MNCCスタッフによる活動写真・動画と、引率者による文章レポートを掲載します。上記バナーをクリックしてご覧ください。

 
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7月30日
8月01日
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8月14日

8月18日

8月20日

  7月24日午後4時成田空港出発ゲート、鹿児島から先に到着したPAの私と、沖縄から着いた23人の冒険家、プラス沖縄市教育委員会派遣の亜希子先生が合流、いよいよこのプログラム、総勢25人のJourneyの始まりである。サミュエル・ウルマンは、「青春とは肉体の年齢ではなく、心の持ち様なのだ」と、『青春』の中で言うが、青春真只中、今日の23人の冒険家には、どんな心の持ち様もかなわないキラキラとした青春そのものの輝きがある。皆リラックスしている、出国の不安も感じさせない。少しは緊張してよ、と言いたいくらい、それは自分だけかと思いつつ。

9時間近くのフライトを終え、7月24日午前11時前、ANAの大きな翼はシアトル空港に降り立つ。経度を超えての移動、まだ日本にいる自分と16時間の時差のこちら側にいる自分、どちらも本物の自分、もう一人のアメリカでの自分のスタートである。入国審査・税関を難なく済ませ、二人のTCとMNCCスタッフ酒井さんの出迎えを受けて、早速空港正面で記念撮影、すぐバスに乗り今回のプログラムのメイン施設となるスタディセンターに向かう。

途中休憩を兼ねマックに立ち寄り昼食、日本でも馴染の店とあって緊張はないが、英語での注文には亜希子先生がカウンター前に付きっきりでサポート、その甲斐あって(?)皆好みのメニューをゲット、ニコニコ顔でほおばる。午後2時半センターに到着、カソリックの教会施設とあって、静かな佇まいの中に神聖な雰囲気が漂う。ハウスツアーの後、早速クラス(最初の授業)のスタート。それぞれのTCのクラスに分かれて、先ずはチームの命名から。初日、更にはいきなり感もあって、最初は
TCの問い掛けへの受け応えが鈍いがそれも時間の問題、ウェルカムパーティが始まる頃には、舞台の前に威勢の良いチーム名の横断幕が貼り出され、生徒達の適応力の高さを感じさせる。

やがてホストファミリーが集まり始めて、午後5時半からウェルカムパーティが始まる。自分のホストファミリーはどの人達だろう、生徒達はファミリーがやってくるたびにじっと目を凝らす。TCのキムさんの進行でファミリーの紹介と、組み合わせの生徒の発表があり、もう一人のTCヌーノさんが順番に記念撮影、ホストファミリーの持ち寄った手料理を頂きながら、各テーブルでそれぞれの話題に花が咲く。咲いたかな? ま、今日は初日、生徒達もそうそうフル回転という訳にはいくまい、と写真を撮りながらその笑顔を見て一安心。その後、三々五々それぞれのホストファミリーへの家路につく。かくして、ながーい7月24日という一日が終わる。物理的な移動、初めての光景、日本語の通じない環境、いきなりクラス、どの一つをとってみても生徒達を疲れさせないものはない。しかし君らは自ら志願した冒険家達だ。へこたれるんじゃないぞ、と言葉に出さないエールを送りながら、一人一人を見送る。ぐっすりお休み・・・と。

 

  7月25日朝、アメリカでの最初の晩をホストファミリー宅で過ごした生徒達が、ファミリーに送られて次々に登校する。私の「グッ・モーニング」の問い掛けに軽く微笑む生徒、 「お早うございます」と日本語で丁寧な返事、「グッ・モーニング」と英語で返してくる生徒、出発から今朝までの目まぐるしい時間の経過の中で、それぞれの生徒に様々な思いが押し寄せるのだろう。それが一人一人の表情の違いとなって現れているように思う。共通しているのは、ここ(スタディセンター)に来れば、皆と会えるという安堵感のような感情が伝わってくること。わずか一日で一緒にやって来た仲間と離れ離れになったのだから、それも当然かなと考えつつ、私自身も又、彼らの顔を見てホッとひと安心する気持ちになる。

アメリカでの本格的な第1日、全員揃ったところで2日目の授業のスタート。自己紹介の練習から日常会話の簡単な質問や、午後のレストランでの食事に備えて注文の仕方(これは昨日、早速マックで実地体験したのだが)などを学ぶ。午前の二コマ目は、4班に分かれてモデル役になった一人が様々なコスチュームでドレスアップし、それに相応しいストーリーを英語で作り発表する。日本の英語の授業では経験することのないスタイルに最初は戸惑っている様子だが、それを察したTCが再三制限時間延長をして、各班とも何とかストーリーが出来上がる。亜希子先生とPAがジャッジになり、ストーリーとコスチュームの一致具合、モデル役になった生徒のパフォーマンスを総合的に評価し、優勝と準優勝の班を決定。短時間の共同作業で最後までたどり着くのか・・そんなPAの気がかりも吹き飛ばす出来栄えである。ここでは、今回プログラム参加の4人の男子生徒が全員モデル役になり、見事なパフォーマンス演じる。唯一の一年生、凌君の扮した海賊ストーリーが栄冠に輝く。無から創作する発想や表現力が求められる楽しいゲーム、日本の英語の授業にも採り入れたくなる。こういう授業が出来るならいいなー。

午後は、約3キロの道程をウォーキングしながら、人気のピッザレストランまで移動し、昼食となる。英語からしばらく解放され、しかも美味しいピッザを思う存分食べられるとあって、教室の中の顔からすると皆俄然明るくなる。午前中のパフォーマンスでそのコツを覚えたのか、凌君はレストランのコックが演じて見せるピッザ生地の放り投げパフォーマンス(空中に生地を投げ上げて、薄く丸く引き伸ばす)に、盛んに挑戦している。自然豊かな緑の木立の中、生徒どうし語らいながら往復のウォーキングと相俟って、エネルギーを取り戻す絶好のひと時となる。ただ大半の生徒が、程度の差はあれ、体内時計はまだ日本のままの状態にある。昼夜が逆転する時差だから止むを得ないが、明日から二日間の週末がその状況解消に役立つことを願わずにはいられない。月曜日の朝も、元気よく「グッ・モーニング」だよ・・

 

  7月28日朝駐車場で待つと、週末をホストファミリーと過ごした生徒達が次々と登校してくる。幾つかのファミリーは早速キャンプやBBQなどで楽しみ、他のファミリーも買い物などで外出し、生徒達もすっかりファミリーの一員になったようである。

