2007年アカデミックホームステイ活動の様子

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引率の先生からのレポートです。

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 2007年アカデミックホームステイ
Grass Valley,  PAレポート

期    間

更 新 日

7月24日(火)〜7月26日(木)

7月30日

7月27日(金)〜8月02日(水) 8月08日
8月03日(金)〜8月10日(金)

8月17日

8月13日(金)〜8月20日(金)

9月18日

 
7月24日(火)
名付けて「チームグラスバレー」、我々のモットーは「何事も経験」。しばし親を忘れ、鹿児島を忘れ、日本を忘れ一路東京へ向け出発しました。スピードを上げながら滑走する機内では大はしゃぎ、見送りデッキを気にするどころかむしろ子供たちはアメリカへ旅立つ期待感でいっぱいのようでした。予定通りに東京へ到着、そこでオーバーンの生徒たちと合流「 ホテル日航ウインズ成田」へ向かいました。途中、お台場、フジテレビ、東京ディズニーランドを通過するたびに奇声が飛び交っていました。ホテル到着後は簡単なミーティングを済ませ、明日へ備えました。各所でリーダーを中心とした行動ができていました。
 
7月25日(水)
朝6時に起き、朝食を済ませ早速ケーススタディーを行いました。ホームステー中におけるあらゆる場面を想定し
グループそして全体でまずは自分ならこうすると意見を発言し、同時に他の意見に触れながら「 ええ〜そうかな?」
「 なるほどね!」などさまざまな事態に備えて対応できるよう事前学習を行いました。残りの時間で集団行動にも備えリーダーを中心とした集合、写真撮影体系編成、現地で行うさよならパーティーのための、おはら節の練習また、ソーラン節経験者の有志結成が行われ、笛を吹く者、太鼓を敲く者を決めたり助け合いながら話し合い、練習をする様子が見られました。12:45ホテルを出発し成田空港へ、スーツケースを預け身軽になったところで日本最後の食事を済ませ、お世話になった現地担当の方ともお別れ。15時過ぎに出国手続きを済ませ、いよいよ機内へ搭乗、9時間におよぶ飛行機での移動。機内食、映画、また、モニターに写し出される世界地図版のナビ、機外カメラを見るなどそれぞれに時間を過ごしておりました。
 
7月25日(水) ※以降はアメリカ時間です。

現地時間11時、日本時間夜中の4時ごろサンフランシスコに到着眠そうにしている間もなく一人ずつ入国審査を受けました。厳かな雰囲気の中、入国審査官に英語で質問され「 おお〜やばかった」 「余裕よゆう」 「 指紋までとられた」などいよいよ入国する緊張感、期待感が感じられる場面でした。到着口を出るとそこはアメリカ現地でお世話になるTCのスーザンとタミー先生そして数人の子供たちが迎えに来ていました。最初のうちはためらいながらも、後には話しかけたり、会話をしようと試みる様子が見られ始めて英語でコミュニケーションを楽しむ様子が見られました。
バスにてグラスバレーまで約3時間、途中マクドナルドでランチ、初めてのショッピングで英語の応用編、通じたことの喜び、中には「通じた、通じたと」驚きに近い趣で感動している生徒もいました。 (途中トラブルにも見舞われましたが)ホストファミリーの方々がグラスバレーの教会(スタディーセンター) に迎えに来てくださっていました。 到着後、ホストファミリーと対面それぞれの家族と車で移動していきました。

生徒の日記より

海外に行ったことがないので、初めての国際線は緊張と不安でいっぱいでした。サンフランシスコに着いたら日本では見ることができない景色が広がっていて感動しました。ホストファミリーも笑顔で迎えてくれたので安心しました。ファミリーとの夕食中の会話も意外とはずみピザもおいしく一日に多くの体験をした忘れられない一日でした。

 
7月26日(木)

