活動写真・動画と、文章レポートを掲載します。上記バナーをクリックしてご覧ください。

レポート更新情報
更新日
期 間
8月18日
8月9日
8月8日
8月7日
8月4日
8月3日
8月2日
8月1日
7月31日
7月28日
今日は朝の6時に集合してポートランド空港に向かう予定である。しかし、6時になっても何人か来ていない。やはり、昨日「さよならパーティ」があって、興奮して眠れなかったのだろうか。その後、三々五々集まり始める。「この子たちはもうオレゴンには来ないのか。」あるホストファーザーに聞かれた。それだけ、この子たちが好きになったということだろう。また、ほかのホストマザーがこう言った。「この子たちをポケットに入れてキープしておきたい。」なんと優しい人たちだろうか。ホストファミリーと最後の写真を撮り、ハグした後、手を振って別れる子どもたちだった。
6時になる前からMNCCの西村さんとマーシャル先生とダレルさんが来ていた。そこにベッキー先生も。Sora君がスターバックスのカップを落として割ってしまったとき、ベッキー先生は店に連絡して、新しいカップが手に入れられるように手配してくれていた。日本では自分が落として割っても、次の物が無償でもらえることはまずない。その上、昨日が最終日だったから、間に合わないと思って諦めるのが普通である。でも、ベッキー先生は諦めなかった。電話をかけて、相手と交渉して、新しいカップを受け取りに行ってくれた。温かい心をもっている人である。日本人も礼儀正しい、親切だと言われるが、国民性の問題ではないのかもしれない。相手の気持ちをどれだけ想像することができるか、それは英語の力以上に大切なことだ。たぶん、モンマスグループの小学生は、全員がベッキー先生、そしてブレンダ先生の心の温かさを感じ取っているだろう。ベッキー先生とブレンダ先生と最後の挨拶をしてバスに乗り込んだ。
8時前に空港に着いた。搭乗するのは12時24分のデルタ航空の飛行機だ。液体を所持しているかどうかを念入りに確認し、パスポートを配った。ここから、自分の持ち物は自分で管理しなければならない。ここまでは周囲に複数の大人がいたから、安全であるのが当たり前だった。しかし、セキュリティゲートの中では、大人はPAが一人。空港にはどんな人がいるかわからない。セキュリティゲートに入る前に、西村さんに何回も言われていた。「パスポートを必ず持っているか確認をすること。二人以上で行動すること。」
セキュリティゲートをくぐって中へ。このとき、誰かが言った。「先生、西村さんは?」西村さんは小学生グループのことが心配だったので、空港まで一緒に来てくれたのだ。本当は空港に来る予定ではなかったのだ。わかっていないね、君たち。さあ気を引き締めよう、と考えているPAの思いをよそに、子どもたちは最後に残ったお金で「お寿司」を食べていた。その後「ラーメン」を食べている強者もいた。絶句する。12時24分出発のはずなのに、さっそく遅延のお知らせが。13時に変更になった。油断できない。外国ではよくあることだが、モニターを見て、放送に耳を傾けておかなければならない。搭乗口はどこだろうと、チケットを見ても「モニターを見る」と書いてあるだけだった。つまり、出発ぎりぎりまで何があるかわからない。子どもたちはまだまだ散策したい様子だったが、以上の理由で11時に搭乗口D11の前に集まる約束をした。それまでの間に「このホームステイで自分が変わったこと」「仲間へのメッセージ」を書いた。ホームステイのまとめになる「感想文」をここでもう書いている人たちもいた。飛行機の中でも書けるのだが、先の見通しを立てることができるようになったということだろうか。この感想文はモンマス小学生グループの文集の記事になる。完成が楽しみである。
13時になった。まだ搭乗案内の放送がない。本当にここから出発するのだろうかと不安に思い、モニターをチェックする。「NARITA13:00」と書いてある。もう過ぎてしまったので、カウンターに聞いてみた。今、成田空港から来た機材の掃除をしている、とのことであった。13時15分、やっと乗れることになった。勝手にチケットを交換していた人が注意された。スーツケースのクレームタグを落とした人もいた。成田空港で受け取れるだろうかと心配している。自分の持ち物をしっかり管理し、失敗から学ぼう。
13時30分、離陸。これから日本への旅が始まる。座席は思いどおりに取ることが難しいので、できる限り女子が近くに座れるようにした。男子もすぐ近くにいる。ひとまず安心だ。みんな、機内で映画を見たりゲームをしたりしてリラックスしている。ここで最後の感想文も書いている。何を書いているのだろうか。
到着は日本時間で8月10日午後3時11分。成田空港で沖縄の二人とお別れである。時間がないとわかっていても、涙が止まらないようだ。子どもたちどうしでハグして、さよならを言って、またハグをしてという光景だった。「また19年後に会おうね。」という声。なぜ19年後?6年生が30歳になる年だということらしい。それほど心が通い合ったということなのだろう。沖縄組を見送り、羽田空港に向かった。
羽田空港では2人が「同意書」を持っていない、というトラブルがあり、足止めに。小学生だけで飛行機に乗るときのためにMNCCから言われたはずだが、持ってきていなかったらしい。担当の方が手続きをしてくださってようやく搭乗手続きが完了した。保安検査場を抜けていよいよみんながバラバラになる。ここでまたハグして別れの手を振った。
動く歩道を行って搭乗口に向かう。鹿児島行きのゲートにいると、長崎組が通っていった。南ウィングだから近いのだ。また手を振って見送ることができた。鹿児島に到着したのは午後8時50分。出口を抜けると、期待の表情で保護者の方々が待っていてくださった。今日、子どもたちの姿を見るまで、いてもたってもいられなかったのではないだろうか。オレゴン州が安全な所だとはいえ、外国で小学生が過ごすことにはさまざまな心配がある。ともあれ、無事に鹿児島の地を再び踏むことができてよかった。目に涙を浮かべているお母さんもおられた。ほかの県でも、このようにしみじみとした場面が見られたことだろう。以上で2週間のホームステイの全過程が終了した。子どもたちは2週間、よくがんばった。

