アカデミックホームステイ活動の様子  
ホームステイの様子を写真、動画、文章レポートでお届けします。

2008年アカデミックホームステイ
Santa Rosa, PAレポート

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引率の先生からのレポートです。

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7月31日(木)
一日は24時間だと相場は決まっていると思っていましたが、私たちの旅立ち、7月31日はとても長い一日から始まりました。午前9時、私たちは鹿児島空港に集まりました。久しぶりに会う子どもたちも心なしか緊張した面持ちです。おそらく、期待と不安が混在した状況なのだろうと察しがつきます。私自身もおなじ心持ちでした。どうにかこの3週間をよい思い出の多い、そして、子どもたちの大きな成長へとつながる3週間にしたいと心からそう思いました。心配そうな保護者の方々に、力強く挨拶をし、私たちは旅立ちました。鹿児島から羽田に向かう飛行機の中では,少々興奮気味の子どもたちをなだめながらの旅でした。気持ちが高揚した子どもたちに怪我をさせないことが大きな仕事でした。羽田では先に東京に来ていたChihiroと合流しました。ちょっと疲れた様子に見えた彼女はどうも東京を楽しみすぎていたようでした。羽田から成田へ,他のMNCCのグループと一緒に移動し、移動中のバスの中で弁当を食べました。さすが今からアメリカへ向かおうとする子どもたちは食べ方も豪快で頼もしく思うところでした。成田では出国する団体が多かったために、荷物を預けるための時間が少々かかりましたが、出国検査は意外とすんなり済み、16:00には64番ゲートにたどり着きました。グループの皆は、思い思いにTake offまでの時間を楽しみました。久しぶりに会った子どもたちはすぐにうち解け、終始和やかな雰囲気でした。鹿児島からの飛行機と成田発の便とは,同じボーンイング社の同型で、席も最後部に位置し、トイレや水飲み場も近かったことも大変助かりました。おそらく、MNCCのスタッフの計らいであろうと嬉しく思うところでした。子どもたちは興奮冷めやまない状況でゲームや映画に興じていました。夕食はほぼ全員が完食し、日本時間の9:30の消灯には全員の子どもたちが寝入ることができましたが、「飛行機の中ではしっかり寝ること」と注意していましたが、興奮からか何度か「寝られなくても、目を閉じて体をやすめなさい。」と注意を受けることもあり、このことが現地の1日目や2日目に大きく影響を与えてしまう子どもたちもいました。現地の11:15ごろ飛行機は夏だというのに肌寒いサンフランシスコに到着し、バスに揺られて約1時間半後にステイ地サンタローザに着きました。早速授業が始まり、しっかりと宿題までもらった子どもたちでした(宿題は結果的にステイ先の方々とコミュニケーションを図るにはとても有効でしたが、)。16:00にはホストファミリーが迎えに来て帰宅し、18:30からのWELCOME PARTYには再度集合しました。子どもたちは、疲れ切った表情でしたがグループの仲間としばしの別れの前の時間を惜しむように遊んでいました。不安な気持ちもみんなと居ることで安心できるのでしょう。少々頼りないその背中を「がんばれ」とそっと押してあげることが私のできることでした。20:40長い長い一日の行事が終わりました。子どもたちは帰路につき、その後食事に出かけたり、シャワーをしたりと過ごして一日を終えました。わたしたちの長い長い一日はこうして終えることができました。全ての子どもたちが不安や期待を数多く抱えながらよく頑張った,120点をつけてあげたい1日でした。
 