今日の午前の授業は、アメリカの模擬貨幣を使ってのショッピングの表現と、ホストファミリーの様子についての紹介の仕方などを学ぶ。硬貨のクォーター(25セント)やダイム(10セント)の呼び方は、TCの質問に即答、実地の買い物で既に習得済のようである。ホストファミリーの家族構成や、ペットなど生徒同士でお互いに質問し合いながら時々日本語が手伝いをする。TCの「ノー、ジャパニーズ」の声に、「あ、そうだった」又日本語が・・。苦笑いしてすぐ英語に戻るところは、アメリカに慣れてきた証拠である。

昼食は丸テーブルに5・6人ずつ掛けて、今日から持参したランチバッグを開けてお楽しみのひと時となる。サンドウィッチあり、サラダあり、おにぎりあり。亜希子先生のホストファミリーがつくってくださった20個余りのおにぎりは、あっという間に無くなる。食後の昼休みは三日ぶりの再会に生徒同士の話が弾み、お互いの土日の過ごし方や、ホストファミリーの情報交換タイムとなる。

午後は歩いて30分の所にあるレイシーの警察署を訪問し、警察署の仕事や施設について説明を受ける。警察官がユーモアを交えて説明してくださるのだが、英語でのユーモアは生徒達にはまだ難しいのか、ただただ熱心に聴き入っているのか・・・タイムリーな笑いが出ない。一番人気があったのは、留置場とパトカーの乗車である。留置場では、今日入ってみないと一生入る機会がないからと、全員が交代で入り扉の向こうで記念撮影。また、パトカー車内も普段見ることがないので珍しく、列を作って乗車体験、運転席に座ってすっかり警察官気分の生徒もいる。見学終了後は整列して礼儀正しく一斉に「サンキュー・ヴェリーマッチ」、言い足りない分は里彩さんが日本語で挨拶をして、亜希子先生が英語に通訳、心のこもったお礼を述べ、警察署を後にする。

今日は、アメリカに来てから一番と言っていいくらい日差しの強い日である。「暑い、暑い」を連発する生徒を見て、TCのキム先生がライム・ベリーというアイスクリーム店へ案内してくださる。カップに自分で好きなだけの量を入れその重さで料金が決まる。生徒達は財布を取り出し、中には午前中の授業をそのまま実践して、お釣りの無いように小銭を交えてキッチリ払う者もいる。そう、習ったことは実行してこそ実際に役に立つ価値のあることになるのです。

午後4時過ぎ、ホストファミリーの迎えの車に乗り帰って行く生徒を一人一人見送り、休日明けの一日が終わる。

 

  スタディセンターも5日目、午前中の授業にはキム先生の小学生の子供さん3人が加わり、日米の生徒が一緒になっての英語の授業でした。小学生の流暢な英語に、日本の生徒達もなんと上手な英語を喋るのだと、目を丸くしていました。アメリカの子供だから当然ですが、小さな子供の英語は大人のそれとは違って、可愛らしさがあり生徒達も終始笑顔の絶えない楽しい授業となりました。

午後はレイシーの消防署を訪問しました。今日の説明役はハンサムなヤングガイ(若者)、重装備の消防服に着替えての説明後は、カッコいい彼と一緒の写真を希望する生徒の列が出来ました。最後はマリサさんが丁寧なお礼の挨拶をしてくれました。彼女が小さな折鶴と日本の土産をヤングガイに渡すと大変喜んで、両手で大事そうに持って行きました。マリサさん、グッド。

生徒が書く日記には、様々な事が綴られています。ホストファミリーの家で過ごす中で、日本を恋しがる気持ちがダイレクトに伝わってくるもの、僅か5日のアメリカ暮らしで、お母さん(ホストマザーではなく、日本のお母さん)の有難さや家族への感謝の気持ちを飾らず記入しているもの、朝晩の食べ物を通じて日本とアメリカの違い(どちらかと言えば日本がいいと)に思いを巡らすもの、共通するのは彼らがアメリカに居ながら日本を意識し始めていること、又は気持ちが日本に向いていることです。プログラムの修了の頃にどう変化しているのか、今から興味のあるところです。

昼食後の昼休み、生徒達に今日までの感想を聞いてみました。直に訊いてみると準備していないダイレクトの答えが返って来ます。その中で一つ紹介します。アメリカ人が日常会話で使う英語についての、ななみさんの観察眼は鋭いものです。アイ・ゴナ(I gonna 〜 = I am going to 〜)を頻繁に使う。イフ・ユー(If you 〜)に続いて殆どの場合ユー・キャン(You can 〜)が続いて、もし何々したければしていいよという意味であるらしいとか、会話では比較級の表現はあまり聞かないなど、実地にアメリカで暮らす中でしか得られない貴重な気付きに、ななみさんがこんなに早く到達したと思うと、とても頼もしく嬉しい気持ちになりました。他の生徒も似たようなことにたくさん気付いています。はるばる来た甲斐があったというものです。いや、まだそれを言うのは早過ぎますね。

  

 この季節のワシントン州は雨が降らないと聞いていましたが、ほんとにいい天気が続きます。日差しは強いですが、沖縄の暑さに比べるとかわいいものです。快適な暑さと言っていいかも知れません。外に出ると生徒達は「暑い、暑い」を連発です。でも木陰に入ると寧ろ快適です。この気候に慣れると、沖縄に帰った時に大丈夫だろうか?要らぬ心配ですね。

 さて、今日のメイン・イヴェントは、昼休みのサプライズ・パッピ・バースデイでした。今回参加した生徒の中に、プログラム期間中に誕生日を迎える生徒が二人います。7月30日のユウキ君と31日のカリンさんです。TCのヌーノ先生にそのことを事前に話していたところ、“誕生日”と漢字のデコレーションのある特大ケーキを準備して下さいました。 突然のハッピ・バースデイに、生徒達は「え、誰の?誰が誕生日なの?」とびっくり。勿論当事者の二人も驚いた様子、ヌーノ先生に促されて前に進み、二人を囲んでハーッピ・バースデイの合唱です。二人が誕生日を迎えた気持ちを短く披露し、その後全員でケーキを頂きました。パーティの終了時には、二人が並んでヌーノ先生にお礼の言葉、一生忘れられない思い出になりました、というユウキ君の言葉に拍手喝采でした。ユウキ君、カリンさん、アメリカ時間で誕生日を迎えるなんて、本当にハッピーでしたね。ちばりよー!
 午後は、スタディセンターから歩いて5分の所にあるレイシー博物館を見学、レイシーの生い立ちから現在までを学びました。博物館というので大きな建物を想像していたのか、生徒の一人はそのこじんまりとした佇まいに、「え、これが博物館?」と驚いていましたが、展示物はアメリカの歴史の一端を知るに十分な貴重なものばかりでした。 博物館の建物に一度に入りきれないので、キム先生のクラスが見学している間、一方のクラスは木陰の芝生に腰を下ろしてアプルズ・アプルズという名のアメリカのカードゲームをしました。初めてする訳の分からないカードゲームですが、やっているうちにそれなりに面白くなって、盛んに歓声が上がりました。