このホームステイに御協力くださったホストファミリーの方々、アメリカの先生方、MNCCの方々、保護者の皆さま、すべての方に感謝いたします。本当にありがとうございました。 
今日は火曜日、最後の授業になる。9時30分からいつもどおり二つのコースに分かれて授業が始まった。ベッキー先生のクラスは何やらカードを書いている。ホワイトボードには「Thank you」の文字が。今までお世話になった人にお礼のカードを作っていた。ホストファミリーやブレンダ先生、運転手のダレルさんなど一人で何枚書いてもいいということだ。今日は全員がそろっているので、子どもたちもうれしそうだ。最後の授業なので、一人一人の写真を撮った。ブレンダ先生のクラスはカードを使った神経衰弱のようなゲームをしていた。手持ちのカードがなくなった人が勝ちだ。カードの中の絵に自分と同じ物を見つけた人がその名前を言って、自分のカードを出していく。ブレンダ先生はつい最近このカードのことを知り、今日の授業に使おうと思って買ったらしい。子どもたちは楽しそうに学んでいた。ここでも一人一人の写真を撮った。
10時30分にアウトレットモールに行く予定になっているので、10分だけ時間をもらって「恋ダンス」と「ラジオ体操第一」の練習をした。慌ただしかったが、きっと本番は上手にそろえられると思う。40分ほどでアウトレットモールに着いた。ここで昼食をとってもいいし、買い物をしてもいい。ただし、一番大事なことは、「単独行動をしないこと」だ。自分の身を守るためには不可欠のことである。13時15分に再び集合することを確認して解散した。大人だけでなく子どもも楽しめそうな所だ。女子はディズニーショップに行ったり、自分で好きなように作れるぬいぐるみの店を見たりと、思い思いに楽しんでいた。男子もそれぞれお目当ての物を買っていた。アイアンマンの腕(!?)をお土産に買っている人もいた。スーツケースに入るのだろうか。スターバックスでコーヒー豆を買うという、小学生らしからぬ渋い趣味をもっている人もいた。「お母さんへのお土産」だそうだ。きっと日本の家族が喜ぶ顔を想像しながら買ってきたのだろう。ショッピングを満喫して再び学校に戻った。ここで一度、それぞれの家に帰る。午後5時からいよいよ「さよならパーティ」があるので、準備などをする時間に充てる。ここで最後の練習をした。
午後5時になった。しかし、まだ飾り付けが全然できていない。何人かが手伝ってくれたが、各テーブルの上に置くにはまだまだ数が足りなかった。その様子を見てホストファミリーの人たちが手伝ってくれた。今までいろいろしていただいたお返しをする会なのに、最後までお世話になってしまった。本当に優しい人たちだ。
スクールディレクターのロジャーさんが来て「もう始めよう。」と言ったが、まだこのとき3人そろっていなかった。そう言うと、「食べたり飲んだりしながら待てばいい。全員そろったら始めよう。」と言ってくれた。それならなんとかなりそうだ。ホストファミリーごとに歓談しているところを撮影しながら待った。
午後6時20分、ひとしきり食べたり飲んだりした後、Souta君の「Ladies and Gentlemen!」の呼びかけでみんなが注目した(実際は「Ladies or Gentlemen!」と言っていたが)。Suiさんが「今日が最後の授業なので悲しいです。この15日間、お互いが違う文化をもっているのに交流することができました。それも終わりに近づいています。」という内容を英語で言った。それを受けてSouta君が「僕たちのパーティにようこそ来てくださいました。僕たちのパフォーマンスと日本のお菓子を楽しんでください。」と挨拶してプログラムが始まった。
1番はChihoさん、Suiさん、Shoei君による書道パフォーマンス。Ikuro君とSora君が飛び入り参加した。「日本」「米国」など、次々と書いたものをPAが紹介すると、ホストファミリーから拍手が湧き起こった。 
2番は全員による「恋ダンス」である。Wi-Fiが使えるので、それに合わせて歌い、踊った。最後がきれいにきまった。3番は「ラジオ体操第一」。だが、日本から持っていったCDが使えない。またWi-Fiを使うことにする。うまく行った。4番はYuiさんのピアノソロ。「この歌の題名は『オレゴンの歌』です。」というと、会場からどよめきが。Yuiさん、弾いてよかったね。Funaさんも「きつつき」という曲で飛び入りをした。ここでも大きな拍手をもらった。5番はShinnmaru君の手品。新聞紙に入れた水がこぼれない、というものだ。アシスタントをNanakoさんがしてくれた。みんなの食い入るような視線がShinnmaru君に注がれていた。6番に行く前にKokonoさんの琉球舞踊。CDが使えないので、無音で踊った。会場が水を打ったように静かになった。いつも控えめなKokonoさんが、きりっと凜々しく見える。圧巻の踊りだった。Suiさんの日本舞踊が続く。これにも、みんな無言で見ていた。Ikuro君が完全復活。切れのあるテコンドーを披露してくれた。Kotaro君は剣道である。このために日本から木刀を持ってきたのだ。Syota君はみんなが見ているプレッシャーの中、連続技を決めてくれた。重大な任務を果たしたみなさん、ご苦労さま。6番は全員で「上を向いて歩こう」を歌った。プログラムの裏に歌詞をローマ字に直したものを印刷したので、それを見ながら日米両方の人が歌えたと思う。伴奏はYuiさんがしてくれた。ありがとう。
最後に6年生の女子(Nanakoさん、Chihoさん、Yuiさん、Chihiroさん)がバスの中で一生懸命考えたお礼の言葉を言ってくれた。「この2週間、ホームステイさせてくださってありがとうございました。学校では英語を学び、家では英会話を学ぶことができました。またここに来たいと思います。ありがとうございました。」という内容を英語で話した。大きな拍手をもらった。
そして、ロジャーさんによる「卒業証書授与式」。一人一人、直接ロジャーさんから卒業証書をもらった。みんな、霧が晴れたような、さわやかな表情をしている。Tシャツやキーホルダーなど、オレゴンを思い起こす手がかりとなる物を記念にいただいた。
ディレクターのロジャーさん、コーディネーターのマーシャルさん、お世話係のキンバリーさん、メリーナさん、とてもいい研修ができました。ありがとうございました。
毎日お世話になったベッキー先生、ブレンダ先生、楽しい授業を提供してくださってありがとうございました。バスの運転手のダレルさん、MNCCの西村さん、ありがとうございました。そして、何よりもホストファミリーのみなさん、2週間、日本の子どもたちのことを我が子のようにかわいがってくださり、ありがとうございました。子どもたちはこの経験を一生忘れないことでしょう。一回りも二回りも成長し、日本に帰ります。保護者のみなさんも、安心してお待ちください。
月曜日である。今日は10時30分から「Silver Fallsシルバーフォールス(滝)」に行くことになっている。Ikuro君は体調が悪いので、一日休むということだ。少し時間をもらって「さよならパーティ」の準備と練習をした。全員でする演目はそろわないと見苦しいので、ある程度練習することが必要だ。演目はChihoさん、Suiさん、Shoei君、による「書道」のデモンストレーション、YuiさんとFunaさんによる「ピアノ演奏」全員の「ラジオ体操第一」と「恋ダンス」、Seiya君とShinnmaru君のマジック、Suiさんの日本舞踊、Kokonoさんの琉球舞踊、Yuiさんの伴奏で全員が歌う「上を向いて歩こう」、かなり盛りだくさんだ。それにしても時間がない。本当にできるだろうかと不安になる。ともあれ、子どもたちの日記に返事を書きながら練習の進み具合を見る。……もめている。もう少し様子を見る。練習し始めた。今日は5年生がやる気を出していた。Kotaro君が「きちんと手を挙げて。」「指先までまっすぐ伸ばして。」と声をかける。的確な指示である。次は「恋ダンス」。もともとは鹿児島県チームの演目だったのだが、もしかしたらできるかもしれないと思って、何回か練習をしている。今日はかなりの部分を覚えていた。最後の決めポーズを練習し直した。明日までにできるといいが。昨日、Yuiさんがピアノを弾くというので、「何を弾くの。」と聞くと、「『オレゴンの歌』と『上を向いて歩こう』を弾きます。」という答えが返ってきた。何という選曲のセンスだろうか!すばらしい。ホストファミリーの人にも歌ってもらおうと思って、昨日ローマ字で歌詞カードを作り、ベッキー先生に印刷を頼んだが、今日はまだできていなかった。しかたがないので、シルバーフォールスに行くバンの中で、パソコンの画面を見ながら「上を向いて歩こう」を歌う練習をした。もう一台の車に乗っている人たちは明日しか練習できない。伴奏とも合わせなければならない。することがたくさんあるのに、時間がない。とにかくベストを尽くすだけだ。PAが少しずつ歌うと、みんなすぐに覚えて歌っていた。いい感じである。
