アメリカの小学校(わんぱく留学)・中学校(ジュニア留学)に、体験入学し、現地の児童と一緒に授業を受ける小学生のためのホームステイプログラムの現地からの活動報告です。

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2010年度 わんぱく留学/ジュニア留学 活動報告 

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Lacey 活動レポート 04月04日-05日 【写真】

朝食は7時半から8時半の間にとるように言っていたので、おそらくみんな7時ごろには起床したのだと思う。7時前に部屋を誰かがノックするので開けてみると、そこにはモエリとマリ(松)が。朝食の場所を尋ねに来たのだが、「朝食は7時半からだったですよね?」と、なぜだか腑に落ちない様子。私といえば、いつもの癖で早く目が覚めたんだろう、くらいにしか思っていなかったが、後から判明したことには、彼女たちの部屋の時計が1時間早くなっていて、7時半(彼女たちの中では7時半だが、実際は6時半)に朝食を食べに行ったら、誰もいなくて不安になったから私を訪ねてきたということだった。サマータイムに時間を1時間早めるときに、誤って2時間進めてしまったのか、不明だが、なんともアメリカらしいなぁ、と後でみんなで笑った。

朝食は、ビュッフェスタイルで、自分で焼くワッフルや、トースト、フルーツ、シリアルなどを、みんなお腹いっぱい食べていた。午前9時に、3台のホテルのシャトルバスに分乗して、シアトル空港へ出発。空港へは10分ほどで着いた。出発の時、成田でしたのと同じように、ここでも、セルフチェックイン(自動チェックイン機のタッチパネルの質問に答えていくと、搭乗券が機械から出てくる)をし、スーツケースを預けて、少し身軽になったところで、最後の集合写真を笑顔で撮った。みんな最初の頃に比べると、「アメリカ式、写真に笑顔で写る法」をマスターして、歯を見せ、とても良い笑顔ができるようになったと思う。

セキュリティーチェックを受ける場所がよく分からず、少し迷いはしたが、上着や靴の中までチェックを受け、27日と同じようにトラムに乗り、成田行きユナイテッド航空875便が出発するN10ゲートへ。そこで1時間ほど解散した。生徒たちは、このプログラム期間中、ほとんどお小遣いを使っていなかったので、ここぞとばかり、ショッピングを楽しんでいた。ハンバーガー屋さんで、自分たちの顔の大きさほどのハンバーガーを買って食べたり、某有名コーヒー店では、シアトル限定のカップを買ったり、私はというと、大好きなベーグルのクリームチーズサンドを食べ、大満足の1時間だった。

私達の飛行機は、定刻の午後1時29分ピッタリに、動き始めた。27日は満席だったが、今回は少し空席もあったようだ。機内では、私に1回だけ、静かにするように注意されたが、残りの時間は、みんな静かに映画を観たり、寝たりしていた。成田に到着したのも、定刻3時半ちょうど。それから入国審査、税関を抜け、ロビーに出ると、小学生のわんぱく留学のグループと合流し、リムジンバスで羽田空港へ向かった。羽田空港では、バタバタとチェックイン、セキュリティーチェックを抜け、私は福岡空港と大分空港へ向かう子たちと一緒に、搭乗口へ全力疾走。しかし、私の乗る鹿児島行きの搭乗口と彼らの搭乗口は空港の端と端だったので、彼らの搭乗口が見えるところまでしか一緒に行けなかった。ハグを急いでして、また彼らは搭乗口まで走って消えた。私は、180度向きをかえ、また全力疾走。鹿児島行きの飛行機は少し出発が遅れたため、やっと間に合ったが、やはり中年の体は若者とは違い、このレポートを書いている今(6日)も、まだ体が痛い・・・。

10日間という短いような長いような時間を共有できた33名の子どもたち、君たちと過ごせて、本当に楽しかった。全員が現地で病院に行くこともなく、元気に過ごせたことが、一番嬉しかったことで、君たちから、最後に「楽しかった。ありがとうございました」と笑顔で言われた瞬間が一番幸せだった時でした。こちらこそ、ありがとう。いつか再会できることを願っています。お世話になったホストファミリー、クリスティー先生やジェニファー先生、そしてChinook中学校やAspire中学校へは、必ず、お礼の手紙を書いて出してください。お願いします。

これで、2010年度ジュニア留学のレポートを終わります。保護者の皆様、数あるホームステイ業者から弊社を選んでくださったこと、弊社を信頼してお子様を預けてくださったことに感謝いたします。ありがとうございました。

2010年4月6日 ジュニア留学引率:小濱いずみ

 

Lacey 活動レポート 04月03日 【写真】

今、シアトル空港近くのホテルの一室で、このレポートを書いている。現在の時刻、午後10時すぎ。机を両側からはさんで、私の前では一緒の部屋のヒロミがジュニア留学の感想文を書いている。