 スタディセンターに帰ってからは、来週月曜日に行うことになっているボランティァ活動の練習です。ジャパンホームステイのための寄付金を募るカーウォッシュです。ヌーノ先生がお手本を見せて下さり、洗車のポイントを伝授、扱う相手がお客さんの大事な車だけに、注意点も沢山です。ここばかりは生徒達の誤解や理解不足があってはいけないと、ヌーノ先
生が引率に日本語で再度言うように指示し日本語でダブルチェック、本番が楽しみです。生徒達が日本に帰ってから、おうちの車がある日突然ピカピカになるかも知れません。アメリカ仕込みのカーウォッシュを楽しみにしていてください。

 一週間経ちました。生徒達の口からも今日はその言葉がよく出てきました。それぞれのアメリカ、それぞれの一週間。順調に経過していることに感謝です。

 

レイシー レポート 7月31日(木)

 日曜日の数だけを数えると、今日で丁度一週間です。今日は、シアトル市内の一日研修です。そのせいでしょうか。今朝は生徒達の顔にも少し余裕が出てきた気がします。幾つかのホストファミリーの家族も一緒に乗り込み、大型バスで9時20分にいざ出発。生徒達は皆嬉しそうです。この時のバスの中で撮った写真(カメラから遠い最後列の生徒は、ちゃんと撮ってよと両手でVサイン)と帰りのバスの中との違いについては最後に触れます。

シアトルに近づくに連れて渋滞がひどくなり、予定より少し遅れて昼過ぎにワシントン州立大学に到着。西海岸随一の規模を誇るとあって大学というより一つの大きな街のようです。大学の名所ともいえる大きな池の噴水の前で記念撮影、校内を散策し慌ただしく次の目的地シアトルセンターへ向かいます。大学を後にしてバスに向かう生徒達の列からは、ここに留学したいな・・とか話が聞こえてきます。確かに構内に入っただけで何か一種独特の引き付ける魅力があります。何年か後にそれを実現させるような生徒が出て来て欲しいものです。

展望タワーのスペース・ニードルのあるシアトルセンターでは、昼食とショッピングに2時間をもらって自由行動、大道芸人のパフォーマンス、海軍の音楽隊の演奏、南米の独特の楽器による民族音楽など様々な催しがありました。一人の行動はしないという約束をして、生徒達はそれぞれ散策やショッピングを楽しみました。スペース・ニードルに上って(26ドル)シアトル市内のパノラマ展望をすることも出来ましたが、既にできている長蛇の列を見て、チケット売り場に行く生徒は一人もおりませんでした。これは正解、あの人の多さで
は帰りのバスの時間に間に合わなかったと思います。皆、いい判断をして、グッド。

シアトルの1日、最後はパイクプレイス・マーケットというウォーターフロント地区に隣接する市場(もともと魚の市場だった所が、大きな商店街になったもの)で、1時間半の散策とショッピングタイム。ここには、シアトル発祥スタバックスの第一号店があり、行ってみると観光客が入店待ちの列をつくっていました。何人かの生徒は根気強く待って入店を果たし、この店でしかもらえないというロゴマーク入りの袋にお土産を入れて戻ってきました。様々な店と人の多さもさることながら、マジックと称した訳の分からないことをして見せる(お金目あて)人や、ホームレスのごみ箱あさり、更には通行人の喧嘩など、世界中から人が集まるこの街の生々しさを生徒達はどのように感じたでしょうか。後日、日記に目を通すのが楽しみです。

帰りのバスは静かです。殆どが寝ているからです。往きのバスで、ホストファミリーの子供たちと動物当てごっこ(一人が動物の真似をして、何の動物か当てる。勿論英語で・・)をしていたヒナコさん、サアヤさん、ミクさん、バスで移動中に動物の単語を覚えるいい勉強が出来ましたね。その彼女たちも、顔にフードをかけてお休みです。 午後7時半、スタディセンターに到着、ホストファミリーの迎えの車に乗り込み、家路に着きました。夕食時は今日1日の話が弾むことだろうと思いながら一人一人見送りました。

 

  先日、晴天続きで雨が降らないと書いたのをアメリカのお天道様が読んだのか、初めての雨が降りました。と言っても滞在しているレイシーではなく、スティラカムという小さな町のビーチでのこと。夏、殆ど雨は降らないが降っても延々と続くことはなく程なく上がる、傘は必要ない、簡易型のレインコートを持参するくらいで十分だと聞かされていましたが、それを使うまでもないくらいの通り雨でした。インターネットで見る天気予報では、台風12号で沖縄は大雨と言っています。大きな被害がないよう祈るばかりです。

今日は、沖縄市の姉妹都市レイクウッドの姉妹都市交流協会のデイヴィッドさんとシャロンさんが車を出してくださり、二人のTCの車と合わせて4台に分乗してレイクウッドに向かいました。親日家のデイヴィッドさんは奥様が沖縄の方で、沖縄からの中学生を大変歓迎して下さり、ドライバー役を引き受けて下さったのでした。出発前の生徒達の自己紹介に、ウンウンと盛んに頷いておられました。先ず、レイクウォルド公園(百年前に造られた豪華な別荘を、建物ごと花園にして一般に開放しているもの)を見学しました。説明する方の話しぶりから、樹木や花卉の種類や多さをとても誇りにしている様子が伺えました。日本産の木や花も多く、その説明では友好を込めてか"ジャパニーズ"の言葉に特に力がこもったことに、生徒達も気付いたと思います。

次に、冒頭述べたビーチで交流協会の方々が準備して下さった昼食をとり、今日のメイン訪問先であるレイクス高校(レイクウッドに三つある高校の一つで最近開校した最も新しい高校)に向かいました。レイクス高校では揃いのTシャツを着た生徒会の役員たちが、テキパキと校舎内外を案内してくれました。学校関係者ではなく生徒が案内するところがとてもアメリカ的です。日本人の目には高校生と言うより大学生にうつります。生徒達は日本の高校生と比べてどのように感じたでしょうか。後で訊いてみたいと思います。

2時間の校内ツアーの途中、拍手喝采の出来事が二回ありました。一つはトレーニングルームでベンチプレス(ウェイトリフトの一種)の実技をした時。スポーツジム並みのマシンがたくさんある中で、体育の先生に君もやってみないかと言われて、先ずリク君が挑戦、続いて私も・・とリサさんが、そんなら僕もと、ユウキ、ユウジ、リョウ君の男子三人が続きました。5人のチャレンジャーに盛んな拍手が起こりました。しかし、10回のベンチプレス上げは、思いのほかきつかったようです。二回目は音楽室に入った時。弾いてみたらと言われたのかどうかとっさに分かりませんでしたが、ナナミさんが突然、しかもさり気なく「エリーゼのために」を見事に弾きました。拍手喝采、その素晴らしさにアンコールの声がすぐあがり、次は「トルコ行進曲」をサラッと演奏、大喝采が起こり友好ムードは一気に頂点に達しました。最後は、リノさんがお礼の言葉を述べ、感謝の色紙と皆で折鶴をプレゼントして、楽しいレイクウッド訪問が終わりました。

