MNCCスタッフによる活動写真・動画と、引率者による文章レポートを掲載します。上記バナーをクリックしてご覧ください。

 
レポート更新情報
更新日
期 間
8月01日
8月10日
8月16日
9月02日

 移動日である初日は、宮崎・大分・長崎の各県をそれぞれ出発し、羽田空港で集合・ロスバノスBのメンバーと合流した後に空港で夕食をとり、夜中12時発の国際線にてサンフランシスコへ向かう日程であった。ところが集合・出発式を終えた直後に宮崎発羽田行きの便が欠航になり、最終便で羽田へと向かうハプニングがあった。航空会社から待ち時間の代償に食事補助券が配付され、宮崎組は夕食を宮崎で済ませてからの出発となったが、日本での家族との時間が突然延長となり、嬉しそうな表情も散見された。それでも手荷物検査場でいよいよ別れる時になると涙を浮かべて手を振る姿が印象的であった。それぞれが期待と不安を胸に抱え、「行ってきます」という日本語をかみしめつつゲートをくぐった。羽田空港で先に到着していた大分組と長崎組と合流したときにはすでに夜10時であった。国際線112番ゲート前での初顔合わせでは、家を出てからすでに8時間以上経過している疲れと、今から国際線に乗って9時間以上飛行するという興奮が入り混じった独特の雰囲気の中で一人ひとりと握手を交わした。「これから1ヶ月間、Team Los Banos A の一員として31人全員が協力して最高の旅にしよう」とあいさつをし、夜12時過ぎに羽田発サンフランシスコ行きの飛行機に乗りこんだ。北海道沖の低気圧のため食事が出た午前2時ごろには機体が激しく揺れ動き、なかなか寝付けない生徒が見られたものの、食事がおわるとほとんどの生徒は眠りについたようであった。東へと飛行し太陽の動きに逆行するので、時間がどんどん早回りになり、日本時間で午前3時くらいになると外はもう明るくなってきた。起きていた生徒数人に声をかけ、窓を閉めて寝るよう指示した。日付変更線を超え、着陸2時間前になると本格的な機内食が配られ朝食(夕食?)となった。しばらく食べられないと思ったのか、和食を頼む生徒が多かった。「意外とおいしかった」という感想が多かったが、実際しっかりとした味付けであった。サンフランシスコの街が見えてくると、身を乗り出して窓の外を眺めたり時計を合わせたりしながら無事に着陸することができた。日本時間では朝9時であるが、時差の関係で到着したのは出発した土曜日と同じ日の午後5時。疲れもあって訳がわからない感覚のまま、空港ではいきなり入国審査や税関通過など初めての体験(しかも英語)をすることとなった。入国審査では14歳以上は指紋をスキャンされるので、生徒たちはかなり緊張し、また税関ではさよならパーティー用に持ち込んだ和食の検査のためスーツケースを開けられ更に緊張した様子であった。

荷物を受け取りゲートを出ると、TCのハウグ先生とヘンリー先生が一人ひとりと握手を交わしながら笑顔で迎えて下さった。すぐにトイレタイムを取って下さる気遣いの後、初めての集合写真撮影をした。初めて会うメンバーとの長旅、時差ぼけのせいかまだ皆ぎこちないまま、「Say cheese! 」と精一杯の笑顔でアメリカ生活初日のスタートを切った。ロスバノス行きのバスの中では早速2人のTCから一人ずつインタビューを受け、ホストファミリーの確認をした。一対一での生の英会話では、優しく質問していただき緊張が解けていくようであった。2時間ほどの移動中、気持ちは朝でも日は暮れて行き、どこまでも続く同じような景色のハイウェイを眺めながら生徒はどんなことを感じたろうか。夜9時過ぎにスタディーセンターであるメソジスト教会へ着くと、真っ暗な中、大勢のホストファミリーが手作りの看板を持って熱烈歓迎してくれた。「あまりのテンションにこちらが合わせるのが大変だった!」と生徒の日記にあるほどの歓迎ぶりであった。生徒たちは自分のホストファミリーから見つけられると、握手・ハグの嵐の中それぞれが車でそれぞれの家庭へ旅立っていった。日本の我が家を離れてから約22時間。こうして時差ぼけや言葉の壁との戦い、またホームシックとの戦いが否応なしに始まったのであった。自分で選んだ道だから辛くてもきっと頑張れるはず。幸い明日日曜日の昼2時には、ウェルカムパーティーで再び全員集合することができる。皆心細いであろうが、何とか乗り越えて欲しいと願うばかりであった。明日全員が元気に揃いますように―。

 

ロスバノスA レポート 7月24日(日)

 ロスバノスへ到着して初めての朝を迎えた今日は日曜日。町の多くの人がキリスト教徒であることから、ロスバノスには35の教会があるそうだ。私のHFであるヘンリー先生もキリスト教徒であり、息子のケイレブ君とともに今日は朝8時から始まる教会の集まりに参加させてもらった。教会では先日行われた教会のサマーキャンプに参加したティーンネイジャーたちが宗教体験を告白するTestimonyを行っていた。いくつか賛美歌を歌ったあと、全員が一人ずつマイクの前に立って発表した。こういうときに自分の意見を堂々と言える若者がほとんどであることに感心したのと同時に、中には日本と同じように周りに勧められてやっと小さい声で発表できるような若者も数名見られた。後半では自分の弱さや父親との確執を告白していく中で、中には泣き出してしまう場面もあった。そんなときにはさりげなく歩み寄って後ろから肩を抱きしめる者が必ず数名いて、場に応じて臆することなく自ら考え行動できることに価値を見出すアメリカ文化を垣間見た気がした。特に17歳〜18歳ともなると実に立派な考えを堂々と述べ、小さい頃からこうした場での立ち居振る舞いを学んできていることが伺えた。日本と違い、放課後の部活動などはないが、こうした教会を中心としたコミュニティー活動が地域の若者のモラルを育み、ボランティア精神に満ちた穏やかな住環境を生み出しているのではなかろうか。カリフォルニアでのホームステイがなぜロサンゼルスではなく、人口3万5千人の小さな町であることの理由がここにあるように思う。今回を含めずっと日本人のホームステイを受入れ続けているロスバノス市民の根底にはアメリカ人ならではのボランティア精神と、教義上の義務ではないがキリスト教徒としての慈善の実践があることには疑いの余地がない。

午後2時から4時までは歓迎会として、各ホストファミリーが料理を持ち寄りいわゆるポットラックパーティーが開かれた。生徒たちもきっと朝からHFと共に買い物へ出かけ、このパーティーのために料理を作るホストマザーやホストファーザーたちを手伝ったに違いない。日記でも「ピザがおいしかった!」「初めは少なめにとり、おいしかったらもう一度取りに行った」など初めての経験を大いに楽しんでいたようだった。出し物としてHFであるガーディアー一家がカンフーショーを披露して下さり、生徒はアメリカで見るカンフーを楽しんでいた。また、ここへホームステイしている二人は家でもカンフーを教わり、特別な体験をさせていただいているとのこと。パーティーのあとは無料でアイスクリームが振舞われ、おしゃべりしながら午後のひとときを過ごした。ホストブラザーやホストシスターもたくさん来ており、生徒たちはかなり打ち解けた様子で遊びまわっていた。子ども同士が簡単に言葉の壁を越えていくことを微笑ましく眺めていると、とあるホストマザーと宗教の話が始まり、Do you believe in God?とたずねられてどう答えようか一瞬迷った。キリスト教では神は唯一無二の存在である。「私は仏教徒であるが、結婚式は神前であった。冠婚葬祭などでしかあまり宗教は意識しない。日本人はクリスマスを祝った6日後にお寺で除夜の鐘をたたき、その数時間後には神社へ行って神へ祈る」と説明するとOh, yeah?と少し複雑な表情を浮かべた。生徒たちは相変わらず楽しそうに遊んでいる。帰りの会で生徒たちに、毎日HFの家のプールで遊び、ホストブラザーやホストシスターとWiiで遊びながらも日曜日には彼らの礼拝に敬意を払い、静かに自分を振り返る時間を持つように話をした。生徒の皆が使わせていただいているスタディーセンターはユナイテッド・メソジスト教会、そして今日のパーティーも教会の一室を借りて行ったもので、教室やその他部屋のいたるところにキリスト教の教えがあふれている事に今後気付かせていきたい。HFの方々のボランティア精神の根底になにがあるのか、この一ヶ月間のプログラムの中で少しずつ話をしていこうと思う。

 

ロスバノスA レポート 7月25日(月)

