ホームステイに参加した方々が、5年〜20年の後に、自分のその体験をどのように評価しているかを、ひとつひとつ時間をかけて収集したものです。客観的に分析された貴重な声の数々を、じっくりと噛みしめてみてください。  
     

 

   
見返りを期待しない、他人の親切を学んだ。(昭和60年・高1で参加・男)
   
受け身になっていたら、何も得ることができない。(昭和60年・中2で参加・男)
   
やはり、何と言っても親のありがたさを学んだ。(平成1年・高2で参加・女)
   

行く前までは、とても内気な少年でした。両親は自分がとても積極的になって帰ってきたことを目の当たりにして、とても驚いていました。今、大学3年ですが、友達もたくさんいるし、とても有意義な学校生活を過ごしています。ホームステイに行っていなければ、自分がどんな風になっていたかと思うと、本当に行って良かったと思います。(昭和60年・中2で参加・男)

   
日本とか、自分の生活、文化、行動様式などを、客観的に観察するようになった。(昭和62年・中2で参加・女)  
   
愛です。言葉じゃない。人は人に心を開いて、心で話をすれば、言葉はいらない。言うのは簡単、やるのは大変だけど、決して難しい事ではないと思う。できます。おいはやっど。 (昭和63年・高1で参加・男)
   
アメリカのスケールの大きさを学び、英語、英会話に興味を持ち、自分から電話をしている。 (平成4年・中2で参加・男)
   
自分が改めて、「日本人」であるということを確信した。国外に出て、初めて自分や自国のことを知った。他国の人の価値観と自分たちのものとの違いに、とてもショックを受けた。ホームステイ参加前には、予想もしていなかった面で、たくさんの影響を受けた。この時代に海外でしか感受できない、とても大切なことを学べたと思う。(平成4年・高2で参加・女)
   
人間に国境はない。 (昭和63年中2で参加・男)
   
自分で考え、決断し、自分一人で行動するようになった。(昭和63年・中1で参加・男)
   
結果としての良い点、悪い点を考える前に、行動をすることが、先になったと思う。(昭和63年・小6で参加・女)
   
「外国」「外国人」という意識がなくなり、「他国で暮らしている人」という感覚になった。(昭和63年・中2で参加・女)
   
人の考えには、いろいろあることを実感した。(平成1年・中2で参加・男)
   
中学生の頃は反抗期なのですが、アメリカに行って親の言うことを聞く子供達を見て、自分はこれでいいのかと思った。(平成4年・中3で参加・女)
   
日本のことを好きになりました。(平成3年・高1年で参加・女)
   
物事を冷静に見られるようになりました。(平成3年・高1年・女)
   
アメリカの家庭生活は質素で、子供達も積極的に手伝いをしている姿を見て、学校と部活だけで精一杯の自分に疑問を持った。(平成3年・中2で参加・男)
   
平和であることの大切さ。(昭和52年中2で参加・男)
   
自由を手にして生活することの喜びと責任の重さ。(昭和53年・中1で参加・男)
   
文化の違いを相対的視点で見られるようになり、いろんな意見を許容できる器の大きさを今感じている。(昭和50年・中2で参加・男)
   
英語の学習が、何のためか分からずやっていたが、現地で会話するという形で役に立つことを知った。また、日本とは違った文化を持ち、日本とは異なる国で生活している人と知り合うことで、世界の他のいろいろな国にも目が向くようになった。(昭和61年・高1で参加・女)
   
些細なことだけど、写真を撮るとき、「にっこり」と笑えるようになった。(昭和63年・中2で参加・女)
   
親に感謝の気持ちが持てるようになり、とても社交的になった。ホームステイに参加したことにより、マイナスになった面は一つもない。(昭和63年・中3で参加・女)
   
おおげさかもしれませんが、人生というものを学んだような気がします。今日の私があるのも、ホームステイのおかげだと思っています。(昭和59年・中2で参加・女)
   
参加するまでは、なんとなく自分に自身がなかった私ですが、何事でも「やればできる」と言う気持ちが、湧いてきました。自分にチャンスを与えてくれた両親に感謝すると共に、自分の子供にも機会を与えたいと思います。(昭和54年・中2で参加・女)
   
改めて、これからの社会では、英語が不可欠と思い知らされ、また日本の生活は裕福であると思った。(昭和63年・中1で参加・男)
   