今日は集合時間の午後7時まで、みんなそれぞれのホストファミリーと一緒に最後の時間を過ごした。シアトル観光に連れて行った子、ショッピングに行った子、雨の中、魚釣りに行った子など、最後の最後までホストファミリーは生徒たちを楽しませようと、いろいろ計画してくれたようだ。

午後7時少し前に、集合場所のChinook中学校へ行くと、半分くらいの生徒とホストファミリーが、もうすでにカラフルなスーツケースを持って集まっていた。これからホテルへ向かうバスもスタンバイしていて、到着した順番に、スーツケースをバスのトランクへ積みこんだ。生徒たちの多くは、ホストファミリーとの別れを前に、号泣。ホストシスターやブラザーたちも、大きな目を真っ赤にしていた。できるだけ多くのホストファミリーにお礼を言おうと、あちこちを周ったが、どの子のホストファミリーも涙を流しながら、「帰したくない。この子をここに連れてきてくれて、本当にありがとう」と逆にお礼を言われてしまった。ボランティアで異国からやってきた見知らぬ子をホストするということは、とてもエネルギーや忍耐力がいる。ほとんどのホストファミリーは共働きの上、自分の子供たちの習い事などの送り迎えや、学校のボランティアなどでとても忙しくしている。そんな中、日本の生徒たちを受け入れてくれ、その体験を積極的に楽しもうとする姿は、見習いたいものである。生徒たちも、一週間という短い時間ではあったが、異国の全く自分の知らない家庭で家族の一員として生活するという体験は、何にも変えられない宝、そして未来への力となるだろうと思う。

バスに乗るように生徒に言って周ると、泣き声はさらに大きくなり、「バスに乗りたくない」という声も聞かれた。それでも、私やTCにうながされ、生徒たちはホストファミリーと固くハグし、再会を約束し、バスに乗り込んだ。バスの外では、ホストファミリーが一生懸命、バスの中の生徒に手を振り、生徒たちも泣きながら手を振り返していた。バスが出発すると、ホストブラザーや学校のバディたちの中には、バスの横を走って追いかけてくる子もいた。この子たちの間に芽生えた友情は、きっと再会が何年後になっても、永遠に続いていくことだろう。

バスの中では、しばらく泣き声が聞こえていたが、その内落ち着いた。リーダーシップのクラスの子どもたちが私達のために「Welcome to Chinook」と書かれた黄色の大きな看板を作ってくれ、昨日の全校集会で体育館に掲げてくれていたのだが、その黄色い紙を私が34等分に切って、みんなにバスの中で渡した。この紙は、みんなのスクラップブックの中に貼って、これを見たら、33+1(私)で一週間がんばったことを思い出してほしい。

ホテルには小一時間ほどで着いた。二人で一部屋に泊まる。私が日本にいる間にあらかじめ決めておいた部屋割りだったので、仲の良い友達と一緒になれなかった子も多いと思うが、この機会に別の子とも友達になってほしい。今夜ホテルでみんながすることは、感想文を書くこと、シャワーを浴びること、そして寝ることだけ。明日の朝は朝食をみんなで食べて、空港へ向かう。さっきまでは、「どうやったら、お風呂の水をはかすことができるのか分からない」「お湯はどうやったら出るのか」「水が飲みたいけど、廊下の自動販売機で買っていいか」など、あちこちの部屋から電話がかかってきていたが、今は落ち着いている。そろそろ、みんな眠くなったころだと思う。

保護者の皆様、明日、羽田からきちんとみんなを飛行機に乗せますので、もうしばらくお待ちください。

 

Lacey 活動レポート 04月02日 【写真】

現在、夜の11時すぎ。無事にさよならパーティーを終え、安堵とさみしさが入り交ざった複雑な心境で、パソコンに向かっている。

Chinook中学校で過ごす最後の日。今日は朝から強い雨が降っていた。私達がレイシーに到着してから、雨の降らない日はなかったのではないだろうか。もちろん雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせた日もあったが、ほとんどは雨か曇りだったと思う。気温は10度前後だったのだが、体感温度はそれほど寒くはなかった。生徒の中には、校内では半そでで過ごす子もいたほどだ。

今日は9時20分から3時30分の6時限まで、みっちりバディと過ごした。今日は、授業の一環で州議事堂へ行くバディもいたので、いつもと違うバディと過ごす生徒もいた。また、学校の行事で「小さな子どものような格好をする日」だったので、パジャマで登校したり、ぬいぐるみを抱えていたり、左右ちぐはぐの靴下を履いていたりする子が多かった。中には、抱えてきたぬいぐるみをプレゼントされた日本の生徒もいたようだ。言葉の壁はあったとしても、心と心のふれあいで、ちゃんと生徒たちは通じ合っていたのだと思う。