ホストファミリーと夕食をとり一晩を過ごし、それぞれの思いで参加したスタディーセンターでの初日、きっと、英語で困ったり、寂しくなったり、辛かったり、いろいろな不安を言ってくる生徒がいるのではと心配をしていたがむしろ子供たちはそれらの問題も驚き、笑いで捉え「何を言ってるかわからないよね〜(笑)」「自分の家は森の中でキャンプ場かと思った。」 「犬、にわとり、そしてラマ」 までいるんだよ「 先生のところはお父さんが早速鹿狩りに行って2・3日帰ってこないそうだよ」 などそれぞれの家庭の状況を話すことでした。早速授業も始まり、現地の子供たちも交わりながらの学習スタート自己紹介・ホストファミリーの様子をノートに英語で書いてみるなど思い思いに表現していました。
午後からはグラスバレーの町に徒歩にて繰り出し、思い思いにショッピングを楽しみ、郵便局を探す生徒、口が乾燥すると薬局を探す生徒、アメリカの町並みをしばし楽しんでいました。 全員でアイスクリームショップにて暑さをしのぎそこで種類の多さ、店内で売られている菓子類の色合い、種類、多さにまた驚き、興味を示していました。18:00からはTC主催、全ホストファミリー参加による歓迎会が催されTCのミティ先生が教えていると言う太鼓クラブの方々による演奏が行われました。その技術の高さに驚くばかりでした。食事はポットラックと言う現地のパーティスタイルにホットドッグをバベキューにて野外で調理し、それぞれの家族紹介、中には上手に和太鼓や笛を演奏する生徒がおり、和やかな雰囲気でのウェルカムパーティーとなりました。

 
 
7月27日(金)

朝8:30分集合 バスにて州都サクラメントを訪問しました。まず西部開拓の歴史を紹介した歴史館を訪問しました。そこでは金を発見した瞬間の物語から世界各地からやってきた人々の物語までアメリカ西部開拓史を詳しく知ることができる建物でした。次に州議事堂へアーノルド・シュワルツネガ州知事に会うことを期待し向かいました。ちょうどお昼になったので議事堂前でランチをとりいざ議事堂へ、そこでもX線、手荷物検査をされ入館、まるで美術館のような歴史を感じさせる建物に生徒たちも唖然としていました。歴代州知事のポートレート、実際の議会場などの説明ツアーがありいざ知事がいるかもしれないと言う部屋へ5人ずつ入室・・・残念ながら知事に会うことはできませんでしたがカッコいいアメリカの警察官と写真をとりたいと、警備の警官に「プリーズ、ピクチャー」と、警官も「OK!」と快く記念写真を撮ってくれていました。
お昼からは古き西部時代を思わせるサクラメントの町に繰り出し、思い思いに散策していました。
帰りのバスは現地の子供たちと盛り上がりすぎてバスの運転手さんに何度も注意される始末でした。

生徒の日記より

アメリカのケーキは日本と違って味より見ためだ! 甘すぎて残してしまった。ドクターペッパーをはじめて飲んだ。コーラだと思っていたらビックリした!! 味はまずくて、後味がサロンパスの味だった。ゲエー

 
7月30日(月)

休日明けの初めの日、みんな元気に登校。生徒たちはキャンプに、カーレースにサンフランシスコ観光にとそれぞれの家庭でそれぞれの週末を過ごしました。
アメリカの生活も数日が過ぎ、中には「毎日ピザでもういい」「英語攻めがきつい」 「家族の雰囲気になじめない」「イメージと違っていた」「 日本に帰りたい」などいわゆるホームシック?を訴え始める生徒もいましたが、四苦八苦しながらも「こういうときはどのように言えばいいの?」「うちのホストファミリーに・・・言いたいのだけど」など伝えたい、話したい、表現しないといけないと英語に対するモチベーションも向上しつつあります。
ここグラスバレーはゴールドラッシュ時代の「ゴールドカントリー地域」世界各地から富を求める人々が集まってきた場所です。町の道路下に今でも当時の坑道が残っているようである。昼からは町にあるエンパイヤ鉱山、当時の金の採掘場に行きました。雲ひとつない晴天の空の下ホストファミリーの車に乗りあって移動、いつものように英語による説明にみんな退屈気味でした。(英語勉強してまた来てくださいね!)英語は理解できなくてもその採掘場の大きさや屋敷に驚くばかり。暗闇の中を実際の坑道に入って歩かせてもらうなど特別に体験させてもらいました。