依頼心が強くて、甘えん坊だった私が、周囲も驚くほどしっかりしてきたというのが、当時の印象です。異文化に接して、日本をもう一度見つめ直すことができたし、英語に対する興味も、益々増えたと記憶しています。また、自立心も出てきたし、積極的にもなりました。本当に、いい体験をしたと心から思います。(昭和54年・中1で参加・女)
   
学習面に目を向けるようになったことや働くこと。(平成1年・高2で参加・男)
   
文化は異なっても、人間としての根源的な部分の優しさや愛情には、変わりはないという事。(昭和60年・中2で参加・男)
   
日本に帰ってから、海外でのニュースなどを注意して聞くようになった。(平成1年・中2で参加・女)
   
間違いを恐れず、「当たって砕けろ」の精神を、身を持って学んだ。(平成1年中2で参加・女)
   
子供がホームステイに参加するときに、何も戸惑いなく、心から参加させることでしょう。(昭和53年中2で参加・男)
   
将来の生活を、日本の中だけでなく、世界を念頭に置いて、考えるようになった。(昭和63年高1年で参加・男)
   
新聞を以前より熱心に読むようになり、世界情勢に興味を持ち始めた。(平成2年中2で参加・女)
   
自分の思いを表現できるようになり、「イエス」「ノー」が、はっきり言えるようになった。(平成4年中3で参加・男)
   
働いている現在思うことは、当時、大金を出してくれた両親に、感謝しています。私は無駄にはしていません。(昭和54年・中2で参加・女)
   
人間一人一人の個性のすばらしさと、人を差別することの愚かさ。(昭和59年・中2で参加・男)
   
自分に対する自信と、異文化への興味、及び、理解や個性の尊重。(昭和53年・中2で参加・女)
   
自分自身が何を学びたいのかという選択をする際、すべては、このホームステイでの経験が、きっかけとなっている。(昭和60年・中2で参加・女)
   
海外へ出て、未知の世界を知って、「異なる文化がある」という認識を基に、考えられるようになった。(昭和63年・中3で参加・男)
   
最初は、異文化に抵抗を感じたが、共に生活しているうちに、彼らの考え方を自分たちの考え方と切り離して、とにかく、理解するように努めた。(昭和63年・中1で参加・男)
   

外国人だと特別視するようなことがなくなり、仕事に対しても、広く、大きく世界を見て、考えている。(昭和60年・中2で参加・男)

   
アメリカの子供達が、独立心が強く、親と対等であることに、大変影響を受けた。(昭和50年・大1で参加・女)
   
何もしなければ、そこからは何も生まれない。自分から積極的に働きかけ、ぶつかっていけば、同じくらいのものや、それ以上のものが返ってくることを学んだ。あれから8年経って、今では結婚し、子供も二人いるが、子供達が大きくなったとき、本人が望むなら参加させたいと思う。(昭和60年・高3で参加・女)
   
当時、私は中学1年生でしたが、ほんの5、6才の子供が自分の考えをしっかりと言い、大人がそれを一つの意見として尊重することに、大変びっくりしました。(昭和61年・中1で参加・男)
   
数多くの人種や民族の人達が、同じ国で生活しているのを見聞して、心の豊さみたいなものを感じた。(平成3年・高1で参加・女)
   
アメリカはとても派手に日本では見られているが、一般家庭で生活を共にすると、実はとても質素である。(昭和62年・高1で参加・男)
   
自分のことは自分で責任を持ってやること。(昭和59年中2で参加・男)
   
アメリカは自由であるだけに、個人、個人が生きるには厳しいということ。(平成4年・中3で参加・女)
   
人の心、意見を客観視し、主観を交えて思考し始めた。(平成1年・中2で参加・女)
   
物事の考え方を広くすることの大切さ。(平成3年・中1年で参加・女)
   
人の話に耳を傾けるようになり、相手の良いところを、受け入れるようになった。(平成4年・中1で参加・女)
   
「ありがとう。」と、素直に言えるようになり、日常何でもないことに対して、感謝の気持ちを持てるようになった。(平成4年高2で参加・女)
   
人を愛することと、愛されるということが、人にとって、とても幸せだということ。(平成4年高2で参加・女)
   
いろいろなことに対して、幅広く意欲を持つことを教わった。(平成4年・高2で参加・女)
   
自分の意見をしっかりと述べ、文法がめちゃくちゃでも、心からの会話が大切だと強く思いました。そして、自分の気持ち次第で、良い方向にも悪い方向にも行くということ、また、彼らの心の広さとぜい沢をしない考えを、学びたいと思いました。今回、このアンケートであの頃の気持ちを忘れかけつつあった自分を、再認識させていただきました。ありがとうございました。(昭和61年・中2で参加・女)
   