40分ほどで滝の近くの休憩所に到着。屋根があり、テーブル、椅子、水道がある。ここの水道水は飲めるということで一安心した。そういうところは、外国では珍しい。滝を見る前に、まずは腹ごしらえをする。今日もホストファミリーが作ってくれたランチをありがたくいただく。
空腹を満たし、ブレンダ先生を先頭に、いざ目的地である滝へ。1時間半歩いて回る行程である。PAは最後尾につくことにする。行く前からぶつぶつ言っている人がいる。君たちは今、特別な経験をしている。がんばろう。全部で八つの滝があるそうだが、そのうちの三つほどを見て回るコースだそうだ。滝を見るときは少し下り、見終わると少し上る。次の滝を目指して歩く。自然の中で仲間と語りながら進んでいく。みんな、とても気持ちが良さそうだ。なぜか岩盤の下で写真を撮ってと頼む少年たち。日本でこの写真を見て何を思うだろうか。
水も空気もきれいで、たくさんの人がここを訪れる理由が分かる気がする。何人ものアメリカの人たちとすれ違い、挨拶しながら山道を行った。ハイキングする人たちはお互いの健康を確認するために、知らない人どうしでも声を掛け合う。それは自然に生まれたルールだ。相手が知らない人でも「元気かどうか」という意味を込めて「Hello.」と言う。人間関係の基本かもしれない。今日もリスを見た。人間が近づいても逃げない。ハイキングをする人たちが食べ物をあげているのかもしれない。日本では身近に見ることがあまりできない生き物だから、貴重な経験だ。滝を見たり、滑りそうな道をそろそろと下ったりして元の休憩所に戻る。
ベッキー先生がここで全員の荷物を見ていてくださった。そのおかげで、軽装でハイキングをすることができた。そして、なんとそこには大きなスイカがあった。みんなで分けて食べる。日本と違う切り方に驚いている。半月型に薄く切ってあるので、とても食べやすい。歩き疲れた体にスイカの甘さがしみ渡る。2切れ、3切れと手が伸びていた。用意してくださったブレンダ先生とベッキー先生に感謝。その後は水遊び。ほとんど全員が水着に着替えて水の中に入っていった。これも、日本では頻繁にできることではない。自然を満喫した一日だった。Ikuro君は、今日一日休んで体調が戻っているそうだ。安心した。
帰り道の途中でブレンダ先生が「右に見えるのがクリスマスツリーを育てている林ですよ。」と教えてくださった。子どもたちは「えー、クリスマスツリーって育てるものなの。」と驚いていた。これも新しい発見だ。
今日は土曜日。10時に集合し、「CAR WASH洗車」のボランティア活動を行うことになった。ブレンダ先生とMNCCの西村さんと一緒にバスに乗って現地に向かった。バスの運転手はずっと今まであちらこちらに連れて行ってくれたダレルさん。元消防士のダレルさんはモルトノマ滝の所でSeiya君がお湯をこぼしたときに、敏速に対処してくれた人である。この人のおかげで、あのときは大事に至らなかった。緊急時に助けてもらった。もう一人のTCのベッキー先生とは現地集合である。学校から30分ほどドライブして、あるガソリンスタンドに到着。多くの車が止まっているので危ない。車の動きに注意しながら動くように注意した。
ここでマーシャル先生(TCのチーフ)が応援に来てくれた。ロジャーさん(このホームステイのディレクター)も来てくれた。ホースで水を出す人、洗剤を付けたスポンジで洗う人、タオルで拭き上げる人に分かれて一台、また一台と洗っていく。最初はぎこちなかった動きも、だんだんスムーズになっていく。ベッキー先生と、お孫さんのZuriちゃん(3歳)が合流する。女子が手を振ると、手を振って応えてくれるZuriちゃん。「かわいい〜。」、女子の声がそろった。
今度は交替で呼び込みをすることになった。ピンクの大きなポスターに「CAR WASH」と書き、それを車から見えるように掲げて呼びかけた。あまり大きな声を出さないShoei君もSouta君も、今日はボリュームを上げていた。絶好調になったとき、2台、3台が続けて洗車に来てくれた。Chihoさん、Ryokoさんも一生懸命手を振りながら叫ぶ。「振りすぎて手が痛くなった。」と言っていた。昨日より涼しいとはいえ、摂氏36度、しかもずっと屋外である。厳しい暑さの中で、なぜか子どもたちの顔は輝いていた。例のごとく、誰かがずっとホースの係をしているとか、水をかけられたとかで、あちらこちらでもめていた。予想していたことなので、今日は放っておくことにした。「自分たちで、一対一で解決しなさい。一対複数は絶対だめ。」と話して経過を見守った。今日は濡れてもいい服装で着ているはずだから、いちいち水をかけられたと言って目くじらを立てていたらきりがない、洗車などできない。
12時半が過ぎ、空腹と疲れでほとんどの人のいらいらが募ってきたとき、意外な人物が現れた。といってもこれまで何度も会った人なのだが。……ある人が全員にピザを持ってきてくれた。その人とは、ダレルさんである。またしてもダレルさん。いいところでみんなの険悪なムードを和らげてくれた。こちらがランチをおごりたいくらいの気持ちだ。その間も洗車待ちの車の列ができていたので、交替で食べながら、パートごとに分担して一気に放水し、スポンジで洗い、タオルで拭き上げる。実に手際がいい。実にけなげである。みんな、よくがんばった。けんかして泣いた人もいたけれど、最後にはチームワークができていた。泣いた人を慰める人、ごめんと謝る人もいた。モンマス小学生チーム、You did!帰りのバスの中で気絶したように眠っていたKotaro君。あまりにも動かないので、不安になった。学校に着いて、何回も起こしてやっと目が覚めた。
ある人の昨日の日記を紹介することにする。「私は風船の折り方を教えているとき、『ライク ディス』と言って、よくできたら『グッド』と言っていました。たくさんの人から『センキュー』と言ってもらえたので、とてもうれしかったです。」しっかりと心が通い合っている会話だ。英語プラス心の交流も重要な研修である。
午前中は今日もベッキー先生とブレンダ先生の二つのコースに分かれての授業が行われた。ベッキー先生のクラスは「What did you like about yesterday?」、昨日Oregon Coastに行った中で何が好きだったかを答える練習である。子どもたちは「Mo’ s restaurant」で食べたものの中で何が好きだったか、またはビーチで遊んだことなどを答えていた。今日は指を使った歌遊びをしながら、英語の歌詞を教えていた。「次に前で歌ってみたい人?」とブレンダさんが聞くと、いつもは恥ずかしがり屋のSeiya君が手を挙げていた。ここにいるのも残りあと4日になったので、少し勇気を出したのかもしれない。ブレンダ先生のクラスは「すごろくトーク」をしていた。サイコロを振って、出た目の分だけ進み、そこに書いてあることを英語で答えるというものだ。「What did you eat lunch two days ago?」や「Where did you go on holidays last year?」など、少し難しい内容であった。子どもたちはなんとか思い出したり、辞書を使ったりしながら、単語と単語をつないで答えていた。いつものジェスチャー遊びも発音がよくなり、声も大きく出ていたようだった。「自信が付いたね。」と声をかけると、恥ずかしそうに「はい。」と答えるRyokoさん。成長の度合いが目に見えるほど大きくなってきた。
ブレンダ先生は「Mo’ s restaurant」で潮の満ち引きの時間が書かれている物をもらってきていた。それを使って月の名前や時刻を覚えることができ、Oregon Coastの実際の満潮干潮の時間を知ることができる。一石二鳥だ。青いガイドブックに貼ってもらった。よい記念になるだろう。
ランチが終わってから30分間、「さよならパーティ」の演目の練習をした。この前よりも上手になっていた。だが、表情にあまり真剣さが見られない。「そういう態度でホストファミリーが喜んでくれるだろうか。」と投げかけると、その言葉が届いたのか、真剣な表情に。ラスト1回だけ練習して午後の活動に移った。あと少ししか時間がない。打ち合わせの時間を取ることもなかなか難しい。ランチの時間を使って少しずつ組み立てていくしかない。でも、全員が同じ気持ちにならなければ、あまり意味がない。「さよならパーティ」が形式だけのものにならないよう、みんなに語りかけていきたい。