 

 2回目の月曜日、休日明けの朝を迎えてスタディセンターにやって来る生徒の顔にも余裕が見られる。車を降りてからのドアの閉め方、ドライバーへのお礼の挨拶にぎこちなさが無くなってきた。やはり、時間だな・・と思う。

 今日は、カーウォシュでジャパンホームステイ基金の寄付を募る日、日本を出発前に編成していた班に分かれて行う初めての作業である。A班ユウミさん、B班ユウジ君、C班チナツさん、D班ショウコさんの各班長さんを中心にグループ行動。先ず、ドライバーを呼び込むためのパネル(看板のようなもの)の作成に取り掛かる。各班の知恵とセンスが凝縮したカラフルなパネルを持って、カーウォシュをするコーヒーハウス・フュージョンの駐車場へ。早めの昼食をとってから件の宣伝パネルを掲げてドライバーに盛んにアピール、11時半最初のお客さん(車)がカムイン、早速ウォシュに取り掛かる。アメリカの車はどの車も大きい。中には小型トラックのような車もいて、ルーフを洗おうにも届かない。ヌーノ先生の息子さんが屋根用のモップを使って上手に手伝ってくれる。加えてキム先生とヌーノ先生が率先して手伝って下さった。生徒だけに任せていたら、ドライバーが満足する仕上がりにはならないと思ったのかな?慣れない仕事とはいえ、少し腰の引けた生徒がいたかな?予め決まった料金ではなく、仕上がり具合に応じてドライバーがお金を払う、チップという習慣のあるアメリカならではの方式であることを、生徒達は理解してくれたかな。ともあれ3時間足らずの間に、各班6〜7台の車をピッカピカにして作業終了。200ドル以上をゲットして生徒達の貴重な体験となった。

 カーウォシュの合間に、暫く読む機会の無かった生徒達の日記を読みながらこう思った。アメリカに来た最初、生徒達はマグニチュード6の地震に見舞われたようなものだ。それがいわゆるホームシックという形で日本恋しさになる。その後も何日か余震が続きながらも、揺れは徐々に収まっていく。余震の程度は生徒それぞれである。日記に目を通すとそれがよく分かる。お米を思いっきり食べたーい、と書いてあるユウミさんを初め、食べ物を通して日本に思いを馳せる記述が多いが、今週はもうほとんどの生徒が地震の揺れを感じなくなってきている。

  その中で、双子の姉妹ショウコさんとキョウコさんの、シアトル研修の日の記述に触れてみたい。二人ともお父さんに買ったお土産のことを書いてある。家族への思いも同じように綴られている。最初、双子のシックス・センスは何と共通していることかと大変驚いた。同じ日に、同じ場所で、同じ時間に、同じ人への土産を買うなんて・・・。そうか、二人は一緒に行動していて一緒に買い物をしたのか・・・後から思った。きっと二人は、最初の激震とその後の余震も同じような経過をたどったのだろうと思う。とても仲のいい双子だから。

 

 このプログラムもほぼ折り返し点です。先週は午前中授業で、午後から外に出掛けて実地に学習するパターンでしたが今週はその逆です。生徒達は昨日のカーウォシュもそうでしたが、教室よりも外に出掛ける方が良さそうです。

 今日はオリンピアのダウンタウンに出掛けて、二つのクラスに分かれ別々の行動となりました。スマイルクラスは科学館へ、ゴーヤクラスはコーヒー焙煎会社を見学した後、ロッククライミング・ジムでクライミング体験をしました。 両方行くことが出来ないため、PAは後者に同行しました。バットドルフ・ブロンソン・カンパニーでは、建物に足を踏み入れた途端にコーヒーの香りが漂ってきました。エネルギッシュなおばさんという感じのジェニアさんに、コーヒー豆を採りだすところから焙煎、計量、袋詰めに至る工程を案内して頂きました。英語での説明では、生徒達が理解しやすいようにゆっくり話してくれるよう前もってお願いしましたが、やはり途中でいつもの速さに戻って早口になります。こちらの人には、かねて喋るスピードを極端に遅くするのは少し難しいようです。難しいというか、どれくらいの速さが適当なのか判断が付かないようです。製品になったばかりのコーヒーを一杯ずつ入れて頂き、生徒達がテイストチェック.しかし、中学生にコーヒーはまだ苦手なのか、ミルクをコーヒーの倍以上入れてコーヒー入りミルクにして飲んでいました。ここでもお父さんがコーヒー好きだからと、土産に買う生徒が何人かおりました。やはり、アメリカにいても頭の中は日本のことですね。最後に、ナツキさんが代表してジェニアさんにお礼の言葉を述べて見学を終了しました。

 クライミング体験では男子生徒に負けじと、女子生徒のツムギさん、ルナさん、イブキさん達も果敢に挑戦、下りる時の体とロック壁の離れ方のタイミングが難しかったようです。小さなロックを手と足で伝って這い上がろうとする姿を下から見て、そのチャレンジ精神に声援を送りたくなりました。

 午後はスタディセンターに戻り授業、明日の郵便局訪問の時に日本への手紙を出せるよう
に、生徒達がそれぞれ書いてきた手紙を英語に直す練習です。便箋いっぱいに書いている生徒もいれば数行の生徒もいます。キム先生のサポートで英文に直していましたが、日本語ではストレートに表現できる文章も、英語となるとなかなか手強いようです。中には、親をのり越えるというのは英語でどういうのかとPAに訊いてくる生徒もいて、どんなことを言いたいのか問い返してみると、「凌駕する」という意味のことらしく、君は一体どんなことを書いているのと言うと、いいから、いいからとうまく躱されてしまいました。そういう手紙が届いたら、その内容をそっとPAに教えて頂きたいものです。中学生でそのようなことを考えるなんて大したものです。アメリカに来たからそうなのか、日本にいる時から既にそうだったのかは分かりませんが・・・

 

 今日はスタディセンターから徒歩5分の所にあるレイシー・ポストオフィッスを訪問し、マネージャー(郵便局長)のカレンさんに、郵便物が集められて送るところから、届いた郵便物を配達するシステムについて案内して頂きました。郵便物の取り扱いについては、多分日本とそれほど変わらないと思いますが、ヒヨコのような小さな動物もケージに入れて郵便物として取り扱うのだそうです。朝早く持ち込まれるので、私たちの見学の時間にはもうありませんでした。生徒の中で誰か沖縄に帰ってから、日本の郵便局もそのようなものを取り扱うのか調べてほしいものです。