生徒の日記より

エンパイアマインに行きました。鉱山です。説明をしてもらいましたがナビゲーターのおばさんごめんなさい。 全く分かりませんでした。でも説明が理解できたら楽しいだろうなって感じてちょっと悔しかったです。その後、サラさんの招待でヘアーサロンに行きました。『サラ』さんはハリウッドでメイクをしている人にメイクを教えているほどの腕前です。貴重な体験でした。しかしアメリカ人など堀の深い顔つきの人向けの濃いメイクで派手になり私の好みのメイクではありませんでした。

 
7月31日(火)

いつものように車で送ってもらい9:00から授業開始、今日はアメリカのお金について学びました。ダイム、ニッケル、ペニー、あまり聞きなれない読み方,大きいから価値が高いと言うわけではない?など見慣れない紙幣,コインに戸惑い気味でした。授業中感じることは、きっと昨日家で寝ることができなかったのかな? 午前中のこの時間がリラックスタイムかな? など確かに楽しんでいる生徒たちがいる一方で,疲れているもしくはアメリカの食事、生活にストレスを感じている生徒もいる様子です。宿題も課され、その宿題はホストファミリーとのコミュニケーションなしにはできないようになっており、日々ホストファミリーとの距離も近づいてきています。
午後は近くのセラミックショップに行って陶器に絵付け,ホストファミリーにプレゼントするものだと徳利形状のビンに『酒』の一文字、もしくは日本の家族へのお土産にと思い思いに色付けを楽しんでいました。地元の新聞記者の方も訪れ写真を撮られたり,インタビューされたり毎日があっという間に過ぎています。午後の活動の後,午後3時からの生活は日本人なしのアメリカ生活、み〜んな辛そうにしていますが。贅沢な悩みです。比較的に女の子が辛そうかな?男子はなんとか、かんとかやっているようですが! You know, You have to overcome this situation!

生徒の日記より

英語教室で習った"How can I call you? "をトライした。たくさんのホストファミリーと会話した。

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パーティーでは、来る人が食べ物や飲み物を持参する。日本では何かを始めるときに一度みんなを集め説明してから作業を進めるが、アメリカではグループごと、来た順に説明し、それぞれ始めた。

 
8月1日(水)

明日はサンフランシスコ研修,それぞれ買い物をしたり、レストランで食事を取ったり、明日は自分たちで行動の場面も。そこでお金の使い方、レストランでのチップを渡す習慣($7の食事で=$1くらいのチップ),現地での注意事項やサンフランシスコの気候などについて学んだ。明日はゴールデンブリッジを歩いて渡る予定である。ここグラスバリーと違って寒いらしいので上着を持っていくようにとのことだった。明日は7:45分に集合、みんなに迷惑をかけないようにと気をきかせて15分早くホストファミリーには7:30分に来るようにと伝えている生徒もいた。確かにアメリカのホストファミリーの中には時間がアバウトで中にはランチを持たせるのも忘れてしまうほど、生徒たちが「時間を伝えることを間違ったかな?」 「聞き取れなかったかな?」と心配する始末。
昼食はダウンタウンで『ピザ』それも自分たちで作るピザ。お客さんがいるにもかかわらず厨房のど真ん中で大勢の日本人生徒がピザ作りの体験! お客さんも妙な顔ひとつせず、仕事をしながら昼食を、途中のオーダーも気軽にOK!日本人の我々には少々申し訳ない気がしましたがお構いなしにピザ作り、5人一組で大きなピザをこね、トピングを選び好みでピザを作りました。心置きなく盛るチーズやソースの量に店員の方も文句ひとつ言わず、子供たちの思い通りに作らせて頂き、一人2,3ピース程あっという間に食べていました。「もうピザはいらない!」と言っていたのはなんだったのだろうと思わず絶句でした。
まるで映画館に出てきそうなアメリカのスナックバーでの調理体験、アメリカンサイズの大きなピザもすべて平らげてしまいました。今晩もピザの家庭があっても知らないよ〜 きっとあったはず!

