんに、本当に感謝である。

3時半になり、ホストファミリーが迎えにやってきた。生徒たちは「私もこの大学に留学したい!」「もっと英語を勉強したい!」と熱く語りながら家路についた。中学2年から高校2年までの生徒たちにとって、進路の決定は大きな課題である。この学校見学が、自身の将来を考える上でとてもいい刺激になったようである。いろいろな意味で「アツイ」一日であった。

  

マウントバーノン レポート 8月12日(火)

 猛暑だった昨日とは打って変わって、ひんやりとした朝を迎えた。久しぶりに少し雨も降っている。今日でアメリカに来て20日目。旅の日程も残りわずかである。

朝、生徒を送ってきて下さったホストファザーの一人に最近の様子を聞いてみる。この方は2名の生徒を受け入れてくださっているのだが、こちらに来て2日目のウェルカムパーティーの席で「うちに来ている子達はずっと黙っているけれど、一体どうしたらいいのか?」と困った顔で私に質問してきた髭がクールなお父さんだ。私「最近の様子はどうですか?」 髭がクールなお父さん「うまくいっているよ。相変わらず二人ともシャイなんだが、私が冗談を言うとパンチして来るんだ!とても楽しいよ」 パンチしてくる…?? 関西芸人風の「ツッコミ」だろうか? なんにせよ、とても楽しく過ごしているようである。横で聞いている2名の生徒も恥ずかしそうに微笑んでいた。

異文化コミュニケーション。言葉で言うのは簡単だが、実際やってみると大変である。しかも外国人とほとんど交流したことの無い十代の生徒にとって、その衝撃は計り知れないものだろう。学校で習った英語の発音と全く違うのだ。アメリカに到着した当初は宇宙人に拉致され、遠い星に来たような気持ちになったことだろう。しかし20日が経った今では見事にコミュニケーションが成立している。しかし生徒の英語が完璧になったかというと、そうではない。もちろん、生徒の英語力は確実に伸びている。特に聞く力は著しい。毎日の日記にも「だんだん英語が聞き取れるようになってきた」という風に書いてくる生徒が最近増えている。しかしそれでも、生活に困らない程の十分な理解にはまだまだ遠いのである。わずか20日の滞在で英語が完璧に聞き取れるのなら、何十年も洋楽や洋画に親しんでいる日本の大人たちはみんなペラペラになっているはずだろう。そんな奇跡は起きるはずも無い。では何がコミュニケーションを可能にしているのか。それはホストファミリーの「愛」である。外国から来たティーンエイジャーを一家の一員として受け入れ、全力の愛で向かい合ってくれているのだ。この滞在を意味のあるものにしてあげたいと願い、生徒の気持ちを理解してあげたいと願う気持ちが言葉の壁を越えたコミュニケーションを可能にしているのだと思う。そしてその愛に応えて、生徒たちも一生懸命自分の気持ちを伝えようとしているのだ。機械には出来ない、人間同士のコミュニケーションがここにはある。

もうすぐその滞在も終わる。ここまで支えてきてくれたその愛にどのように恩返しをするべきか?愛に対する返答は、愛しかない。愛情をこめて文章を綴り、写真つきのメッセージボードを贈るのだ。
今日は一日センターに滞在し、生徒たちはホストファミリーへお礼の気持ちを伝えるオリジナルのメッセージボードを作成した。皆、辞書を片手に自分の気持ちを伝えようと奮闘していた。愛にあふれたこのボードはきっと、ホストファミリーにとっても大切なものになるだろう。手渡すのは「サヨナラパーティー」、来週の月曜である。

 

 今日は本研修における最後の一日研修である。最初の一日研修ではここから南の方面に向かった。二回目は西。そして今回の進路は北だ。カナダとの国境を目指す。地図を見ると、アメリカ合衆国とカナダはほぼ直線の果てしなく長い国境線で区切られていることが分かる。その国境線が海とぶつかる西の果てに「Peace Arch Park」という公園がある。そこが本日の目的地だ。しかし、問題は昨日からの雨である。強くはないが、シトシトとつめたい雨粒が落ちてくる。あまり長い時間、野外に滞在しほうが良さそうだ。アーリントングループの引率教員達とも相談し、急遽訪問地を追加することした。「Bellis Fair」という巨大なショッピングモールだ。ここであれば雨を凌いで観光をすることが出来る。こじゃれたアパレルショップが延々と続く広大な店内。女子のテンションは朝からマックスであった。「よっしゃー!」気合十分である。次々にショップを回っていく。店員ともしっかりコミュニケーションできているようである。モチベーションを強く持った人間の、意思の力は計り知れない。しかし、買い物が楽しすぎたのだろう…。集合時間に遅れる生徒が続出した。集団行動であることを忘れないよう釘をさした。