 朝8時にスタディーセンターに集合。今日から本格的にプログラムがはじまった。今回のスケジュールでは、到着が土曜日のためそのまま生徒たちはホストファミリーに引き取られ、日曜日の2時間を除いて再びHFと時間を過ごすスタートとなった。このため中には早くもホームシックになりそうな生徒が出て、HFから「この子は大丈夫か?」と心配する相談が数件寄せられていた。実際朝の表情や日記にもホームシックの症状が出ており、個別に話をしてしばらく頑張ってみるように促した。健康観察では体調不良を訴えるものはなく、日程確認のあと市長訪問へと向かった。グループで活動中、日本語が使えることに皆一様に安心したようで、市役所までかなりの距離を歩いたがみな元気そうであった。市役所に着くとほどなくして市議会議場へ通され、ロスバノス市長に質問する機会を与えられた。大変フレンドリーな方で、日記の感想には「とても優しい人だった」「市長さんはボランティアと聞いて驚いた」「用意していた質問が言えて良かった」など、緊張しながらも充実した表敬訪問ができたと思う。記念撮影では市議の椅子に座らせていただき生徒たちは大変喜んでいた。

次にロスバノス市警を訪れ、緊急司令室に入って実際の業務を見せていただいたり、拘置所に入って指紋採取の装置や押収された武器の展示を見せていただいた。緊急司令室の監視モニターには、先ほどまでいた市議会議室が映っており、「君たちをさっきまで見ていたよ」という警察官の言葉に生徒たちは驚いた様子だった。見学中に911の緊急電話が入り、実際のやり取りを見聞きできる場面があり、静かにしなくてはならない緊張感に包まれた。その後酔っ払いや暴れる人を収容する「ドランクタンク」や、実際に収容されている拘置所を見せていただいて、「絶対こういうところには入りたくない」という感想を抱いた生徒が多かった。警察署では実に気さくに受け答えをして下さり、スタンガンを見せたり防犯カメラに向かって手を振ったりしていた生徒を見つけて実際に手錠をかけて見せたりして下さった。最後には本物のパトカーに乗せていただいて、全員で警察官と記念撮影をした。「こういう人たちに守られているんだと思った」「警察官が格好良かった!」と生徒の日記にあったように、貴重な体験となった。午後にはオリエンテーションがあり、授業で使うテキストや英作文ノートが配られ、早くも次回までの宿題の確認があった。生徒たちはこれから始まるオールイングリッシュの授業に不安が半分、期待が半分といった表情で帰りの会を済ませ、再びHFの家へと帰っていった。

 

ロスバノスA レポート 7月26日(火)

 授業開始となった今日は午前中に2コマの授業を受けた後、午後は隣町まで車で移動しボーリングという日程であった。授業は教会の部屋を2つ借りて、グループA/C/EとB/D/Fに分かれてそれぞれハウグ先生・ヘンリー先生に1時間ずつ習うという形式で行われた。渡米後初めての英語による授業にとまどいと感動を覚えながら必死で聞き取ろうとしている生徒の姿が印象的であった。アメリカのお金について学習するところでは、今実際に持っているコインであっても区別がつきにくく、どれも同じに見えてなかなか難しかったようで、ペニーやダイム、クウォーターなど財布から取り出してまじまじと眺めていた。授業で25セント玉はクウォーターと呼ばれることを知り、またそれが州によってデザインが違うと教わってからは、生徒たち(特に男子)がおつりをもらうたびにコインを見るようになったのが面白かった。かく言う私も今日現在でアリゾナ・ワイオミング・オレゴン・ウェストバージニアの4枚を集め、あと46枚集めようと生徒と交換しているところである。ヒロキが私のところにやってきてこないだ貸した50セントを返したときに他州のクウォーターを2枚ゲットして実は大喜びであった。中には5ドル冊を自動販売機に入れて、おつりボタンを押すと20枚のクウォーターが出てくることに気付いた生徒がいて、一気に20種類ものステイトクウォーターを手にして周りから羨望の眼差しで見られていた。しばらくは男子の間でクウォーター集めが流行しそうである。

 

ロスバノスA レポート 7月27日(水)

 今日は夏休み中の「映画の日」ということで、朝10時に始まる「モンスターVSエイリアン」を見に行った。料金はなんと1ドル。ホストファミリーの子どもたちも楽しみにしていたようで、朝から一緒にスタディーセンターに集まっていた。乗り合いで移動したあと映画館に入るとすぐに、ポップコーンのにおいと映画が始まる期待とで一気にテンションが上がり、字幕なしで映画を見るプレッシャーなどなんのその。「80円で映画が見られるなんて信じられない!」と多くの生徒が日記に書いていたが、夏休みに子どもを対象にしたサービスなので、字幕なしでも十分楽しめる映画であった。さらに映画館で買ったポップコーンのサイズについても、「Sサイズを頼んだのに2人でも食べきれないほどだった」「おなかがふくれてHFに作ってもらったランチが食べられなかった」と驚いていた。また、「映画館では、アメリカ人は大声で笑う! 日本ではクスクス程度なのに!」「映画が終わった後、床中にポップコーンが散らかっていた。日本じゃありえない!」など生徒たちはいろいろなことを発見したようである。比べてみて初めて自分の国のことについて気付いた感想が多かった。覚えたことは忘れても、感じたことは忘れないものである。日本に持ち帰る一番のお土産はホームステイ中の日記であり、またこれにぎっしりと書き込むことが親やHFへの最大の恩返しなのだということを忘れずに、これからも感じたことや考えたことを日記にどんどん記して欲しいと思う。

 

ロスバノスA レポート 7月28日(木)

 生徒たちは朝8時半にスタディセンター集合。体調不良を訴える生徒が初めて出て、頑張って出てきたものの、TCと相談した上でホストファミリーに迎えに来てもらうことにした。修学旅行などの短期旅行とは違い1ヶ月の滞在なので、しっかり治して明日から再び参加するようすすめた。また、HFが出産を迎えるということで一人が欠席、またHFの野球の試合があるということで一人が欠席であった。出産を控えていてもHFを引き受けて下さっているという事実に皆驚いていたが、これがロスバノス市民のホスピタリティなのであろう。何も特別扱いすることなく、家族として家に迎えていることを改めて感じた次第である。今日は午前中2コマの授業があった。ハウグ先生の過去形の授業では、I liked the 〜.  I ate 〜. の表現を使って英作文し、昨日映画館へ行ったときの感想を発表する場面があった。「モンスターVSエイリアン」は全て英語で鑑賞したので、登場キャラクターの名前が思い出せず作文に苦労していた。日本語版ですでに見たことがある生徒が積極的に発表し、昨日の楽しさも思い出されて大いに盛り上がった授業であった。また前置詞を使って場所を表す表現を学ぶ授業では、ヘンリー先生が猫の写真や実物のりんごを教室のあちこちに置いて Where is the cat? Where is the apple?と矢継ぎ早に質問し、生徒から繰り返し発話を引き出していた。ナチュラルスピードで繰り広げられる授業にもだいぶ慣れてきたのか、On the chair! Under the desk! と答える姿に直接教授法(全て英語のみで行われる授業)の良さを感じた。その一方で Do you have a desk for each student in Japan? などの質問が間に入ると、聞き取れない単語(ここではeach)にとまどい、隣の生徒に尋ねる姿も見られた。日本では習わない前置詞も多くあり、実生活に必要なものと、教科書が限定して選んだ前置詞との間にギャップがあったが、全ての単語が重要であるので、どんどん覚えてホームステイ中の実生活で使って覚えて欲しいと思った。明日はアミューズメントパークへ遠足に行く日であるが、HF宅での生活も含めて使う機会を自ら探して表現を身につけて欲しいものである。

午後からは高齢者介護施設を訪問し、ドレミの歌を英語と日本語で歌った。恥ずかしさもあって声はやや小さかったものの、万雷の拍手をもらって2曲目のTake Me Out To The Ball Gameは調子よく歌えた。最後に君が代を斉唱して席に着き、持ってきた折り紙と新聞紙で鶴などを折ってプレゼントした。日本では職場体験学習で経験するであろう介護施設での接し方など予習しているはずもなく、しかも異文化・英語でのコミュニケーションに戸惑いながらも、時間が経つにつれて笑顔があふれ、最後は記念写真を頼まれるなど成功裏に終わった。日本で折り紙の練習が足りなかった生徒も、はじめは「わからない!」「できない!」を連発していたが、本を見ながら作品が1つできあがるたびに入所者の方々に喜んでもらえるので安心したのか、単語を並べて色々な話をしたようである。特に新聞紙のSamurai Helmetは好評で、最後のほうはほとんど全員がカブトをかぶって談笑している姿は爽快であった。ただ、全ての入所者の方々が望んでそこにいる訳ではなく、中には生徒を寄せ付けない雰囲気の方もいらしたが、手を握り話しかけることで気持ちが通じた今日の経験は大変貴重なものとなった。また、若い生徒たちの奮闘に感心して色々と語りかけて下さる方もいらして、国も文化も違えど年を重ねた方々が語りかける言葉にはとても含蓄に富むものであった。「君たちは一生懸命やっている。続けていけばきっといいことがあるから」と教えて下さった方々に別れをつげて、午後3時半にスタディーセンターに到着。ホストファミリーに迎えに来ていただいて今日の授業は終了。明日は到着後初めての遠足の日。足取りも軽く皆HF宅へと帰っていったのであった。