午後はセーラムの図書館に行った。といっても本を読むのではなく、閲覧室のフロアーで折り紙や書道をしているところをアメリカの人に見てもらうという意味の活動であった。さっそくみんなで思い思いの折り紙を作り始めた。初めは遠巻きに見ていた現地の人たちも、だんだん近づき始め、ちょっとした行列ができてきた。「折り紙を教えてほしい。」ということである。そう、今日もアメリカ人の子どもたちとの交流があった。ここの人たちの懐の深さを想像すると、国境などは意味のないものに思えてくる。特に若い世代は間に立ちはだかるものを軽々と超えていく。Suiさんが書道の練習をしていると、「Could you write my name in Japanese ?」と聞いてくる人々が。Suiさんも初めは恥ずかしそうにしていたが、だんだん積極的になり、どんどん自分から注文を取るようになった(売るわけではないが)。渡すときの翻訳(一つ一つの漢字の意味)はPAが手伝ったが、自分から交流しようとする意欲をもつようになったことの意味はとても大きい。Kokonoさんがマネージャーのような仕事をしてくれた。その人にぴったりの漢字も考えてくれた。Chihoさんは、初め「人が見ていたら緊張して書けない。」と言っていたが、後からはSuiさんと二人で手分けをして注文をさばいていた。ELENA→絵梨菜(エリナ)、CAITLYN→軽土鈴(ケイトリン)など、漢字の意味を伝えると、みんな、感動した表情で受け取ってくれた。書いた二人の顔にも達成感や充実感が現れていた。折り紙グループにも教えてほしいという人たちが続々連なっていた。日本の新聞紙で大きなかぶとを折っているNanakoさん。現地の子どもに堂々と教えていた。Shota君の所にも昨日と同じように、アメリカ人の弟子が。Kazuki君には2人も。学習の成果あり!
明日は土曜日。だが、休みではなくボランティアの「CAR WASH」の日だ。お世話になった町に恩返しをするということを説明した。きちんと理解していると思う。明日も気温が高くなると天気予報が言っている。熱中症にならないよう、見守りたい。今日も飲み水と帽子を忘れないように、繰り返し伝えた。
9時20分、全員がそろってOregon Coastオレゴンコーストに向かう。今日のミッションは「Mo’s restaurantモウズレストラン」で、自分の飲み物と料理を注文すること。昨日学習した「I would like 〜.」の文を実際に使うことだ。今日はクーラー付きの3台の車で移動することになった。昨日と比べれば天国と地獄の差である。滝を見に行った日と違う組み合わせで乗り込んだ。MNCCの西村さんも来てくださった。オレゴンコーストといっても、近くではなく、そこにたどり着くまでに1時間半もかかった。今日は途中でトイレに行くという人はいなかった。さすがに昨日厳しく言われて、その上今日出発するときも言われたのだから、うっかり忘れるということはないだろう。アメリカでは行きたいときにすぐトイレに行けるとは限らない。PAも2人のTCも口を酸っぱくして「トイレに行きましたか。」と聞くのだが、そのときは「大丈夫です。」と言っていた人でも、しばらくすると「トイレに行きたいです。」と言い始める。しかし、この1週間でかなりこの事情がわかってきたのではないだろうか。飲み水も同様である。「水を持ってきましたか。」「忘れました。」「水を飲みましたか。」「今は飲みません。」、次の日「先生、頭が痛いです。」。こんな会話を何回繰り返したことだろう。自分で気を付けて水を飲まない子は、きまって次の日に頭痛を訴えてくる。その関連性について、これまで説明してきた。自己管理、自己責任。自覚しよう。
海に到着。Pacific Oceanである。少し早く着いたけれども、「Mo’s restaurant」に入る。ここで大人はわざと別のテーブルの所に座る。自分たちで注文できるかどうか、様子を観察していると質問が来た。「昨日練習したのと違う物を頼んでいいですか。」「もちろんいいですよ。」というやり取りの後、どれにしようかと、みんなで一生懸命考えていた。このレストランの注文の仕方は、まず飲むものを頼み、飲み物が来たら料理を注文するという順序だった。ベッキー先生が「一人10ドルまでは払わなくていい。10ドルを超えた分だけ払えばいい。」と言うと、子どもたちはさっそく「4人で分けていいですか。」と聞いていた。ベッキー先生が「OK」というと、名物の大きなクラムチャウダーを注文し、複数で分けていた。その結果、一人10ドル以内に収まった。これも勉強。実にためになる勉強だ。昨日の学習の成果が見られるかと心配していたが、杞憂だった。子どもたちは「クラムチャウダーがおいしくてたまらない。」と言っていた。本当に良かった。 
少し買い物をしてから、ビーチへ。ベッキー先生やブレンダ先生が「オレゴンコーストはとても涼しい。寒いくらいだから、気を付けて。」と言っていた。しかし、今週のオレゴンは摂氏42度、43度と連日異常に暑かったから、寒いことはないだろうと思っていた。……二人の言うとおりだった。砂は熱いけれども、その水の冷たさ。しかも波が激しく打ち寄せてきて、泳ぐどころの話ではない。どうやって遊ぶのだろうと見ていたら、いろいろな遊びを発明し始めた。水の冷たさをどれくらいの時間我慢できるかを競い合う二人、女子は砂の上に石で「LOVE」や自分たちのイニシャルを作り、手形を付けたりして記念の写真を撮っていた。波打ち際ではダムを無心に造る男子4人。ここでもいつの間にかアメリカ人の子どもが交ざっていた。その子は「I want to know Japanese.(日本語を知りたい)。」と言って、どんどん話しかけてきた。名前や年齢を聞くとプレスティン、9歳ということだった。さすが、アメリカ人の子どもは積極的である。ダム職人の4人は戸惑いながら、なんとか受け答えしていた。その後も「1、2、3、4……は日本語で何と言うのか。」「presidentは日本語で何と言うのか。」と旺盛な知識欲を見せていた。ほかの場所では「砂をかけてください。埋められたいんです。」と頼まれたので、膝から下にたっぷりかけてあげた。何もない所でも、いろいろ考えて遊ぶものである。子どもたちの創造力はすばらしい。便利な所に慣れてしまうと、この力は萎縮してしまうと思う。便利でないから人間は工夫するのだ。この力をもち続け、できる限り伸ばしてほしい、自分の手で。
帰りにOUT LETアウトレットに行く予定であったが、大きな火災が発生し、そのため回り道をしなければならなくなった。2時間かかるという。そのため、行けなくなった。子どもたちはがっかりしたが、しかたがない。どうしても行きたいのであれば、ホストファミリーに英語を使って頼んでほしい。もしかしたら連れて行ってもらえるかもしれない。これまで習ったたくさんの英語を駆使して、自分の意思を伝えることを願っている。何人かが海に向かって叫んでいた。「日本に帰りたーい。」「日本に帰りたくなーい。」どちらも本音だ。
9時から9時30分までPA(プログラムアドバイザー)と2人のTC(ティーチャーコーディネーター)で打ち合わせをした。今日の午後の予定は州都(日本で言うと「県庁」に近い意味)の見学とCOSTCO(コストコ)での買い物体験である。明日のビーチのことも少し話をした。その後、二つのグループに分かれてレッスンが始まった。ベッキー先生のクラスは「What do you like?」に答えるレッスンをしていた。初めに昨日行った滝と川で、どちらが好きかという質問がされたのだが、何人かの生徒が「リス」と答えていた。たしかに、滝や川よりもリスのほうが珍しいけれども、惜しい。相手がどんな答えを求めているかを想像することもこれから生きていく上で大事なことだ。自己主張をすることも大事、相手の意向を考えることも大事。両方を身に付ける必要がある。ベッキー先生は「Have you seen a squirrel?(リスを見たの?)」と受け止めていた。そして、明日の「レストランでの注文」の練習に入った。「Mow’s restaurant」という所で、クラムチャウダーが有名なレストランだそうだ。魚介類だけでなくハンバーガーなども注文できるので、その練習をしてみよう、ということである。子どもたちは「え〜、どうしよう。」と言いながら、一生懸命にメニュー表をにらみ、ベッキー先生に答えていた。明日のレストランは人が多いので、もう少し大きな声で話さなければウエイトレスの人に通じない。蚊の鳴くような声で答えている子もいるので、心配である。休み時間に一人の子が「後ろに写真が飾ってある生徒の名前は何ですか。」とベッキー先生に質問していた。ベッキー先生が「あれはエルヴィス・プレスリーですよ。アメリカで一番有名な歌手です。」と答えると、何人かが「ああ。」と言っていた。聞いたことがあるらしい。ベッキー先生はその後も少しプレスリーについて説明していた。