生徒たちはいつものように、授業を受けたり、ランチをとったりして過ごしたが、私とTCは夜に行われるさよならパーティーの準備でバタバタしているうちに、あっという間に3時30分になってしまった。さて、普段は3時30分からの20分間は、日本でいうところのホームルームのような時間なのだが、今日は、春休み前の(来週は春休みで学校は休み)、そして私達、日本の留学生のためのAssembly(全校集会)が開かれた。こちらの全校集会は、日本の集会とは違って、マイクパフォーマンスも派手で、音楽をガンガンかけて、生徒たちも叫ぶ。ちょっとしたカルチャーショックを受けたと思う。アメリカ人生徒に紹介され、マリ(松)がMCとして私達を紹介する。今朝、私から急に頼まれたのに、700人の全校生徒を前にも臆することなく、立派にMCをしてくれた。感謝。いただいた5分間で、縄跳びと長縄跳び、剣道を紹介し、みんなから大きな拍手をもらった。きっと、鳥肌がたったのは、私だけではないと思う。最後に、サプライズで、中学校から生徒たちにはChinook中学校のTシャツ、そして私には中学校のパーカーをいただいた。男の子の中には、その場でTシャツを着る子もいた。私達を無償で受け入れ、私の度重なる授業の訪問、そして、(時には邪魔であっただろうに)写真撮影も許可してくださった上に、プレゼントまで。本当にどんなに感謝しても感謝しつくせない。全てが終了した後に校長先生と話をしたが、また来年もぜひ来て欲しいと言ってくださった。Chinook中学校の生徒にも、とてもよい刺激になるからと。こう言っていただけるのも、全て、今年のジュニア留学の生徒たちが、一生懸命、ここでがんばった証と思う。全校集会が終わると、日本の生徒の周りには人だかりができ、泣いているバディもいた。また、この子たちが、いつか近い将来、再会できるといいなと思う。

全校集会の後は、そのまま学校に残り、カフェテリアでさよならパーティーの準備と練習。ここで、なんと(浴衣を着たエリ以外の)みんなが、先ほど学校からいただいた紫色のTシャツに着替えた。私やTCが提案したわけではなく、自然とみんながこのような形で中学校に感謝の気持ちを表してくれたことを、とても嬉しく思った。ちょうど校長先生が通りかかったので、一緒に記念撮影をお願いしたが、校長先生も、Tシャツに着替えている生徒たちを見て、とても喜んでいた。(校長先生と一緒の写真に数名が写っていないのは、着替えに行っていて間に合わなかったからです。みんな、元気に登校しています!) まず、このプログラムのアンケートを書き、その後、パーティーの出し物を決めたのだが、みんな、それぞれがちゃんと自分が披露したいものを考えてきてくれていたので、盛りだくさんの内容になった。その後、各自で練習時間を設け、TCが用意してくれたピザとサラダの夕食をもりもり食べ、さよならパーティーの会場作り。そして、7時ギリギリまでリハーサル。みんなが協力してくれたので、時間きっちりにさよならパーティーをスタートさせることができた。

さよならパーティーでは、エリが司会進行をしてくれた。彼女は、最年長で、私の言うことをよく理解してくれ協力してくれる子で、この子がこのグループにいてくれて、私は本当に助かった。生徒たちは、ピアノを弾いたり、マジックをしたり、リコーダーやクラリネットを吹いたり、剣道を見せたり、縄跳びを見せたり、歌を歌ったり、ダンスをしたり、リフティングを見せたり、相撲やおはら節まで披露してくれた。みんな恥ずかしがることなく、堂々と胸を張ってやってくれたので、ホストファミリーからも大きな拍手をいただいた。ホストファミリーは、自分のホストしている子の番になると、口笛を吹いたり、歓声を上げたりして、喜ぶ。ホストファミリーにとっても、みんながそれぞれの「自慢の子」になったのだろう。そういえば、今夜、ホストファミリーにとても人気があったのは、ソウタの「ムーンウォーク」。何回もアンコールでやっていた。マイケル・ジャクソンも真っ青なぐらい上手だった!

出し物が終わると、TCのクリスティーとジェニファーから生徒一人一人に修了証書が手渡された。その時、日本から持参したTCへのプレゼントも、それぞれが手渡した。生徒たちは、自分たちの修了証書を受け取った後、ホストファミリーの修了証書を家族へ手渡しに行ったのだが、多くの子たちがホストファミリーにハグされると感極まって泣いていた。チアキのホストファザーは「明日の集合時間にはチアキは来ないからね。ずっとここにいるんだから」と私に笑いながら言っていた。チアキだけでなく、他のどの子のホストファミリーと話をしても、「短すぎる」「まだまだ一緒にいろんなことをしたかった」「このままここにいて欲しい」といったような言葉をいただいた。これは、家庭内でみんなががんばった証拠。