 

ロスバノスA レポート 7月29日(金)

 ホームステイ初の終日研修の日は、時折風が吹くもののこれまでで一番暑い日となった。ホストファミリーの車に分乗して走ること1時間半、どこまでも続きそうなとうもろこし畑やぶどう畑を眺めながら、生徒たちもきっとアメリカの広さを肌で感じたことと思う。遠くの電柱がまるで爪楊枝のように見え、また地平線へ向かって真っ直ぐに伸びる道路を走っていると、まるで車が動いていないかのような錯覚に陥ることもあった。教室を出て学ぶことも多く、今日のような遠足も有意義なものとなった。ブラックビアーズ・アミューズメントパークは小さな遊園地で観覧車もなく、ゴーカートやウォータースライダー、パターゴルフやバンパーボートがある程度であった。生徒たちは期待のほうが大きく、「ここですか!?」という声も聞こえてきたが実は私も同感で「全ては心の持ちよう!Enjoy yourself!」と送り出し、ずっと荷物の番をしながら生徒の日記を読んで過ごすことにした。昨日の映画のことがたくさん書いてある。今日の遊園地のことはどう書くだろう、などと思いながらペンを走らせていると時折生徒がテントへ戻ってきて口々に感想を言ってきた。「おもしろい!先生も行ったら!?」「つまんない。先生何時までですか」など反応は様々であったが、生徒たちはこの一週間のストレスを発散できたように思う。その一方で、生徒のグループの固定化や「暑い」「疲れた」などの言葉が出始め、開放感によるメリット・デメリットの両方を見ることとなった。HFたちはボランティアで送迎しているのであり、何もせず不平不満ばかり口にするようでは先が思いやられる。土日はそれぞれのHFと共に過ごす生徒たちであるが、久しぶりに日本語を大いに使い羽を伸ばした後だけにHFとどんな交流ができるのか心配であり楽しみでもある。何はともあれ最初の1週間を乗り切り、このプログラムも残り3週間となった。これからどんどん加速しあっという間にさよならパーティーを迎えることになるであろう。HFの方々へどのように恩返しをしていくのか、来週からの生徒たちの取組に期待するところ大である。きっとやってくれると思う。

 

  土日はHFと丸々2日間過ごし、生徒たちはそれぞれの週末を満喫したようである。ミヅキはホストファミリーと一緒に往復300マイル(約480km)をドライブしてヨセミテ公園を訪れ、雨が降らないこの時期にまさかの雷雨に見舞われる中、ずぶ濡れになって渓谷の滝を目指して歩くという経験をした。Mr.ヘンリーと私も同行したがあまりの寒さに笑ってしまうほどだった。豪快に遊ぶアメリカ人ファミリーにお世話になりっぱなしの日曜日であった。また週末はどこにも出かけずに家でベビーシッターをし、お小遣いをもらうなどのアメリカの日常生活を体験できた生徒もいれば、キャンプに連れて行ってもらって釣った魚を焼いて食べるアウトドア体験をした生徒もいた。日記がぎっしり書かれているのを見てHFの歓迎ぶりにひたすら感謝の念を抱いた。その分生徒にも色々要求しようと思う。授業再開した今日は8時半から11時半まで、午前中は形容詞を使った感情表現などを学んだ。「今自分はこう感じている」と相手に伝えることは、アメリカで生活する上で大変重要なことである。HFは無償でさまざまな気遣いをして下さる。Thank you.のあとに「嬉しかった」「楽しかった」などの言葉を添えられるようになって欲しいと思う。ホームステイが2週目に入り、生徒たちはオールイングリッシュでの授業に慣れてきたようである。ただし全て英語でなされる授業に慣れる=全て聞き取れる、ということではなく、シャワーのような英語の中から聞こえた単語を手がかりに文脈から「こういうことを言っているのだろう」と予想できるようになってきた段階であるように思う。帰国後も英語の勉強を続けていけば聞こえてくる単語が増え、なおかつ文脈から判断してほとんど聞き取れるようになってくるであろう。第一義的に言葉は音声であり、耳で聞いて感情が沸き起こるものである。ホームステイが始まって10日目ともなると、質問されて答えるときに「えーっと」ではなく「uh」「mm」と気付かないうちに仕草がアメリカ人のそれになってきていて面白い。簡単な表現であるが、Yes/Noと返事するだけでもそこには感情があり、言葉として音声を発していることの意義は大きい。生徒の日記には「言いたいことがうまくいえない!」「もっと英語を勉強してくれば良かった」とあるが、1ヶ月で英語がしゃべれるようになることは難しい。バケツに水を注ぐように英語のインプットを続けていくといつか満杯になって水があふれ出すように発話が始まるので、あせらず・あきず・あきらめずに集中して英語に耳を傾けて欲しいと思う。そして覚えた表現はすぐに使うことが大切。生活の全てのシーンで英語を使えるのはホームステイの強みである。午前中に習った表現は午後にすぐ使ってみるのが良い。

今日の午後はイースター(復活祭)について学び、イースターエッグ作り、イースターエッグハンティングを行った。HFにゆでてもらった玉子に色をつけたり、中庭で卵探しをしたりするなかでも英語を使う場面は意識さえすれば無数にある。I have three eggs.やHow many eggs did you get?など、中学1年生1学期レベルの英語でも言えることはたくさんある。また、中学2年生であればホストブラザーやホストシスターにDid you go Easter egg hunting this year?と過去形で話しかけてみることもできる。よく「文法・単語を知らないからしゃべれない」と言われるが、順番が逆で「こう表現したいから必要な文法・単語を身につける」方が覚えやすい。詰め込んだ単語や文法がどこへ行ってしまったのかと悲しい思いをしている大人は少なくない。言葉も自転車も使わないままでいるとさびついてしまう。使える英語を身につけることが国是のように叫ばれている中、1ヶ月間も異文化・異言語の中で生活できるチャンスを活かさない手はない。MNCCのプログラムでは一人で遊ぶような道具の持ち込みは一切禁止である。部屋で一人で過ごすのは寝るときだけ! 今日学んだイースターのことなどについて、辞書を片手にHFとコミュニケーションを深めて欲しいと思う。

 

ロスバノスA レポート 8月2日(火)

  今日は午前中2コマの授業の後、午後からはロスバノスの消防署を見学させていただいた。消防署の詰め所や宿泊施設、日常の訓練場所の説明に加えて消防車のホースを使った放水体験や防火服の試着、さらに車庫からウォーター・タンカーと呼ばれる特殊車両を出して実際に放水するところまで見せていただいた。また、この様子は「子どもが実地訓練を受けることはめずらしく、さらに外国でとなると非常に珍しい」と隔週発行の地元紙ロスバノス・エンタープライズに掲載され一面に写真と記事が載った。フェルナンド消防士に教わりながら放水体験をするヒロミの姿や防火服を着たシュウヘイの写真が載った新聞は記念に購入し、写っている生徒やHFにプレゼントしようと思う。ホームステイでの自分へのお土産は高価なものでなくてもよいと思う。映画の半券や買い物のレシートなど、後で思い出せるきっかけになれば何でもよい。ただ、見学中に積極的に手を挙げて前へ進み、体験させてもらった上に丁度新聞記事に載った思い出は格別のものがあると思う。レスキュー隊が使う車両から取り出した特殊工具の説明時でも、「持ってみたい人?」と聞かれてヒナとシンタロウが挙手して持たせていただいた。重さ60ポンド〜80ポンド(27kg〜36kg)もある特殊工具を実際に持った経験は忘れないと思う。覚えたことは忘れても感じたことは忘れない。8月に入り、毎日があっという間に過ぎていくように感じる生徒が増えた今、何事も後で後悔せぬよう今後も積極的に挑戦して欲しいと思う。記事にはまたTCのヘンリー先生のコメントがあり、「私自身も生徒同様にアメリカと日本の文化の違いを学べています。生徒たちは7月末からホームステイしていますが、家から一ヶ月も離れて一人で外国で生活するなんてすごい」と日本人学生(特に中学1年生)が褒められていた。ハウグ先生もヘンリー先生も授業中の厳しさとともに常に学生へ愛情をもって、様々なプログラムを用意されている。生徒もそれに応えるように見学先での態度が良いようで、警察署でも消防署でも例年にない大サービス(?)をしていただいているようである。記事の最後には「日本人学生たちは8月19日にこのプログラムを締めくくる予定です」とあった。締めくくりとはすなわちさよならパーティーであり、日本人学生からHFへの恩返しでこのプログラムは幕を下ろすことになる。恥ずかしさを乗り越え、恩返しをしよ う。