異文化で生活することの大変さ、言葉の違いを中学2年生にしながら、何となく学び、何よりも帰国してから英語に意欲的に取り組んだり、性格も積極的になった。たった1ヶ月であったが、海外で過ごした経験が、後々大きな自信を与えてくれたし、アメリカに限らず、海外というグローバルな視野を持つことが、大切だということを学んだ。(昭和60年・中2で参加・女)
   
全く異質な生活の中に放り出され、対処の仕方に戸惑ったが、さらに知りたいという好奇心の方が強く、その後の外へ向かっていく、人生の最初の大きな一歩になったと思う。戸惑いというマイナスよりも、好奇心というプラスが勝ったのは、やはり、出会った人達の親切さに触れたからだと思う。(昭和53年・中1で参加・女)
   
日本人に欠けている、自分の個性を出すことや、自分の考えをしっかりと持つこと。(昭和61年・中1で参加・男)
   
アメリカ人の広い心に接し、自分もそうでなければいけないということ、また自分の考えや意見を、はっきり相手に伝えなければいけないということを学んだ。(平成4年・中2で参加・女)
   
自立心と自分の気持ちを、はっきりと言えるようになったことが、一番に学んだことだと思う。伝わらないからと、今までは言葉が通じなければうやむやにしたときもあったが、ホームステイに参加してからは、相手が理解するまで、がんばって伝える、粘り強さのようなものが、出てきました。(昭和61年・高2年で参加・女)
   
ホームステイに参加する前は、日本に余り愛国心など持てなかったのに、アメリカ人の愛国心を知ってからは、日本に生まれたことを、誇りに思うようになり、日本文化にも興味を持った。(平成3年・中3で参加・女)
   
そこで生活している人は皆真剣で、知恵を出し合って生きていることを知った。また、家族の一員として、生活の隅々まで参加させてもらい、苦しいこと、楽しいことを一緒に体験させてもらい、いい学習になりました。(昭和60年・中2で参加・男)
   
多種多様の考え方を、受け入れられるようになったし、なりつつある。物事に積極的になり、言葉で表現しなければならない時や、自分の考えを言葉にしなければならないことを知った。(昭和61年・中1で参加・男)
   
人と人のつながりを大事にするようになり、親の存在を大切に思い始めるようになった。(昭和63年・中2で参加・女)
   
自分を持つことの大切さ。(平成3年・高1で参加・女)
   
日本とアメリカの違いに唖然としました。アメリカは陽気というか、時間がゆっくり流れて、自由な場所だと思いました。日本の人は、本当に自分の学歴も、他人の学歴も気にするが、アメリカの人は各自の人間性を、一番に重視するところに、感心しました。日本は土地と同じくらい、人間の心も、とても狭いことに気づき、恥ずかしく思いました。(平成1年・中1で参加・女)
   
自国の文化もよく理解せずに、ただアメリカが良いと、アメリカにあこがれを持つ自分が、ちょっと小さくなった。(昭和62年・高2で参加・女)
   
日本と米国の文化、考え方の違いに常に興味を持ち、そして、現在に至るまで物事を考える際に、いつも世界的レベルに視点を置くことができるようになった。(昭和61年・中2で参加・女)
   
英語が生きた言葉であることを学んだ。英語の音に対して敏感になり、ヒアリングがとても良くなり、今でも英語でホストファミリーに電話をしている。(昭和54年・中2で参加・女)
   
アメリカという異文化の地、親元を離れての旅ということで、今までの自分の価値観の枠が、再構築されたと思います。天候や土地などの風土を基として、その土地なりの文化が生まれたのだということを、明確にしました。そして、日本及びその土地での文化や価値観を、改めて考えさせられました。(昭和60年・高2で参加・女)
   
ホームステイ直後は、ただいろんな体験ができたと思っただけだが、あれから約10年がたち、改めて日本文化の大切さを実感すると共に、一部ではあるが外国に触れたことで、自分のものの考え方に幅が出てきたと感じる。(昭和59年・中1で参加・女)
   
海外に対する興味、また自分をある程度客観的に見れるようになり、英語に対する関心も増し、現在大学の英会話のサークルに属しているが、特に、思想を形成する時期に、海外に出ることは、人間性、その後の将来などにも、必ず良い結果をもたらすと思います。(昭和60年中2で参加・男)
   
国際的な視野で、物事に対処しようとする生活態度が培われた。(平成1年・中2で参加・男)
   
