2007年度 わんぱく留学

 

活 動 報 告

同行の引率者より、現地での活動報告が届きましたので掲載します。

4月03日(火)
【活動写真】

ホストファミリーとの別れの朝、外はまだ真っ暗で朝日も昇らぬ時間に学校に集合。例年のことだが、わんぱく留学の生徒の中では涙はほとんど見られない。もちろん、ホストファミリーの中には涙する人もいるが、小学生は実にあっけらかんとしたものだ。ジュニア留学の中高生グループはあちこちで抱き合いながら別れを惜しむ子が多いんだが...。リュウセイのホストマザーが、彼の手紙がベッドの下においてあったのだが、内容がよくわからず意味てあったのでく、ホストマザーが、彼の手紙がベッドの下にそっと訳して欲しいと私に話しかけてきた。外は暗くそれすらも見えなかったために、一人のホストファミリーが車のヘッドライトを照らしてくれた、そこにはホストファミリーの似顔絵と、ホームステイがとても楽しかったことに感謝する言葉が、英語のスペルはめちゃくちゃだったが、一生懸命にローマ字で書かれてあり、とても気持ちが伝わる内容だった。リュウセイは日ごろやんちゃで、まさにわんぱくそのものだったが、こういう粋なことができるんだと思い、その思慮深さに私もとても嬉しかった。サンフランシスコ空港まではデブラ先生とディアンヌ先生が送ってくれ、最後の別れの時には、デブラ先生は大粒の涙を流していた。そして、TCの先生たちと最後のHugをして別れた。成田までの約10時間のフライトのあと、国内線に乗り継ぐために、慌しい移動で、他県の子供たちとろくろく挨拶ができないままにそれぞれが帰途についた。無事に子供たちを日本に連れて帰れたことを嬉しく思う。と同時に、アメリカのホストファミリーがどれだけ子供たちのことを思い、楽しませ、また、言葉も習慣も違う彼らのことを本当に家族の一員として親身にお世話をしてくださったかを間近に見てきた私は、言葉では言い尽くせない程の感謝の気持ちでいっぱいである。ホームシックや体調を崩した生徒の世話をすることは容易いことではないが、英語のわからない彼らのことを辛抱強く見守ってくれたことに、心から感謝と敬意を表したい。そして、子供たちには、この体験を忘れず、今後の将来に活かしていってほしいと思う。私自身も13名のわんぱくキッズと過ごせたことは、一生忘れません。

  最後に、帰国後は新学期が始まりまた忙しい毎日に戻りますが、保護者と生徒の皆さんに必ずしてほしいことがあります。それは帰国後、必ず一週間以内に、ホストファミリーにお礼の手紙を書くということです。一緒にとった写真も是非焼き増しをして送ってさしあげてください。

 *ホスト ファミリーとの別れ際の写真がウエブサイト用のカメラの調子が悪く思うように取れなかっ たことをお許しください。

4月02日(月)
【活動写真】

週末はそれぞれ楽しい週末を過ごしたようだ。みんなの明るい笑顔がそれを物語っている。今日は朝からパーティーの準備で大忙しだ。ホストファミリーに渡す生徒の写真のフレームに名前や感謝の言葉を記し、ステッカーを貼るなどして思い思いのプレゼントを作った。テーブルの上には、習字でファミリーの名前を英語と日本語で書き、みんなで作った折り紙と、日本から持ってきたお菓子が飾られた。これでパーティーの準備は終了だ。午後はリハーサルをして全ての準備は滞りなく終わった。小学生なので、料理を作るのは大変だということで、今回は日本からのお菓子とケーキ、アイスクリーム、ジュース、簡単なもので済ませることにした。パーティーは、6時半から始まった。最初にアイコのピアノ演奏で国歌「君が代」を歌った。続いて、マコ、マナ(イケダ)、アイコによるピアノ演奏、マミのバレー、ミ夕方カのエイサー踊り、マナ(アカマル)のヒップホップダンス、ヒカリのリコーダー、リュウセイ、ケンシロウ、ショウマ、マサシによるお笑い劇、ショウタと私による「How do you know much about Japan?」(日本のことをどれだけ知っていますか?)というクイズ。最初の問題は「日本の首相の名前は?」だったが、誰も知らなかった!!!日本の生徒はブッシュが大統領だということを知っているのに!「日本にはディズニーランドがあるか?」「GoodNightは日本語で何というか?」などなど。次にあらかじめ用意しておいたコウセイの生徒代表のThank you Speech.の時にホストマザーでもあるデブラ先生は泣いていた。そして、私のサンキュースピーチを最後にパーティーは終わった。みんな芸達者な生徒ばかりで驚いた。とにかくパーティーは成功した。みんな協力してよくやってくれたと思う。子供たちはこの10日間でいろんなことを体験した。ホームシックで泣いた夜、英語が通じなくて戸惑う毎日、食事が合わずに日本食がこれほどに恋しいと思ったこともかつてなかったことだろう。いくらファーストフードに慣れた世代とはいえ、この食事が長く続くのは大変なようだ。明日は早朝の出発。あともう少しで日本に戻れることを生徒たちはどう思っていることだろう。サヨナラパーティーで、高校留学でアメリカに戻りたい生徒は?とデブラ先生が聞くとほとんどの生徒が手を挙げた。何人かのホストファミリーからもこの子達を是非長期で受けたいという申し出があった。将来的に実現する日がくるだろう。長い一日が終わったが、無事にここまでこれたことを感謝している。