生徒の日記より

車は右折するとき赤信号でも確認して大丈夫だったら止まらず進むところがある。 アメリカ人同士は別れぎわにキスを本当にする! そして"I LOVE YOU" って言っていた。

 
8月2日(木)

今日はサンフランシスコ終日研修。朝7:45集合、約3時間のバスでの移動。途中サクラメントやブドウ畑を抜け、霧の中から赤い大きな橋が見えてきた。ゴールデンゲートブリッジの北側にバスを止めて橋を徒歩にて約20分歩いた。とても寒く強い風を受けながら、子供達は途中で橋やダウンタウンを背景に写真を撮ったりしていた。左手には映画でも有名なアルカトラス島を見ながらサンフランシスコへ来たのだな、アメリカなのだなぁと改めて感じさせられるひとときであった。子供たちの中からは、ゴールデンゲートブリッジを渡ったという感動よりもむしろ、「何でバスで行かないのけ〜?」「寒すぎる。」等と言う不満の声も聞こえてきた。太平洋を右手に日本を未だ思う生徒もいた。「う〜、泳いで帰れるものなら〜。」と橋の向こう側では他のグループと合流し、記念写真を撮り、そして先に来ていたバスに乗っていざ、サンフランシスコのダウンタウンへ向かった。NHKの洋画ドラマ(フルハウス?)の場所だと感動する生徒、全く関心のない様子の生徒、様々であったが、バスは一路、ユニオンスクエアへ、そこから近くのケーブルカーの始発まで徒歩にて移動した。世界各地から来たと思われる多くの観光客と線路上の事故のせいでなかなかケーブルカーに乗ることができなかった。そこで、ユニオンスクエア周辺をフラフラと路上のストリートフード店でホットドッグを買ったりアイスや水を買い、昼食を済ませた。アメリカでの生活も数日が過ぎ、ためらうことなく店員さんから買っている様子が印象的でした。やっとのことで、ケーブルカーに乗り、目的地はフィッシャーマンズワーフ近くのピア39へ。「ゴリエの撮影の所だよね。」等はしゃぎながら、そして、急な坂道を心地よい風を受けながら移動しました。ピア39では、お土産を購入したり、夕食を済ませたり、しばし自由に時間を過ごしました。日本からの入口の街、サンフランシスコ、また次(来年?高校生?大人になって?ハネムーン?)来た時の思い出の街になったことでしょう。

生徒の日記より

サンフランシスコに着いたと思ったら、長〜いゴールデンゲートブリッジを渡った。テレビとかでしか見たことがなかったので、「すげー!」とあまりの大きさにびっくりした。その後、サンフランシスコの街を散歩する。すごい大きなビルや西部劇のような家がたくさんあった。ケーブルカーに乗って海辺の所に行く。そこでチャウダーを食べた。シーフードの感じでとてもおいしかった。

 
8月3日(金)

生徒の日記より

午前中は消防署に行きました。消防士さんが実際に現場で着る服や酸素ボンベを着せてくれました。服は分厚く、めちゃheavyでした。それから消防署の中を案内してくれました。消防署の中にはキッチン、ダイニング、リビング、トレーニングルーム、そして寝室があり普通の家と同じ作りでした。その後、消防車の見学をしました。酸素ボンベ、救命胴衣など様々なものが車に装備されていました。実際に消火訓練ということで消火器の噴射なども体験しました。また、記念品のキャンプ、バッジ、ものさしをもらいました。そして、かっこいい消防士さんたちと写真を撮って帰りました。アメリカの消防士は二日働いて二日休むらしい。

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昼からはパイ作りでした。一生懸命みんなで作ったので思い出になった。リンゴの皮むき器(リンゴの皮むきを行った後、リンゴを切る)が面白かった。ぜひ日本にも取り入れたい使いやすいものだった。夕食を中華料理店に食べに行った。久しぶりの米と箸に感動した。ホストは2人とも箸が使えていなかった。ご飯はフォークで食べていたけど、おかずは箸でぶちさしていた。ておてもおかしく思えた。帰ってから折り紙を教えた。初めてだったけどうまく作れていた。私のために日本語を使ってくれることがすごく嬉しい。「オヤスミ」「アリガトウ」「ドウイタシマシテ」「イヌ」は良く使われる。私も英語を積極的に使いたいと思った。