 また、アメリカでは(少なくともワシントン州では)オートバイで配達をすることはないそうです。配達用の車は、一般の車と違って右ハンドル(日本と同じ)になっていて、右側通行しながら配達をするので、この方が家々のメイルボックスに入れるのに都合がいいのだそうです。そうか、なるほどと生徒達も納得した様子でした。

 見学の途中、生徒の中から質問の手が挙がりました。先ずショウコさんが日本までの切手代ついて、ネネさんが日本に届くまでの日数について、ユウジ君が日本の郵便物が沢山あるのと何れも英語で訊ねました。日本までは封書もはがきも同じで基本が1ドル15セントで、10日くらいかかる、こちらに住む日本人への日本食品などの大きなパッケージが多いということでした。日本食が恋しくてそれを欲しくなるのはホームステイをしている自分達だけではなく、ずっとこちらに住んでいる日本人も同じなのだと生徒達は少しホッとしたかも知れません。最後に、お祝い用の切手を貼った封筒を全員にプレゼントして頂き、ツキさんが英語でお礼の言葉を述べました。カレンさんがとても上手な英語ですねと褒めて下さいました。日本に手紙を出すために並んだ23人の生徒達の切手購入に、辛抱強く付き合って下さった窓口の親切な職員の方にも心から感謝の気持ちです。

 午後は二つのクラスに分かれて授業、金曜日の先住民居住地訪問の予習と、日本食レシピの作成でした。それぞれ自分の得意な日本料理のつくり方をイラストと英語で紹介するもので、全員のものを一つの冊子にしてホストファミリーにプレゼントするものです。イラストは上手に描けるのですが、英語での説明にどの生徒も悪戦苦闘、先生に助けを求めても勿論先生は英語でしか話さないので?・?・?・ 遂には、Do you understand Japanese?(先生は日本語が分かりますか)と訊く言う生徒もいて、これには先生も笑ってNO!と応えて
おりました。作るのは得意でも英語で説明するとこんなに難しいものかと、生徒達は半ば溜息混じり、授業終了後あちこちから聞こえてくるのは、俺のレシピは絶対分からんぞとか、絵を見たら大体分かると思うけど英語を読んで理解してもらうのは難しいかなとか、そちらの方向に自信があるようです。まだ時間があるので、ホストファミリーに訊きながられ伝えたいレシピを仕上げてくれると思います。

 明日はマウントレーニアへの終日研修、山頂には雪が残っているそうです。ジャケットを忘れないように念を押して生徒達を見送りました。

 

 今日はこちらで「タコマ富士」と呼ばれているレーニア山への一日研修です。いつごろかは分かりませんが、日本からの移民の人達が呼び始めたのだそうです。タコマというのは麓の大きな街の名前です。遠くから見るレーニア山は山頂に一年中雪が残り、冠雪の富士山によく似ています。四千メートルを超える高さは富士山を凌ぎます。

そのタコマ富士の懐に広がるトレイル(ハイキングコース)で、アメリカの自然に触れ親しむのが今日の研修目的です。ヴィジターセンターまではバスで登り、そこからがトレイルコースです。コースの出発点で山頂を背に全員で写真を撮ります。直前まで無かった雲が急に出て来て山頂が見えなくなりました。暫く待ちますが雲がなかなか晴れません。止む無く雲に隠れた山頂をバックにシャッターを押しました。丁度その時飛んでいる飛行機が間近に見えることからもこの山の高さが想像できます。

30分ほど登るとあちこちに雪が残り、雪遊びが出来る位広がっている所があります。先頭で歩いていた男子生徒4人は、ホストファミリーの子供達と既に雪合戦をして遊んでいます。真夏のこの時期に雪に触れられるというのはめったに出来ないことです。況してや雪の降らない沖縄から来たのですから、生徒達の感動とハシャギぶりは並みではありません。後から追いついた女子生徒達も加わって一大雪遊び大会が繰り広げられました。中にはこの雪持って帰りたいと、融けるのを承知でビニール袋に詰めている生徒もおりました。どこまで持ち帰ることが出来たでしょうか? 実はその場所からもうしばらく登ると、グレイシャー・ヴィスタという氷河(一年中融けない雪)の広がる記念写真に持ってこいの場所がありました。先に登って後続の生徒の到着を待つこと30分誰も来ません。最初のスポットで雪との戯れにずっと夢中だったようです。

登って来る人を見ていると、多くのアメリカ人に交じって外国からの人達も大勢います。トレイルのスタート地点にある12ケ国語で書かれた看板(注意書き)が、そのことを物語ります。サインや標識などは英語表現を知る上で良い学習材料になります。最初にそのことも告げて写真も撮るように伝えましたがどうだったでしょうか。雪の写真ばかりでなければ良いでのすが。こちらにいる間このことはずっと言い続けるつもりです。建物や景色ばかりでなく、生の英語表現を写真に撮ることは生きた英語教材としてとても有益なのです。

トレイル・ハイキングの後は、ヴィジターセンターで休憩、ランチ、ショッピングと思い思いに帰りの時間までを過ごしました。ここでも家族へのお土産を買った人が多く、お小遣いが少なくなってきたから、帰るまでの間はしばらく何も買わないでおこうと節約宣言する生徒もおりました。スタデイセンターに午後6時20分着、生徒達はすぐ迎えの車に乗り込みそれぞれのファミリーへ帰りました。

 

レイシー レポート 8月08日(金)

 出発前のPAへの説明会で現地では予定変更がよくあると聞いていました。今日はスタディセンターで午前中授業の後ランチを取ってから、先住民ニスクォリィの居住地を訪問する予定でしたが、午前中出発してランチをニスクォリィの方々が準備して下さるという有難い変更でした。が、全員が持ってきていたので・・・食べなかったランチを持ち帰って、ホストファミリーにその事情をしっかり英語で説明出来たでしょうか? 月曜日に訊いてみようと思います。

ニスクォリィとは、カナダのブリティッシュコロンビア州からアメリカワシントン州、オレゴン州にかけての広い地域に住んでいた先住民(ネイティブ・アメリカン)の中の一つです。彼らの住んでいる地域は、政府がリザヴェイション(特別保留地)として指定し、自治を認められ独自のカウンシル(議会)を持ちチーフ(部族長?村長さんかな?)がいます。ワシントン州では、この地域内でしかカジノ施設が建てられないようになっており、他に煙草もこの地域内で買えば免税で安いとか、部族の重要な収入源となっているとのことです。分かり易く言えば、アメリカ合衆国の中に、先住民の国をつくることを認めているという、言わば政治・経済特区のようなものです。アメリカ国内に数多くあるということです。