ブレンダ先生のクラスは各自の昨日の日記を使って、基本文を応用して英文を作り、答える練習をしていた。モルトノマ滝のステッカーと、日本語で書かれたパンフレットをいつの間にか入手し、子どもたちに配り、それも授業の中で使っていた。また、今までとは違うジェスチャー遊びで歌ったり踊ったりしながら、和やかな雰囲気で授業を進めていた。どちらのTCも、この子たちにどんなふうに教えればいいのかを一生懸命考えている。クラスルームイングリッシュに終わるのでなく、生活の中で子どもたちがいかに英語を使えるようにするのかを考え、さまざまな手段を用いて、子どもたちの英語力を伸ばそうとしている。そして、いつものように90分経ってクラスが交替する。


午後はみんなで州都(県庁のような所)の見学と大きなスーパーマーケット「COSTCO」での買い物体験。今日の午後1時の気温は華氏で105度とも109度とも言われた。摂氏で43度。日本では経験したことのない気温である。オレゴンでもこの暑さは異常だと、毎日ニュースで言っている。バスにクーラーが付いていなくて、子どもたちはへとへとになった。少し歩くだけで弱音を吐く子もいる。二人のTCに聞こえませんように、と思いながら歩いた。州都といっても全部見学できるわけではないので、団体で見て回る。州知事の部屋に入り、椅子にも座らせてもらった。どれもこれも実に貴重な経験だ。ただ、途中でほとんどの男子がトイレに行ったので、なぜ学校を出発する前に行かないのか、と言われてしまった。女子は先のことを考えて行動しているようだ。男子はもう少し、失敗から学ぶ経験が必要かもしれない。しっかりしている人もいるが。