続いて、いよいよ本日の目的地、Peace Arch Parkだ。公園名の由来にもなっているPeace Archは、アメリカとカナダの友好の証として、1921年に国境を跨ぐように建てられた巨大な門であり、そこには「CHILDREN OF A COMMON MOTHER」との碑文が刻まれている。アメリカ合衆国、カナダのどちらもイギリスという母から生まれた国家であるという意味だ。もうひとつの隣国メキシコとは比較にならないくらい、カナダとの関係は歴史を通じて極めて良好であるという。この門の周辺は二国間の友好関係を記念し公園として整備されており、この公園内に限りパスポートなしでも国境を跨ぎ自由に行き来できる。「国境」が身近に無い島国、日本から来た生徒たち。門をくぐりカナダ側にいくことを、ためらっているようだ。勇気を出してカナダ側に足を踏み出す。「おお…」感動の一瞬である。今この瞬間、彼女の前半身と後半身は別々の国にいるのだ。

記念撮影を終えた後ここでランチをとるはずであったのだが、あいにくの雨である。しかたなくバスの中で食事をとることにした。残念ではあるが、天気には逆らえない。そして我々は次の目的地、Whatcom Fallsに到着した。駐車場からトレイルを下って行くと、水の音が聞こえてくる。決して大きな滝ではないが、美しい滝が目前に姿を現す。周囲の緑もまた、美しい。ここでしばし散策という予定であったが、ランチの時間を繰り上げてしまったため出発まで2時間以上もある。2時間も滝を見つめていたら、悟りを開いてしまう…。と悩んでいたところ、カトリーナ先生から素敵な提案があった。「雨も上がってきたし、近くにあるFairhavenに行きましょう!」

Fairhaven地区は、Bellingham市の南にある19世紀の建造物が多く残る古い街だ。港から続く丘の上に、古き良きアメリカの雰囲気を感じさせるレンガ造りの建物が並ぶ。バスを降り立つと、雨は完全に上がっていた。ここで自由行動、各自自由に街を散策することとなった。生徒たちはヨーロッパ映画にでも出てきそうなおしゃれな町並みの中を歩いているだけで、とても楽しそうだ。そして集合時間5分前…。ほとんどの生徒たちが集合場所で待っていた。

間違いや失敗は誰にでもある。それを素直に受け入れ反省し、自分を変えて行くことが「成長」だ。今日は最初の訪問地で集合時間に遅れるという失敗をしてしまった生徒も、最後の訪問地では他のメンバーに迷惑を掛けないようにと時間より早く集まることが出来た。残り少ない今回の旅だが、どんどん成長していって欲しいと思う。

 

マウントバーノン レポート 8月14日(木)
 本プログラムでは日本の生徒をアメリカの家庭にホームステイさせてもらうだけではなく、お世話になったホストファミリーの子弟を日本に招くという取り組みもしている。日本人がアメリカのことを学ぶだけではなく、アメリカ人にも日本のことを良く知ってもらおうというこの取り組みは、お互いの国を良く知るために非常に意味のあることだろう。本日はそのための資金造成を行った。

会場は大通り沿いにあるChrist King Churchという教会の駐車場。資金造成の方法は@Car Wash(洗車)ABake Sale(ケーキやクッキーの販売)BJapanese Souvenirs Sale(日本からのお土産販売)の3つだ。テントの下に生徒がホストファミリーと一緒に焼いてきたカップケーキやクッキー、そして日本から持ってきた手ぬぐいなどの商品を並べる。各家庭から持ってきたバケツなども並べ、準備は万端だ。生徒たち交通量の多い道路脇に移動し、手作りのサインボードを掲げた。さあアメリカの皆さん! 今開始しましたよ! 来てください!

一分後…。お客さんは入らない。まあ、まだ始まったばかりだ。
五分後…。まだお客さんは来ない。なんのなんの!これからが勝負だ!
十分後…。まだお客さんは来ない。このまま一人も来なかったら…どうしよう!