 

ロスバノスA レポート 8月3日(水)

 今日はサンフランシスコまでバスで行き、ゴールデンゲートブリッジとピア39の見学をした。9時にスタディーセンターを出発してバスに揺られること2時間半、アメリカの代表的な観光地の1つであるサンフランシスコへ到着した。この日はロスバノスAのほかに3つのグループが同じ日程で行動していたため、生徒たちも久々に日本人を見たようである。他のグループも同様で、私にぶつかったあと「Oh, sorry…なんだ日本人か」とつぶやいていて面白かった。アメリカ生活が始まって12日が経過し生徒たちにも疲れやストレスが溜まっていたのであろう、今日は大いに羽を伸ばしたようである。ホストファミリーには内緒であるが、ゴールデンゲートブリッジ撮った個人写真はマグカップとなってホストファミリーへプレゼントされる予定である。ピア(埠頭)39は様々な店が集まり、生徒たちは男子・女子のグループに分かれて買い物をして回った。世界有数の観光地であることから世界中から悪い人も集まっており、危機管理としてTCとHFと私がそれぞれシャペロン(お目付け役)として同行したが、生徒たちは注意事項をきちんと守って全員が無事に買い物を楽しむことができてよかった。私は中学1年生の男子4人に同行し、レストランで一緒に食事をしたり童心に返ってゲームセンターで遊んだりして過ごした。生徒がどの程度英語でコミュニケーションできるのか観察していると、指差しながら「This! This! OK? How much?」と身振り手振りでやりとりしていて微笑ましかった。また家族や友人などにお土産を探す姿を見て我々はお土産文化をもつ日本人であることを再確認した。ヒデタカは友だちに配るといってお小遣いで買えるキーホルダー探しが大変そうだった。皆同様にお土産選びでほとんどの時間を過ごしたようで、最後に集合したときには思い思いに自分の選んだ品物を見せてくれた。「旅先で友だちや家族を忘れずにお土産を買った」こと自体が一番のお土産なので何を買っても喜ばれるのであるが、少しでもいい物を買おうと大半の生徒はほぼ全ての店を回ったようである。6時半の集合時間の5分前には全員が集合し、帰りのバスでも日本語でおしゃべりできる楽しい一日となった。

私の中では今日がプログラムの折り返し地点と考え、ロスバノスへ到着する1時間前に全員にスピーチを課した。内容は前半を終えた感想と反省、そして後半への意気込みを語るというものである。発表順番は自主性を重んじて準備のできた者から挙手発表とした。突然のスピーチに「えーっ!」と声が上がったが、さよならパーティーでの英語のスピーチの練習として、また最近日本人同士の間で人を傷つけるような言葉や自分勝手な行動が見聞きされるようになったことから、一人ひとりの考えを全員が知るためにもこのスピーチは必要であった。生徒の感想では「緊張したけれどうまく言えてよかった」「もう一回やればもう少し上手に言えそう」「参加したいきさつや現在の悩み、アメリカへ渡ってからの反省や後半への意気込み・誓いなどが聞けて大変良かったと思う」とあり、明日からの実践を期待したい。

 

ロスバノスA レポート 8月4日(木)

  今日の午後はレクレーションとして、ホストファミリーが持ち寄った「バックギャモン」などのボードゲームやWiiのダンスゲーム、エアホッケー、卓球、外ではサッカー・キャッチボールなどをして体を動かした。大半の生徒は部活動をしており、「最近体がなまってきていたので運動できて良かった」と気持ちよく汗をかいたようである。ロスバノスはこの時期大変乾燥しているので、思い切り運動しても汗が「流れる」ことがなく、服がべとつくこともないので大変過ごしやすい。涼しい屋内ではマホがかなり難しそうなパズルに挑戦し30分ほどかかって完成させていた。使い古しのゲームを持ち込んで皆で安く楽しむのがアメリカ流なのであろうか、中には鉄球のなくなったボール転がしゲームやサイコロを忘れたすごろくなど使えないものもあったがお構いなし!小さいところは気にしない大雑把な感じがなんともアメリカンであった。WiiのダンスゲームではHFがノリノリで踊っているのを初めは眺めている生徒が多かったものの、最後のほうでは男子もついに参加して大いに盛り上がっていた。特にショウトのダンスはキレがあり注目を浴びていた。さよならパーティでもぜひ披露してもらいたい。私も体を動かそうと外へでたところ、5歳くらいの男の子が私にかなり痛いボールを数回ぶつけてきたのでキャッチャーになってあげた。キャッチボールしようとうまく伝えられなかったのであろう、しばらく楽しそうに遊んでいたが、飽きたのかサッカーをしに去ってしまった。

実は今週に入り幼いホストブラザーやホストシスターに手を焼いている生徒が2人いて、「お兄さんお姉さんなのだから優しくしてね」とアドバイスしているものの中々解決できずに困っている。ケーススタディーで学んだことそのままであるが、頭では分かっていても実践となると疲れや感情がでてしまい難しい。英語で叱ったりするのは難しく、かえって混乱を招いてしまうので、して欲しくないことをされたときにはきっぱりNoと伝えて、よいことをしたときにはお菓子を小出しにあげるのが一番。いいことをしたときにすかさず褒めて、世界に誇る日本のお菓子をご褒美にあげて敵意はないことを伝えよう。また同世代の子どもがいるHFとの「兄弟げんか」もあったがこちらは仲直りできたようで、濃いコミュニケーションになってきているようである。HFは家族として受入れているのでこれからも様々な摩擦があると思う。プログラムの残り2週間、 言葉がうまく伝わらないもどかしさ、何の話をされているのか分からない不安など、全ての不自由・困難を乗り越えて異文化交流を深めて欲しい。言葉がうまく伝わらないもどかしさ、何の話をされているのか分からない不安など、全ての不自由・困難を乗り越えて異文化交流を深めて欲しい。

 

ロスバノスA レポート 8月5日(金)

  今日は予定していた午後の活動が延期になり、午前中の授業のあと放課となった。この活動は1人3枚の洗車チケットを売って、売り上げを寄付してホストファミリーの子どもを日本へ招待するというものである。実際の洗車料金は3ドルであるが、8ドルで買ってもらって差額の5ドルが寄付となる。月曜日にチケットが届く予定なので、活動は火曜日以降に持ち越しとなった。午後は授業の予定がなく、HFの迎えの時間も決まっていたので、今週は実質2日半の週末となった。昼食を食べ終わるころにはHFが次々と迎えに現れ、ユウタのHFが炭火焼の骨付き特大スペアリブを差し入れて下さった。すぐに売り切れてしまったがご馳走を食べられた幸運な生徒たちはそのおいしさに驚いていた。私も来週火曜日にたこ焼きを差し入れしようと思う。実は日本からたこ焼き器と食材一式を持ち込み、HFに提供してみたのだがこれが大変不評で・・・。渡米前から予想はしていたのだが、青のりやかつお節のにおいがきついらしく、Ms.ヘンリーだけが「It's good.」と言って少し食べられたのみ。残りはスキ(ブラックレトリーバー)が食べてくれた。かまずに飲み込むので、まるで「Thank you!(ゴクリ!)」「 What was that?」という感じで平らげてくれて助かった。流しそうめんもいまいちで、これもスキが全部食べてくれた。口に合わないとは分かっていても、はっきりと「I don't like it!」と言われると落ち込んでしまうのは自分が日本人であり、日本的な反応を期待しているからである。肉じゃがを作ったときには普通に食べていただいて、HFから「Thank you, it was good.」と言われて嬉しかったが、思わず「No, it wasn't very good. I should have make it a little bit thicker.」(いまいちでした。もう少し味を濃くすればよかった)と言ってしまい、けげんそうな顔をされた。英語圏ではお礼を言われたら「You're welcome!」というのが当然で、「いえいえつまらないものですみません」と謙遜するのは理解しにくいことである。分かっていても習慣は中々変えられない。私はいまだに「Thank you.」と言いながら手を合わせておじぎをしてしまう。ホームステイはHFにとっても異文化体験の機会であり、生徒のHFもおはしの使い方や日本人独特の仕草を見て笑ったり困ったりしながら楽しく忙しい毎日を過ごされていることと思う。日本人の生徒たち、「ギブアンドテイク」の精神で困ったら遠慮なく相談し、感謝と笑顔を忘れずに必ず恩返しをするのですよ。HFはさよならパーティーでの君たちの活躍を期待されています。「あれうちの子よ!」といって大いに応援してくれるはずです。