3月30日(金)
【活動写真】

いつものように朝学校に集まる。デブラ先生とディアンヌ先生、そしてショウタのホストファザーがカープール(車に分乗)をしてくれ、まずは郵便局見学。生徒達は葉書や切手を買った。既に手紙を書いていたショウタとマコは今日手紙を出したので、日本につくのは彼らが日本に戻ったあとになるだろう。郵便局の中を見学させてもらったが、生徒達にとっては昨日の消防署や警察署ほどは興味深いものではなかったようだ。今日はトレーシーにあるSouthWest Elementary Schoolという学校で授業を受ける。全員同じクラスに入り、そこでは一人ずつバディーといわれるパートナーがつけられて、折り紙を作る美術のクラスだった。通常は私たち日本人たちがアメリカの生徒に教えるのだが、今日はアメリカ人の子供たちから逆に教えてもらい、みんなで同じ作品を作った。そこにはパートナーの写真や自分が好きな写真を切り取って貼りつけ、日本にお土産として持って帰るよう配慮されていた。途中トレーシーの新聞記者が私たちのことを取材に来た。ケンシロウ、マナ(アカマル)、ショウタ、マサシが写真を撮影された。誰の写真が実際の記事になるかはまだわからないが楽しみだ。その新聞は火曜日に発行されるので、生徒達は出発の朝それを持って帰ることになっている。ショウタが日本から持ってきた家族の写真や鹿児島の英文パンフレットを見せながら英語で説明していると、その新聞記者が写真を撮りながら、彼の英語を誉めていた。お昼には生徒全員にピザ、ジュース、クッキーがふるまわれた。生徒たちもお礼に日本から持ってきたお菓子を分け与えると喜んでいたようだ。その後全員で記念撮影をして学校をあとにした。午後は学校に戻り、アメリカの子供たちが楽しむEaster(イースター)について学ぶ。子供たちはあらかじめ用意されたゆで卵にいろんな色を色付けして、その卵を庭に隠し、いち早くその卵を見つけるというものだ。こういうことを楽しめるのも小学生のうちかな?という感じだったが、それなりに楽しんでいたようだ。一人3個ずつ卵をみつけた後はそのゆで卵をみんなで食べた。中には卵の中にまで色が染み出てしまったものがあったのでそれはもう食べずに捨てた。今日で学校もいろんな活動も終わりだ。毎日天気に恵まれ、暖かいというよりはもう夏並みで、プールにでも飛び込みたい気分だ。明日明後日は最後の週末。ホームシックを克服した生徒たちも最後の週末を楽しく過ごしてほしい。月曜日はいよいよサヨナラパーティーである。長い一日になりそうだ。