修了証書を手渡された後は、TCのジェニファーが作ってくれたスライドショーを見ながら、ケーキや日本から持参したお菓子をみんなで食べ、後片付けをみんなでして、終了。今夜と明日の集合時間までは、これまで自分たちにホストファミリーがしてくれたことに感謝し、今度は自分が何をホストファミリーにしてあげられるか考えながら過ごすように伝え、解散した。今日すでに、みんな号泣していたのに、明日の別れの時間はどうなることやら。最後の一日をしっかり楽しんで、明日元気な顔を見せてほしいと思う。それにしても、パーティーのために、TCのクリスティーとジェニファーは、あちこちを走り回っていろんな道具を集めてくれた。二人には本当に感謝している。彼女たちとも、明日ホテルでお別れ。最後にみんなできちんとお礼を言って別れようと思う。

 

Lacey 活動レポート 04月01日 【写真】

今日は、エイプリルフール。数日前からはりきって計画を立てていた私は、朝からTCの息子さんに借りたギプスを左腕にはめ、肩から左腕をつって登校した。生徒から左腕について聞かれれば、「昨日の放課後に、TCのクリスティーの家にあるトランポリンで、久しぶりに飛び跳ねて遊んでいたら、あやまって滑って落ちて、左腕を骨折してしまった」と説明していた。生徒たちは、大笑いする者あり、心配してくれる子あり、荷物を持ってくれる子あり、自分が骨折した時のことを説明してくれる子までいた。今日は一日中、骨折したふりをしていたので、アメリカの子供たちも私を見て気の毒そうにしていた。私が、真実を話したのは、今日の活動の最後。みんなを静かにさせた後に、おもむろにギプスをとり、手首をぐりぐり回すと、みんなから「もう治ったの?」という声。そこで私が「今日は何日だっけ?」と笑いながら言うと、みんなから一斉にブーイングの嵐。ほとんどの子は「やられたー!」と大笑いしていた。みんなに、ユーモアを楽しむ余裕があってよかった。

さて、今日はいつもとは少し違う一日になった。昨日のレポートの最後に書いたように、ホストシスターやブラザーが近くのAspire中学校に通っている9名(ケンタ、トモヒロ、ジュン、チホ、アヤネ、ミナ、チハル(今)、マリ(久)、メイ)は、今日の午前中はこの中学校で過ごす。Aspire中学校は主に音楽や美術などに力を入れている学校で、全校生徒300名ほどの割と小さな学校だった。今日は、学校の行事で「Backwards Day」と言って、何でもかんでも逆に過ごす日で、例えば服も後ろと前を逆に着て、時間割もいつもと逆といった具合で、生徒たちはとても楽しんでいたようだった。残りの生徒たちは、いつも通りChinook中学校でバディと共に午前中を過ごし、1時半に全員がChinook中学校へ集合した。

午後に向かったのは、Pleasant Glade Elementary School。この小学校では、幼稚園生から6年生までの400人余りの子供たちが勉強している。今日はこの学校の3年生の4クラスに時間をもらって、日本から持参した新聞紙でカブトを作ってあげたり、折り紙で鶴を折ってあげたり、墨と筆で子供たちの名前を書いてあげたりした。ただし、日本の生徒は折り紙を教えるのにも、どう説明したら通じるのかわからず、四苦八苦していた。3年生は8歳と9歳の子供たちで、とてもかわいく、日本の生徒たちも1時間しかない交流の時間が短すぎると感じていたようだった。小学生も私達を歓迎してくれ、教えてもらいながら一生懸命折った鶴や新聞紙で作ったカブトを手に、ニコニコ顔で得意げに帰っていった。きっと、今夜は日本の生徒たちとの交流が夕食の話題にのぼることだろう。

小学校からChinook中学校までは、歩いても15分ぐらいの距離だが、雨が降っていたこともあり、ホストファミリーの協力をもらって、車で中学校まで戻った。帰りのバスの時間までの約1時間は、明日の授業の最後に予定されている全校集会での自分たちの発表の練習をした。歌の練習の時にふざける男子もいて、私からきつく叱られ、ふざけていた子たちだけで歌わせるという罰を与えられたりもしたので、「やる時はやる。失敗してもいいから、恥ずかしがらないでやる。そうでないと、かっこ悪い。間違っても堂々とやる」ということを、しつこく何度も生徒に言い聞かせた。明日は、最後の登校日。そして、夜にはさよならパーティー。最後に胸をはって、堂々と自分のできることを披露してほしい。

今日も、無事にみんなスクールバスに乗り込み、帰宅。マリ(松)は、危うく乗り遅れるところだったが、走って、やっと間に合った。とにかく、終業のベルからバスが発車するまでの5分間は、毎日が戦いですが、みんな元気です。心配されませんように。

 