 
8月6日(月)
今日はまず、週末ホストファミリーと過ごした内容を英語で説明することから始まった。ダラーショップ(100円ショップ)でお土産を買いに行った話し、ピザ屋に行ったら丸々一つが自分のものとして出されたり、ゲームショップに行って日本のゲームソフトと値段を比較できたという生徒、のんびりと休日を過ごしたという生徒など、それぞれの家庭での生活を楽しんだようだ。昼からはグラスバレーの役場に行って市長表敬訪問を行った。残念ながらその日は市長が不在で副市長によるあいさつ、町の歴史、産業についてなど説明があり、議会室で副市長と写真を撮ったりした。最後に市からグラスバレーのバッジ、Tシャツをいただいた。

生徒の日記より

よく考えてみると、本当にカリフォルニアは雨も降らず、雲ひとつない。日本ではありえないことだ。しかも太陽が沈むのも8時を過ぎてからだ。9時になってようやく暗くなる。アメリカに来て2週間が過ぎた。結構、ホストファミリーともしゃべれるようになってアメリカ生活にも慣れてきた。グループのみんなともしゃべれるようになり、今ではアメリカに来て本当に良かったと思います。残りのアメリカ生活もアメリカに来たことを後悔しないようにいろいろなことにトライし、一生懸命がんばりたいです。

 
8月7日(火)
タホ湖へ終日研修。タホ湖はその半分はカリフォルニア州、半分はネバダ州に属する湖、州境近くまでそれぞれの家庭で車に乗りあって約1時間30分間の移動であった。途中の景色は自分達の住んでいる所とは別世界。大きな杉や松の木を通り抜け移動中の景色にも感動するばかり。それもそのはずです。移動中のエリアは、全てタホ州立公園。多くのキャンピングカー、キャンプをする者、ハイキング、シーカヤックなどを乗せている車などと行き交った。アメリカ人の休日の過ごし方なのだな〜と感じさせる光景であった。多くの生徒が「錦江湾みたいだ。」「すごくきれい。」と、その大きさ、そして湖の透明度に圧倒されていた。昼食を湖のほとりで食べ、誕生日の生徒がおり、ホストファミリーがケーキまで作ってくれていた。こんなきれいな湖でみんなから祝福、幸せだよな〜。昼食も済ませ、湖の南に位置する「エメラルドベイ」というポイントへ移動。そこは世界中の写真家が集まり、絶景のポイントであるらしく、是非子供たちに見せたいとのことだった。そこはまさにテレビ、もしくは、絵の中の世界、写真の中の世界、”Beyond my description!" まさに「エメラルドの湖」。湖には島がぽっかりと浮かび、岸には別荘、その島にお茶のみ場を作り過ごした裕福な方もいたらしいとのことでした。レイタホを満喫し、しばし優雅な気持ちになった日々でした。

生徒の日記より

一番驚いたのはそのデカさ。「まるで海じゃん!」って感じだった。水も透き通ってかなりきれいだった。近くのアイスクリーム屋さんでアイスを買ったところ、かなりのでかさにびっくりした。5段重ねくらいあるのではと思うくらい大きかった。半分くらい捨ててしまった。

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今日はタホ湖へ行った。湖!?がすごくきれいだった。湖がすごく透き通っていて、深い青みたいな色で、とにかくきれいだった。