3月29日(木)
【活動写真】

今日は今まで行っていたPlumfield Christian Acadmyでの授業が最後の日だった。明日はここの学校が休みのため、その代わりにトレーシーの小学校に行くことになる。最後のクラスだったので、それぞれのクラスの子供たちと記念写真を撮る。休み時間には日本から持ってきたお菓子をクラスメートにあげたり、写真を撮ったりして最後の時間を楽しんだ。ここの校長先生であるスコット校長からそれぞれペンやキャンディーやぬいぐるみなどのお土産まで頂いた。みんなとても喜んでいた。今日の午後の活動はマンティカ市内を散策する日だ。まず最初に行ったのは警察署だ。最初に「将来警察官になりたい子はいないか?」との問いにリュウセイが手を挙げたが、彼は自分がなりたいのではなくて、友達になりたいという子がいるということだけの理由で、その警察官のバッジを預けられた。警察署の中の部屋をひとつずつ案内された。アメリカでの緊急電話は911である。これは警察も消防も救急車を呼ぶのは同じ番号である。最初は無線室・指令室。すべてコンピューターで制御されており、もし、かかってきた電話が日本語であったとしてもそれを瞬時に翻訳するコンピューターになっているそうだ。最後にパトカーを見せてもらい、何人かは実際に乗せてもらい署内を走ってもらい、生徒達はとても興奮していた。警察署の隣は市役所があり、待っているとマンティカのウィリー市長さんが現れた。白髪の優しそうな紳士だ。マンティカ市のことを説明してもらい、その後それぞれの名前が書かれたマンティカ市民としての証明書とマンティカのバッジを頂いた。最後にグループ写真をとって別れた。そして最後は消防署へ。消防署では署内の施設を案内してもらい、最後に消防車を見せてもらう。最後のメインイベントは、消防車に一人ずつ乗せてもらい、その後は全員が放水を体験させていただいた。ちょうど暑かったこともあり、最後に私が放水をさせてもらった時には、生徒達に命の泉を放水して差し上げた!!生徒達は大喜び?だった。(あとで文句を言われたが....!)その後、私が消防署員達と別れのHUG(抱擁)をしたら、何人かの男子が「先生は浮気者だなぁー。」という声が聞かれた!何をいう!!??あれが、アメリカ式挨拶だ!!まだHugには慣れない生徒が多いようだ。ホストファミリーが抱きしめようとすると、体が硬直してしまう生徒が多いようだ。Hugが上手になって初めてアメリカでのホームステイは成功といっても過言ではない!そういえば、昨日のサンフランシスコでは、街角で抱き合ったりキスをするカップルが多いことに、「公衆の面前なのにぃー!」と驚く子が多かった。今日も充実した一日だった。

3月28日(水)
【活動写真】

今日は待ちに待ったサンフランシスコ終日研修。雲ひとつない素晴らしい天気に恵まれた。サンフランシスコの街に近づくと、テレビ等で見慣れた高層ビル群、アルカトラス島など目を奪われる景色が眼下に広がる。サンフランシスコ観光の定番は何と言ってもゴールデンゲートブリッジ。ブリッジの両端2箇所のスポットで写真撮影をした。霧のサンフランシスコが絵になるのかもしれないが、やはりクリアに見える方がよい。デブラ先生が言うには、マークトウェインが、「夏のサンフランシスコは、自分が経験した寒さの中では一番寒かった。」という言い伝えが残っているそうだ。カリフォルニアの湾岸沿いの街はどこも寒いはずなのだが、今日のサンフランシスコは半袖でも過ごせるほどに暖かかった。次に行ったのはゴールデンゲートパーク。外で食べたランチは格別に美味しかった。ゴールデンゲートパークの中にはジャパニーズガーデンがあり、アメリカに居ながらにして、しばし日本の空気を味わうこととなる。桜の木がきれいに咲き誇っており、一瞬「ここはどこ?」という錯覚に陥る。五重の塔や大仏像があり、それをバックに写真を撮る生徒達がおかしく思えた。その後、フィッシャーマンズワーフを歩いて通り抜け、ピア39へ。途中、大道芸人がパントマイムをやっているのを見て、思わず足を止めて見入る。それぞれお土産を買うが、小学生はさすがに財布の紐をしっかりと締めているようだ。金銭感覚がしっかりしている。お父さん、お母さん、兄弟姉妹、友達にお土産を買っていたが、自分のものは買い忘れてしまったという子もいたようである。買い物にもだいぶ慣れたようで、しっかりと自分で注文できる子もいる。硬貨の使い方もだんだんとわかってきたようである。一日ではとても見切れないほどサンフランシスコは魅惑的な街である。生徒達はいつの日かまたもっと英語を勉強してここに戻ってくるだろう。今日の一日が何事もトラブルもなく、病人も出ることもなく無事に終えることができほっとしている。残りの時間を楽しみたい。