Lacey 活動レポート 03月31日 【写真】

学校3日目。今日も、みんな元気にスクールバスやホストファミリーの車で時間通りに登校してきた。私に名前を告げて、日記を提出し、バディと一緒になれた様子でそれぞれの授業に散っていく。子どもってたくましいなぁ、適応力あるなぁ、とつくづく思う。

さて、今日もいつものようにバディと一緒に授業を受ける。数学や体育の授業、そして理科も微妙ではあるが、理解できるようだが、社会や英語の授業は全く分からないようで、ぽかーんとした顔をしていた。理解できないことを、ひどく悔やむ子もいるが、わからなくて当たり前、雰囲気だけでも味わえれば、それで十分だと言って聞かせた。今日は、午後から州議事堂の見学に行くため、みんながファーストランチの時間に昼食。もともと自分のバディがファーストランチの子たちはいつも通りだが、バディがセカンドランチの子たちは、バディは4時間目の授業へ、自分たちはカフェテリアへの移動と、バディと別行動になったが、みんな迷うことなく、ちゃんとカフェテリアで昼食をとっていた。ここシヌック中学校は、大きな学校で、現在校舎の一部の改装工事をしていて、来年には新しい校舎が完成する。とにかく、たくさんの教室があるため、日本の子どもたちを探して周るのも一苦労。全員の日記をチェックするのに2時間、そして、写真を撮って回るのに1時間。これで午前中は終了。全員の授業中の写真を十分に撮れていないのが、少し残念だ。

午後は、6台の車(ホストファミリーが協力して車を出してくれる。ボランティアで子どもたちを泊めてくれているだけでなく、こんなにもプログラムの運営に協力してくれる。とても、とてもありがたいことだ)に分乗して、シヌック中学校から20分位の場所にある、ワシントン州の州議事堂と知事公邸を見学しに行った。州議事堂は、荘厳で、内部のシャンデリアや装飾にため息をつき、傍聴席から上院会議場を見下ろし、その厳粛さに驚いた。嬉しかったのは、州議事堂の中では普段どおりの公務が行われているので、静かにするようにと注意して中に入ったのだが、そのことを忘れて、ついつい友達とおしゃべりをしたりする子がいると、仲間が「しーっ」と私に代わって注意をしてくれたこと。仲間内で注意しあうことに抵抗のある子もいると思うが、みんなが自覚を持って、グループをまとめようとしていることの表れのようで嬉しく思った。

州議事堂見学の後は、2つのグループに分かれて、知事公邸の見学。前もって生徒の名前のリストを提出していたのだが、18歳以上の者はパスポートや顔写真入りのIDで身元確認され、玄関のドアの外に荷物やカメラを置き、やっと中に入ることができた。この建物の中に、実際に現在の知事一家が住んでいることもあり、セキュリティーはとても厳重で、写真撮影は禁止されていた。もちろん、知事(現在の知事は女性ということに、みんな驚いていた)に会うこともできなかったが、唯一、知事一家のペットで、トゥルーパーという名前の柴犬には会うことができた。公邸の中は、知事のお客様用の泊まる部屋や食事を取る部屋などを見学することができたが、あまりにも豪華で、そして、調度品は古く価値のあるものだったので、みんな「このお客様用のベッドでは、絶対寝られないよね。汚さないか気になって。ベッドの下の床に寝袋で寝たほうが、絶対にぐっすり寝られるはず」と言っていた。公邸では、専属のガイドさんが説明をしてくれたのだが、昨日の消防署とは違い、みんな積極的に質問をしていた。最後に、訪問者リスト(分厚い本のようになっていた)に自分の名前を日本語と英語で書き込み、見学終了。この訪問者リストは永遠にここで保管されるので、10年後、20年後にまた訪問したら、自分の名前をリストの中に見ることができるだろう。アメリカの、ワシントン州の、この場所に来たという、良い記念と証になったのではないかと思う。

公邸から車を停めた場所まで歩き、6台の車に分乗してシヌック中学校まで戻り、終業のベルとともにものすごい勢いで飛び出てくる生徒たちの一群からホストシスターやブラザーを探し(というか、実際は、ホストシスターやブラザーが日本の生徒たちを見つけて、自分たちのスクールバスに引っ張っていく、という感じ)バスで帰宅。みんながいなくなると、私やTCは、ふーっと大きなため息をひとつ。そして、今日も無事に一日が終了した。

明日は、少しスケジュールを変えて、ホストブラザーやシスターがシヌック中学校でなく、近くのアスパイヤー中学校に通っている子9名は、午前中はそちらの中学校で過ごすことになった。そして、マリ(松)は、ホストシスターの通う高校を午前中訪問する。さて、この子たちは、新しい学校でどんな体験をするのか楽しみである。

保護者の皆様、みんな元気に楽しんでますので、ご心配なく!