 

  英語の授業では「Repeat after me.」と言われた後に、単語や文を音読することが多い。今日のハウグ先生の授業ではLとRの違いやSとTHの発音の違いを練習した。Lは舌先を上の歯茎の裏にしっかりとつけ、Rは逆に舌先を口内のどこにもつけないように舌に力を入れて頑張らねばならない。どちらも日本語にはない音であるだけに、生徒たちは一生懸命まねして発音していた。一人ずつきちんと発音できているか先生に当てられて確認されると、恥ずかしがりながらも声を出せていた。発表前の緊張と言い終わった安堵感が入り混じり、誰か音読する度に笑いが巻き起こる。和気あいあいとした雰囲気の中で授業が進むのはTCの個性が生徒に浸透したからであろう。発音に関しては高校生も中学生も関係なく、耳で聞いたまま恥ずかしがらずに言えたもの勝ちである。言えるようになった音は聞き分けられるようになるので、リスニングのためにも正確な発音は重要である。プログラム開始から2週間が経過しアメリカ英語に耳が慣れてきたようで、生徒とHFのやり取りを見ているとかなりの生徒がYes / Noで答える分には困らないようになってきた。Do you / Did you / Are you / Were you などに対して答える際に、日本の英語授業では必ずYes, I do. / No, I don't.などのように3語で答えるように練習するが、日常生活ではとにかく瞬時に聞き取って、とりあえずYes / Noを言わなくてはならない。文科省が示すところの実用的な英語運用能力はホームステイを通して毎日訓練されていると言ってよいと思う。ただし、これが定期試験や高校入試に直結している訳ではなく、帰国してからは正確に「書ける」ように勉強する必要がある。生徒諸君、「1ヶ月もホームステイしたからには相当英語ができるようになっているだろう」という期待に応えるべく、今後の勉強がいっそう大事ですよ!

今日の午後は、ボランティア活動として週末に教会で開かれるバザーの手伝いをした。約300名収容可能な広間を埋め尽くすほどの洋服や不用品を種類ごとに分けて展示するお手伝いを2時間かけて行った。売り上げは全て教会に寄付されるので、生徒たちは日頃の恩返しとばかりに張り切って動いてくれた。教会のバザーを取り仕切るMrs.フェイさんとMrs.カレンさんが、生徒の頑張りにいたく感動されてホールケーキを3つも差し入れして下さり、生徒たちは思いがけないご馳走を喜んで食べていた。私も日本から持ちこんだたこ焼き器と食材で、たまには何かいいことをと思いつつ生徒にたこ焼き(中身はえびとキャベツ)と天ぷらを差し入れした。上手に作れたわけではないが、久々の天つゆや青のり、たこ焼きソースといった和風の味に喜んでいた。ユリ・ヒロミ・マホ・マコト・ヒデタカに手伝ってもらい、たこ焼きをどんどん作る・・・つもりが、アメリカの電圧110Vのためか火力が弱く、なかなか焼けない・・・。30個ほど焼いたところでもう2時を回ってしまい、HFが迎えに来る時間が迫ってきた。たこ焼きの食材が大量に余ってしまったので、最後はリョウコ・アオイ・ヒヨリに頼んで特大のフライパンを使ってもんじゃ焼きを作ったものの、火力や具の関係で得体の知れない料理が出来上がった。しかし中身はたこ焼きの具なので、青のりとかつお節、ソースをかければ味は同じ! 「あ、味は大丈夫!」と、あっと言う間に完食し、おこげもかつお風味のせんべいのようでおいしかったらしく、きれいにはがして食べていた。片付けはトモヤやハルカをはじめ皆で協力でき、さよならパーティーへ向けて料理をするよい機会となった。

 

ロスバノスA レポート 8月9日(火)

  今日の午後は隣町のチーズ工場見学へ出かけた。到着してすぐにピクニックエリアでの昼食となり、公園によくあるような屋根つきの長テーブルとベンチでそれぞれランチタイムを楽しんでいた。ビデオを回しながら皆の食べているものを聞くとほとんどがサンドイッチであるが、中身は家庭によって様々で興味深い。「自分で作りました!」という生徒はおいしそうに食べ、「これ苦手なんです・・・」と言いつつ食べている生徒はまだ朝もホストマザーに起こしてもらっている、などホームステイの状況が分かって有意義な昼休みであった。「先生食べてください!」と言って手渡される食べ物のほとんどは食べてびっくりの味がするものばかり。しかし何事も挑戦!と生徒に言っている手前、とりあえず食べてみることにしている。のどがヒリヒリするお菓子やサロンパス味のキャンディーなど、これまでも色々と生徒に教えてもらった。出会って3週間も経たない生徒たちが打ち解けて色々と話してくれるのが愛おしい。異国で共同生活をしているチームとして、生徒同士でも全員がお互いをよく知り、かけがえのない絆を結んで欲しいと思う。

工場に入ると早速アイス作りの体験からスタートした。「ミルクの歌」を歌いながら岩塩と氷の入ったボトルを振ること数十分、バニラアイスの出来上がり・・・のはずが、上手くできたのが半数程度、あとは振り過ぎたのか牛乳・クリーム・バニラエッセンス・砂糖の入った袋に穴があいて塩水が浸入し、「しょっぱいバニラアイス」を体験できた生徒も。続いて乳牛の育て方や搾乳の仕方について説明を受け、工場内の展示物を見て回った。搾乳する機械に指を入れて体験できたり、実物の牛のえさのにおいをかいだり、工場の作業着を着たり、牛の寝床に座ってみたり、短い時間ではあったが楽しんで見学できてよかった。実際の工場が見える部分では640ポンド(288kg)のチーズが次々と出てくるラインを見て、作業員が豪快にこぼしまくる姿にアメリカの食料生産のスケールを感じた。最後にギフトショップで買い物をした際、ホストファミリーにちょっとしたお土産を買う生徒が多く、こうした気遣いがあればきっと今晩は楽しく会話ができるであろうと思いつつ工場を後にした。明日は今週の終日研修、州都サクラメント見学である。

 

ロスバノスA レポート 8月10日(水)

  朝9時出発のバスに乗り込み、インターステイト(州と州をつなぐ高速道路)5号を北上すること約2時間、カリフォルニア州の州都サクラメントに到着。州議会のある建物の入り口には空港と同じ「手荷物検査場」があり、ボディーガードが目を光らせていた。建物は100年以上の歴史を誇り、その内装はまるで「ハリーポッター」の世界そのものといった荘厳さで、「落書きしたり触ったりしないように」という事前の注意が不要なほど生徒を圧倒していた。廊下には歴代の州知事の肖像画が飾られ、下院にはリンカーンの肖像が、上院にはワシントンの肖像が飾ってあった。前知事アーノルド・シュワルツェネッガー氏の肖像画は見当たらなかった。議会は休会中であったが、生徒たちは日本の国会レベルの豪華な議場の雰囲気に声をひそめながら写真を撮ったり傍聴席に座ったりして見学した。

再びバスで5分ほど移動し、オールドサクラメント(下町)へ到着。どこか昭和の香りの漂う(?)商店街で生徒たちは思い思いの買い物を楽しんでいた。ここでは初の自由行動となり、3人以上のグループで自分たちだけで買いものを体験できた。シンタロウは「ここでしか買えんけん」とガスマスクを購入し、集合場所で早速装着して爆笑されていた。この夜はホストファミリーでもあるハウグ先生に肉じゃがを作ったそうだが、玉ねぎを切るときにはガスマスクではなく水泳用のゴーグルをつけたらしい。ピア39のアルカトラズショップで購入した手錠やおもちゃのショックガンなど、空港の手荷物検査で没収されないよう祈りたい! 最後にショッピングモールへ移動し、ここでも自由に買い物ができた。都会の商業施設はどの国も変わりなく、フードコートで照り焼きチキンなどを食べていると日本にいるかと錯覚するほどであった。ここは買い物の時間なので生徒たちはここぞとばかり洋服やお土産を買って、お小遣いが残り少なくなった生徒が多かった。買い物に夢中で気付いたかどうか分からないが、アメリカの子どもは本当にお小遣いを持たず、今日一日食事を除いて何も買っていないホストシスターやホストブラザーがほとんどであった。まだ働いていない君たちが大金を使う姿がホストシスターやホストブラザーの目にどのように映っているか、またこうして平和に買い物できる自分たちの恵まれた環境について思いを馳せるなど、楽しい遠足のときほど帰りのバスでは色々と考える時間にして欲しいと思う。

 

ロスバノスA レポート 8月11日(木)