3月27日(火)
【活動写真】

いつものように8時に学校に集合する。今日はショウタが元気な姿でやってきた。ショウタがホームシックで具合が悪かったことで、ホストファミリーは夕べご飯と味噌汁を用意してくれたようだ。ホストファミリーの心遣いのお陰で今日の彼は元気だった。他の仲間もショウタを励ます言葉をかけてくれたことが嬉しかった。今日もそれぞれのクラスで授業を受ける。今日はクラスの中で折り紙を教えたりしている子が多かったようだ。ランチを食べていると、高学年の子が来て私たちにキャンディーやガムやチョコレートをプレゼントしてくれた。物がもらえる時の子供の顔は輝いている。午後からはマンティカから車で30分の所にあるローダイのMicky’s Groveという所に行く。ここは1800年代のアメリカの様子がわかる博物館である。そこでは、砂金取りや、移民がやってくる前のアメリカの様子が再現されている場所だ。そこでは3つのグループに分かれて砂金取りやカウボーイが使う皮製品に自分の名前を型でたたいてキーホルダーを作ったり、アメリカの先住民がどのような物で生活をしていたのかを説明してもらった。また、そこでは1800年当時の学校の教室が再現されており、みんなでその当時の授業の様子を経験した。当時の学校の規則を説明された。そこで一人一人が小さなボード(小さい黒板)を渡され、算数の授業が始まった。3+2=?の答えを全員がボードに書き、それを一斉に頭の上にあげたりするのだ。とても興味深いものだった。今通っている学校もそうだが、アメリカは思ったよりも規律が厳しく、生徒たちは先生からとてもコントロールされている。ここの生徒たちも、先生の言うことをよく聞いているし、けじめがしっかりしているように思えた。デブラ先生が、このわんぱくキッズ達はみんなとてもいい子たちだとほめていた。私も彼らのことをとても誇りに思う。みんな言うことをよく聞いてくれるし、元気もある。明日はみんなが楽しみにしているサンフランシスコ終日研修だ。全員が元気に出発できることを願っている。

3月26日(月)
【活動写真】
いよいよ今日から学校が始まる。私たちの行く学校はPlumfield Christian Schoolという私立の小学校である。三々五々に生徒たちが集まってくる。今日、ショウタは具合が悪く、一旦学校に来たがホストファーザーに迎えにきてもらい一日休むことになった。あとで電話で話したが休んだらよくなったようだ。明日は元気な姿で学校にくることを望んでいる。午前中はオリエンテーションを行った。大事なことは私が訳しながら説明をする。スケジュールの確認やステイ上の注意など、一つずつ確認していく。そして着て早々ではあるが、サヨナラパーティーの準備もしていかなくてはならない。今日何をするかを話し合った。みんななかなかの芸達者?で、いろんな特技を持っている。ランチはホストファミリーの手作りのサンドウィッチ。日本と比べるとお菓子を食べているような感覚である。朝のシリアル、いろんなタイプの牛乳、赤や紫や緑など原色のお菓子やゼリーなど食事に関しては、やはり苦労している様である。「これは食べられない、飲めない、嫌だ。」という声があちこちらか聞こえてくる。やはり彼らにとって日本食ほどのご馳走はないようである。食文化の違いとはいえ、やはりこういう食事が続くのは生徒たちにとっては大変なようだ。そしていよいよクラスである。大体の同じ年齢のクラスに3人から4人の割合で入れられた。日本のことや生徒自身のことについて質問されたり、絵を書くクラスだったり、折り紙を折ってみせたり、ドラマで人形劇を演じるクラスがあったりと多様なクラスを経験する。マミがピアノがひけると話すと、教会に移動してみんなでマミのピアノを聴こうということになり、マミは「エリーゼのために」を見事に弾きこなし、拍手喝采!また、いい成績をとったか何かのクラスで、そのご褒美としてアイスクリームが振るまわれたクラスがあり、その恩恵を受けたラッキーな子もいた。学校でアイスクリームが食べられることを喜ぶケンシロウとリュウセイ。そこに一人の男の子が私のところにやってきて「ジュリアンは、リュウセイのことが好きなんだよ。」と!!そのことをリュウセイに言うと「NO!!」と言っていたが、本当はまんざらでもなさそうだった!? 矢継ぎ早に質問をしてくるアメリカ人の生徒に戸惑いつつもなんとかコミュニケーションをとる我等わんぱくキッズ達のことをたくましく感じた。今日は生徒たちにとっては初めての学校で緊張したことだろうが、みんな物怖じすることなく溶け込んでいた。アメリカの生徒たちも「コニチワ!」とよく話かけてくれる。日本人の生徒もアメリカ人の生徒もお互いの交流を楽しんでいたので、初日スタートはうまくいった!早くショウタが元気になり、みんなで残りのホームステイを楽しみたいと思う。
3月25日(日)
【活動写真】