 

Lacey 活動レポート 03月30日 【写真】

放課後がやってきて、嵐のように、みんな自分の家に帰って行った。昨日もそうだったが、3時50分の就業のベルが鳴って、700人超の生徒たちが一斉に10数台のスクールバスに乗りこむ様子は、まるで嵐がやってきて、暴風に巻き込まれたかと思った瞬間に、サーっと去っていくようで、しっかりと踏ん張っていなければ、人の流れに押されて自分もスクールバスにいつのまにか乗せられそうな勢いだ。せっかくのスクールバス体験なので、写真を撮ろうとカメラを構えるのだが、ここ二日は無駄な努力に終わっている。でも、生徒たちは、ちゃんと自分が誰と、どのバスに乗って帰ればよいかを分かっていて、あれよあれよという間に、スクールバスの中に消えていき、残ったのはホストファザー(シヌック中学校のオーケストラの先生)と一緒に車で帰るモエリと、クリスティー先生のお宅にホームステイしているユウキだけ。一瞬の出来事だが、なんとか今日も無事にみんなを見送って一安心といった感じだ。

さて、学校2日目。今日もアメリカ人のバディとペアで各授業を回った。生徒たちは慣れたもので、だいたい次の授業の教室も分かるようになっていたし(アメリカでは毎日同じ時間割の授業を毎日繰り返し受ける)、名前を覚えてくれた友達もたくさんできている。アメリカ人の生徒にしても、日本の子どもたちがいることになれたようで、休み時間やランチタイムには、積極的に話しかけてくれていた。授業は、昨日と同じように、社会や音楽、体育や理科など、バディが通常受ける授業を同じようにShadow(影のように、同じように体験する)する。社会など、難しい授業は、(後で聞いたら)やはり、睡魔との闘いのようだ。

ランチタイムは、家からお弁当を持ってきた子と、カフェテリアのランチを買う子の両方がいたが、カフェテリアの使い方も覚え、30分間しかないランチタイムで、たくさん食べ、たくさんおしゃべりをし、楽しんでいたようだった。

午後は、消防署見学。TCの二人の先生とホストファミリー数名の協力を得て、近くの消防署まで車で送ってもらった。この消防署は4年半前に建てられたもので、比較的新しく規模の大きいものだった。消防署では、33人のグループを2つに分け、私のグループとRyota(MNCCの1年間の高校留学で中学校の隣にある高校に現在留学中の生徒で、今日はボランティアで手伝いに来てくれた)のグループに分かれて、説明を受けた。(よって、Ryotaのグループの子の写真はほとんど撮れてません。)消防服を着せてもらったり、質問をさせてもらったり、署内を案内してもらったりしたのだが、「質問は?」と聞いても、トモヒロが質問しただけで、他の子からは手が挙がらなかったのが、残念なことだった。また、消防士の方が一生懸命説明をしてくださっているのに、私語をしたりざわついたりしたのは、とても失礼だったと思う。この後、私から生徒たちは、中高生であることの自覚を持つようにと、強く注意をされたのは言うまでもない。「ボランティア」でホストファミリーがお世話してくださっていることや、「ボランティア」で消防署の案内をしてくださっていることなど、無償でいろんなことをしていただいていることの意味をもう少し考えてほしいと思う午後だった。最後に、この消防署のステッカーを一枚ずついただき、生徒たちは大満足だったのではないかと思う。この後、スクールバスの時間まで少し時間があったので、金曜日の全校集会の時にもらえる5分間で、どんな日本の文化を紹介しようか、受け入れをしてくださったシヌック中学校にどう恩返しをしようかと話し合いを持ったのだが、ここでは、みんなが積極的に発言をしてくれ、助かった。700人を超える生徒の前で、緊張もすると思うが、きっとうまくいくと思う。

消防署へ来た時と同じように、車に分乗して学校へ。そして、文頭のスクールバスの嵐に飲まれて、今日も終了。みんな今日も元気で一日を過ごせたことに感謝して、明日もがんばろうと思う。

 

Lacey 活動レポート 03月29日 【写真】

休みを一日はさんでの初登校日。みんながどんな顔でやってくるのだろうと、ワクワクしていたが、ものすごくバタバタしていて、話す時間もあまりなかった。生徒たちのほとんどは、スクールバスでホストブラザーやホストシスター、それに同じ中学校に通っている子が家庭内にいない子たちは、近所に住む「スクールバス・バディ」と、よくアメリカの映画などに出てくる黄色のスクールバスでやってきた。バスが到着するたびに、集合場所の部屋に、どやどやと日本の生徒たちや、この学校にホストシスターやブラザーのいない生徒のためのアメリカ人生徒の「バディ」(案内役、生徒たちは自分のバディについてまわり、同じ授業をこれから1週間受けることになっている)が押し寄せてくる。生徒一人一人の出欠を確認し、それぞれのバディ(ホストブラザーやシスターがこの学校の生徒の場合は、ホストブラザーやシスターがバディとなる)に日本の生徒を受け渡し終えると、ちょうど、始業のブザーが鳴った。集合は9時、授業開始は9時20分。ギリギリ間に合った。日本の生徒たちのバディになることは、とても名誉なことらしく、シヌック中学校のバディは、自分の生徒を誇らしげに自分の授業へと連れて消えた。中にはバディになりたく立候補したのだが、希望者の数が多すぎてバディになれなかった子もいて、その子たちは日本の子どもたちに果敢に話しかけていた。