アドミニストレイション・ビルディング(役場庁舎)でニスクォリィ特別保留地の全体説明の後、鮭の孵化場(鮭の卵をふ化させて、稚魚にして海に返すとその10パーセントが帰ってくるという、鮭は大きな収入源、この孵化場は米軍の基地内にありニスクォリィに特別に設置が認められているという)を見学の後ランチをご馳走になりました。勿論ここで獲れた鮭もカニもあり、食べきれないくらいの大ご馳走でした。

ランチ終了後、お礼の気持ちを伝えるために三線を演奏しました。さよならパーティで演奏しようとその練習のため、2台の三線を今朝ホストファミリーの一人(下地聡士さん、祖父母が多良間島の出身、本人も三線の奏者)から借りたばかりでした。チナツさんとマリサさんが演奏し、ヒナコさんとナツキさんが唄いました。唄は「安里屋ユンタ」です。素晴らしいお礼の演奏・合唱に拍手喝采、ぶっつけ本番でこれだけ出来るとは・・かねて沖縄で良く練習しているということの証です。4人の奏者・唄者に再度ありがとうと言います。

この後、農園に案内して頂きました。農園で作るものはニスクォリィの人達の自家栽培・ 自家消費用で、売るためのものではないということです。生徒達は、苺や人参、ハーブなどもぎたてのテイスティングをさせてもらいました。

今日の反省点が一つあります。訪問前にキム先生からPAを通じて注意がありました。今日の訪問には生徒達のグッドビヘイビアー(行儀良さ)が特に求められるのでその点を注意するように、と。農園で説明を受けている時急にピーと指笛が鳴りました。何人かの生徒達が説明者の方を向かずにお喋りをして注目していなかったのです。指笛の主は傍らにいたニスクォリィの人でした。少し残念な気持ちでした。このプログラムも後半に入りました。慣れが気の緩みとならないよう注意したいと思います。

 

 日程表を見ると、今週はさよならパーティのリハーサルが組まれています。プログラムも終わりに近づいて行きます。生徒達の会話を聞いていると、彼らもそのことを意識しはじめていることが分かります。今朝は授業の前に少し時間をもらって、日常生活、授業の受け方などについて、ペーパーを準備して今PAの考えていることを伝えました。先週の指笛の件もありましたので。何人かの生徒も日記に指笛のことを書いていました。

午前中の授業でテキストのリーディングがありました。TCの先生は僅か2・3メートル しか離れていないのに、もっと大きな声で読むようにと再三言います。聞き取れないことはないのですが、アメリカの先生には小さい声に感じるようです。確かに日本の生徒はリーディングひとつをとってみても、アピール力が足りないように私も思います。間違うことを恐れず堂々と大きな声で発表する(読む)ことを、日常の授業や学校生活でもっと奨励することが大事だと考えさせられました。

午後はレイシーに三つあるハイスクールのうちの一つ、リバー・リッジハイスクールを訪 問しました。案内して下さったサム先生は、ここの日本語クラス(選択科目)の先生です。かつて日本の高校でALT(英語のアシスタント・ティーチャー)を3年間したことがあって、大の日本好き(本人曰く、アニメおたく)で、奥さんは日本人です。日本語で説明することを楽しみにしていた様子で、日本語の教室に入ったら生徒達を全員席に座らせて、起立・礼!で始まる授業を開始、生徒達はまるで日本に帰って夏休みの特別授業を受けているようです。ひらがな、カタカナ、漢字もびっしり壁に貼ってあります。日本の小学一年生から中学校までの教材が全部一緒に教室内にある感じです。最後にサム先生から、『日本語一年生2014』という冊子が全員にプレゼントされました。日本語クラスの生徒が書いた日本語の文章を冊子にしたものです。日本の生徒が名前や家族の紹介、趣味などを英語で書いたものと丁度逆です。我々日本人の感覚からすると少し奇妙な表現もありますが、その逆も同じである(日本人の英語表現がアメリカ人には奇妙に感じるものがある)ことにも気づいてほしいです。勿論すぐにそう思った生徒も多くいると思います。その意味で、この冊子は日本に帰ってから大変役立つ、自分の英語を振り返って見つめる為の絶好のプレゼントだと思います。サム先生有難うございました。

今日の訪問は、サービス精神旺盛な先生のキャラクターで盛り上がり、生徒達も終始余裕 の表情でした。その訳はやはり先生の日本語だったと思います。アメリカに来て、アメリカ人の先生から日本語で説明を受けるとは、このプログラムにあるまじきことなのかも知れません。が、恐らく今日のこの一回限りだと思います。

 

レイシー レポート 8月12日(火)

 今日も午前中は授業、午後から二つのクラスに分かれてオリンピアのダウンタウンの施設を訪問しました。PAはサイエンスセンター(下水処理場に併設された水の科学館)訪問に同行しました。環境保護、とりわけ川や海の水をきれいに保って動物の生態系を守ろうという取り組みは、アメリカも同じです。雨水や家庭の排水がどのような経路で海に辿り着くかということが、ゲーム感覚で楽しく学べるように展示されています。水を大切に使うことの大切さも学習出来るようになっています。ビデオによる説明を受けた後、展示コーナーを回りながらクイズに答えるゲームに2人1組で挑戦しました。勿論英語で書かれているので、生徒達は先ず質問の意味を理解することからスタートです。しかし、午前中の授業の英語より遥かに簡単だったようで、全ペアーがクイズの全問正解を得られたようです。英語の学習は何らかの活動を伴った方が、生徒達も能動的になるということの見本でした。

さて話は変わりますが、昨日は全員にアンケートを取ってみました。昼食後の昼休み、簡 単に答えられるように、回答は択一式で予め記載したペーパーを準備しました。その結果を発表します。生徒は23人です。回答の人数を23で割るとパーセントが出ます。

[問い]アメリカに来てから今日(8月11日)までの間、ホームシックになったと思いますか。ホームシックは、「日本に帰りたいと思う気持ちになること」とする。
[回答]
・ホームシックになったが、今はもうそれを感じていない、治った・・・・・9人
・ホームシックになったままであるが、よくなる(徐々に薄れる)方向・・・3人
・ずっとホームシックになったままで、このまま治りそうにない・・・・・・2人
・最初から全くそれを感じていない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4人
・ホームシックがどういう状態なのか分からないので答えられない・・・・・1人
・その他、具体的に記載せよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4人
具体的な内容は次の通りです。 「寝る時だけホームシックになる」「ホームシックにはなっていないが、日本食が恋しい」「ボーとしている時ホームシックになる」「最初の頃時差ボケで眠れなくて困った」
あと一週間を残した時点の生徒達の現実です。率直な気持ちを答えてもらう為に名前は記入させませんでした。具体的に記載した内容が興味深いです。短時間で回収したので、ありのままのことが書かれていると思います。 明日は、別の質問項目に対する回答結果を記載します。プログラムは、まだ終了していま せんが、途中経過の一端として敢えてこの欄で紹介します。