 
8月8日(水)
ネバダカウンティーフェアーの日。グラスバレーは、ネバダ郡に属しています。遊園地施設から離れている地方に遊具施設がトラックなどで運び込まれてもっぱら臨時遊園地お祭り?さながらの催し事。豚や牛、鶏に馬などもいて、いろいろな出店も連なり、日本の歩行者天国?例えようがありませんが、とにかくお祭り気分。中にはホストファミリーも出店していると、店の手伝い、羊の品評会の手伝いを毎日のようにフェアーに付き合わされた生徒もいたようである。夜も10時過ぎまでやっており、「もうフェアーはいい。」と連日のお祭りに付き合わされて疲れ果てている生徒もいた。ジェットコースターなどその粗雑な施設に危機感を感じながらもそのスリルを味わっていた。一方、「豚、初めて触った。」「きれいにしているね。」「豚の肌、意外と硬いね。」など動物と触れ合っている生徒達もいた。あるホストファミリーが「テンプラ屋コーナー」を出店、日本人生徒にはみんな料理を振舞うとのことで、それぞれ昼食に頂だき、その量に驚いていた。ベトナムからの留学生も加わりアメリカのフェアーを体験した一日であった。

生徒の日記より

会場にはジェットコースターや遊具やお化け屋敷など様々な遊具の他に、リサイクルショップや食べ物屋、洋服屋、そして、動物ショーなど、いろんなものがあり、一日中楽しんだ。僕はあまり絶叫系には乗れないので、動物(豚、牛、馬、ヤギ)など見たり触ったりして遊んだ。

 
8月9日(木)
マリンワールド6フラッグへ行った。ここはいわゆる絶叫系の遊園地。アメリカの絶叫マシーンが勢ぞろいしている。いつものようにバスでの2時間半近くの移動は大変であったが、絶叫コースターを発見してからの子供たちの様子はもう止められない。入場口で写真撮影をして、いざ入園と思いきや、ここでもボディーチェックと少々重々しい雰囲気であった。

生徒の日記より

マリンワールドへ。マリンワールドは、日本でいうスペースワールドのような所。かなり絶叫マシーンがあった。最初、トーマスのアトラクションに乗ろうと並んでいたら、もっと小さくないといけないと断られてしまった。悲しい〜。昼食後、絶叫マシーンに次々乗った。かなり絶叫マシーンは楽しかったし、中には水しぶきを浴びてビショビショになったりもしたけどいい思い出になった。ジェットコースターに乗っているときの写真をキーホルダーにしてもらった。一生の宝物だ。

 
8月10日(金)
今日は10時からの授業であった。昨日の疲れが残っているらしくみんなどことなく元気がなかった。今週は確かにハードな日々で毎日熊本や福岡に行くような距離を移動、そこでジェットコースターなどはしゃいだあとの最後の授業日。リラックス気分のつもりでアートの授業が行われた。近くの美術専門の先生を招いて日本の鯉が描かれた下絵に色付けをするものであった。講師の先生は準備にもこだわっており、まずは生徒を教室の外に出すようにと指示され、一人ひとりの机の上に絵具、パレット、下絵と丁寧に準備されていた。

生徒の日記より

午前中の授業はペイント。水彩画で鯉を書いた。今までやったことない技法でやったので面白かった。絵に塩をまくと不思議になった。今度の美術の宿題はこれでいくぞ〜。

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水で2〜3色の色をにじませた後、塩をのせました。多分余分な水分を吸い取るためだと思います。絵を描く時に塩を使うなんて初めての体験だったので驚きました。みんな個性的な作品がでkじていました。昼からタミー先生がタホ湖でポストカードを買っていたらしくk、みんな英語で日本の家族に手紙を書きました。私は親がきっと英語が理解できないだろうと思い、日本語の訳をつけて送りました。

 
8月13日(月)
月曜日はいつも週末のジャーナル(週末の日記書き)から始まる。買い物や、川、湖、映画などそれぞれの家庭で過ごしている様子がうかがえる。「買い物は嫌だ、海に連れて行ってくれ」などのおねだりをして交渉をする生徒もいたようだ。しかしながらホストファミリーはボランティアにもかかわらず、家族の一員として、何より子供たちに楽しい、アメリカの生活は充実していた、良かったと、思い出に残るときにしてやりたいと一生懸命話を聞き、取り組んでくれているようでうれしい。子供たちにもお客さんという意識を捨て、週末も一緒に活動、行動してほしいと願っていたが、思った以上に自由に発言し、活動的に過ごしている様子であった。来た当初の週末は「本当にアメリカの生活で英語もきつい。」「行きたくないのに付き合わないといけないのけ〜」「みんなみたいにキャンプに行きたいのに」などと不平不満の声も聞こえてきていたが、何とかそれぞれで表現し、充実した週末を過ごせるように工夫しているようであった。昼からは明日行われるボランティア活動の準備、計画を行った。
 
