いよいよお別れの朝。朝は7時過ぎからスタディーセンターにみんな家族と集まってくる。中には仕事で先に帰らないといけないファミリーもいたが、いくつかの家族は最後まで見送ってくれた。車から降りてくる時点で泣いている生徒がいれば別れ際に泣き始める生徒、なんとか涙をこらえている生徒やホストブラザーが泣き出した生徒など。いつもの元気な姿はあまり無く、みんな別れを目の前にして信じられない気持ち、もっと長く居たい気持ち、悲しい気持ちと戦っている様子だ。生徒が泣いている姿を見ると私は必ずもらい泣きをしてしまう。自分が14年前の夏に味わったあの悲しい気持ちを思い出すからだ。私自身あの夏の別れほど辛いものはそれまでに感じたことがなかったと断言できる。自分の家族と生き別れするような気持ちだった。絶対いつかまたこの家族に会いに来る、今度会う時まではもっと英語話せるようになっておこうと強く思う生徒がきっと多いだろうが、本当にまたアメリカに来ることができるのかと現実的に考えると、もしかしたらこれでアメリカの家族と会うのは本当に最後かもしれないという気持ちがよぎり、不安になり、絶望的な気持ちになったものだ。生徒達それぞれが様々な気持ちを抱いて別れの夜や朝を過ごして集まっていたと思う。
生徒がみんな集まったらいよいよバスに乗って出発。泣きまくってファミリーの顔を直視できない生徒や、最後の最後まで手を振っていた生徒。この別れの時にみんなが感じた悲しさ、寂しさ、そして感謝の気持ちをずっと忘れずにいて欲しいと思う。ここからサンフランシスコ空港までは2時間半かかった。実は今日からサンフランシスコ市内まで繋がっている電車会社の従業員がストライキを起こすということで、いつも電車で通勤している多くの人が車で通勤して交通渋滞が予想されたため、今朝のスタディーセンターの集合時間が1時間早まった。しかし昨日の段階で両者がなんらかの条件に合意してストライキはキャンセルになったらしく、実際はそんなに渋滞していなかったのでスムーズに空港まで行けた。バスの中では西野さんがみんなにメッセージをくれたり、トラビスが日本語の歌を2曲歌ってくれたりした。空港に着くとすぐに搭乗手続きに入る。予想していたよりは人がまだ少い時間だったので、チェックインはそんなに長く待つ必要がなかったからよかった。ここでTCの先生とお別れだ。みんなでお金を集めて買ったプレゼントと署名入りのカードをここで渡す。記念写真をお互い撮ってから、1ヶ月毎日お世話になったリーシャとトラビスに別れの挨拶。二人とも本当にいろいろとお世話になった。心から感謝したい。
ここからは生徒と私だけになる。手荷物検査のところでは係の人がかなりピリピリしていて、ちょっとでも私達がダラダラ歩いていると厳しい声で指摘がある。靴やベルト、上着を脱いでセキュリティーを通る。成田行きの搭乗口を確認して1時間自由時間。ここには日本人が期待するお土産屋があるのでみんな買い物に励んでいる様子だった。集合時間を守ってくれてみんなで搭乗。ここで西野さんとお別れ。1ヶ月前にこの空港で会い、今日別れる。毎日一緒に活動を共にできてよかったと思う。成田までは10時間の飛行時間。みんな事前の注意事項を守ってくれて、騒がずあんまり歩き回らずに過ごしてくれた。ここでホームステイの感想文も書いてもらった。みんなはどんなことを感じ、学び、体験したのだろうか。読むのが楽しみだ。
成田に着いたのは日本時間午後4時。アメリカでは午前零時になる。さすがにみんな疲れているようだった。それぞれの荷物を取りホテルへ向かう。ここでは3人部屋に別れ一泊。翌朝羽田空港へのバス出発時間が早いため、就寝時間とホテルでの注意事項を伝え解散。部屋に荷物をおろした生徒のほとんどがホテル内のコンビニへ直行。1ヶ月振りの日本食やお菓子。食べたい物がたくさんありすぎて、決めるのに時間がかかった生徒が多かったようだ。寝るまでに何度かうるさくしている生徒を叱ることがあったが、就寝時間になるとみんな疲れからだと思うが意外と素直に寝ていたようだったので苦笑したのを覚えている。朝は早く目が覚めた生徒達がまた廊下で声を静めず話したり、お互いのドアをドンドンと叩くので朝の一声は「おはよう」ではなかった。でも1階ロビーの集合時間はみんな守ってくれて、ほぼ時間通りにホテルを出発できた。サヨナラパーティーの準備や本番の時と同じ様に、大事な時にはきちんと協力してくれるみんな。私にとっては本当にかわいい妹、弟のような存在である。
羽田には1時間ちょっとで着き、またそれぞれのスーツケースを持って搭乗手続きをする。生徒みんなが超過料金を払わずに済んだのでよかった。今年のローダイグループは様々な県からの参加者があり、今日は兵庫、鹿児島、大分、福岡、佐賀、長崎、熊本へとそれぞれが帰っていく。手荷物検査をしてゲートを確認してから仲間と最後の時間を過ごした。ここでも久し振りの日本の弁当やお菓子に手が出てしまう。時間差で去っていく友達を各ゲートで時にはまた泣きながら見送り、長崎のみんなと私は最後の飛行機を待つ。ここでみんなお揃いの携帯ストラップを買ったのが嬉しかった。長崎行きの飛行機に乗って、長崎の気温が31度だとのアナウンスがある。きっと他の県のみんなもこの蒸し暑さを肌で感じているだろう。日本に帰ってきて改めて感じるカリフォルニアの過ごしやすい気候。長崎の飛行機が羽田を出る頃には他の生徒達はだいたい目的地に着いているころだった。みんな家に帰り着くまで忘れ物が無いように、そして無事に帰ってくれたらと願う。
今まで春休みや冬休みの短期の引率はしたことがあったが、1ヶ月間というのは初めてだった。いつもよりも生徒達と過ごす時間が長く、ホストファミリーの人達とも仲良くなれた夏だった。これからそれぞれがそれぞれの場所で元の生活に戻る。ここ1〜2週間はほとんどのみんなが宿題に追われる忙しい日々を送ることになるだろうけど、まず日本とアメリカの家族に感謝の気持ちを表すことを忘れないように。そして繰り返しになるけど、アメリカで得て帰ってきたことと日本人としてみんなが培ってきたこと、この2つのバランスを考えながら模索しながらこれから頑張っていって欲しい。まずは9月の異文化体験報告会でみんなと会えることを楽しみに私も仕事に励みたいと思う。この1ヶ月みんなの成長振り、積極的な姿、すがすがしい笑顔を保護者の代わりに見ることができて本当に光栄だったし、誇らしかったよ。本当にありがとう。 |