 

 今朝はレイシーに来てから初めての本格的な雨でした。と言っても粒の細かい優しく降る雨です。このため午後予定していた水泳などのスポーツ活動は、急きょモールでのショッピングに変更です。太陽が出ないと急に気温が下がります。こんな日に水に入ると風邪をひきそうです。

前中は授業を1時間した後、さよならパーティに向けて準備です。四つの班で料理や飾り付けなどの役割分担を決め、司会その他の担当も自発的な挙手によりスムーズに決まりました。生徒達全員で披露する歌とダンスは、亜希子先生の指導で持参のCDを見ながら練習、数回踊るうちにすっかり軽快な動きになりました。仲間全員での活動には皆元気が出ます。積極的な気持ちが伝わってきます。まだほかに準備することは沢山ありますが、これならパーティ本番も大丈夫、太鼓判を押します。

8月11日のアンケート結果を昨日に引き続き記載します。
[問い]ホストファミリーでの生活で何が一番大変ですか?(困りますか?)
[回答]
・コミュニケーションをとること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9人
・食事をとること(食べたいものが食べられない、を含む)・・・ ・・・・・2人
・洗濯をすること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2人
・プライバシーが保てないこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6人
・その他、具体的に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4人
具体的な内容は次の通りです。「部屋に子供が来る」「靴で来るので汚くて不潔 」「風呂、トイレ」「本が読めない」「リラックスできない」

[問い]小遣いの使い方・管理はどうですか?
[回答]
・使うお金と残りのお金が、予定通りであり順調である・・・・・・・・・・4人
・使ってしまったお金が多いが、まあまあ順調である・・・・・・・・・・10人
・計画通りに行かず、使い過ぎて残りが少ない・・・・・・・・・・・・・・0人 
・まだあまり使っていないので、たくさん残っている・・・・・・・・・・・8人
・その他、具体的に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1人
具体的な内容は次の通りです。「このプログラムに$300は少ない、計画通りには行っているが自分的には少ないと思う」

23人で一緒に来ていても詰まるところこのプログラムは、生徒が個人として参加し最終的には全てのことが生徒個人に帰する訳です。従って何パーセントがどうだとか言うのは全く意味の無いことだと承知した上で、23人の"今"をアンケート結果で報告致しました。

 

レイシー レポート 8月14日(木)

 ワシントン州の州都オリンピアは、私達が滞在しているレイシーと境を接する隣の市です。ホームステイ先の住所がオリンピア市内の生徒も多く、レイシーとオリンピアは地域的にはほぼ一体です。今日はそのオリンピアのダウンタウンにある州議事堂を訪れました。シアトルなど州内の大都市に比べれば遥かに小さな(人口5万人位)この街にある議事堂の建物は、ダウンタウンの何処にいてもその雄姿が見えます。ワシントンDCにある合衆国議事堂の建物と同じドーム型です。建物の内部はアラスカやフランス、ドイツ、ベルギーなどヨーロッパの大理石を使い、ルネッサンス期の装飾を模した豪華なもので、エントランスホールのシャンデリアは重さが5トン近くあり、30メートルの鎖で吊り下げられています。州議会は上院と下院の二院制で、議員の任期や議長の選出方法などが違っています。日本と大きく違う点は、州が司法の機能を持っていて一つの国のように三権分立(司法・行政・
立法)の仕組み採り入れていることです。日本の国会が二院制で、国のレベルで三権分立のあることと合わせて考えれば理解しやすいのですが、中学生には内容がやや難しく通訳したPAの力量・説明不足も相俟って、全てを理解出来なかったかも知れません。

午後はオリンピア市内で一番賑やかなファーマーズ・マーケットに移動して、ランチ、シ ョッピング、ウォーターフロントの散策など思い思いに過ごしました。このマーケットは、地元の人達が新鮮な野菜・果物、魚介類や日用品を買い求めに来るところで、治安もよく観光客も多くなく、シアトルの時よりはるかに安全でリラックスして自由行動が出来ました。ショッピングを済まして集合場所に早めに戻ってきた生徒達は、お小遣いの残りを頻りに話 し合っています。残りの滞在日数と照らして、お金の使い方をそれぞれ考えているようです。

帰国の日が生徒達の脳裏にもしっかり刻まれているようです。最後に、8月11日(月曜日)のアンケート、最終項目を記載します。
[問い]今までのところで、このホームステイ・プログラムは?
[回答]
・大体自分の期待通りである・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10人
・期待していた以上のものがある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6人
・期待通りでなくがっかりしている・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1人
・よくわからない、その他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6人
(「期待通りではないが、興味深いものがある」と記入した者1人)
ところで、23人の中に1人だけ昨年に続いて参加した生徒がいます。彼女に訊いてみました。「今回は昨年来た場所と違う所ですが、今どういう感想を持っていますか?」「今年も参加して良かったと思っています」との答えが返ってきました。

 

レイシー レポート 8月15日(金)

 午前中授業の時間を少し貰って、さよならパーティの準備をしました。色紙の記入や飾り付け用の折紙作りなどをする中で、生徒の個性が見えてきます。イラストを上手に描く、毛筆で小さな文字をきれいに書く、折紙にその几帳面さが表れるなど生徒の特技や持ち味が表れます。パーティ当日は日本の料理も作るので、その方面の腕前も披露されると思います。

午後は車で10分ほどの所にあるエムビーケイ・シニア・リビングという高齢者住居を訪れました。120人余りが暮らすこの施設は、内装や調度品が整っていて高級ホテル並みです。訪問時刻がランチをとった後の寛ぎタイム、ダイニングホールでミニ交流会が開かれました。日本のことに関するクイズや三線の演奏・唄、ピアノ演奏、ダンスなど、丁度さよならパーティのリハーサルのようなタイミングになりました。40人程集まった方々は大変喜んでくださり、最高齢(女性・104歳)の方もしっかりと椅子に掛けて盛んに拍手をしておられました。ハウスの見学では、「ここに入るにはお金がどの位かかるのですか」とか、「住んでいる人は、ここで死ぬのですか」と、リアルな質問が出ました。中学生にはまだ現実離れしていて、老後の暮らしに実感が湧かないのでしょうか。質問が婉曲的な言い回しでないところがいかにも子どもらしいと、それを近い将来迎えることになる私は思いました。