手伝いに来てくれているホストファミリーが、見かねて「こいつを洗ってやってくれ」と、自らお客さんになってくれた。皆で車を洗い始める。始めて洗車をするという生徒も割りと多く、おっかなびっくり洗っている。それを見ていたカトリーナ先生が「車はこうやって洗うんじゃー!」といわんばかりに、ものすごい勢いで水しぶきを上げながら車を洗い始めた。それを見ていた生徒たちも触発され、元気良く洗い始めた。「始めて車洗ったけど、楽しい!」と、そんな声も聞こえる。その後もホストファミリーが気を利かせ、次々に車を持ってきてくれた。徐々に手つきも慣れてきた。みんな、この調子ならいつでもガソリンスタンドでバイトできるぜ!

しかし、ついに全ての車を洗ってしまった。カトリーナ先生の車も、である。サインボード部隊の生徒もがんばって、通り過ぎ行く車の運転手に手を振り、笑顔を振りまき頑張っているのだが、運転手たちは皆笑顔で手を振り返すだけで立ち寄ってはくれないのだ。よし作戦変更だ!叫ぼう!  「Car Wash! Caaar Waaaash!!(カーウォッシュ!カーウォーッシュ!)」   生徒たちが声を上げ始めると、信号待ちの車の運転手たちがこっちを見てサインボードを読んでくれているではないか! たちまちのうちに、次々とお客さんが訪れた。作戦成功である。皆が作ってきたクッキーや、日本から持ってきた品々も次々と売れて行く。皆で頑張って洗車している様子を見た一人の老紳士は「私の人生で、こんなに沢山の子どもが私の車を一生懸命磨いているのははじめて見たよ!」と、驚いている。終了時刻になってもまだ3台の車が残っていた。皆で協力して磨き上げ、終了! 気になる売り上げは…今夜計算して明日発表することとなった。みんな、がんばりました!

今日は8月14日。日本では8月15日。終戦記念日である。69年前。日本とアメリカは敵国同士であった。しかし今私達はそのアメリカの地で、沢山の暖かい人たちのおかげで素晴らしい体験をさせて頂いている。そして今日はその恩返しとして、アメリカの生徒を日本に呼ぶための取り組みを一生懸命行った。このような関係が、これからも続いて行くことを願ってやまない。

マウントバーノン レポート 8月15日(金)

 朝、生徒たちがホストファミリーに送ってもらい、一人また一人とセンターにやってくる。多くのホストファミリーが一緒に教室まで来て、にこやかに「See you later(またあとで)」と声を掛けて(時にはハグをして)帰って行く。本当に皆、愛して貰っているのだなあ、と実感する瞬間である。しかし今朝は一人のホストマザーが申し訳なさそうな、困ったような顔をして私に話しかけてきた。「LとRの違いをどのように説明したら、日本人に分かりやすいのか?」  なんでも夏休み明けにある「英語スピーチコンテスト」の練習を一緒にやってくれているのだが、どうしてもLとRの発音に難があるようである。色々説明するが、どうも上手くいかないらしい。LとRの使い分けは日本人には非常に難しい。日本語の「ら・り・る・れ・ろ」で発音すると、アメリカ人には全く理解されない。(「だ・でぃ・どぅ・で・ど」に聞こえるらしい)カトリーナ先生にも伝えたところ「OK! じゃあ、今日のレッスンにLとRの発音の特訓をいれましょう!」  というわけで、いつものスキットの練習の後に発音の特訓が始まった。これが中々難しい。よほど注意して聞かないと、日本人の耳には「ライス、ライス。リピートアフタミー。ライス、ライス。ノー! ライス!」と、全部らりるれろの音に聞こえてしまうのである。生徒は皆、頑張って発音しているが…。壁は厚い。文法のような知識ではなく、発音のような「能力」は、練習するしかない。一朝一夕では身につかないのだ。日本に帰ってからも、継続した練習が必要だと実感した午前のレッスンであった。

午後の活動は、近くにある大型ショッピングモール「Cascade Mall(カスケードモール)」でショッピング体験だ。ここには「Macy’s」といった百貨店や数々のアパレルショップ、そしてレストラン等が立ち並んでいる。皆、家族や友達にお土産を買おうと張り切っているが…。さあ、英語は通用するかな…? LとR、大丈夫? 私の心配をよそに、生徒たちは各自めぼしい店に突撃して行く。すごいぞ!みんな!   そして…。なんと、値切っている!!しかも、なんと半額になったらしい!   外国語を学ぶ際は文法や発音ももちろん大切だが、話したいという強い欲求と、多少日本語英語でも恐れずに話しかける勇気も非常に重要であるということを改めて実感した。