8月01日(金)
CHIのSuzeに拾われて、学習の中心となるセバストポール チャータースクールに到着したときには、NanamiとMamiはホストファミリーのTerriに送られて既に来ていました。昨晩のことを「ごはん食べたか」「何時に寝たか」などいろいろ尋ね、よい感触が得られた頃、Terriが私を見て「Mami was cried」と寂しそうな顔つきで言った。飛行機の中で睡眠が少なかったことや朝ごはんが喉を通らない様子だったMami。予感は的中した。Mamiと話し、不安な気持ちを和らげることができた。そして、「more eat more sleep」と付け加えた。その後Mamiは落ち着いた様子で楽しそうに学習に取り組み、午前中の学習ではそのすばらしい英語の発音を遺憾なく発揮していた。彼女はホームシックを乗り越えたと私は実感した。しばらくしてMasakiとKotaがやってきた。ホストファミリーのMarthaは、私を見るなり、悲しそうな顔をして、「Kota was cried last night 3times」そして、今日の学習が終わったら、Calling Cardを買って自宅に電話をかけようと思っていることを教えてくれた。とても心優しい彼女の心遣いに有り難く思いながら、「どうしようかなあ。」と思案したがその場では即答を控えた。その日一日Kotaの様子を気に掛けながら過ごした。できるだけ声をかけ、この新しい環境に慣れることができるように努めた結果、Kotaは元気を取り戻した。帰り際、私はMarthaを呼び止めて「He is OK」そして、今電話をすれば帰ってホームシック助長させてしまいかねないことも付け加えた。うまく表現できない部分はCHIのSuzeが付け加えてくれた。マーサは少々戸惑った表情であったが、私とSuzeの言うことを理解してくれた。Kotaの環境への適応の手応えはよい感触である。おそらく、時差による体調の回復がこの土日でなされれば来週からは大丈夫であろうと期待している。この日に一番遅かったのがNaoとAkiの二人だった。彼らの表情からは時間や生活、環境への不適応は明らかであった。7/31の飛行機の中での予感はまたも的中してしまった。KarenやSuzeは、ホームステイ先に戻って体調の回復を優先させた方がよいと言ったが、本人は「ここでみんなと一緒に居たい」と言う。「ひとりで家に居ても不安だけが増えるばかりであろう」と感じた私は、彼らを一緒に居させるようお願いした。難しい判断であったが、彼らはその後徐々に元気を取り戻し、笑顔も見られるようになった。私は自分の判断が正しかったと確信した。二人には生活習慣のことを特に注意した。飛行機の中から心配していたことやゲームのことなど彼らが乗り越えなければならない課題のこと。改善され、この土日に体調を整えて過ごすことができれば、来週から安定した毎日が過ごせることと期待している。
 
8月4日(月)
何かあったら電話をするということになっていたが,心配された土曜日・日曜日もとりあえず大きな問題もなく過ぎた。時差の問題やホストファミリーとのコミュニケーションの状態を知るにもこの月曜日はとても重要な日である。期待と不安を抱えながらチャータースクールへ向かった。 学校ややって来た子どもたちの表情はどの子どももすばらしくよく,土日にあった楽しい出来事をいろいろと話してくれた。先週表情の硬かったChihiroが元気に登校してきた。ホストファミリーのAnnの献身的な心遣いに笑顔を取り戻していた。こころからAnnに感謝したい。体調の戻りきれなかった男の子たちも昼まで寝ていたと話して,とても元気になっていた。よく寝て,よく食べて元気を取り戻していた。 心配された最初の1週間の課題(1週間目がホームシックになりやすいらしい。)を全ての子どもたちが乗り越えてくれた。こんなにすばらしい日はない。心から嬉しいと感じた日であった。午後からはSonoma Country Festivalの見学に出かけ,遊園地でいろいいろな乗り物に乗りとても楽しい時間を過ごした。StuyosiとMasakiはよほどこの祭りが気に入ったらしく,Country Songが生演奏されている中,二人で軽やかなダンスを披露し,皆の注目を浴びていた。現地の新聞記者がそれを見つけInterviewを受け,現地の新聞に載ることが決まった。なんとすばらしい日であった。
 