さて金曜日の日程も終わり、明日から最後の土日です。休日の過ごし方は、泊まりがけで出掛けるホストファミリーも多いようです。生徒達の日記を読むとよく分かります。そこで最後は日記について触れたいと思います。日記は毎日書くように事前に指導しているのですが、終日研修などが入ると当日に集められないので、二三日分をまとめて読むこともあります。その日のうちに書いたものか、数日分まとめて書いたのかは読んでみると何となく分かります。記載内容も様々で、ここにも生徒固有の特徴が出ます。食べ物の話題が多いことはどの生徒にも共通していますが、アメリカでの生活やこの国そのものについて、視点や捉え方が鮮明な生徒とぼんやりしている生徒の違いがはっきり出ています。焦点の当て方・絞り方の差がそのまま出ている感じです。

その中で、名前は出しませんがある生徒の場合を紹介します。この生徒は毎日必ずその日のうちに書いています。ホストマザーと日本のマザーとの共通点や違いについてもよく観察されており、こうあって欲しい、こうして欲しくないとか自分の意見がしっかり述べられています。また、アメリカ式はスゴイの賞賛ばかりでなく、むしろ批判的な事も躊躇わずに述べています。その一方で、アメリカはこうだけど日本はどうかと、必ず自国のことに目を向け振り返っています。確かに生徒達は今アメリカに来て、この国の人達にお世話になっている訳ですが、だからといって無条件に何でもかんでもこの国のことを褒め上げることもないのです。この生徒がプログラムの核心に迫っていることを私は感じ、身の震えるような感動・嬉しさを覚えるのです。

 

 いよいよ、さよならパーティの日がやってきました。午前中から準備に取り掛かり、午後6時開始の1時間前には会場の設営、料理の盛り付け全て準備が整いました。4つの班の役割分担も予定通り運び後は開始を待つばかりなのですが・・・、多くのホストファミリーの到着がやや遅く6時20分開始となりました。

カリフォルニア寿司、おにぎり、カレー、焼きそば、まだまだ沢山の料理が並んでいますが書き切れません。生徒自慢の人参シリシリ、サータアンダギーの沖縄自慢も華を添えました。食事タイムを30分とってからクイズ、三線演奏と唄、ピアノ演奏、レット・イット・ゴーの歌とダンスなどのパフォーマンスを披露、練習の成果が出て全て順調に運びました。パーティの中で、生徒全員にTCのヌーノ先生とキム先生からプログラムのサティフィケット(認証)が授与され、予定の午後8時過ぎに閉会、生徒達にとっての一大イベントが終了しました。ホストファザーの一人は、料理を全て生徒達が作って準備したことを閉会して帰る時になって知って大変驚いていました。

さよならパーティが終了して明後日はもう帰国です。帰国を前にして生徒達は、今どのような気持ちでいるのでしょうか。今日の朝一番、全員に訊いてみました。

[問い]このホームステイプログラムを終えるに当って、日本の家族に一番伝えたいことは何ですか?
[回答]「感謝の一言に尽きます」「日本食が食べたい」「土産話を楽しみにしていてね」「親の有難さが身にしみた、有難う」「両国の違いがはっきり見えてしまった、特に日本人の悪いところが分ってしまった」「このプログラムの為に色々準備してく れて感謝している」「最初は行きたくないと思っていた、ホームシックにもかかった、でもだんだん楽しくなって英語も少し話せるようになった気がします、今になり家族に感謝です、有難う」「帰りたくない、楽しんでいる、もっともっと英語を勉強したい「ホームステイ に行かせてくれて有難う」「日本に帰りたくないよー」「アメリカで過ごした4週間でお手伝いが出来るようになったなど、英語以外の部分も身についてきた」「遠いアメリカで知らない人達と1ヶ月も過ごせた」「家族の大切さや色々な事を学びました、日本に帰ってち ゃんと真面目に勉強したいと思いました」「いつも怒られて、もう嫌だと思うことがあったけど、実際家族と離れてみて家族の大切さ・有難さを実感出来ました」「日本に帰ったらたくさん野菜を食べたい、勿論ゆでないで、それと日本のご飯が食べたい、お寿司も食べたい」「アメリカは日本と違うところがいっぱいあって、慣れるのは難しかったけど楽しかった、でも清潔じゃないです、各家庭違うけど」「宿題、全然出来なかった」「英語が話せなくて自分の気持ちがうまく伝えられない時など、アメリカの方やホストファミリーは優しく私の話を聴いてくれてとても優しい方達ばかりです」

アメリカの一日も明日を残すのみとなりました。

 

レイシー レポート 8月19日(火)

 アメリカで過ごす最後の一日は、オリンピア市郊外にあるキャピタルモールでの自由時間となった。午前10時過ぎから集合時刻の午後2時半まで、4時間以上もショッピングや食事で過ごすのはいかにも長いと思ったので、ある生徒にそのことを言うと、「あー、たった4時間しかなーい」という返事が返ってきた。そうなのか、まだまだこの国にいたいのか、でもそれは明日帰ることが決まっているからだよ、という言葉を呑み込んだ。

さてこのレポートも今日が最終回である。4週間23人の生徒と行動を共にし、彼らの変化を観察し、内面の葛藤・もがきを捉えようと努めてきた。毎日レポートと写真の送付を最優先にして、出来る限りタイムラグの無い記録として残すことを心掛けたが、全てを把握し網羅出来たかというとそうとは言い切れない。しかし、この種の仕事に百パーセント満足する結果が得られないのは自明のことと思う。全てがぶっつけ本番、ホームグラウンドを離れて言葉の壁もある中でのことであるから。この4週間のレポートを帰国後読み返し、足りなかったところや反省することをゆっくり振り返ってみようと思う。 最後に、昨日朝生徒全員に問いかけた時の返答を五人だけ記載しようと思う。

[問い]ホストファミリーに「ありがとう」の他に何か伝えることがあれば、どんなことですか?
[回答]「困っている時に選択肢をくれたり、いろいろ分かり易い英語で質問してくれて、とても助かりました」「1カ月間、家族のようにしてくれてありがとうござい ます」「『自立心』がこのホームステイ期間中に成長したと思います」「もう一つの家族が出きました、キャンプが一番の思い出です、今度は家族で行きたいです」「なんで自分を受け入れてくれたのか? 私はそのことを疑問に思っていました、でもこの家にいれてとても幸せでした」「日本にいる時の私はかなり腐っていたけれど、色々な人に出会ったり、ホストファミリーが優しくしてくれて変わった、ありがとう」

・・・・・・生徒達の素直な言葉で 本音が語られていると思う。

明日シアトル空港を飛び立ち成田経由那覇空港に、23人の冒険家達が爽やかな充実感を 湛えた笑顔で降り立つことを、最後の願いとしてレポートを締めくくりたい。このプログラムに関係して下さった日本とアメリカ全ての皆さんに心からの感謝の気持ちを捧げつつ。

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