さて、授業が始まると、写真撮影開始。なんとか33人分全員の授業風景を撮ろうと、名簿とペンを片手に校内を時間いっぱい歩き回った。今日は、午前9時20分から午後3時50分の終業のベルが鳴るまで、みっちりバディとの授業。アメリカの歴史の授業や数学、科学、木工や音楽、リーダーシップのクラス、体育など、ほとんどの時間は、ぽかーんと口を開けて聞くしかなかったが、バディが一生懸命、日本の子どもたちに授業内容を説明し、クラスに溶け込ませようとしていたのは、見ていて、とても温かいものを感じた。高校生の参加者には数学の問題など簡単だったようで、先生が口頭でする説明は分からないようだったが、プリントに書かれた計算問題などはスラスラ解けていた。

この学校は学校を二分して2つのランチタイムを設けている。ファーストランチとセカンドランチといって、ファーストランチの生徒たちが昼食を食べている間、セカンドランチの子たちは4時間目の授業を受け、セカンドランチが始まるとファーストランチの子たちは4時間目を受けるといった具合だ。日本の生徒たちは、自分のバディのランチの時間に合わせて昼食をカフェテリアでとることになっている。お弁当を作って持ってきた子、学校のランチを買った子(今日のメニューはピザ)、牛乳だけ買った子などさまざまだったが、みんなランチの時間に、アメリカの友達とやっと打ち解けた感じがした。

ランチの後は、3時50分まで、バディと一緒にそれぞれ授業を受け、帰宅。帰宅する時も、バスに乗り遅れまいと、すさまじい勢いでバディと一緒に帰っていった。今日が登校初日だというのに、もうみんな慣れたもので、これまでもずっとそうであったかのような平気な顔をして、アメリカ人の子どもたちに混ざってバスに乗り込んでいく姿は、本当にたくましく見えた。今日は授業、授業、授業で、あまりみんなと話をする時間がなかったが、それでも、みんな元気に楽しく生活しているようだ。みんな元気にアメリカの生活を楽しんでいます。ご心配なく!

 

Lacey 活動レポート 03月27日 【写真】

さあ、いよいよ2010年度のジュニア留学の始まりです。春休み最初の週末とあって、全員が集合した羽田空港は、利用客で大変な込みようだった。鹿児島から17名、宮崎から4名、大分から7名、佐賀から4名、そして熊本から1名の総勢33名の今年のグループ。私は引率者として、大きなグループだったため、きちんとまとめきるか心配しながらの旅立ちだったが、高校生の班長6名が自分たちのグループのメンバーの顔をすぐに覚え、要所要所で人数確認を積極的にしてくれたこともあり、無事に初日を終えることができたと思う。この高校生6名には、これからプログラム終了日まで、中学生の良い手本となってほしいし、本人たちにも「自分たちは高校生なんだ」という自覚が見られる。あまり気負うことなく、がんばってもらえたらと話した。定刻に若干遅れる便もあったが、だいたい予定通りに全員が羽田に降り立ち、小学生のわんぱく留学参加者と一緒に、貸切バスで成田へ移動した。道中は、保護者が持たせてくれたお弁当を食べ、車窓から見えるフジテレビやディズニーランドに興奮し、私がマイクで話す注意事項にもよく聞き入り、こちらからの問いかけにも間髪いれずに大きな声で受け答えをしていた。この時のみんなの反応や、明るい笑顔を見て、ホームステイはうまくいくだろうと確信した。成田空港に到着して、ユナイテッド航空の団体チェックインカウンターでチェックイン。自動チェックイン機を利用するよう指示されたため、少し時間はかかったが、良い勉強になったと思う。出国審査も何の問題もなく通過し、登場口へ。ユナイテッド航空876便の搭乗時間まで少し余裕があったので、1時間ほど解散した。