8月14日(火)
ボランティア活動の日、この活動の利益はアメリカの生徒たちが日本へ来るための資金に使われるそうである。昨日作った“CAR WASH”と書いた紙のボードやお土産のあまりなどを持って、近くのスーパーKマートへ移動。
1 道に出て看板を掲げて客を呼び込む班
2 車に水をかけ、シャボンでいっきに洗車する班
3 車をタオルできれいに乾かす班
4 日本の商品を販売する班
5 売り上げたお金を管理する班
の5つのグループに分かれて、それぞれの仕事を20分程度を目安にローテーションを組んで活動した。はっぴ姿で客の呼び込み「本当にお客さんがくるのかな〜?!」などと心配をしていましたが、次から次へと洗車の依頼。すべての車を洗車し終えるのかなと心配をするまでに列をなしていました。洗車などしてお金稼ぎをした経験がない生徒たちはしばし、ホストの兄弟たちが手際よく洗車する姿を観察、すぐに日本の生徒たちも、まずは水をかけ、シャボンをたっぷりつけ洗車を行い、洗車するポイントを確認し、など見よう見まねで手際よく多くの車をさばいていました。洗車中にお客さんを日本商品ショップ(お土産のあまり)に招き、商品の説明をしながら、値段交渉を(英語で)行うなどもしました。自分たちで働く、そしてお金が頂ける、ボランティア活動ではありましたが、子供たちも喜びを感じながら、何か充実感を味わい過ごすことができた一日でした。
 
8月15日(水)
午前中はいつものように英語の学習、テキストブックを使って単語をいろいろと学んだ。学習した単語を使ってビンゴゲーム方式でユニークに習得できるようになっている。シートに自分で習った単語を書き、コールされたら鉛筆などで塗りつぶすのではなく、M&Mチョコを置く、そして列が揃ったらチョコを食べられるのだ。子供たちの学習に対するモチベーションも上がるはずだ。残念ながら日本の学校では採用できないが・・・。昼食も最近は文句ひとつ言わず食べている。リンゴや桃をかじったり、未だなじめないこちらのスナックを食べたり、おいしいスナックを発見したり、昨日の夕食の残りだと、朝食から変わらぬピザを食べていたり、もしくは自分で昼食は作るようにしていると、焼き飯を作って持ってきたりと、それぞれの家庭の様子、食事、ホストブラザー、シスターの話などを交えながらランチタイムを過ごしている。そして最近は、日本の宿題など心配するような会話も聞かれてきた。今日はダンスを学習することになっていたが、講師を依頼する予定の先生が、まだ所要で東部にいるとのことで、急きょ計画を変更し、来週に迫ったさよならパーティーの計画を立てるなどした。「え!もうサヨナラパーティー嫌だ!」「あ〜あっという間だね」「やっと慣れてきたのに」と近頃はまだアメリカに残りたいようなことをよく耳にするようになった。日本の宿題大丈夫かな〜?現実が迫っているからかな〜?でもあと数日ある。「何事も経験」の気持ちで英語、ファミリーとのコミュニケーションなど挑戦してもらいたい。
 
8月16日(木)
サンスプラッシュ、州都サクラメント近くにあるプールへ行った。プールと言っても水浴びをして楽しむだけではない。ここはアメリカ、プールさえも絶叫系のアミューズメント施設になっている。例えば4名のりの浮き輪に乗り、急降下で水の中へ吸い込まれる、またはほぼ垂直に高さ8M?はあるようなところから落ちていくスライダーなど、ジェットコースターとはまた違う体感が味わえるスリリングな遊びが楽しめる施設になっている。どのスライダーも最後は下にある流れるプールにドボ〜ンと投げ込まれる仕組みになっているのである。何度も長い列を作りながらも、いくつかのスライダーに挑戦したり、メンバーを変えながら再度挑戦したりと、約5時間近くプールで過ごしました。この夏、鹿児島で体験できなかった水遊びを思う存分楽しめた一日でした。
 