8月05日(火)
今日は子どもたちも(もちろん私自身も)楽しみにしていたSan Franciscoの終日研修であった。朝私がスクールに着くと全ての子どもたちが既にやって来ており少々興奮気味であった。さながら日本の学校の遠足の雰囲気ととてもよく似ていた。浮かれた子どもたちを見て,こちらも気を引き締めないとと身が引き締まった。けがと事故の確率が高まる中どう集団をコントロールし,楽しい思い出を作らせるか手腕が問われていることを再確認した。興奮した気持ちと浮かれた行動からいくつかのいざこざはあったが,Golden Gate Bridgeを見学するまでには一通りの集約を見ることができた。私たちは天辺が霧にかすむその橋やFishermans Wharf,Pier39といろいろな観光地を見学し,楽しい外国の観光気分を満喫した。Kyounosukeは土産売り場でたくさんのキーフォルダーを買い込んでいた。「友達に頼まれているんだ。」と嬉しそうに答えた彼は,日本の友達への微笑ましい友情を見せてくれた。いつも心優しいNaokiは,年下の二人の男の子が浮かれて話すたわいもない話ににこやかに頷いて楽しんでいた。実際の買い物の中や会話の中で,必要感のある実際場面で子どもたちは生きた会話を使えるように,また使っていこうとするようになり,楽しい中にもとても意義深い研修視察なった。
 
8月06日(水)
子どもたちは昨日の遠出に疲れも見せずに元気に学校にやってきた。CHIの現地責任者のSuzeは昨日一日バスドライバーとして活躍したため少し疲れ気味であったが,元気に朝から喋っていた。 子どもたちの生活はホームシックからは離れてきたが,食べものの問題が出てきている。なかなか日本の食事にはありつけない。朝ごはんも進まない子もいる。TCのKarenは今日「I want to eat ○○.」という文を盛んに練習させていた。とても時を得たセンテンスにとても有り難く思った私は,ノートにそれらを書くように指示し,ホストファミリーに言ってみようと提案してみた。これでいくらかは自分たちの好む食事ができるようになることであろう。少し安心した。子どもたちの話からはカレーライスやとんかつなど和食がでることもあるらしく口にすることもあるらしい。味の違いが少々あるらしいが,それも食文化の違いであろう。自分でできる子はCookingをすすめているが,できない子どもにはそれもなかなかである。今日は「すし」を食べるという子どもたちもいたが,ぜひ口に合うものであって欲しいと願う。口々に「お母さんのおにぎりが食べたい。」そう話す子どもたちに,日常の生活がいかにありがたかったかを話した。当たり前に過ごしてきたことが,どんなに慈愛に満ちた世界であったか,子どもたちは心からそのことを感じ取ったようであった。 午後からは警察署,消防署を訪れた。子どもたちは初めての経験にとても喜んでいた。ショットガンとマシンガンを装備したパトロールカーは特に人気であった。衝撃的であったのが,事件の一番多くは殺人,次に窃盗であるということであった。また,事件に巻き込まれる半分は女性と子どもという現実も知った。消防署のシステムも興味深く,常勤の消防士は存在せず,地域の人々がボランテイアで消防士を行っているということである。消防服の早き着替えを披露してくれた20歳そこそこの男の子は,とても誇らしげに説明をしてくれた。自信と誇りをこの仕事に持っていることは,彼の言動から明らかであった。鹿児島でも地域の消防団の存続が危ぶまれている中,このような地域に誇りを持つ青年に出会えたことは,私たちに示唆を与えるものであった。
 
8月07日(木)
今日は一日ラグナ牧場でボランテイア活動を行いながら,生きた英会話活動を行った。ラグナ牧場は他にも多くの子どもたちを受け入れており,いろいろなところから体験活動に訪れる,サマースクールの一環で終日体験が行える施設である。子どもを対象としたいろいろなメニューが充実しており,働くことや環境について活動を通しながら行える非常にすばらしい施設である。学生と思われるボランテイアがきめ細かく,楽しく学ばせてくれるため4〜5歳の子どもから体験できる施設であった。ぜひ日本にもこのような施設が欲しいものだと心からそう思った。子どもたちは,楽しく働きながら収穫の喜びや労働の喜びを感じていたようであった。特にkyounosukeはブラックベリー摘みにはまり,1人で12箱も収穫していた。エミールの中でルソーは「自然に帰れ」といったが,まさにアメリカの大自然が子どもたちをたくましくしてくれた。
 