決められた集合時間に全員がきっちり集合し、いよいよ搭乗。定刻17時30分ちょうどに、飛行機は動きだした。機内では、事前に注意していたこともあり、うろうろしたり騒ぐこともなく、自分の席に座り、映画を見たり、2度の食事をしたり、寝たりして過ごしていた。私は、おそらく緊張からか、飛行機に酔ってしまい、備え付けの嘔吐袋を手放せず情けない時間を過ごしたが、生徒たちは全員酔うこともなく、食事もきれいに平らげていたようだったし、あんなに狭い座席の上でもよく眠っていた。若いって適応力があってすばらしいなと、一人さみしく思った・・・。成田空港から正味飛行時間は7時間半くらいだったと思うが、予定到着時刻の10時よりも30分ほど早くシアトル空港に到着した。入国審査も英語と日本語を混ぜながらも、なんとか全員が自分一人の力で乗り切り、ホッとした様子であった。メイは、「Any food?って聞かれたから、飛行機の中で何か食べたのか、と聞かれたと思って、Yes!って答えたら、日本語で、食べ物持ってますか?って言い直された。ホストファミリーともこんな感じなのかな〜」と言っていたのでみんなで大笑いした。こういう勘違いを、全員がこれからきっとたくさんすると思うが、身振り手振りと顔の表情などで、きっとたくましく意思疎通をしていくことだろう。

税関を抜け、トラムに乗ってメインターミナルまで行くと、そこには、TCのクリスティー先生とジェニファー先生、そして2人の上司であるゲイルさんが待ってくれていた。生徒たちは、この3人の明るさにひるむことなく、積極的に自己紹介をしたり、自分のホストファミリーの名前の読み方を聞いたりしていた。飛行機の到着時刻が早かったため、バスが来るまで少し時間があったので、初めての全体写真を撮ったり、各自が自分の自己紹介をみんなの前で一人ずつしたりした。バスでシアトル空港から滞在地のレイシーまで約1時間。バスの中ではリラックスしつつも、この後に控えているホストファミリーとの対面に緊張し、クリスティー先生が外の景色を説明する声もみんなの耳には届いていなかったのではないだろうか。これから1週間通うChinook Middle School(シヌック中学校)に到着し、オリエンテーションとウェルカムパーティーの行われるカフェテリアへゴロゴロとスーツケースを押していったのだが、この辺りから、みんなの顔がこわばってきて、足取りが重くなってきた。オリエンテーションでは、これから1週間のスケジュールの説明やホームステイで大切なことなどの説明をし、私も、1週間しかない限られた時間を楽しくするのは自分の心がまえ一つで決まること、自分がどんと家族の中に飛び込んでいくことがどんなに大切であるかを話させてもらった。みんな真剣に聞いてくれていたので、今年の生徒たちは、きっとやってくれると思う。

さて、午後1時になると、ホストファミリーがぞろぞろと部屋へ入ってきた。生徒たちの緊張はピークに達し、ホストファミリーの仕事などの都合でウェルカムパーティーに来られないと私に告げられたエミとカンタは、ものすごくホッとしていた・・・。(しかしこの直後、カンタのホストファミリーは結局間に合い、カンタは緊張することになるのだが・・・。)エミは、トモミのホストファミリーの家に一緒に帰り、そこへ今日、ホストファミリーが迎えにきてくれることになっている。

ウェルカムパーティーでは、できるだけ全員のホストファミリーと話をして、写真を撮ろうと走り回ったのだが、なにせ33人の大所帯。すみません、何人かの写真を撮ることができませんでした。ユリマリ姉妹のホストマザーと高校生のホストシスターは、プロのピエロで、誕生会などに呼ばれて行って仕事をしたりしているのだが、今日は、特別に、ウェルカムパーティーにもピエロの格好で来てくれ、風船で動物や花や剣などを作ってくれた。日本の生徒たちはもちろんだが、たくさんいるホストファミリーの子どもたちも大喜びで、パーティーを盛り上げてくれていた。パーティーの途中で、ヒカリが「クラリネットを持ってきていることを伝えるにはどう言えばいいのか」と聞いてきたので、完全な文章で言う必要なんて何もない、Clarinetという単語と吹いている様子のジェスチャーをすれば伝わるんだよと教えると、その通りにし、ちゃんとホストシスターに伝わっていた。小学生と違って、中高生になると、「間違えたらいけない」とか、「間違えたら恥ずかしい」という気持ちがあり、なかなか自分の言いたいことを伝えられずにいるようだ。

ここはアメリカ、そして私達は日本人。完璧な英語を話す必要なんてどこにもないことを、早めに、本当の意味で理解して、残りの生活を楽しんでほしい。今日は、土曜日なのでウェルカムパーティーも早めに行い、午後3時には全員がホストファミリーと帰宅した。帰り際に「がんばれー」と一人ずつに声をかけたが、みんなが笑顔で「大丈夫、がんばります」と答えてくれた。ホストファミリーと対面する直前に緊張から腹痛を訴えた子がいたが、その子もパーティーから帰る頃には笑顔が戻っていた。きっと大丈夫だと思う。明日は日曜日。今夜はゆっくり休んで、明日は楽しくホストファミリーと過ごして、元気な顔を月曜日に見せて欲しいと思う。保護者の皆様、みんな元気ですので、心配されませんように。

 


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