次は、待ちに待ったCOSTCO。英語では「コスコ」と聞こえる。何回か行った子もいるが、初めての子も多い。この店はホットドッグとソーダのセットが有名だ。ランチを食べた後なので、まだ食べられるだろうか、と思いながら見ていると、数人で分けて食べていた。かなりの進歩だ。その後、自由に買い物をしてもよい、というと、喜んで店内を回っていた。ここで、問題発生。オリエンテーションで何度も「レシートを受け取ることを忘れないように。」と言われていたにもかかわらず、受け取っていない人が一人。出口の所で止められてしまった。ほかの人は暑いバスの中で10分ほど待たされた。「自分一人くらい、いいだろう。」という甘い考えは通用しない。オリエンテーションで話されたことは、本当に大事なことだけである。大人でも助けられないことがある。最後に、ある人の日記を一つ紹介することにする。「お母さんに会いたいのががまんできなかったから、マザーにハグしてもらった。すごくすっきりした。ねるときもハグした。また日本に帰りたくなったらハグしてもらおうと思った。」……とても我慢強い人だ。黙々とがんばっている姿を想像してほしい。

9時に学校集合、ここから「multnomah fallsモルトノマ滝」の見学に向かう。3台の車に分乗し、一路滝を目指すことになった。何人かは忘れていたが、ほとんどの人が今日も日記を持ってきていた。「トライコーナー」「発見コーナー」「紹介コーナー」「英語コーナー」の所が具体的な記述になってきた。「トライコーナー」は新しいことに挑戦すること、「発見コーナー」はアメリカと日本の違いを見つけることである。「紹介コーナー」は日本のことをホストファミリーに教えてあげること、「英語コーナー」は新しく覚えた英語の単語や文を記録することである。どのコーナーも日に日に具体的に書いてくるようになった。中にはすでに、ホストファミリーに日本の料理を作ってあげたという強者もいた。漫然と過ごすこともできるが、この短い期間にできることは限られている。日本の家族に手紙を書いたという人も3人いた。その子たちには日本に送るための切手を渡した。もし郵便局に行くことができるのなら、自分で買ってみるのもいい。10時30分に「Crown Pointクラウンポイント」に到着するはずだったが、11時に到着。一人の子がPAに質問してきた。「先生、あの海をバックに写真を撮ってください。」。PA「あれは海じゃなくて川ですよ。」質問した子は絶句。そう、その川はコロンビア川といって、その向こうはワシントン州になるという。どの国も険しい山や渡りにくい大きな川が国境になっている、と続けると、「境目っていいよね。」と後ろから女子の声が。歴史と地理に出てくるようなことが現実に、形となって現れてきたので、そこに感動したのだろう。女子グループも川をバックに写真を撮った。クラウンポイントはその名のとおり、王冠のような建物があり、そこに観光客が集まっていた。ここで、全体の集合写真をMNCCのM田社長とセーラム担当の西村さんに撮ってもらった。子どもたちの姿を見せることができてよかった。セーラムの中高生グループとも短時間ではあるが、合流することができた。 


12時5分ごろに滝に到着した。しばし休憩。ここでまたハプニング発生。今日は滝を見学する野外活動になることを昨日も伝えたのに、2人の子どもがカップヌードルを持ってきていた。ファミリーに伝えるのを忘れたのだろうか。学校ではいろいろそろっているので食べられるが、滝の近くにそういう物があるはずがない。なんとかお湯をもらったけれども、その子は、今度はお湯を自分の足にこぼしてしまった。やけどには至らなかったが、自己管理の意味を再度話さなければ、と思う。さいわい運転手のダレルさんが元消防士で、レベッカ(ベッキー)先生が「アロエ・ベラ」を塗ってくださったので、痛みが軽減し、事なきを得た。そういうわけで自由時間が少なくなり、写真があまり撮れなかった。子どもたちがお互いに撮影していたので、不幸中の幸いといえるかもしれない。滝の画像が付いたキーホルダーなどをお土産に買っていた。


帰りはまた3台の車に乗って移動。今日の最高気温は100度(華氏)。オレゴンでもこの暑さは「unusual(異常だ)」と言っていた。それでも日陰に入ると少し涼しいので、子どもたちはまだ元気だった。ここでもハンドスピナーを買って、それだけならいいのだが、人に見せようとしたので注意した。学校に遊び道具を持ってくることは禁止になった。時間を守れなかったからである。時間を守れたらこの決まりは作られなかった。今日のこの件も、車の中で見せなければ、注意されることはなかった。好きなことに夢中になるのはいいが、時間や周囲のことも考えずに自分の気持ちだけを優先するのは良くない、そう話した。遊びたくなったらいつでも遊ぶ、こういうことは日本でもしていないはずだ。アメリカに来たからといって浮かれすぎてはいけないと思う。たとえば、食べるときにはみんなそろって「いただきます。」と言い、食べ終わったら「ごちそうさまでした。」と言う。これは日本人が世界に誇るべき美徳の一つだ。所が変わっても、大事なことは忘れないでほしい、と話した。おやつは時間制限をしたが、水は随時飲むように話をした。熱中症予防のためである。水分をあまり摂らず、帽子をかぶりたがらない子が翌日体調不良を訴えてくる。このところ連日「水分をこまめに摂ろう。」と呼びかけている。


あるホストマザーが「うちの子がゆうべ激しく泣いていた。どういうことだろうか。心配だ。」という相談をしてくれた。そこで本人に聞くと、「時計が壊れたので、初めは悲しくて泣いた。でも、ホストファミリーの人が修理してくれたので、うれしくて感激して泣いた。」ということだった。そのことを彼のホストマザーに説明したら、ほっとして笑顔になった。うれし泣きですよ、と再度伝えて、別れた。