8月08日(金)
今日はSacramentoに終日研修であった。今週は,サンフランシスコやラグナ牧場と忙しい1週間で,子どもたちも,もちろん私も少々疲れ気味であった。行きに2時間、帰りに2時間と行き帰りで4時間もかかってしまうが、TCのカレンはどうしてもこのSacramentoに行きたかったのであろう。州都Sacramentoは,シュワルツ ネッガー知事で大変有名なところである。残念ながら彼に会うことはなかったが,Capitalと呼ばれる建物はその大きさまた重みのあるものであった。ワシントンにある重要な建物と類似した建物をカレンは見せたかったのであろう。 私の心配をよそに子どもたちはとても元気で,CapitalやTrain museumなどを楽しく鑑賞していた。ランチタイムでは,多くの子どもたちがバーガーショップでフレンチフライやハンバーガーを注文していた。最初躊躇していたAkiとNaoもフレンチフライが自分で注文でき,英会話を練習の成果を発揮していた。一番英会話が心配されたKotaも自分でハンバーガーを注文することができ,とても満足そうであった。全ての子どもたちが自分の力で注文し,自分の欲しい物を手に入れることができた。 TCのカレンは時間のかかることをいやがっていたが,子どもたちが自分の力で買い物ができたことはこの研修で一番力を発揮していた場面であり,私はとても喜んだ。生活の中で生きた会話が行えること,そして自分の英語が通じたこと,今日は見学以上に収穫のあった場面であった。週の終わりの金曜日にたいへん大きな収穫があり,すばらしい1週間の締めとなった。
 
8月11日(月)

今日は一日Santa Rosaの公園での学習であった。体験や遊びを通しながらFeel(気分)やスポーツをして楽しんだ。特にMasakiは、憧れであったアメリカの球場で野球ができるということで、たいへん張り切っていた。ソフトボールのしているMasakiは、やはり野球も上手で、アメリカの中学生を相手にその野球センスのよさを発揮し、褒められていた。昼食後は水遊びをし、小さな子どものように皆楽しそうに遊んでいた。最初は躊躇していた6年生の子どもたちも、楽しく水遊びに参加し、童心に戻ることができた一日であった。 水遊び後先週特に心配していたNaotoが「もう鹿児島に帰りたくな〜い。」と言い出した。一瞬耳を疑ったが間違いなくそのように話した。数人の子どもたちも同じように「帰りたくな〜い。」と言い出し、私はこの研修の成功を確信した。楽しく参加できていることがよく分かる一言であった。残り1週間、やり残すことがないように精一杯楽しむように子どもたちに告げた。残り4日、一日一日を大切に良い思い出を作ることができることを臨んでやまない。 

 
8月12日(火)
午前中は,チャータースクールで英会話学習を行った。この3・4日と成長の著しい。何を言っているのか聞き取るのが一番難しいと言われるが,当初何を言っているか分からなかった子どもたちも随分文脈を読みながら,聞き取れるようになってきていて楽しさを感じてきている。また,書く活動も行っているが,めきめきと力をつけてきていて,おおよその文の並びに気付いてきている。 「日本に帰りたくないなあ。」今日もそのような声が聞かれた。気になって聞いてみると、Mamiが半々であとは子どもたちは「このままアメリカにいたい。」という。随分生活になれてきたのだなあ,と嬉しく思う。ただ,「日本に帰って宿題をするのがいやだあ。」という本音もあるようだ。ま,いずれにしろ子どもたちはしっかりとこの地での生活に適応しているのは間違いなさそうだ。午後は,チャールズ・シュルツ博物館(チャーリー ブラウンの作者)に行った。路線バスにアクシデントがあったため,到着が遅れたが,子どもたちは楽しそうに見学し,8コマ漫画作りも楽しそうに行っていた。なかなかお土産を買う時間もなかったので,今日は十分時間をとるようにしたため,子どもたちも十分満足したようだった。Naoが腹痛を訴え,途中リタイアして休憩し心配されたが,夕方までには回復した。
 