何というはっきりしたものは分かりませんが、日本とアメリカを比べて、日本の良いところ、悪いところ、アメリカの良いところ、悪いところが分かり、これから日本が発展していく中で、アメリカの良いところを取り入れて、また悪いところを見直して、お互いに成長していく間柄になられたらいいのにと思いました。(昭和61年・中2で参加・男)
   
いろいろな人が、いろいろな考え方や価値観を持ち、生きているということを肌で感じ、それは人に対する許容範囲を大きく広げるもので、今後の生き方に、とてもいい影響を及ぼしてくれるものと思っている。(平成4年・中2で参加・男)
   
異なった文化に触れたことによって、日本の良い面も、悪い面もはっきり見えるようになった。(昭和62年・中1で参加・男)
   
国際関係上、英会話力の大切さと異文化交流の必要性。 (昭和54年・大1で参加・女)
   
一言でいうと、人類皆兄弟、自分自身大きな人間になったと実感できる。(昭和63年・高2で参加・女)
   
行く前は、外国人に対して、あこがれなども含めて、一種の差別間を抱いていたが、一カ月ともに暮らして、その気持ちが少なくなっていった。今は、大切な友人として、手紙などで交流を続けている。   (昭和62年・大4で参加・女)
   
人の親切を感謝するようになりました。体験したことが一つの自信になったものと思います。(昭和62年・中2で参加・男)
   
これからの人生について考えるようになった。 (平成1年・高1で参加・男)
   
情報化社会の中で情報にとらわれず、外国人との交流を体験して、人間愛にふれることができ、そのことで、人を信じて助け合って生きることの大切さを学んだ。(昭和58年・中2で参加・男)
   
日本の文化について考えるようになると同時に、異文化にも興味を持つようになった。現在、「異文化の研究」を特色とする、外語大学の英米語学科に進んだ。(昭和63年・中2で参加・女)
   
国際交流は、まず自国の文化などをよく知ることが必要であるということ。(昭和63年・中2で参加・女)
   
ホームステイが終わってから、ホストの気持ちを考えたら、とても迷惑をかけたと思うので、今後はそうならないようにしたいと思う。(平成2年・中2で参加・男)
   
広く世間を知るということは大切である。  (昭和63年・中2で参加・男)
   
アメリカ社会に触れてみて、日本文化の素晴らしさを、再認識しましたし、アメリカ的な思考のとっぴさ、大らかさを見習っていきたいと思いました。また、彼らの気さくな人と人とのふれあいを大切にする姿勢を、もっともっと、私達日本人も真似できればと感じました。(昭和60年・高1で参加・女)
   
私は母子家庭の一人っ子で育ってきたので、父親というものがどういうものだ、また、兄弟というものがどいういうものか知りませんでした。ですが、あちらのホストファミリーで家族の暖かさやきずなみたいなものが、すごく印象的でした。母親と父親が一緒になって料理するところや、喧嘩など多いけれど、仲の良い兄弟など、英語などが益々好きになったのもありますが、私が一番思い出となったのは、アメリカの家族の暖かさだったと思います。本当にあの家族が、私のホストファミリーであったことをうれしく思うし、誇りに思っています。今でも手紙を書いたり、クリスマスプレゼントを贈ったりするなど、自分なりに日本とアメリカの架け橋になるよう努力しております。私に大きな影響を与えた、このホームステイに参加して、本当に良かったと思います。これからも充実したホームステイ作りを期待し、応援しています。(平成3年・高2で参加・女)
   
このホームステイに参加したことが、私自身の人生の大きな転機となりました。幸運にも自分の希望する職種に就けたこと。また、そこが自分を自己啓発できる場所であったこと。そのような環境が与えられた私は、とても幸運だと思っています。私の場合、ホームステイがきっかけですが、特に仕事に就いてからの自分の変化に驚いています。子供の頃は、コンプレックスの固まりのような自分でしたが、今では自分自身を誇りに思えます。このホームステイの意義や、成果というものは10年、20年後に気づくものではないかとも思います。自分自身を否定し続けた私自身が、このホームステイを通して学んだことは、自分自身のアイデンティティー、つまり自らの存在を、自分で認めることができるようになったことです。今から14年前、14才の時の経験は、今後の自分の人生に影響し続けるでしょうし、年をとった時でも、自分の人生の原点を、14才のこの体験に見ると思います。それだけ、私にとって大きなきっかけでありました。(昭和54年・中2で参加・女)
   