ん?いやそこ、ファーストフードのお店だけど…、ジュース値切るの?? 見事撃沈!しかしこれもいい経験だ。明日からはホストファミリーと過ごす最後の週末だ。家族の一員として、かけがえの無い思い出を作ってきて欲しい。

日本語において多くの英単語が外来語として広く用いられているのと同様に、少なくない数の日本語が英語における「外来語」となっている。Samurai(侍)やNinja(忍者)はもとより、Tofu(豆腐)、Konjak(蒟蒻)、Wakame(ワカメ)、Sake(酒)、Panko(パン粉)といった食品からKaraoke(カラオケ)、Tsunami(津波)、Honcho(班長)、Skosh(少し)といったものまで、意外にも多くの日本語がそのままここアメリカでも理解される。そしてSayonara(さよなら)という言葉も、英語に流入した日本語の一つだ。

今日は最後の活動、「Sayonara Party(サヨナラパーティー)」を行う。その名の通り、お世話になったアメリカの人々に感謝の気持ちと「Sayonara」を伝えるのだ。

「とうとう、この日が来てしまった。」
朝目覚めたとき、多くの生徒がそう思ったそうである。はじめは「早く日本に帰りたい」と言っていた生徒も、ホストファミリーや仲間たちと別れるのが辛いようだ。しかし、出会いもあれば別れもあるのが人生。感謝の気持ちを込めて最高のパーティーにしよう!

パーティーは2部構成だ。前半はお借りした教会の食堂に「習字」「折り紙」「日本料理」の3つのブースを設け、ホストファミリーたちにそれぞれ自分の興味のあるものに参加し楽しんで頂く。後半は2階にある礼拝堂のステージを借りてのパフォーマンスショーだ。最後の英語レッスンを終えた生徒たちは午後から教会に移動し、それぞれ飾り付けや調理を一生懸命行った。とはいえ勝手の違う外国のキッチンだ。意外と時間が掛かり、ちょうど最後の団子がお湯から浮き上がったころ、ホストファミリーたちが続々と到着しだした。我々も日本から持ってきた浴衣や法被を着て、笑顔で迎える。それぞれのブースで、ホストファミリーのみなさんも楽しく日本文化を体験して下さっているようだ。

続いて、ショーがスタート。本場の琉球空手、歴史ある伝統芸能、迫力あるダンスや歌、野球選手のものまね、手品…。観客達は時には驚愕のため息をもらし、時には笑い、それぞれの生徒が持つ個性のきらめきを十分に感じてくれていたようだ。そして、いよいよ最後のプログラム、全生徒による合唱である。アメリカ滞在中何度と無く歌ってきた我々の、最後の歌だ。最後の曲目は「上を向いて歩こう」。

上を向いて歩こう 涙がこぼれない様に

今までで一番の歌声で、そう歌う生徒たちの目は涙で潤んでいた。それを見ているホストファミリー達も、溢れる涙をこらえる事が出来ないようだ。歌い終わったとき、会場は大きな、そして暖かい拍手に包まれた。

「Sayonara」は、まだ言えない。明日の朝までは。

マウントバーノン レポート 8月19日(火)

澄み切った青空。朝日が眩しく降り注ぐ。
いよいよ旅立ちの朝を迎えた。最後の夜をホストファミリーと過ごした生徒たちが続々とシニアセンターに集まってくる。
「忘れ物はないか?」「荷物は重さは大丈夫か?」「ランチは飛行機の中で食べきるのよ。」
最後の最後まで「家族」として、接してくれるファミリーたち。生徒たちも名残惜しそうだ。

そしてついに空港へと向かうバスが到着する。ホストファミリーたちとはここでお別れだ。
「Sayonaraは言わないわよ。あなたはどこに行っても私達の子どもなのだから。必ず帰っていらっしゃい。」

動き始めたバスの窓から、懸命に手を振る。
そうだ。これは「Sayonara」じゃない。新しい関係の始まりなのだ。
この一ヶ月は、「きっかけ」にすぎない。ここからがスタートだ。

ホストファミリーとの国際交流。
英語力の獲得。
そして、夢への努力。
全ては、ここからスタートだ。

飛行機が飛び立ち、アメリカの大地が遠ざかる。
地平線の、更にその先を見つめる瞳は、一月前より遥かに大人びていた。

 

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