  今日の午後はロスバノス市内にあるカラテ道場を訪れ、護身術を習った。日本人である私たちが日本生まれのカラテをアメリカ人から教わるという違和感を覚えつつ、指導者ジェニー先生(四段)の日本語の指導にノリノリで受講した。悪い人に襲われたときの反撃の仕方では足を踏んだり、ひじ打ちをしたり、最後はひざ蹴りまで習った。生徒たちは少し照れつつも、「セァ!」「ハー!」と叫びつつ、ミット打ちを楽しんでいたようだった。普段おとなしい(と思っていた)女子生徒が、しっかりと腰を入れてミットを打つ姿に驚いたり、見られて照れまくる男子生徒にジェニー師範が「キアイ!キアーイ!」と叫ぶのを見たりして大変楽しかった。また練習生によるデモンストレーションでは「ハジメ!」「マテ!」「チュウダンヅッキー!イッポン!」など、全て日本語で行われていたが、後で生徒に聞くと最初は全部英語に聞こえていたらしい。確かに「ツヅケッテ!」などは英語っぽく聞こえていた。また、質問タイムでは、生徒からアメリカ人練習生のお辞儀の仕方が変だとの指摘があった。日本と違い、組み手の時には頭を下げるときに目線だけは相手からそらさないために、何となくおかしなお辞儀に見えるらしい。そこはアメリカナイズされていて面白かった。ただし、試合が終わったときには目線も下げて、相手より長くしっかりと礼をするそうである。異文化交流というテーマからして、日本文化を学ぶアメリカ人の真摯な姿勢は、私たちに新たな視点を与えてくれたように思う。壁には「和(Harmony)」と彫られた御影石が飾ってあり、「Kyo-do-kun」と書かれた額には武道の精神が掲げられていた。映画「カラテキッド」「ラストサムライ」を引き合いに出すまでもなく、アメリカ人の中にある武士道精神へのある種の憧れはずっと昔から続いているのだと思った。型の一つである「抜塞大(バッサイダイ)とはどういう意味か」「慈恩とはどういう意味か」などジェニー師範からカラテの教科書を見せられていくつか質問を受けた。漢字の意味を説明するくらいしかできなかったが、日本人として世界に誇る日本の文化を学んでおくことも国際理解への第一歩であるように思った。

 

ロスバノスA レポート 8月12日(金)

  今日は終日ハイキングの日で、ロスバノス市から車で20分ほど離れたステイトパークへと出かけた。車を降りると市内の暑さとまるで違い、冷たい風が吹き付けて鳥肌が立つほどの寒さであった。「寒い!」「ジャケットもってくればよかった!」と悲鳴が聞こえる中、ホストファミリーの車の温度計を見ると華氏58度(摂氏15度)を指しており、半そで半ズボンの生徒はその場足踏みで体を温めていた。高速道路の上り坂をしばらく走ってきたので、山へ登った感じは全くしなかったが、かなり標高が高いらしく、山の斜面を駆け上がる風は湿気を帯びて冷たかった。「Come on guys, let's go!」の掛け声とともに、ヘンリー先生とハウグ先生を先頭にして寒さの中元気よく出発した。ちらほらと道に落ちている馬の落し物に気をつけながらハイキングコースを歩いていく生徒たち。見渡す限りの枯れ草の草原の中に大きな樫の木が点在し、標高が上がるにつれて見えてくる美しい湖(貯水池)を眺めながら2時間ほどコースを歩いた。向かい合って話をするよりも、こうして一緒に歩きながらとりとめもない会話をするのも良い経験であったように思う。休憩地点では数名の生徒が大きな樫の木に登り、ロスバノスが一望できる風景を楽しんでいた。2時間ほどのハイキングを終えて第2貯水池のそばの公園で昼食となった。皆疲れた様子であったが、HFのブロデイルさんから差し入れていただいた骨付きスペアリブが配られると生徒は再び元気を取り戻し、お昼休みにはサッカーやフリスビーをして遊んだ。午後はスカベンジャーハントという遊びをして湖畔のあちこちを散策した。これは指令通りのものや写真を集める遊びである。ホストブラザーやホストシスターも加わって草や木や虫、空き缶など指示に従って探すなかで、協力しながら課題を解決していったようである。授業はこれで終了し、来週からはさよならパーティーの準備が始まる。HFのために今度は私たちが頑張るときがきた。当たり前のようにいろいろなことをしていただいてきたが、自分たちが逆にしてあげる立場になったとき、本当にその大変さが分かることであろう。「ありがとう」と言われることの大変さと喜びを感じられるようなパーティーにしよう!

 

   今日はさよならパーティーの準備を前倒しするため、TCと相談して日程を一部変更していただいた。例年通りならば一人5ドルずつ集めたお金でカレーと肉じゃがの2品を用意するところであるが、生徒たちで話し合った結果天ぷら・卵焼き・照り焼きチキン・パンケーキ・焼きそば・そうめんを作ることになり、パーティー前日から料理の準備を始めるためである。予算オーバーかつ時間も足りないということで、TCからは「気持ちは大変嬉しいが止めたほうが良い!」と反対されたものの、予算オーバー分は寄付金の183ドル25セントでカバーして、時間が足りない分は水曜日の午後の活動を月曜日に前倒しすることで挑戦する許可が得られた(と思う)。We tried to talk you out, Hiroyuki! (やめさせようとしたんだけどね〜!)と半ばあきれ顔のMs.ハウグ先生とMr.ヘンリー先生であったが、生徒たちは自分たちが寄付した金額の大きさと同じくらい自信と誇りに満ちあふれた表情で決意を新たにしていた。明日は終日研修なので、今日の夕方Mr.&Ms.ヘンリー先生と買い物へ出かけ、アメリカンサイズの巨大ショッピングカート2台分の食材を購入した。野菜は安く、ジャガイモは20ポンド(9kg)で300円と激安であったが、逆にみりんなどの和食調味料は300mlで400円もした。水曜日にすぐ調理に取り掛かれるように、夜の内に教会の厨房の大型フリーザーへ食材を納めておいた。ジャガイモだけで45kg、牛肉9kg、豚肉9kgなど大量の食材を運びながら「これは大変なことになった!」と思った。全員協力して最高のパーティーにしよう!

 

ロスバノスA レポート 8月16日(火)

   ホームステイプログラム中最後の終日研修となった今日は、港町サンタ・クルズのボードウォーク(Board Walk)見学であった。これは日本で言うところの「海の家」を通年利用可能にしたようなもので、今回訪れた所は海水浴場に沿って遊園地・ギフトショップ・レストラン・ゲームセンターの複合施設があった。このボードウォークはカリフォルニア州以外でもあり、ニュージャージー州などでも見られる。到着したときはくもりで気温は20度とかなり肌寒かったが、午後になって日差しが照り始めると半そでで丁度よくなった。最後の集合写真を撮ったあとMNCCのスタッフから帰国へ向けての諸注意があり、その後6時45分まで約7時間の自由行動となった。ビーチのステージでは「シルク・ポリネシア」(※シルクはフランス語でサーカス)の公演が2度あり、技が決まる度に観衆からアメリカンスタイルの拍手と歓声が沸き起こっていた。「Wow!」「Yeah!」「Oh, my goodness!」など、驚いた時の表現がたくさん聞けた。さよならパーティーでもきっと、HFからの拍手や歓声に押されて生徒たちの最高のパフォーマンスが見られることと思う。

サンタ・クルズは有名な行楽地であるが水曜日だったので人の込み具合は程よく、にぎやかな人並みの中楽しい雰囲気で終日過ごすことができて良かった。フリーパスが30ドルだったので、生徒の中には乗り物チケットが全て1ドルになる夕方5時を待って、それまでは海水浴や砂遊び、買い物をして過ごすグループもいた。トモミ・アヤコ・ヒナの3人組はなんと、観光客を相手に英語でインタビューをして回り、自分たちの名刺と交換に相手の住所・連絡先をゲットしていた。お金をかけず、本来の目的である異文化コミュニケーションを自ら実践する(しかもアミューズメントパーク内で!)姿に脱帽してしまった。「日本人で誰か知っている人はいますか?」「日本をどう思いますか?」「アメリカのよいところは?」などメモ帳を片手にロスバノス「B」のホストファミリーにインタビューしているところに私も居合わせたが、メキシコ系移民の第2世代であることやアメリカの自由に対する考え方など、興味深い話がたくさんできて良かった。今回のアカデミック(学究的な)ホームステイの参加者の中でもこの3人の日記はジャーナルと呼ぶに相応しい書き方で、毎日が発見と驚きに満ち溢れている。それを読むことによって私も生徒たちの視点でものを見ることができているように思う。同じものを見ていても見方によって感じ方は全く違うものであるが、意識してものを見ることで見えてくるものがたくさんある。私たちは生きている間にどれだけ「目からウロコ」が落とせるだろうか。