英語はもちろんのことだけど、特に真実の愛、ものを大切にする心が大きいと思う。具体的に説明するのは難しいけれど、友達、家族を大切にする愛情に、とても感動しました。私が、家族の一員になってからは、自分の子供同様に叱ってくれ、それを理解できたときに、「That's OK」と抱きしめてくれた暖かさは、表現できないような「愛」を感じました。スキンシップなども、「愛」の表現ということで、偏見が全くなくなりました。ものを大切にする心というのは、食事の時に割り箸を使う機会が、何度かありました。日本では「割り箸=使い捨て」と、当然のように思っていた私は、食事が終わってごみ箱へ捨てようとすると叱られ、世界では森林伐採で問題になっているのだから、洗って何度か使えるものだと教えられたとき、日本人としてとても恥ずかしい思いをしました。アメリカは大陸も大きいが心も大きくて、すてきな人々と出会え、貴重な体験をさせてくれた両親に、何よりも感謝の気持ちでいっぱいです。(平成1年・高1で参加・女)
   
新聞、テレビを通してみるアメリカは、外交、経済、人種などのいずれも、私達の日常から離れた感じが強かった。もちろん、日常の何気ない話題はニュースをして取り上げられないのは当たり前ではあるけれど。だが、ホームステイを体験した後では、外交、経済のニュースでも身近とまではいかないまでも、割合関心を持てるようになった。確かに、ニュース内容自体は変化していないのだが、そう思えるのは、僕がニュースを見る際にアメリカの家族を中心に考えるからではいかと思う。(平成5年・高2で参加・男)
   
人間の物事の考え方、価値が、文字どおり人の数だけあることを、身を持って学びました。以心伝心というのは、慣習によるところが大きく、例えば、一時的に気分を害することでも、本当に相手を大事にしたいと思うなら、はっきりと言わなくてはならないと、最近考えます。また、年齢を聞かない文化の根底には、その人の本質を見ようとする考えを見ました。帰国してからも、同じグループの中では、年齢、差別、学校を超えて、「人間同士」といった話があります。最終的に必要なのは、「自分」というものを持つことだと、そこから考えるようになりました。それは他人を差し置くという意味ではなく、自分というものを持っていて、それで他人に失礼にならないつきあい方が、できるものだと思います。自分を信じることの大事さとでもいうものを、学んだように思います。ここを出発点に、細かな点を学びましたが、ホームステイの機会を用意して下さった、貴社に感謝いたします。これからも質の良いホームステイを、提供し続けてください。(平成5年・大2で参加・女)
   
当時15才であった私にとって、あの1ヶ月のホームステイで人生が変わったといっても過言ではありません。一番感受性の強い年頃でしたので、あの時に見たアメリカは、とても大きく、アメリカ人が大自然の中でのびのびと生活しているように見えました。それと同時に自分の住んでいるところの小ささ、自分の観念の乏しさ、信念のなさ、豊かな心のなさに気づかされ、将来自分の歩むべき道を見つけました。人種を隔てた人と人とのふれあい、暖かさ、また何か問題にぶつかってしまったときに、それを自分で切り抜けようという姿勢、様々な今までとは違うものの中に身を置くことによって、気づかせられる事は多々あり、自己を見つめ、道を見いだす、そういう面でこのホームステイはとても意味のあるものだと思います。これからもずっと続けていって、一人でも多くの子供に私のような経験をさせて欲しいと思います。私も子供ができて15、16才くらいになったら、夏休みの1ヶ月のホームステイに出そうと思っております。私はこのホームステイがきっかけで、アメリカの大学を卒業することを決心し、高校卒業後に東京の語学学校に1年間進み、その後、米国ジョージア州へ留学しました。帰国後、1年間東京で働き、サイパンで4年間働き、現在東京で仕事をしています。留学時代はホームステイではとても学びきれなかったものを学んできました。サイパンでは今度は社会人として様々な問題にもぶつかりはしたものの、外国での仕事に関して多くのものを学んできました。トータルで7、8年間の外国生活で経験したことは、説明しきれないほどですが、長い間にわたって外の世界を見て来た今、以前にはなかった、自分では気づかなかった日本の、また日本人の素晴らしさに感動したのも事実です。外の世界を見て初めての内の世界も見えてくる、当たり前のようでなかなか気づかれない方も多いかと思います。ホームステイでは外の世界を見る大事な第一歩という意味でも、あの1ヶ月間は私にとっても一生のビッグイベントとなったのです。15年前のことですが、くっきりと、はっきりと記憶に残っています。(昭和54年・中3で参加・女)
   

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