今日も、お迎えが来るまで体育館で鬼ごっこをして待つ子どもたち。元気である。

9時から二つのグループに分かれてレッスンが始まった。ベッキー先生のクラスは「I have one(two,three)brothers(sisters).」といった形で自分の家族の紹介をする練習をしていた。「兄弟がいないけれども、どう答えれば……。」、「弟のこともbrotherと言うのですか。」などの声がPAに届く。ときどき分からない言葉があると、そのときもPAに助けを求める表情を向けてくる。しかし、簡単に助けると、はるばるアメリカまで来た意味がなくなるので「辞典で調べてごらん。」「発音は教えるけれども、自分の口で言ってごらん。」と指示をすることにしている。ブレンダ先生のクラスは「I went to 〜 .」、週末にどこに行ったかを答える質問であった。土日に書いた日記を使って英語で表現するということだったので、実生活で使える英語を教えてもらっていると感じた。中には海に行き、カニをたくさん捕ったという、豪華な週末を過ごした子どもたちもいた。それから、土曜日に買い物をした所、日曜日に教会に行った子どももいた。アメリカの教会は日本と違ってよく歌を歌う。パワーポイントを使って歌詞を提示し、知らない人でも簡単に歌えるようにする工夫がなされている。ブレンダ先生自身もときどき簡単な英語を使ったジェスチャー遊びを取り入れて、椅子にくっついてしまった子どもたちの体をもみほぐそうとしていた。90分経つと、二つのクラスが交替する。
日記を読みながら感じたことを書くと、オリエンテーションのときに説明されたことをよく聞いていて、小さなことでも細かく詳しく書いていた子どもたちが多かったということが挙げられる。反対に、事実だけを書いていて、そこまでの経過や感じたこと、考えたことを書いていない子どももいた。彼らには、「初めて気づいたことは、そのときは覚えていても、いつしか忘れてしまいます。忘れてしまわないために、小さなことでも記録に残しておきましょう。」とコメントを書いた。そうすることが、将来自分に返ってくると思うからだ。午後4時には迎えの車が来るので、朝にならないとチェックができないけれども、小学校の高学年なので、明日は書いてくるだろうと思う。
午後は「tie-dye(タイダイ)」の実習。白いTシャツを思い思いの色に染める、美術と家庭科が混ざったような学習である。美術の専門の先生が説明してくださった。実習なので、子どもたちは分からない英語があってもなんとか学習内容をつかんでいるようだった。Tシャツの好きなところを選んで輪ゴムでぐるぐる巻きにすると、巻いたところだけが白く残り、ほかの所が染まるということを聞いて、子どもたちの目が輝いていた。整然と並び、手際よく進んでいったので、計画よりも速く終わった。とはいえ、しばらく待たなければ染めた色が定着しない。まとまった時間ができたため、その間に「さよならパーティ」の進行や出し物について練習をすることにした。全員でする出し物は……。まだ発表の段階ではないので乞うご期待。進行係2人、初めの言葉と終わりの言葉の係がそれぞれ一人ずつ、いずれも立候補で決まった。自主性があって、とてもいい雰囲気であった。
ここからが一波乱。なかなか話し合いがまとまらず、だらだらした雰囲気になった。そこで、時間を区切って練習することにした。思ったとおり、短時間でもかなり踊りの振り付けを覚えていた。この感じで、途中で波風が立っても、できる限り自分たちの力で解決してほしい。PAの自分としては陰ながら手助けをしたいと考えている。日本から買って準備してきた物もある。どうしようもなくなったら、助ける心づもりはあるが、まずは自分たちで、と考えている。今日の段階では「それ、今は、はやっていないですよ。」と即座に言い放った子がいたが、「それでは代わりに何をしますか。」と聞くと、返事がない。代案までは考えていないということである。このアメリカでの研修を通して、少し先のこと(時間的な視点)を考えたり、自分のことだけでなくほかの人のこと(心情的な視点)まで考えたりすることができるようになってほしい。おそらくできると思う。時期的にまだ早いと思うけれども、「さよならパーティ」の練習を組み入れたのには、以上のような意図がある。週末の日記を一つ紹介することにする。
「リサイクルする店に行き、ペットボトル281本、ビン80本をリサイクルし、そのお金が37ドル80セントになりました。すごい!その後、スーパーでコーラを買ってもらいました。トライコーナー;2時に寝てみた。発見コーナー;361本で37ドルももらえた。英語コーナー;分からない英語を教えてもらった。」
9時からレッスンのオリエンテーションが始まった。今日は英語の理解度を測るテストをしてからクラス分けをするということだ。いくつかの質問を解答用紙に記入し提出した後、口頭で一対一の質疑応答があった。一人一人緊張の面持ちで先生の質問に答える子どもたち。終わってほっとした表情も見られた。落ち着けば答えられる質問でも、面と向かって聞かれると、とっさに出てこなくなる。この試練を乗り越えて、一回り大きく成長してほしい。
この後、子どもたちは施設内の見学をした。この少し前に、問題が発生。一人、暗い顔をしていたので話を聞くと、「嫌なことを言われるからつらい。」ということだった。しばらく話を聞いてから、今日の行動をどうするかと質問してみた。その人たちから離れて見学してもいいが、どうするか、と補足した。すると、離れて行動するのではなく話し合いがしたいという返事であった。教室に戻り、そのことを伝えて話し合いの機会を設けた。そこで、嫌なことを言われてつらいと感じていることを説明すると、最初は「○○君も嫌なことを言ってきた」「自分はたたかれた」等の発言があった。そこで、「今、ここでお互いに不満を言い合って終わりにするのか。」と問いかけると、「いいえ、自分たちで解決したい。」という答えが返ってきた。話し合いの中で、嫌なことを言われても言い返せずに手が出ることがあること、だからといってそれがいいわけではないこと、人をからかって自分たちが楽しくても言われた人はつらい気持ちになることがあること、などを話した。100%悪い人はいない、自分がしてしまった悪いことを一つだけ反省しようと投げかけると、5年生から一人ずつ自分の反省点が出された。その中に「自分もからかってしまった。そのことを謝りたい。これからも仲良くしていきましょう。」という言葉が出てきた。この言葉で私自身も内心ほっとした。私に訴えてきた子どもも自分の反省点を述べ、謝ることができた。  
今日がレッスンの初日。しかし、早く相談してくれてよかったと思う。これがもう少し後だったら修復が不可能だったかもしれない。子どもたちの自浄能力、自治意識に感心させられた。「早めに相談してくれてありがとう。みんなも自分を見つめ直してくれてありがとう。」という言葉を伝え、元の場所に戻るように指示をした。
その後、クラス分けの結果が発表された。この方法は、個に応じた指導ができること、そして、子どもたちがお互いに助け合って学習することができるという、TC(ティーチャーコーディネーター)の二つの意図の下に考えられた形態である。二つのクラスは前半と後半で交互に移動して学習する。レベッカ先生のクラスは「what is your favorite〜?」「my favorite 〜 is 〜 .」の基本文を学習していた。ブレンダ先生のクラスは午後からの「Keizer Fire District(消防署;カイザーファイヤーディストリクト)の見学の前に、基本の単語を学習していた。どちらも、先生の質問を聞き取り、きちんと答えようと真剣なまなざしで参加していた。ときおり笑顔が見られたが、緊張のためかいつもの半分の声量である。しかし、二人の先生は笑顔で賞賛しながら子どもたちの雰囲気を和やかなものにつくり上げていった。
表情が固かった一人の子どもに「緊張しましたか。」と聞いてみた。すると、なんと「いいえ、楽しかったです。」との返事。外側から見えるものと、子どもたちの内面で起こっていることは必ずしも一致するとはいえない、そう実感させられた。その後、一人一人の日記を読んで返事を書いたが、その中に「英語が全然分からずたおれそうになりました。」という文が。これも正直な気持ちだろう。この試練を乗り越え、この研修が実のあるものになることを確信している。
午後は「Keizer Fire District」の見学。一人の消防士の方が付きっきりで対応してくださった。普段なら入れないオフィスに入ることができた。消防服を着たり、酸素ボンベを装着したりする体験もさせてもらえた。見学の最後に一人一人、子供用の消防士のヘルメットをいただいた。子どもたちは日本の消防署とアメリカの消防署の違いを考えながら見学していた。しっかり写真を撮り、記録に残していた。 
その後はダウンタウンを車窓から見ながら、遊具のある公園をめざした。ブランコやシーソー、縄でできたジャングルジムなど、自分たちで工夫しながら遊んでいた。いつの間にかアメリカ人の子どもも交ざっていた。子どもたちの柔軟性はすばらしい。
思い切り遊んだ後、ホストファミリーとの待ち合わせ場所である学校に到着。ホストファミリーが来るのは時間がまちまちなので、その間に月曜日のスケジュールや持ち物について連絡した。何人かの子どもたちが何か言いたそうにしていた。聞いてみると「週末は買い物に行きたいって、どう言えばいいですか。」「海に行きたいって言いたいけど、……。」という内容だった。質問の練習をしてから実践。ほとんどの所が成功したようだった。中には今日の夜、海に行くという所もあった。学習が生活の中に生きてきた。
さて、初めての週末がやってくる。どんな感動的な体験をしてくるだろうか。ありったけの思いを日記の中で表現してほしい。月曜日が楽しみだ。 
 午前4時30分に宮崎を1名で出発し、鹿児島空港で6時20分に4名が合流、そのまま陸路で福岡空港へ。福岡空港では長崎から7名参加して12時55分に東京へ向かった。実は、福岡空港でほとんどのメンバーが合流したときに、一度指導をされてしまったのだった。「10分前行動、5分前行動完了をめざすべし」「必ず二人以上で行動すべし」「相手の気持ちを考えて行動すべし」などのきまりを守れていなかった。一般の人の通路の邪魔をしていても注意されなければ気づかない、そんな様子が見られた。そこで全員集合。「5年生は6年生に迷惑をかけない」という項目が付け加えられてしまった。真剣に聞いていたためか、その後はけじめがつけられるようになったようだ。その中で、1人、S君が出発時から体調が思わしくなかったので、しばらくS君の世話をPAができるようにみんなにも配慮してほしいということも話した。その時点から「S君の荷物を持ちます。」「具合はどうですか。」という言葉も聞くことができるようになった。もともと、会ったとたんに打ち解けた仲間だったので、仲が良すぎて、こうなったところもあるかもしれない。