 

ロスバノスA レポート 8月17日(水)

   今日の午前中は教会から歩いて数分のところにあるリハビリセンターを慰問し、歌や折り紙、日本の伝統的なおもちゃ披露などを通して施設の方々と交流をした。紙風船バレーや剣玉など、体を動かす道具があるとコミュニケーションがとりやすかったようで、あちこちで笑顔が見られた。ここでも新聞紙で作るsamurai helmet(かぶと)が好評で、作るたびに喜ばれていた。今回のホームステイプログラムを通して感じたことであるが、ガイドブックにあるようなこうした準備の一つ一つが生かされる場面が多く、いかに事前の準備が大切かよく分かった。今日は昼からカレーと肉じゃがを作ったのだが、普段から料理をしている生徒が多く美味しくできてよかった。ジャガイモの皮むきからすでに総力戦の様相を呈しており、巨大ブロックの牛肉・豚肉のカット、大量の玉ねぎのカットをしながら生徒たちは口々に「給食センターみたいだね!」と楽しげに準備をしていた。裏方に回って初めて分かる大変さと喜びに気付いた生徒が多く、「美味しいって言ってくれるかな?」と期待を膨らませていた。また、教会の別室ではHFへの贈り物であるマグカップを包んだり手紙を書いたり、またさよならパーティーの司会を務めるヒナやスピーチ担当のアヤコ・ケイコは原稿に目を通したりそれぞれ準備に余念がなかった。外ではステージ組が一発勝負の舞台へ向けて練習を重ね、HFが迎えに来る午後3時にはそれぞれのグループが全て準備を終えることができてよかった。会場設営に関しては、今日の夜に食事会が開かれる関係ですでに準備ができており、会場責任者の方に思い切って「このままテーブルやいすを使っても構いませんか?」と聞いたところ、快諾していただいた。明日の会場設営時間が2時間ほど短縮できそうである。チーム・ロスバノスAはついている! 「何事も思い切って挑戦してみると、道は開けてくるものだね〜」と生徒と喜びを分かちあいながら、明日も朝から準備を頑張ろうと声をかけて生徒を見送った。生徒たちは今晩、荷づくりをすることになっている。明晩はさよならパーティーのあとなので荷造りどころではないだろうから。

 

ロスバノスA レポート 8月18日(木)

   いよいよさよならパーティー当日の今日は朝8時半にスタディーセンター集合。料理組はすぐに厨房へ入り、ステージ組はまず会場設営に取り掛かった。今日は天ぷら・卵焼き・照り焼きチキン・パンケーキ・そうめんを用意せねばならない。どれも準備自体はシンプルであるが、何しろ大量に作らねばならないので厨房は大忙しであった。「見ている者は手を動かせ〜!『見る』という仕事はなーい!」とゲキを飛ばしつつ、同時多発するアクシデントの対応に追われた。「先生!ごはんがネチョネチョです!」「先生!エビ天の中が生です!」 料理に慣れていない生徒も参戦しての総力戦では予想外の動きに大笑い(大慌て)する場面も。また一方では手慣れた様子で次々と焼き上がる照り焼きチキン・焼きそば・パンケーキ・卵焼き…。午後3時を前にしてほぼ料理は完成。あとは5時半に再び集合して温め直すだけ、となった。

かくして6時半、次々とHFたちが集まりサヨナラパーティーが始まった。予想以上の人出で料理テーブルには長い列ができ、作った料理がどんどん無くなっていく。えびフライや照り焼きチキンは瞬く間になくなってしまい全員には行きわたらなかったものの、カレーと肉じゃがはおかわりできるほど用意していたので、HFは大変満足されていたようであった。また食事と並行して折り紙・書道・日本のおかし・そうめん流しのテーブルも用意され、HFたちは目の前で作られる手の込んだ折り紙や初めて触る書道の道具、おいしすぎる日本のスナック菓子、かつおだしのめんつゆなどに興味津々であった。こうして約1時間、手作りの料理でHFをもてなすことができた。準備に苦労した分、おいしそうに食べるHFの姿を見て生徒たちも大変嬉しそうであった。

7時半になりパフォーマンスの部が始まると、HFは「わが子」たちの出番を楽しみにステージ前に集まりイスに座りきれないほどの人だかりができた。MCのヒナがマイクで "Did you enjoy your meal?" と聞くと "YES!" と大きな返事が返ってくる。アメリカ人は陽気で場を盛り上げてくれる。初めにアヤコが原稿を見ずにスピーチを披露し、拍手喝采を浴びた。内容が濃く、HFも声を合わせて"AWESOME!"と褒めたたえてくれた。次に全員でラジオ体操第一を披露し、真顔で踊る奇妙な動きにHFたちは爆笑していた。続いてアヤノがブリッジからのバック転を、ヨウシロウがバスケットボールの技を披露し、大いに盛り上がった。終わったあとのはにかむ笑顔を歓声と拍手が包んでくれる。ステージに立つ緊張感が「やってよかった!」という充足感に変わっていく。トモミはプレッシャーに打ち克ってけん玉の難しい技を2つ披露し、「飛行機」が決まったときには会場が一つになった。リュウセイとソウイチロウはペアで登場、サッカーボールを使ってリフティングを披露した。途中バランスを崩しながらもボールを落とさないパフォーマンスは大道芸人のようであった。続いてケイコと私で剣道を披露し、面と小手と胴の打ち方を見せた。胴が2回足にヒットして面白かった。カンフーショーではトモヤとヒデタカ+ティムの3人が登場し、トモヤのヌンチャク・ヒデタカのカマを使ったアクションで会場を沸かせた。ブルース・リーの弟子であるMr.ガーディアーが最後にマイクを握って二人の努力を称えてトロフィーを授与するというサプライズがあり大変感慨深かった。いよいよラストとなったステージはショウトとマコトのダンスタイムとなり、ボルテージは最高潮! ホストブラザーやホストシスターもステージに呼んで皆で踊ってフィナーレを迎えた。最後にケイコが感謝の言葉を手紙にしたためてスピーチすると、1ヶ月間の思い出が次々と溢れてきて目に涙を浮かべるHFも見られた。その後卒業式となり、一人ひとり名前を呼ばれてハウグ先生・ヘンリー先生夫妻から修了証を受け取り、HFと記念撮影をした。一人ひとりにコメントを下さるハウグ先生、生徒の努力を称えてくれるHFたち、会場からの惜しみない拍手…。涙と笑顔の入り混じった最高のさよならパーティーができたと思う。生徒の皆さん本当にありがとう。

 

ロスバノスA レポート 8月19日(金)

 帰国日の今日は朝9時から前夜のさよならパーティーの後片付けをした。昨晩は帰宅後もHFといろいろと話が尽きなかったようで、目を赤く腫らして集合する生徒が多かった。生徒たちは日本の家族へ会える嬉しさと、アメリカの家族と別れる寂しさが入り混じった複雑な思いのまま、飾り付けの撤去から床のモップがけまで全員で教会の清掃をした。朝はMr.ヘンリーからドーナツの差し入れがあり、また清掃後はハウグ先生からピザと特大ケーキの差し入れがあったせいか、皆よく働いていた。感謝の気持ちを表すのはここ、とばかりに窓枠の隅々までふきあげて教会の方々へ少しは恩返しができたように思う。会場の提供だけでなく生活の様々な面で支えて下さったユナイテッド・メソジスト教会の方々本当にありがとうございました。

こうして清掃が終わるお昼頃になると最後の見送りにHFが集まってきて、バスの到着まで名残惜しそうに談笑していた。そして昼1時、到着した日と同じバスが教会へ姿を現すといよいよ別れの時がきた。ぎゅっとハグされて涙が止まらない生徒、ずっと手を振るホストファミリー、バスの中から聞こえるすすり泣く声。バスが出発すると小さい子たちが走って追いかけてきた。生徒たちは皆泣いていた。何か熱いものがこみ上げてきて涙が止まらなかった。見慣れたロスバノスの町がどんどん遠くなっていく。まるで夢のような1ヶ月間であった。サンフランシスコ空港から羽田へ帰る飛行機の中で、生徒たちは最後の感想文を書くことになっている。言葉にして、思い出を一生記憶と記録に残そう。

 

ロスバノスA レポート 8月18日(木)