「日本晴れ」という言葉があるが、今日のカリフォルニアは「カリフォルニア晴れ」だ。気候はとても過ごしやすく、半そででも十分に過ごせる。今日は日曜日だが、TCのデブラ先生の家でウエルカムパーティーが行われた。ここは、コウセイの家でもある。広いプールサイドにみんなのホストファミリーがそれぞれピザとジュースを持ち寄るポットラックと言われるアメリカ式パーティーである。みんな元気に集まってきたので、とりあえず一安心した。食事のあとは、みんなでゲームをして楽しんだ。目隠しをして空中にぶら下げられた箱をバットでなぐるゲームでは、割られた箱の中からチョコレートやキャンディーがでてきて、子供たちは大喜び。昨日はショウタ、そして今日はアイコの誕生日とあって、誕生パーティーも同時に行われ、「Happy Birthday Aiko & Shota」と書かれた手作りケーキが準備されていた。みんなでハッピバースデーの歌を歌ってお祝いをしてもらい、ロウソクを吹き消すと全員が拍手喝采。きっと忘れられない誕生日となったことだろう。今日はそれぞれのホストファミリーが、私のところにやってきて、初日の出来事や子供たちに確認してほしいことを聞いてくる。ランチには何を持って行きたいか、好きな食べ物は何かなど。昨晩ホームシックになっていた子がもう一人いた。でも今日は笑顔で元気に走り回る姿を見ると小学生のパワーを思い知らされる。小学生の憂鬱は長くは続かないようだ。それにはまだ救われる。何か楽しいことが見つかると過去のことはすっかりと忘れてしまっているかのようだ。いよいよ明日から学校が始まる。楽しみだ。

3月24日(土)
【活動写真】

プログラムを遂行するうえでハプニングはつきものだ。私たちの予測の範囲内のものもあれば、突如として起こることもある。今回の初っ端からのハプニングは、鹿児島県以外の生徒を先に羽田に行って受けるはずだった有江(ジュニア留学の引率)の飛行機が機材不具合で、結局遅れた便で行くことになり、宮崎、大分、長崎の生徒さん方にはご迷惑をおかけすることになった。それでも事前に連絡がとれ、羽田では全員とスムーズに合流することができ成田へ。成田では埼玉の柳田さんともすぐに会うことができ全員が揃った。春休みの初日ということもあり、成田空港は混雑しており、搭乗手続きと出国審査に思いのほか時間がかかりました。早朝自宅を出発してから国際線の飛行機に乗り継ぐまでにほぼ半日がかかっており、さすがに疲れたことだろう。でも本当の疲れはここからだ。飛行時間は約9時間だが、ここでの睡眠不足がその後のホームステイに大きな影響を与えてしまう。昨年は体調不具合の子が続出したので、今回は飛行機の中を寝るよう直接促してまわった。そうすると機内が暗くなると同時にほぼ全員の生徒が眠り(ねたふり??)に入った。実質2−3時間位しか寝ていないと思うので、もちろん十分な睡眠とはいえない。それでも夜通しゲームに熱中されるよりはましだ。鹿児島空港から出発時に風邪気味でぐったりしていた子も、様子を見ている限りでは、徐々に回復しているようだったので一安心。飛行機やバスの中で酔って嘔吐する子、鼻血を出した子もいたが、その後はすぐに回復し元気な姿に、その後も声をかけつつも大丈夫との返事に安堵する。どこまでも続くハイウエイや日本と違った有り余っているようにも見える広大な土地!に生徒たちにとっては初めての海外経験の子がほとんどなので、緊張と不安と疲れで自分自身を通常の状態に保つということは難しいことだと思う。アメリカに着くまでも生徒たちにとっては、相当なるプレッシャーと肉体的な負担が強いられることだと感じた。そして、そこから始まる異文化との戦いと同時に自分との戦いも始まる。挫けそうになったり、ホームシックになりながらもそれをひとつずつ乗り越えていくことにホームステイの価値ある側面がある。ここまでレポートにしたところで早速ホームシックになった子から電話が入る!泣きじゃくってはいるものの、だからといって帰りたいとかいうことではなく、頑張りたいという気概は持っている。「自分自身の弱さと戦っているじゃないか!今晩はもう何も考えずにまずは寝なさい。」と促して電話を切る。そして、幸いにも明日はウエルカムパーティーで、一番生徒が不安になる「到着早々週末スケジュール」はなんとか回避できそうだ。明日も生徒たちにあうので、どんな話が聞けるかを楽しみにしている。ここは日本ではない、一緒にいるのは日本の家族ではない、そんな現実を目の当たりに、もうあともどりできないホームステイの一日目が始まった。今は、生徒の健康で元気な顔を見ることができることのみを願うのみである。

Go to the Home Page

Go to the Top Page