8月13日(水)
今日は終日マリンワールドで終日研修ということもあり,朝から子どもたちは浮かれていた。最近は随分生活や文化に適応してきており,十分カリフォルニアに馴染んでいるようである。昨日腹痛を訴えたNaoも今日はとても元気で,終日楽しく活動していた。昨日買い物ができなかったNaoは,「お母さんが,ちょっと横になるときのクッションを買う。」と張り切っていた。父親へのプレゼントも買い求めていたが,遠い地へ来て両親への感謝の思いを強くしたように感じた。他の子どもたちもきっとそうであろう。3週間で子どもたちが学んだことは計り知れない。マリンワールドは,それは大きな遊園地であった。車を降りた私たちを50人乗りぐらいのトロッコ列車のようなバスが迎えに来た。まず,始めにウオータースライダーに乗ったが,その水のかぶり方もまさにアメリカ的でかなり豪快であった。次にシャチとイルカのショーを見に行ったが,これもまた豪快なショーであった。少し乾きかけたシャツもまたまた海水をかぶることとなった。昼食を食べ,午後からもいろいろなアトラクションに挑戦したが,とても楽しく行うことができた。気温は華氏100度を超え,カリフォルニアに来て最高の気温であったが,湿度が低いため日本ほどは暑く感じない。しかし,乾燥しているため水や飲み物が欠かせない。何度か水をかぶるアトラクションがあったため,熱中症から免れることができた。鹿児島で鍛えられているためか,子どもたちは暑さに強いようである。今日は一日十分に遊び,充実した一日であった。
 
8月14日(木)
私たちの楽しかったホームステイも学習する日はあと2日となった。子どもたちも寂びしさを感じているようである。今日は,昨日のマリンワールドの日記を書く作業を行った後,明日のさよならパーテイーの準備を行った。会場のセッテイングを行い,各ブースの準備,出し物の準備や練習と明日のパーテイーに向けて時間ぎりぎりまで行った。この3週間のお礼の気持ちを来訪者に伝えようと張り切っていた。Kyonosukeは空手の演武を,Mamiは習字をMasakiとTsuyoshiはアメリカンジョークを,NaotoはサッカーのショーをNaoakiとChihiroとKotaroは剣道の演武を行う。それぞれ十分にその力を発揮してくれることであろう。各ブースでは,折り紙,伝統的なおもちゃ,剣道,なわとび,習字,私もお茶を行う予定である。ホストファミリーの来訪者が体験できるようにした。こちらも,おそらく喜んでもらえるものと期待をしているところである。我々の文化を理解してもらうよい機会であり,文化交流の最大のイベントと位置付け,頑張ってもらいたい。
 
8月15日(金)
いよいよ最終日。登校後皆を集め,CarWashやManege Sale SAYONARA Partyと午後8時過ぎまでかかりそうだが,最終日なので頑張っていこうと確認した。午前11時Car Washを行うために近くのFirst Foodの店まで移動した。Car Washは,何か目的を持った集団がその資金集めのため車を洗って資金を稼ぐものである。主に子どもたちが行うことから,日本でいう少年団等の空き瓶集めのようなものである。子どもたちの呼びかけに次々と車がやってきた。さすがボランテイアが浸透している国だと感心させられた。私たちは10数台の車を洗い,SAYONARA Partyの資金を得ることができた。このグループの子どもたちは,特にこのような体験的な活動を好み,男の子たちは特によく働いた。CHIのSuzeも子どもたちの働きぶりにいたく感心し,褒めてくれた。午後からはMannege Sale(ガレージセール)を行ったが,当日は29度を超える暑さで客足は今一つであった。3時過ぎには閉店し,6時からのPartyに備えることとした。SAYONARA Partyは,とてもすばらしいものだった。子どもたちは,それぞれ自分のもつ力を十二分に発揮し,拍手大喝采の連続であった。また,日本文化体験コーナーも大好評で,それぞれのブースで興味深げに話を聞いたり,実際に体験したりしていた。最後の大きなイベントを見事に大成功させた子どもたちに心から拍手を送るとともに,自分の力をこのような場で発揮することができたという事実に,子どもたちの成長を見たように感じた。3週間のホームステイを終え私たちは帰国するが,その道のりは平坦なものばかりではなかった。概略的には,1週目は主にホームシックの課題。2週目は習慣の違いから生じる課題。3週目はホストファミリーへの思いと帰国。それぞれが,その時々に生じる困難,寂しさやもどかしさを乗り越え,日本の家族への思い・愛情,友情,信頼,国を超えて共通する大切なことなど多くのことを考え,学んだこの3週間であったように思う。このすばらしい経験が子どもたちのこれからの人生に生かされていくことであろう。

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