   いよいよさよならパーティー当日の今日は朝8時半にスタディーセンター集合。料理組はすぐに厨房へ入り、ステージ組はまず会場設営に取り掛かった。今日は天ぷら・卵焼き・照り焼きチキン・パンケーキ・そうめんを用意せねばならない。どれも準備自体はシンプルであるが、何しろ大量に作らねばならないので厨房は大忙しであった。「見ている者は手を動かせ〜!『見る』という仕事はなーい!」とゲキを飛ばしつつ、同時多発するアクシデントの対応に追われた。「先生!ごはんがネチョネチョです!」「先生!エビ天の中が生です!」 料理に慣れていない生徒も参戦しての総力戦では予想外の動きに大笑い(大慌て)する場面も。また一方では手慣れた様子で次々と焼き上がる照り焼きチキン・焼きそば・パンケーキ・卵焼き…。午後3時を前にしてほぼ料理は完成。あとは5時半に再び集合して温め直すだけ、となった。

かくして6時半、次々とHFたちが集まりサヨナラパーティーが始まった。予想以上の人出で料理テーブルには長い列ができ、作った料理がどんどん無くなっていく。えびフライや照り焼きチキンは瞬く間になくなってしまい全員には行きわたらなかったものの、カレーと肉じゃがはおかわりできるほど用意していたので、HFは大変満足されていたようであった。また食事と並行して折り紙・書道・日本のおかし・そうめん流しのテーブルも用意され、HFたちは目の前で作られる手の込んだ折り紙や初めて触る書道の道具、おいしすぎる日本のスナック菓子、かつおだしのめんつゆなどに興味津々であった。こうして約1時間、手作りの料理でHFをもてなすことができた。準備に苦労した分、おいしそうに食べるHFの姿を見て生徒たちも大変嬉しそうであった。

7時半になりパフォーマンスの部が始まると、HFは「わが子」たちの出番を楽しみにステージ前に集まりイスに座りきれないほどの人だかりができた。MCのヒナがマイクで "Did you enjoy your meal?" と聞くと "YES!" と大きな返事が返ってくる。アメリカ人は陽気で場を盛り上げてくれる。初めにアヤコが原稿を見ずにスピーチを披露し、拍手喝采を浴びた。内容が濃く、HFも声を合わせて"AWESOME!"と褒めたたえてくれた。次に全員でラジオ体操第一を披露し、真顔で踊る奇妙な動きにHFたちは爆笑していた。続いてアヤノがブリッジからのバック転を、ヨウシロウがバスケットボールの技を披露し、大いに盛り上がった。終わったあとのはにかむ笑顔を歓声と拍手が包んでくれる。ステージに立つ緊張感が「やってよかった!」という充足感に変わっていく。トモミはプレッシャーに打ち克ってけん玉の難しい技を2つ披露し、「飛行機」が決まったときには会場が一つになった。リュウセイとソウイチロウはペアで登場、サッカーボールを使ってリフティングを披露した。途中バランスを崩しながらもボールを落とさないパフォーマンスは大道芸人のようであった。続いてケイコと私で剣道を披露し、面と小手と胴の打ち方を見せた。胴が2回足にヒットして面白かった。カンフーショーではトモヤとヒデタカ+ティムの3人が登場し、トモヤのヌンチャク・ヒデタカのカマを使ったアクションで会場を沸かせた。ブルース・リーの弟子であるMr.ガーディアーが最後にマイクを握って二人の努力を称えてトロフィーを授与するというサプライズがあり大変感慨深かった。いよいよラストとなったステージはショウトとマコトのダンスタイムとなり、ボルテージは最高潮! ホストブラザーやホストシスターもステージに呼んで皆で踊ってフィナーレを迎えた。最後にケイコが感謝の言葉を手紙にしたためてスピーチすると、1ヶ月間の思い出が次々と溢れてきて目に涙を浮かべるHFも見られた。その後卒業式となり、一人ひとり名前を呼ばれてハウグ先生・ヘンリー先生夫妻から修了証を受け取り、HFと記念撮影をした。一人ひとりにコメントを下さるハウグ先生、生徒の努力を称えてくれるHFたち、会場からの惜しみない拍手…。涙と笑顔の入り混じった最高のさよならパーティーができたと思う。生徒の皆さん本当にありがとう。

 

ロスバノスA レポート 8月19日(金)

 帰国日の今日は朝9時から前夜のさよならパーティーの後片付けをした。昨晩は帰宅後もHFといろいろと話が尽きなかったようで、目を赤く腫らして集合する生徒が多かった。生徒たちは日本の家族へ会える嬉しさと、アメリカの家族と別れる寂しさが入り混じった複雑な思いのまま、飾り付けの撤去から床のモップがけまで全員で教会の清掃をした。朝はMr.ヘンリーからドーナツの差し入れがあり、また清掃後はハウグ先生からピザと特大ケーキの差し入れがあったせいか、皆よく働いていた。感謝の気持ちを表すのはここ、とばかりに窓枠の隅々までふきあげて教会の方々へ少しは恩返しができたように思う。会場の提供だけでなく生活の様々な面で支えて下さったユナイテッド・メソジスト教会の方々本当にありがとうございました。

こうして清掃が終わるお昼頃になると最後の見送りにHFが集まってきて、バスの到着まで名残惜しそうに談笑していた。そして昼1時、到着した日と同じバスが教会へ姿を現すといよいよ別れの時がきた。ぎゅっとハグされて涙が止まらない生徒、ずっと手を振るホストファミリー、バスの中から聞こえるすすり泣く声。バスが出発すると小さい子たちが走って追いかけてきた。生徒たちは皆泣いていた。何か熱いものがこみ上げてきて涙が止まらなかった。見慣れたロスバノスの町がどんどん遠くなっていく。まるで夢のような1ヶ月間であった。サンフランシスコ空港から羽田へ帰る飛行機の中で、生徒たちは最後の感想文を書くことになっている。言葉にして、思い出を一生記憶と記録に残そう。

 

ロスバノスA レポート 8月20日(土)

   サンフランシスコ国際空港を離陸した19日(金)午後7時45分は日本時間では20日(土)午前11時45分。デイライト・セイビング・タイムのため冬時間では午後6時45分なので、まだ太陽は沈まずかなり明るい。太陽を追いかけて飛行しているので夜11時(米時間)くらいまで夕焼けが見えていた。日付変更線を越えたところで日本時間に時計をセットすると、すでに土曜日の夕方になってしまった。すごく短い一日となった。

 

ロスバノスA レポート 8月21日(日)

 10時間のフライトを終えて日本へ着いたとき東京は雨であった。懐かしい空気(というよりも湿気)に一瞬にして帰国した実感が湧いた。羽田空港での入国手続きを済ませた後、国内線乗り場までバスで移動となり、空港内の移動バス内ではすぐに汗がでたが、およそ一ヶ月ぶりに感じる服のべたつきにもめげず、皆協力してスーツケースを運んでくれた。疲れていても列を崩さずにホテルまで移動できて大変よかった。ようやくホテルに到着したときにはすでに真夜中で、明日朝は6時起床・7時15分出発という日程であったためチェックイン後すぐに各部屋へ入って入浴・就寝となった。時差のため気持ちは朝でも周りが夜なので寝ないといけないのであるが、シャワーを浴び夜食(気分は朝食)をとると目が覚めてなかなか寝付けない様子であった。ホテル内の見回りをしつつ帰りの飛行機で書いた生徒の感想文を読んでいると、ヨウシロウがお茶の差し入れをしてくれて大変嬉しかった。1ヶ月前、ここ羽田空港で出会った生徒たちが今は普通に「先生〜!」と呼んでくれる。今日でお別れになるのが名残惜しい! 2011年夏、カリフォルニアの小さくて偉大な町ロスバノスで共に暮らした1ヶ月の思い出を語るには仲間が必要だ! そこでチーム・ロスバノスAの皆で次のような約束をした。「一番年下のシュウヘイが20歳になる7年後に同窓会をしよう! また会う日まで、皆それぞれの道で頑張って欲しい。立派な姿で再会できるように、今日が新たなスタート。皆、それまで元気で!」。

翌朝はホテルのロビーに集合するとさよならのあいさつをする暇もなく宮崎組・大分組・長崎組へ分かれて国内線手続きのため出発した。私は宮崎へ帰るので、宮崎の11名と一番先に出発となった。手荷物検査場が別れの場となった。1ヶ月前、国際線の搭乗口で会ったときと同じように、別れる時も一人ひとりと握手をした。顔を見ながら言葉を交わし、手のひらから伝わる感情に心が揺さぶられる思いがして思わず泣きそうになってしまった。皆にとっても長い一生の中で、一緒に過ごしたこの1ヶ月は特別な時間であったことと思う。それぞれの人生の中でロスバノスの夏の思い出は見事に重なり合い、これからどんなに年を経てもきっと色あせることはないと思う。「あの日あの時」の話ができる31名のメンバーがこれからも思い出を胸に成長し続けてくれることを願いつつ、日常生活へ戻ります。今回の素晴しい経験をさせていただいたMNCCのスタッフの皆様、CHIの先生方、HFの皆様、そして愛しき31名の生徒のみなさん、本当にありがとうございました。

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