8月17日(金)
スタディーセンターで学習するのも今日が最後、昨日の楽しかった思い出を英語で日記を書き、その後各グループでクロスワードパズルなどアメリカの小学生が学ぶように作られたであろうさまざまな語彙ゲームをしました。少々中学1年生には不利だったかもしれませんが「英語=単語がいのち」語彙力アップしてくださいね。そうすると、きっと楽しいと感じるはずです。お昼は気分転換に近くの公園までランチを持って移動。大きな松の木の下で、まるでキャンプ場のような場所での昼食となりました。来週は、いよいよさよならパーティー。みんなで日本食を作ることになりました。餃子、カレーライス、手巻き寿司、肉じゃが、そして米を炊く係りと、5つの品を効率よく作るために、それぞれの班で必要な材料、必要な道具、きっと月曜日は高校訪問もあり、忙しくなることも想定されるので、それぞれ分担して皮むき、材料の調達、下地込みなど、土日の宿題になりました。スタディーセンターに戻ってから、合唱する曲を決め、曲は“Yesterday Once More”を英語で歌うことにし、限られた短い時間ではありましたが、みんなで練習しました。月曜日のさよならパーティーが、みんなで一緒に活動できる最後の日です。ホストファミリーへの感謝を込めての催し、「成功させよう!」そんな気持ちが感じられる練習振りでした。

8月20日(月)

スタディーセンターでみんな集まっての学習も今日が最終日。ネバダユニオン高校への訪問日,これまでの行動から高校見学は無理かもしれないとのTCからの忠告,お願いにお願いしてしっかり活動,学習に望んだここ数日,念願かなっての高校訪問となりました。アメリカの高校も学校が始まったばかり,廊下側のロッカー,私服で移動中の生徒,カフェテリアでの昼食風景,まさにテレビの中の学園生活の世界でした。高校では学校長のアシスタントの方が体育館,プール,図書室,フットボール場などを約2時間近く説明してくださいました。ほんのわずかの間でしたが,ちょうどランチの時間と自分たちの休憩時間が重なり,しばしカフェテリアでアメリカンスクールランチを現地の高校生たちと楽しむことができました。「アメリカの高校生は制服がないからいいな」「留学するのはきつそうだな」「自由そうでいいな」「アメリカの高校は規模が大きいな」など憧れのハイスクール生活に感動している様子でした。午後からはいよいよ『さよならパーティー』調理班と会場準備班に分かれての準備。時間がない中、数時間で,カレー(カレールー10個は使ったかな),肉じゃが(鍋2つ),餃子(100個くらい),手巻き(80本くらい)炊飯器4台×2回のフル稼働にて3時からのさよならパーティーに備えました。約3時間近くワイワイ,ガヤガヤと作りたての料理をつまみながらTCミッチー先生宅を提供していただき,おもてなしの日本料理作りとなりました。 パーティーではプログラムも作っていただきました。プログラム1番,綾取りの披露に始まって空手のかた,笛,男子全員による国歌斉唱,桜(コブクロ),(さくら〜さくら〜),そして最後にホストファミリーを交えての『かごしまおはら節』途中,一人ひとりにホームステイプログラム終了の表彰と家族との記念撮影,笑い有りそして涙,涙のさよならパーティーとなりました。『きっとまたここグラスバレーに帰ってくるのだ』この夏30日間,「遠慮をして」「日本が恋しくなって」「食事が合わなくて」「英語が通じず不自由して」「思うように行動ができなくて」「新しい家庭のルールに従って」でも,「わがままなお願いを言ってみたり」「病院に連れて行ってもらって」「ホストブラザー達とケンカしたり」そして最後には「涙して」チームグラスバレー24名 みんな一人ひとりがそれぞれの感じ方でさまざまな体験を行い,アメリカの家族・友達という貴重な人間関係を自ら築き過ごした2007年の夏でした。

 

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