その後、成田空港で大分から4名、沖縄から2名が加わり、やっと小学生グループ全員、合計18名がそろうこととなった。眠い目をこすりこすり、移動してきた小学生。だが、不思議とその表情に不安感は見られない。質問してみると「早くアメリカに行きたい。」「ホストファミリーに会いたい。」という答えが返ってきた。


成田空港で班ごとに並んだり写真の隊形になる練習をしたりするうちに、時間が来て、アメリカ・ポートランド空港に向けて出発。飛行機に搭乗する前のバス移動が初めての子どももいて、期待と緊張の道中が始まった。
約9時間のフライトを終えてポートランド空港に着陸する直前、「おー。」というどよめきが。「これがアメリカか!」そして飛行機の外の景色を写真撮影。保護者のみなさん、子どもたちは感受性豊かです。感動を隠さない姿がすがすがしく映りました。


TCのレベッカ先生と運転手のダレルさんが空港まで迎えに来てくださいました。セーラムに向かう途中でランチ。レベッカ先生が注文を取ってくださった。みんなが同じハンバーガーセットを頼んでいるときに一人だけマフィンを頼んだ人が。アメリカでは自己主張も大事である。その後、川沿いの「カルーセル」へ。この言葉に首をかしげていた人たちも、現物を見て目が輝いた。カルーセルとは回転木馬のこと。もう少し小さい子どもに返って楽しんでいた。このときに、初めてアメリカのお金を使って買い物をした。予想が立てられず仲間に借金をしてしまった人も。いい勉強になったことだろう。班ごとの自由行動の内容を決めるときに、自然に話し合いの形になっていた。少し運動して親睦を深める。体調が良くなかったS君も無事に復活。ここで全体集合写真の撮影。


午後5時、研修地の「BLANCHET CATHOLIC SCHOOL」で顔合わせ。それぞれのホストファミリーに引き取られていった。一人一人の顔にうれしさがにじみ出ていた。ホストファミリーの人たちにはこう伝えてある。「英語はほとんど話せませんが、英語を勉強することとアメリカの生活にとても強い関心をもっています。」と。家までの車の中で、どんな話をすることができただろうか。明日から始まる英語の勉強と地域の見学、みんなで心を一つにして取り組んでいこう。

Copyright © 2017 Minami Nihon Culture Center. All Rights Reserved. / ホーム 会社案内 お問い合わせ / MNCC 南日本カルチャーセンター Flash templated by Flash Okanasen